国史跡 紫香楽宮跡(甲賀寺跡)
所在地 滋賀県甲賀市信楽町黄瀬・牧
指定面積 33,778.51㎡

 紫香楽宮は、聖武天皇の時代に造営された宮都です。
 天平12年(740)の「藤原広嗣の乱」を契機に平城宮を離れた天皇は、天平14年(742)に信楽の地で離宮建設を開始し、天平15(743)年10月には、「大仏建立の詔」がこの地で発布されました。

 翌年の11月の体骨柱(大仏鋳造の内部の芯柱)を立てる式典に際して、天皇自らが綱を引いたと記録されていることから、紫香楽宮での大仏建立は、順調に進んでいたことが推測されますが、天平17年(745)の紫香楽宮廃都とともに中断され、東大寺(奈良市)で新たな大仏が建立され現在に至っています。

 この丘陵の遺跡は、大正15年(1926)に国史跡「紫香楽宮跡」として指定されましたが、その後の発掘調査で、宮殿跡とされた礎石遺構が東大寺の建物配置に類似することや、山城国分寺跡(Mu注:つまり恭仁宮跡)と同笵(どうはん)瓦が出土することから寺院跡であることが判明し、甲賀寺遺跡と推測されています。(平成14年(2000)には、宮町遺跡で紫香楽宮の中心区画が発見されています。)

(Mu注:上記の宮町遺跡は、この甲賀寺遺跡から北へ約2kmのところです)

 しかし、現存する礎石遺構が大仏建立のために建立された甲賀寺と仮定すると、東大寺の規模と比較して面積で三割弱に過ぎず、丘陵全体では東大寺に匹敵するほどの面積が確保できるにもかからわず、「国中の銅を尽くし、大山を崩す」という大仏建立の詔の表現に対して、その規模は狭小です。

 さらに紫香楽宮廃都後も、文献には「甲賀宮国分寺」と称される寺院が存在していることが確認されることから、現状の遺跡をどのように解釈するかが、今後の検討課題になっています。