現代のJRや、もちろん私鉄電車に比較して狭い間隔の線路だったらしいです。

 東京の岩倉鉄道学校を大正時代に卒業し、鉄道省(現代の国鉄→JR)に入った父が、いつも「ええか、Muや、国鉄の線路は直線でカーブを出すが、私鉄は線路自体を曲げてカーブを造る」と言っていた。その真偽も確かめることなく時が過ぎましたが、市電は線路を曲げてカーブを造るようですね。

 ところで、カーブの内側には第三のレールを敷いて、もしかしたら、脱線しないようにしていたのでしょうか。分かりません。