伏見桃山城について
 伏見城、別名伏見山城は、文禄三年(一五九四年)豊臣秀吉が築城したもので、秀吉の権威を象徴するかのように、豪壮華麗を極め、金色燦然たる天守閣をはじめ、数寄屋造りの山荘など、すべて桃山文化の結晶であった。
 慶長五年(一六〇〇年)関ヶ原の合戦の際、戦火により焼失したが、徳川家康が修復し、畿内における徳川家の本拠とした。
 元和九年(一六二三年)伏見城は廃城ときまり建造物は石垣に至るまで、各所の城や寺院等に移築され、今もその姿を見ることができる。

 現在の伏見桃山城は、かつての本丸跡が明治天皇の桃山御陵となっているので、往時のお花畑山荘の地に昭和三十九年三月に再建された。
 その構成は、五層七重の大天守閣(?)と、三層五重の小天守閣(?)から成る連結式城郭で、洛南の空にその威容をほこり、往時の伏見城を偲ばせるものである。