大阪府指定史跡
伝王仁墓
「 江戸時代中期の京都の儒学者であった並川誠所が、享保一六年(一七三一)に枚方市禁野本町の和田寺の記録から、王仁の墓が藤阪御墓谷にあることを知り、この地を調査して現在の自然石の立石を発見し、これを王仁博士の墓としたものです。

 古事記によると、王仁博士は古墳時代前期の四世紀末に朝鮮半島の百済国から渡未し、「論語」一〇巻・「千宇文」一巻をもたらし、古代から学問の祖として崇敬されてきました。

 王仁の子孫は文筆をもって朝廷に仕え、西文氏(かわちのあやうじ)として羽曳野市の古市付近に居住し、周辺は河内随一の渡来文化の集積地として、発展していきました。
   一九九八年 枚方市教育委員会」