【写真上】
 後円部墳頂が展望台になっていて、西に視界が開け、上辺にうっすらと木津川の堤防が見える。そこまでは地図で約1キロ。木津川と展望台(墳丘の後円頂)の高低差は約25mある。その彼方には山々が連なるが、地図では磐船神社が十数キロ西にある。
 写真の二本縄の直下にJR奈良線が横断している。また、その向こうの前方部は、すべて民家で覆われている。

【写真中】
 椿井大塚山古墳の登り口と展望台(円頂部)の間から、JR奈良線の電車を写した。これは奈良行きなので、あと一秒で、古墳を横切る寸前の写真。

【写真下】
 電車が奈良へ行ってしまったあとの、古墳分断線路。
 ここが昭和28年に拡張されたときに、三角縁神獣鏡30数面(行方不明や、破損あり)その他が、多分写真の左側で発見されたのだろう。
 その経緯は本文にもメモしたが、樋口隆康氏の「昭和28年 椿井大塚山古墳発掘調査報告」に詳しい。
 http://www1.mahoroba.ne.jp/~kidugawa/tsubaiohtsukayama/1st/tubai01.htm
 この樋口氏のいわゆる第一次調査報告原文は、一時は闇に埋もれかけた報告書なので、非常に緊張して読んだ。
 ともかく、被葬者や三角縁神獣鏡そのものだけではなくて、現代的な謎というか、課題はいくつか残る。