線路の変遷は、よく調べないと分かりません。
 北陸線の難しさは、

1.戦後のある時点で、ルートが変わった。これは私の父の祖地がこのあおりをくらった、「国鉄の無くなった村」なので、いろいろ思いが残ります。
 今後も必要に応じて調べてみます。
 なお、
 2009年9月に、私は自動車で旧線跡を大桐から敦賀の手前まで走りました。単線の、信号もない、長いトンネルが11カ所ありました。正確には、信号は3つのトンネルだけでした。あとは真っ暗で、途中行き違いができなくなり、数百メートル、バックしました。つまり、道路としても、地元の人しか使えないような未整備状態です。
 兄の一人は昔、まだ枕木が残ったままの旧線あとをジープで走った経験があるようです(仕事の上で)。

2.日本で交流電化を始めて開業したのが、敦賀-田村間で、1954年のこと。長浜から米原までは、蒸気機関車にしていたようです。これは、東海道線が直流なので接続困難で、ギャップ(隙間)を設けたふしがありますね。(鉄道模型世界でも、ギャップをよく利用します)
 現在の、交流と直流の切り替えは、次の写真「長鉄博16」に説明があります。

3.つまり北陸線は、戦後から現在までの間に、ルートが変更されて、交流電化と蒸気機関車と直流電化(東海道線)が入り交じり、最近まで交流と直流とが田村(長浜駅から次の、米原より)で工夫されていたようです。
 1991年に長浜--米原間が、2006年には、長浜--敦賀が、直流になりました。
 となると、敦賀から福井、金沢の方はまだ、交流なのでしょう(?)。ややこしいです

4.そもそも何故、交流と直流電化があるのかは、難しくて分かりません。
 交流の方が当初はものすごい利点があったようですが、その後「直流」もメリットが上がってきたようで、今後も新幹線以外の新線は直流で開業されると予測されます。
 つまり、北陸本線は、難しい(笑)