長浜と米原が直流になったのは1991年です。
 それ以前は、長浜と米原間は、蒸気機関車でした。(もっと昔の1954以前は北陸線の全部が蒸気機関車だったはずです)

1.長浜から一駅南に「田村駅」があって、ここで、電機機関車と蒸気機関車の入れ替えがあったようです。その様子が図示されていました。
 要するに敦賀からきた電機機関車(上り)は田村駅で切り離されて、待避線に入り、次の敦賀方面行き蒸気機関車がひっぱってきた列車に、接続し直され、下り線で敦賀に行くわけです。これは米原から田村駅に来た蒸気機関車も、同じことの逆をするわけです。

2.この蒸気機関車は1996に長浜--米原間が直流電化したので、廃止されました。
 今度は、交流と直流の問題が生じました。
 2006年に長浜、敦賀間が直流になるまで、田村駅で直流X交流の変換を行いました。
 変換というよりも、ギャップ(隙間)が設けられたわけです。電気の通っていない架線があったようです。
 その間は、交直両用電車が空走し、車内灯が一瞬消えることで分かると、説明がありました。
(ギャップには架線が無くてもよいのでは? と思いましたが、パンタグラフを平滑に通過させるためには、突然架線が無くなるとバランスを崩すので、必要なのだと想像しました)

                        ↓1996年~2006年
米原========(直流)=========・・・田村駅・・・xxxxxxxx(交流)xxxxxxxxx敦賀~

3.まとめ
 旧鉄道省、国鉄(日本国有鉄道)、現JRと、本当に全国レベルで眺めてみると、複雑怪奇なところがあります。だから、長距離特急が日本中を走るのは、難しい課題をこなしながら、走ってきたのだと思いました。
 (今は知りませんが、近鉄電車はレールの幅が異なる(20㎝以上)所があるようで、これもややこしい話です(笑))