「史跡 今城塚古墳
 今城塚古墳(いましろづかこふん)は、6世紀前半の古墳時代後期に築かれた巨大な前方後円墳です。全長約350m、2重の濠をもち淀川北岸では最大級の古墳です。かつては、墳丘や堤に円筒埴輪や形象埴輪をめぐらし、2重の空濠で厳然と画された広大な墓域を誇っていました。今城塚の名は、戦国時代に三好長慶が出城を築いたことに由来します。

 この古墳が真の継体天皇陵(けいたいてんのうりょう)であるとしたのは歴史学者の故天坊幸彦氏でした。天坊氏は古代条里制を研究し、摂津国嶋上(しまがみ)・嶋下(しましも)両郡の郡境を示して嶋上郡にある今城塚古墳こそ、延喜諸陵式(えんぎしょりょうしき)にいう継体天皇三嶋藍野陵(みしまあいのりょう)であるとされました。この説は考古学の古墳の年代観からも裏付けられています。天皇陵といわれる古墳は、大和・河内地方に集中していますが、唯一継体天皇陵のみが摂津の地に営まれています。継体天皇(531年没)の出身地でもない摂津になぜ陵墓が築かれたか明らかではありませんが、淀川とのちの山陽道を間近にのぞむ沃野(よくや)に大王陵を誇示することにその意義があったと考えられます。

 周辺には史跡嶋上郡衛跡附寺跡、史跡阿武山古墳をはじめ、弁天山古墳群、郡家車塚古墳ん、前塚古墳、狐塚古墳群、岡本山古墳群などがあり、一体が「三嶋」の政治・経済の中心地であったことをうかがわせます。
    平成元年十月 高槻市教育委員会」