史跡・山城国分寺跡(恭仁宮跡) (やましろこくぶんじ くにきゅう)
指定年月日 昭和三二年七月一日

 恭仁京は、奈良時代に聖武天皇によって造られた都です。当時、たびたび疫病や戦乱に見舞われ、世情不安の中、こうした事態を打開するためか、聖武天皇は、奈良の平城京を離れ、各地を転々とした後、天平十二年(740)に現在の加茂町瓶原(みかのはら)の地を中心に新都を定めました。しかし、恭仁京は天平十六年(744)にわずか四年あまりで廃都されてしまいます。

 その後、宮域は大極殿(だいごくでん)を中心に、山城国分寺として再利用されることになります。山城国分寺跡は、恭仁宮の大極殿をそのまま用いた金堂跡を中心に南北三町(約330m)、東西二町半(約275m)の広大な寺域をもつ寺でした。山城国分寺跡(恭仁宮跡)には、現在も金堂跡(大極殿跡)基壇と塔跡基壇が地表に残されています。

 皆さんの立っている場所は、塔跡の正面になります。周囲を塀に囲まれた塔は、残されている基壇跡や礎石跡から考えて七重塔であったと推定されます。

加茂町教育委員会