≪写真は臨時の見学会用案内板のものです≫

 別のサイトで確認するが、この古墳からは大規模、それこそ大王陵にふさわしい大量の大型埴輪がでている。
 この写真は後日の公園化のイメージではないようだ(別の完成予定図では木々が茂っていた)。しかし往時は神戸の五色塚古墳と同じく、葺石(ふきいし)で綺麗に覆われていて、現代の木々が繁茂した姿とは全く異質で、むしろ化粧石で表面を飾ったピラミッドのような偉容があったのだと思う。
 なお後円部が二段のイメージだが、これは発掘調査の新聞記事を読んでいると、三段なのかもしれないと思った。