円山公園(まるやまこうえん)の由来
 平安の昔、今の円山公園一帯は一面真葛(まくず)や薄(すすき)などが生い茂り真葛ケ原(まくずがはら)と呼ばれていました。鎌倉時代、慈円僧正(じえん・そうじょう)が
  『わが恋は松を時雨(しぐれ)の染めかねて
      真葛ケ原に風さわぐなり』(新古今集)
と詠んでから一躍和歌の名所となり、以来多くの歌にうたわれました。江戸時代に入ると安養寺塔頭(あんようじ・たっちゅう)の六阿弥(左阿弥、也阿弥などいずれも何阿弥と称した六坊)が席貸を始め、次第に賑やかさを増してきました。
 この頃から『慈円山安養寺(じえんざん・あんようじ)』の『円山(まるやま)』がこのあたりの呼名となったと伝えられています。
 明治19年10月、京都府は円山一帯を公園地に指定し、同22年12月市制が施行されると同時に京都府から京都市の管理に移されました。その後何度か拡張工事を行い、大正2年、平安神宮神苑をはじめ無鄰菴(むりんあん)、碧雲荘(へきうんそう)などの名園を創り出した造園家、小川治兵衛(おがわじへい)氏の手により中央に池を配した回遊式日本庭園に造り変えられたのが現在の円山公園の姿です。
          京都市