カテゴリー「NHK八重桜」の8件の記事

2013年2月26日 (火)

NHK八重の桜(08)ままならぬ思い:会津の日常と都

承前:NHK八重の桜(07)将軍の首:足利将軍は逆賊なのか
NHK大河ドラマ公式あらすじ

 会津の八重が都のことを知るには、父や在京の兄を頼るしかない。ときどき藩と都とで人の往還があるからそこに聞くことも可能だったろう。
 歴史を俯瞰するのは渦中時代に居る人々には難しいことだと思う。たとえば、松平容保が全てを分かっていたわけではないし、勝海舟や坂本竜馬がが見通していたわけでもない。だいたいの情勢判断と信条にしたがって、いきあたりばったり、成り行きにしたがって行動していく。その一々の意味付けは、後知恵なしでは論理的に説明できないことも多いはずだ。
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 会津に八重がいて、友の失恋に同情し、都に兄の覚馬がいて、新選組の動きになにやら胸騒ぎがする。そして家老の頼母ははるばる上京し(どんなルートで、どのくらいの時間がかかったのだろうか? 船便はあったのか?)、容保に会津を潰さないで欲しいと諫言し蟄居を命じられた。
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 それぞれの日常があって、世間は世界は動いていく。全体を俯瞰できるのは決して中心人物ではない。おそらく時の積み重ねによる多次元視点の立体化によって、はじめて出来るのだろう。

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2013年2月18日 (月)

NHK八重の桜(07)将軍の首:足利将軍は逆賊なのか

承前:NHK八重の桜(06)会津の決意:京都守護職拝命
NHK大河ドラマ公式あらすじ

 いささかおお時代なことだが、足利将軍は逆賊ではなく、逆賊とは鎌倉北条氏を指す、という話を思い出しながらドラマを観た。そしてまたスジからいうと、徳川幕府は形式的には「源」つまり、源氏の流れであり、松平容保も詳細に名乗るなら「源(みなもとの)」となる。武家にとって源家の流れは圧倒的な強さをもたらすわけだ。征夷大将軍の家柄である。もちろん足利将軍も、三代義満のように自ら天皇になろうとした将軍もいたが、尊皇であったのは事実だ。特に初代の足利尊氏の天皇に対する気配りは篤かった。
 これにくらべて室町幕府の前の鎌倉幕府は、初代は源頼朝が大将軍であったが、やがて屋台骨の一切合切は北条氏の手中に入ってしまう。極端に言うと源家征夷大将軍とは無縁の幕府であって、北条氏のやりようも逆賊といって間違いではない。特に、1221年の承久変では後鳥羽院を隠岐島に生涯遠島の刑に処し、解除しなかった。

 というわけで、容保(かたもり)は、不逞の輩が足利三代の木造首をさらした行為に対して、「足利将軍は朝廷から征夷大将軍を任じられた将軍。それがなぜ逆賊なのか?」と、不思議がっていた。実はドラマの展開として、それを自白した家臣が「実は、すでに世上は尊皇攘夷ではなく、倒幕に傾いています」と、容保に告げた。要するに木造生首は、現・将軍家への面当てだったわけだ。

 容保は当初、「天誅」などと世上を騒がす争乱の原因が尊皇攘夷なれば、まだ話し合う余地があると考えていた。しかし、目的が尊皇でもない攘夷でもない、単純に徳川政権をたたき壊すための、政治的実質的なテロと知ったとき、容保は怒った。すなわち、会津藩の総力をかけて京都を武力鎮圧し、治安を回復すると、方針を変えたわけだ。そこに次週の、「新選組」が生まれてくる。

 このころの八重にはまだ都の天皇・朝廷(公卿)・将軍家・外様諸藩・脱藩浪士たちの複雑なやりとりは想像さえ出来なかったようだ。

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2013年2月11日 (月)

NHK八重の桜(06)会津の決意:京都守護職拝命

承前:NHK八重の桜(05)松陰の遺言:井伊の無念
NHK大河ドラマ公式あらすじ

 八重がいろいろな局面で、男達の井戸端会議、政談からはじきだされ、悔しく思っている様子がよく現れていた。京都守護職拝命の話題を盗み聞きしたとき、父親から「国政に女が口を挟むな!」と怒鳴られたのは、なかなか現代人としても衝撃だった。一般に、有史以来(笑)、その国政を預かって来た為政者達にまともな賢人、正常な胆力のある人は少なくて、ほとんど98%は、怯懦、姑息、右顧左眄、~まあそれくらいはしかたないが、偏執的傾向の強い疾患、心身に重い病をかかえ正常判断を出来ない人達~こういう人達がその「国政」の判断をしてきたわけだから、随う者達には迷惑千万なことが多々あった。だから「女に政治がわかるか!」という罵声、怒声はそのまま男の政治家達に跳ね返っていく。単純に「男である」「選挙で選ばれた」「家柄がよい」「金がある」「一般的な才能がある」「苦労人だ」「調整人だ」~そんなこって、政治がわかるか! と。

 このドラマでは、会津中将容保(かたもり)に京都守護職をおしつけたのは、松平春嶽(まつだいら・しゅんがく)と一橋慶喜(ひとつばし・よしのぶ)のようだ。ともに先の大老井伊直弼から謹慎を強いられた人達だ。桜田門外の変が起こるまでの京都や西国への備えは彦根藩の役目だった。京都には所司代もあったが、幕末になって治安は破綻していた。
 将軍が朝廷へ挨拶に上京する必要からも、京都の治安を安定させ、守護する組織は必須だった。

 国元では、この役目を辞退せよと容保に嘆願があった。西郷頼母は京都守護職拝命は「薪を背負って火事場にいくようなもの」つまり、火中の栗を拾う危険性。あるいは「殿は会津藩滅亡への道を選ばれた」とまで言いつのり、号泣する。京都は政争のるつぼ。将軍家、朝廷、公卿達。薩摩や長州の暗躍。脱藩浪士達の犯罪行為、テロ。そして幕府の姑息。井伊直弼の死は犬死に等しかった。幕府は彦根藩をさんざん使って、切り捨てた~。松平春嶽も一橋慶喜(15代将軍)も、ともに溢れるほどの才能があっても、至誠無し。(だから象徴的に、容保配下となった新選組が、誠の旗を立てたのか、とさえ思った)

 容保は溢れるほどの「誠」を貫いた。それがドラマでの「初代の家訓(かきん)」、徳川将軍家に災難があったときは、これに殉じるの意味であった。

「一、大君の儀、一心大切に忠勤に励み、他国の例をもって自ら処るべからず。
  若し二心を懐かば、すなわち、我が子孫にあらず 面々決して従うべからず。」

 と、会津中将が京都守護職を拝命した背景には、会津藩としては藩全体で水杯をかわし死出の旅路に出るほどの苦痛を伴っていた。そういう任務だったと言えよう。それまでの出費からぼろぼろになった藩財政をさらに工面し、藩兵千人を遙か京都に派遣し、政争に巻き込まれ、京都や他藩からは憎しみしか受けないという、これほど損な役割はなかった。
 (現代も会津が恵まれているわけではなかった。今年、「八重の桜」が放映されたことには、英断があったと想像した)

追伸
 NHK大河ドラマサイトの登場人物を眺めていたら、新選組関係者が三名(近藤、土方、斉藤)顔をだしていた。とくに明治以降の斉藤一(新選組三番隊組長)がなにかと、八重さん達と縁があったことを知り、感動した。

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2013年2月 4日 (月)

NHK八重の桜(05)松陰の遺言:井伊の無念

承前:NHK八重の桜(04)妖霊星:井伊大老
NHK大河ドラマ公式あらすじ

 吉田松陰の刑死は29歳だったと知って、あらためて驚いた。萩での数年の談論講義で明治維新を駆動した逸材を育てた、あるいは強い影響を与えたという事実が残った。

 人が人の影響を受けるのは、知識と大局観と世界観、そして包容力を持った人物に出会ったときだ。
 人から影響されたいとか、人に影響を与えたいという気持ちが中心にあると、うまく行かない。教育現場の失敗の多くはそうだし、組織の非活性化にもそれはある。
 もちろん、教育世界も組織も「利」を中心にすると、一過的な擬似的な「相互影響」はでてくる。
 その場を出たあと、あるいは棺に蓋をおいた後も、影響が残ったなら、本当の力が存在していたと考えて良かろう。

 吉田松陰先生は、おそらく本当の力を持っていた。それは大和魂と言ってもよいし、至誠と言ってもよかろう。彼の刑死は相当な衝撃を後世にまで残した。

 そしてまた。井伊直弼の無念。
 これがドラマの本流になるのだが、直弼の気持ちは松平容保(会津中将)に伝わった。このことが、旧幕派列藩の中でもことのほか会津の悲劇を大きくした、遠因ともなった。容保(かたもり)は火中の栗をわしづかみにしたわけだ。
 たとえばドラマでは、容保は、井伊大老をおそった水戸脱藩浪士を育てた御三家水戸を責めるのは筋違いという話を切り出した。これがどのような道を指し示していくかが、ドラマの醍醐味なのだろう(笑)。

 ところで。
 このとき、井伊直弼を警護し、生き残った武士たち全員が、国元彦根に帰参した後、どのような悲劇に襲われたかは、おそらくドラマでは描かれないが、「一つの大事件」の影に隠れた歴史として、知っておくべきかもしれない。
 この場合、警護に生き残ったから家名断絶身は切腹、罪科は親族に及んだ。おそらく幕府の考えで行われた彦根藩への処置だったのだろう。武芸ある故に生き残ったかもしれない可能性を考えるゆとりはまるでない。旧日本軍でもそうだが、追い込まれた指導者には、高い確率で怯え・卑怯・視夜狭窄症が発生する。生き残った者らへの追い腹強要は「証拠隠滅」&「いじめ」という、まさしく組織・教育関係者のお家芸だな。

 だからこそ、あらゆる組織は「長」「幹部」の教育を真剣に組織的に考える必要がある。問題は、そのあたりのことはスキルではなくて、胆力・精神力・柔軟性・倫理感という、数値化しにくい要件で成立していることにある。
 (歴史上の多くの「軍」にかかわる学校・教育施設、たとえば士官学校の要素を考えるのもよかろうか)

 今年の大河ドラマは、会津若松から見た幕末維新史観がみられる。
 楽しみだな。

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2013年1月28日 (月)

NHK八重の桜(04)妖霊星:井伊大老

承前:NHK八重の桜(03)蹴散らして前へ:禁足
NHK大河ドラマ公式あらすじ

 八重が兄・覚馬にとついできた兄嫁となかなか話がかみ合わず途方にくれていた。異端じみた八重が常識人と上手につきあうにはまだまだ歳月が必要だと思った。

 江戸城では彦根藩主井伊直弼(なおすけ)が大老になり、幕末の悲劇「安政の大獄」が始まった。勅許なくして井伊がアメリカと「日米修好通商条約」を結び、これに反発した朝廷、御三家(紀伊は不参加か?)や薩摩や越前の動きを幕府(井伊体制)が封じ込めたのが発端と言ってよかろう。
 京都から知らせれた井伊大老謀殺計画に直弼が強く反応し、これに関わったあるいは関係があるものを次々と捕縛し、刑死がもたらされた。長州の吉田松陰もその一人だった。

 この安政の大獄、井伊直弼の行動をどのように評価するかは、いまだに難しい。ドラマでは会津の松平容保(かたもり)は大老・井伊直弼と親しく語り合う関係に描かれていた。また井伊直弼は茶を極め、深い教養を持った人で、幼少時からいわゆる苦労人だったことは事実である。

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2013年1月21日 (月)

NHK八重の桜(03)蹴散らして前へ:禁足

承前:NHK八重の桜(02)やむにやまれぬ心:会津と江戸
NHK大河ドラマ公式あらすじ

 八重の兄・覚馬は藩の軍政改革に奔走するが、すべて「御重役」たちによって拒否された。
 守旧派「槍・刀・弓」と改革派「鉄砲と西洋科学」の対立による失政を、このころの会津藩上層部はまだ真剣に考えていなかったのだろう。容保がどうだったかよりも、一般に日本のマツリゴトは合議制だから、重役連の反対があれば、責任者も随うことが多い。

 しかし守旧派の若者達から武士の本分を忘れた西洋かぶれとなじられた覚馬が、藩の宝蔵院流槍術道場で彼らと立ち会い、打ち負かしたのには喝采した。この頃の幕末の優れた若者達は、侍の表芸である武術にも相当に修練を積んだ人がいたようだ。

 そんなこんなで、覚馬は藩から禁足を命じられた。外出禁止である。八重は兄のそばにいる時間が増えたが、兄が失意の状態であることにかわりはない。今夜はまだまだ八重の真骨頂が現れてこない。もう少し待ちましょう。

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2013年1月13日 (日)

NHK八重の桜(02)やむにやまれぬ心:会津と江戸

承前:NHK八重の桜(01)ならぬことはならぬ:磐梯山がきれいでした
NHK大河ドラマ公式あらすじ

 八重の兄・覚馬が「会津には海が無い」と象山塾で話していた。てっきり現代の福島県全体が会津藩と思っていたから、不勉強を痛感した。

 今夜の動きは、薩摩藩の西郷隆盛が象山先生と面会した。象山は幕府が下田を開港するよりも、横浜の方が安全で効果があると西郷に言った。長州藩の吉田松陰が米国密航に失敗し入獄していた。密航をそそのかした罪で佐久間象山は国元である信州・松代に蟄居させられ、象山塾は閉鎖した。勝海舟は幕府が二人を罰したことを怒っていた。

 なんとなく、会津はまだまだおっとりしていた。八重の兄は無事帰国し、砲術師範になるようだ。つまり家を継ぐことになる。八重はその間隙をぬって、父と兄に頭をさげ、鉄砲の技術や知識を磨くことの許しを得た。

 松平容保の義姉(照姫)や義妹(敏姫)が登場した。この二人の女性は義理の姉妹だが、なにやら容保とは深い縁を将来もつような描き方だった。なかなかに~複雑そうだ(笑)。

 いまのところは、じわじわと会津の風景言葉風物を楽しみ、幕末の有名人たちを思い出しているところだ。あと数回後、もうすぐに八重が活躍するのだろう。また来週。

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2013年1月 7日 (月)

NHK八重の桜(01)ならぬことはならぬ:磐梯山がきれいでした

承前:NHK平清盛(50)遊びをせんとや生まれけむ:双六が終わった
NHK大河ドラマ公式あらすじ

 SLばんえつ物語号という、観光列車が会津と新潟をつないでいる。乗ったことはないが、模型は手元にあるので時々眺める。磐越とは、磐梯山の「ばん」と、越後の「えつ」だろう。今年の大河ドラマはその磐梯山がきれいだ、という第一印象を得た。地図でみると、磐梯山、猪苗代湖、会津若松市が三角形を描いていた。

 会津藩や幕末の会津中将容保(かたもり)など、もりだくさんの歴史事項は折に触れて考えていく。宿怨だった会津・長州の関係も21世紀になってようやく溶け始めたと聞く。大河ドラマ「八重の桜」は幕末から明治にかけて生きた会津藩砲術師範の家の娘さん「八重」の物語だから、彼女がともに最期まで戦い抜いた会津藩のことも背景にきっちり描かれると想像した。

 ドラマで目を見開いたのは、佐久間象山の塾の中身だった。塾全体が巨大なからくりに見えて、楽しめた。
 会津のいろいろな名物、行事の一端も味わえた。ならぬものはならぬ、この「什の掟」がなるほどと得心したが、戸外で食べるなとは、外食禁止なのか、それとも立ち食いなのか、〜。また戸外で女子と話すなは、喫茶店ならよいのか、〜などといろいろ想像して笑えてきた。これらもいろいろ分かってくるだろうから、楽しみだ。

 今年もまた大河ドラマで楽しめそうだ。


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