国指定史跡 紫香楽宮跡

 天平14年(西暦742年)、恭仁の宮(くにのみや)の造営中であった聖武天皇は、恭仁(京都府相楽郡)より東北への道を開き信楽に離宮の造営をはじめられた。たびたびの行幸の後、天平17年(西暦745年)の正月にはここを新京として百官朝賀の新年儀式をとり行われるにいたったのであった。朱雀門や大安殿・朝堂などが建ち役所も大部分この地に移って都の造営が続けられようとしたのであるが、同年4月ごろから周辺の山々に大火災があいつぎ、その上地震などの災害も起こって人心の不安がつのったために、ついにこの年の5月、都は奈良の平城宮へともどされていったのである。

 この遺跡は紫香楽宮造営の一環として建てられた寺院の遺跡であって、後に甲賀宮国分寺となったと推定されている甲可寺の遺構とみられ、東大寺に先立つ寺院の遺跡としても貴重である。

 なお、聖武天皇はこの間の天平15年に、大仏造立の詔勅を発し、この地にその造仏を開始されたのであるが、遷都によってここでは完成にいたらず、後に東大寺としてそれが完成したのである。