「磯城瑞籬宮跡(しきみずがきのみやあと)
第十代、崇神(すじん)天皇の皇居跡と伝えられています。
神山・三輪山を背後に負い、歌垣の伝えで名高い海柘榴市(つばいち)を脚下に控えて、大和平野を見渡す高燥の地です。
東へは、泊瀬道(はつせみち)、伊勢を経て東国へ。
南へは、磐余道(いわれみち)、飛鳥を通じて紀伊方面へ。
北へは、山の辺の道、奈良、京を経て北陸、日本海方面へ。
西へは、大和川の水運を利用して難波、瀬戸内海方面に繋がる交通の要衝です。
古代大和王権、発展の拠点であったとも言える場所です。」