日本にはかつて「人車」の時代がありました
「人が自ら動力となって線路上の車両を押す」
 明治の中期、加速する文明開化の片すみで、庶民の足として人気を呼び、やがてひっそりと消えていった人車鉄道。その活躍は約60年ほどでした。
 人車の目的は、旅客・貨物、またはその両方を兼ねた搬送であり、幹線鉄道と市街地・産地、舟運とを結ぶ役目を果たし、人件費の安さ、建設コストを含めた初期投資の少なさ、鉄道運行の簡便さ……が特徴でした。
 やがて動力近代化に逆行する人力交通機関は、人力という限りある輸送力の小ささと効率の悪さから押し寄せるモータリゼーション(自動車化)の波には勝てず、昭和初期にはほとんどの人車鉄道が消滅しました。
 しかし……!
 夏目漱石も乗った! 芥川龍之介も名作「トロッコ」に描いた幻の人車鉄道--。
 その軌跡からトロッコ列車の変遷へと、現代の我々の足となっている鉄道の原点に嵯峨野観光鉄道はスポットを当ててみました。

嵯峨野観光鉄道株式会社、同案内板より引用