同地解説板より引用

 「日本書紀」によると、継体天皇は河内の樟葉宮に次いで、山背の筒城宮に宮を遷されたという。また、その地は、仁徳天皇の皇后磐之媛の故地とも伝えられている。
 しかし、考古学的には、筒城宮址の位置は不明であって、関係の遺跡が木津川ぞいにあったという見解も最近だされている。
 一方、「興福寺官務牒疏」に記載のある筒城寺が、現在の普賢寺大御堂を中心とする観音寺であって、筒木大寺や普賢寺址に関係することが知られている。これによって筒城宮の所在地を筒城寺の近接地に比定する見解が生まれた。
 一九二八年に三宅安兵衛の意志によって、浜田青陵博士の書になるという「継體天皇皇居故趾」の碑が、多々羅の三軒屋に建てられたことはよく知られている。
 一九六〇年には、地名の都谷にゆかりを求めた地元の有志による筒城宮址顕揚会が「筒城宮址」の碑を現在の同志社国際高校の敷地内に建立した。この建立に合せて、さきの「継體天皇皇居故趾」の碑も隣接地点に移設された。
 一九八六年にこの石碑は、地元の要望もあって同志社大学構内の不動尊遺址碑の脇に再度移設され現在に至っている。
    同志社大学