カテゴリー「NHK江」の39件の記事

2011年11月27日 (日)

NHK江(46)最終回:希望

承前:NHK江(40)休載通知

 江と初と龍とネネさんと、回りの女性達が最後の週にみなみな年老いてお互いに懐かしく思う気持ちがでていました。そして最初の、本多正信の死は、なかなかよく描かれていました。

 驚いたのは。
 秀忠が二代将軍として随分過酷な粛清を行っていたことでした。秀忠の治績はこれまでドラマなどで、あまりはっきりとは描かれなかったのだと思います。身内をどんどん改易し、そして家康側近だった本多正純の懲戒は意外でした。秀忠はいつもぼんやりした2代目という印象が強かったのですが、ドラマの終盤においてそういう雰囲気が払拭されました。

 江さんは、ものすごく多産で、当時のありとあらゆる権門盛家に自分の子が嫁いでいて、そして息子は三代将軍家光ですから、想像を絶する立場にあったわけです。正妻でこれだけ多産なのはあまり例が無いように思えました。いってみれば、そのすべてに織田信長の姪の血がながれているわけですから、織田家、浅井家は徳川の世になっても江と縁が途切れなかったのだと思います。

 最近新聞で読みましたが、今日の前半にでていた保科正之(ほしなまさゆき)は会津藩藩主として異母兄の家光を補佐し、大火で危機に陥った幕府を根底で支えた有能な人だったようです。江に会った時、保科少年は震えていましたが、それだけ江さんの「秀忠隠し子事件」への怒りが回りを困らせたのだと、想像します。そこで保科少年が無事だった御蔭で、家光は本当に忠節をつくしてくれる弟を得たのですから、人生は塞翁が馬ですなぁ~。

 さて、一年を振り返って。
 三姉妹の関係は、姉や妹が居ない私にも、わかりやすかったです。
 信長の迫力が忘れられません。
 秀吉が意外に佳かったです。
 家康はもともと好ましい役者ですが、徳川家の鬼となったのが妥当とは思えませんでした。
 三代将軍までの家康、秀忠のいろいろな事件は、結局お家騒動だと割り切って、他の事情で見なかったのでよく分かりません。大坂城落城前後も、他に繁忙でみることが出来ませんでした。

 今夜の最終回、笑顔のままに終わったのが、佳いことでした。
 また、来年の大河ドラマを楽しみにしています。

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2011年10月16日 (日)

NHK江(40)休載通知

 事情でしばらくの間、大河ドラマ「江」の感想掲載を休みます。
 勿論、毎週私が「江」を鑑賞することに、変わりはありません。
 ではまた再開した折りにはよろしく。
再見

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2011年10月 9日 (日)

NHK江(39)運命の対面 :風邪にて不快・休講

承前:NHK江(38)最強の乳母:苦労人同士の確執

 恒例大河ドラマ講釈、一週間のご無沙汰でしたが、本日休講します。
 鼻が出て、目がしばしばして、喉がかれて、脳が風邪薬でぼんやりしています。
 話に聞く花粉症とはこういう状態なのでしょうな。
 ではまたいずれ。

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2011年10月 2日 (日)

NHK江(38)最強の乳母:苦労人同士の確執

承前:NHK江(37)千姫の婚礼:伏見から当時を偲ぶ

 江さんも少女期、苦労しましたが、今夜の福さん(のちのお局さん総代:春日局)も、逆賊明智光秀一統の家老・斉藤利三の娘として、そしてまた関ヶ原寝返り筆頭小早川秀秋一統の家老・稲葉正成の妻として、26歳のこの日までへこたれそうな人生でした。

 しかし苦労人名を借りて、人の赤子をさらう鬼子母神じみて見えました。福を演じている女優さん(富田靖子)の演技が上手すぎるのか、目がすわって怖かったです。とくに江にむかって、

 福「私は、父を磔にした豊臣を許せない」
 江「娘の千姫が嫁ぎ、姉が豊臣にいると、知ってのことか?」
 福「そういえば、お方様は、豊臣の養女でしたね、……」

 いやぁ、怖かったです。ドラマでは安易に女同士の戦が始まるというてましたが、私はそういうことじゃなくて、祟りが始まる、という怖さが強かったですね。それに江の義父(家康)が福に味方しているのですから、なんともはや、江が気の毒になりました。一説に、家康と福とは仲がよすぎたようなので、嫁の江に勝ち目はなさそうです。家康は後家さんがお好きだったようで、なんともはや~。

 さて、秀忠将軍職の受諾ですが、江の「太平の世」という背中押しで、秀忠が納得したようでした。たしかに、秀吉亡き後、さらに石田三成が敗れてからは、豊臣には実力の家臣団がいませんから、秀頼が成人しても天下が麻のごとく乱れるのは目に見えております。残酷な歴史ですが、付き従う全国の武士達も、家康の経験の前には頭を下げざるを得ません。

 というわけで、ますます辛くなりますね。

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2011年9月25日 (日)

NHK江(37)千姫の婚礼:伏見から当時を偲ぶ

承前:NHK江(36)男の覚悟:覚悟と言っても

 今夜もあまり書くことは出来ませが。
 茶々、初、江の三人が、江(と秀忠)の娘・千姫の、豊臣秀頼との婚礼で、大坂城に集まってよかったです。ドラマではなんと江が大阪(伏見?)でまたしても(笑)女児を産み、この娘さんは姉の京極初の養女となりました。なにやらドラマのような現実です。江は、秀忠の許しを得て、身重でしたが、千姫の輿入れに付き添ってきたわけです。

 書くことはないのですが、おもしろく見ました。
 そして、以前と同じ想いをしたのです。
 要するに、当時の男達はまるでゲームか博打のように戦争をし、組んだり離れたりして、ときどきは質札や証文みたいに娘を他家に嫁がせ、あるいは息子を人質に差し出して、家の安泰を計ったわけです。
 言葉の通り、弱肉強食世界ですから、生殺与奪の権力を持つ敵達の間をすり抜けて行くには、命がけのゲーム、博打を勝ち抜かざるをえません。しかしそこにある程度、主体性があって、なんとなく勝敗はしかたないとあきらめがつくところもあるでしょうね。

 しかし一方、質草扱いされる「女」達は、父や家から勝手に婚家を決められて、知らない間に親と切り離されて、娘が生まれるとまた勝手に道具にされる~。
 なにか、人の都合でいいように扱われるわけです。
 今夜も三姉妹が出会った大坂城の一刻は、見ていて本当に「よかったなぁ」と、思わせるところがありました。勿論、このあとは、徳川と豊臣が最後の覇権争いに突入し、おそらく三姉妹が会うこともなく、茶々(淀君)は大坂城を枕にして、炎上するわけです。妹の江も、初も、辛いことでしょう。

 というわけで、現実の京都や宇治の秋風とともに、ドラマも佳境となり、それぞれが悲しい運命をむかえるのですから、あんまり筆がすすまないというわけです。
 (江は勝ち組ですが、実姉が夫や義父によって滅ぼされるのをみるのは、いい気持ちじゃないと思いますよ)

参考
 伏見城下の大手筋に、今夜紹介された御香宮さんがあって、私の散歩道なのでこれまで記事をいろいろ書いておりました。境内に東照宮(家康)と豊国社(秀吉)がともにあるというのも、不思議な話です。お庭は小堀遠州作庭とかいいますし、お水は伏見名水で、境内には旧伏見城の石垣もごろごろしています。今は近所のあちこちで花笠祭りの準備が進んでいて、秋の夕方になると、何日間も人だかりで一杯になって、自動車も社頭を通れなくなります。
 
 桜のおわり:2009/04/11(土)伏見港・弁財天長建寺桜と御香宮桜
 0501120・ごこうのみや;ごこうぐう:表から見た御香宮
 ごこうのみや;ごこうぐう:裏から見た御香宮


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2011年9月18日 (日)

NHK江(36)男の覚悟:覚悟と言っても

承前:NHK江(35)幻の関ヶ原:歴史の難しさ

 石田三成が捕まって六条河原で斬首されました。
 秀忠が関ヶ原遅参のことで、家康にはすぐに会えず、会見出来たのは大津城について三日目の事でした。
 秀忠が関ヶ原へ出発するまえに、江の女中に手を付けて、懐妊し、男子を産みました。
 それを知った江は「竹千代」と名付けることを、秀忠に止めて欲しいと言いました。

 大坂城では、大野治長(おおのはるなが)が淀君にはじめて目通りしました。
 京極夏彦じゃなかった、高次さんは高野山へ行ったきりで、家康が気にして(京極さんが大津で長時間西軍を手こずらせたから)若狭八万石をお渡しましょうと、初に言いますが、初は「夫の苦しみを思い返せば、八万石くらい当然です」と怒るし~。

 淀君に家康・秀忠が会見したとき、秀忠はそれとなく三成の気持ちを淀君に伝えます。そして豊臣に忠義を尽くすといいますが、父の家康はしらけていました。家康は十分に天下取りすると腹をくくっておりました。

 一晩でこれだけのことがあると、何から話して良いか分かりません。
 また来週にしましょうか。
 (いえ、今夜も面白かったのは事実です)
 (ただ、仲間さんのテンペストが今日で最後だったので、ちょっと気持ちにぶれがしょうじておりました(笑))
 

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2011年9月11日 (日)

NHK江(35)幻の関ヶ原:歴史の難しさ

承前:NHK江(34)姫の十字架:負い目と誉れ

 昔のことを後からみると、いろいろ講釈たれることができますが、渦中にいたらきっと難しいことが多いでしょう。ずっとおもってきたのですが、もしタイムマシンがあって、主要人物の前におりたって胸襟をひらいて話し合っても、なかなか意志は通じないでしょうね。なぜなら、後世の私が結果を知っていても、当時のキーパーソンや世間はまるっきりその結果を計算に入れていないこともあるし、そもそも博打みたいなもので、先がどうなるかを見通していた人はごくまれなのじゃないでしょうか。当時の人と話し合っても、お互いにケンカになるだけのように思えました。なんとなく徳川家康レベルになるとすべて見越して関ヶ原の戦いに向かったように思えてきますが、そんなにうまくいったとは、実は言えないのじゃなかろうかと、今夜のドラマを見終わって思ったわけです。

 2009年の天地人という大河ドラマを思い出していまになったわけです。ドラマ天地人では、そういう脚本になっていました。事実としては、大阪での三成挙兵を知って家康が大阪に向かって反転するわけですが、ほとんど無傷の上杉が後ろから追いかけていたなら、今夜の家康や幕僚達のように「まんまと策にのって挙兵した石田三成」と、笑っている場合じゃないわけです。

 一緒に関東までついてきた豊臣恩顧の武将たちも、石田三成が憎くても、毛利総大将で大坂城(つまり秀頼や淀君がいた)を基地した西軍に、みなみなが刃向かう可能性は五分五分だったわけです。逆に、家康が危なかった可能性も大いにあります。少し、家康を神格化しすぎではないでしょうか。むしろ、描かれ方としては秀忠の方がリアルに思えました。3万8千の軍を引き連れた中山道経由の秀忠は、真田との戦いで時間を費やし、結局関ヶ原には、東軍勝利と決着ついた二日後にたどり着いたわけです。

 それにつけても大津に城を構える京極高次と初の夫婦は苦衷に陥りました。近畿はすでに西軍に囲まれていましたから、三成に付かねば京極家は亡くなります。かといって、これまでの経緯からすると家康の貫禄や迫力に逆らえるわけがないのです。籠城して、やがて城をあけて高野山に逃れるという策をとったわけですが、こういう板挟みの判断は誰にとっても難しいことだったでしょう。

 今夜は久しぶりに、戦(いくさ)の緊張を強いられました。

参考
 NHK天地人(37)直江状の背景:戦術義と戦略義
 NHK天地人(38)関ヶ原と山形・長谷堂城
 NHK天地人(39)関ヶ原の終戦処理

 大津城跡

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2011年9月 4日 (日)

NHK江(34)姫の十字架:負い目と誉れ

承前:NHK江(33)徳川の嫁:三成という人

 女性故の辛さを今夜のドラマで味わいました。
 つまり、女性は結婚したとき、一般には嫁ぎ先の「人」になるわけです。それは生家の考えや風習や行動規範を婚家先の意向で、引き剝がされることを意味します。現代だと、可能性が広まって、二人で新たに別所帯・一家を立ち上げて、新たな文化を創っていくことも多いわけですが、当時の状態では、男系に絡みとられるのが普通だったことでしょう。例外的には婿養子の制度があります。

 浅井(あざい)の三姉妹はどうなのでしょう。
 長女茶々は豊臣の子を産むことで、本来なら豊家にどっぷり絡め取られるはずですが、秀吉亡き後、女性として背筋を伸ばしていきます。これは正室おねさんが京都に去った今、淀君は豊家というよりも、母として息子秀頼を守る立場に立ったことを意味します。

 次女初は、京極家に嫁入りしましたが、まだ子供はいなようです。小姑として亭主の姉(もと、秀吉の側室)が居ますが、いまのところドラマ上での軋轢はありません。これは、婚家の亭主そのものが、徳川につくのか石田三成に付くのかの瀬戸際にたたされたのが、焦点です。もし徳川につくと、初は姉淀君との関係が難しくなり、石田三成に亭主がつくと、江との関係が難しくなります。

 江は、これが一番の大問題です。
 亭主の秀忠の言うことを聞かざるを得ない立場ですが、その秀忠がオヤジ家康に絶対に頭が上がらず、ずっと長い間、アパシー状態(病的な呆然自失状態)なので、江のやきもきすること限りなしです。
 その秀忠に、家康は3万余の軍の総大将として、会津の上杉追討を命じます。そして、側近には、「一番手強く厳しい戦とは、息子に任せ引き継がせ、自立をみとどけること」と、漏らします。
 この話は、男性故の辛さです。

 信長の姪たる江は、気弱になった秀忠に母からの形見、信長の天下布武印判を守りに渡します。そこで秀忠は初めて、信長に憧れをいだき、その姪の江と結婚できて嬉しいと言います。これは江にとって、誉れでもあり、逆に重い重い重荷、あるいは信長ほどの姪としてやってこれたのかどうかという「負い目」ともなります。
 嫁いだ先で、徳川の風習や考えに随い、誉れと思う信長の姪である自覚が一歩間違えばものすごい自信喪失にもつながります。これは秀忠が、オヤジの名が上がれば上がるほど引きこもりたくなるのと、同じ心理です。

 ~
 そして今夜のドラマで一番泣けたのは、細川ガラシャ夫人のことでした。
 すでに15歳の息子は大阪から江戸の徳川家に人質として送り込まれています。さらにガラシャ夫人は、亭主の細川忠興が徳川についていくかぎり、留守の大阪で事変が発生すると、どうなるかも分かっていたことでしょう。

 名将明智光秀の娘・玉子として細川に嫁ぎましたが、実父光秀が信長を討ったあと、亭主忠興はオヤジ細川幽斎の意向をうけて、光秀を見殺しにしました。そして謀反人の娘である玉子を京都府北部の寒村へ追放したわけです。玉子としては自分の亭主や義父の意向で、実父を見殺しにした思いが残ったことでしょう。そして今、石田三成が大阪に入城し、毛利を立てて徳川追討の計画を実行するに及び、徳川に付いていった武将の奥さんや子供をすべて大阪城内に引き連れ、人質として構えます。
 ガラシャ夫人(玉子)の死は、そのときのことだったのです。

 もちろん解釈はいろいろあるようです。細川忠興は事変があれば、部下にガラシャ夫人を殺すことを命じた。あるいは今夜のドラマのように、ガラシャ夫人は忠興の気持ちが揺らがぬように、人質になることを避けた~と。
 どちらにしても、明智玉子さん=ガラシャ夫人の生涯は、厳しいものでした。なにかしら、女性である故に、婚家の事情に左右されて、悲劇的な半生と死を迎えた、と今夜のドラマで感じ入った次第です。

 では来週。
 いよいよ、三成さんの退場が近づいてきました。なにやら寂しいです。

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2011年8月28日 (日)

NHK江(33)徳川の嫁:三成という人

承前:NHK江(32)江戸の鬼:秀忠の正体

 石田三成という人は、五奉行筆頭でしたが、加賀の前田さんが亡くなった後、秀吉子飼いの者達から屋敷を囲まれました。三成は頭のよい能吏だったからでしょうか、朝鮮戦役で苦しんだ大名たちからは疎まれ、憎まれたわけです。ドラマでは秀吉の軍師だった黒田官兵衛が三成に「人の心が分からぬ人だ」と言います。

 現代でも一般に頭の良い人に見受けられます。順風満帆、幼少時から青年期をへて社会の中枢にたどり着いた人の中には顕著に見られる一種の障碍です。つまり他人の心、悲しみや苦しみが分からない人です。カニは甲羅に合わせて穴を掘るたとえからすると、秀才は秀才の目線でしか世間も人をも理解できないわけです。しかしわからなくても、能力だけで世間を動かす人がいます。

 この石田三成というひとは、昔から毀誉褒貶、落差がはげしくて、よく分からないところもあります。秀吉にとってはよき相談相手だったでしょう。イノシシ武者ではない三成は、複雑な計画をたてて執行するにはなくてならない人材だったと想像できます。

 今夜、屋敷を囲まれた三成は結局、家康の懐に飛び込みます。この事情はいろいろあるでしょうが、徳川屋敷が現代の乃木神社のあたりで、その南に三成屋敷があったというのですから、塀(さしずめ現代のJR奈良線でしょうか)を乗り越えて夜陰に紛れて逃げ込んだのかもしれませんね(笑)。でないと、屋敷を囲まれたら徳川の居所が遠ければ、そこへ行けません。

 後の関ヶ原の戦いも、西軍として東軍を越える兵力をあつめたのですから、三成がただの嫌みな能吏にすぎなかった、と思うのは早計です。関ヶ原の戦いは、結局、三成・西軍の方に勝算があったのですから、人望がないというのも、割引しないと駄目でしょう。大谷刑部吉継の助力とか、島左近という有能な部下がいたのですから、もしも三成が勝利していたなら、また評価も変わったかもしれません。

 歴史はつまるところ勝利者が記す物です。嘘とかペテンではなくて、勝利者は勝利者の目線から物事をみるということに過ぎません。破れた三成が、なぜ敗れたかは、人望がなかったから、と結論をだすのが勝利者の客観です。

 さて。
 江戸の江さんは、珠という女児を産みます。
 しかし心中は姉の豊臣と、舅の徳川が争う予感にはらはらしています。次姉の京極家では、徳川から城を修復してくださいと、膨大な金子を送られて、初の旦那が困っています。この初の旦那の姉が、故秀吉の側室だったわけです。

 ドラマは、江戸での江のエピソードが当面は秀忠の乳母との争いに終始し、事件もなさそうです。難しいところです。


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↑佐和山城跡

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2011年8月21日 (日)

NHK江(32)江戸の鬼:秀忠の正体

承前:NHK江(31)秀吉死す:醍醐の櫻、難波の夢

 今夜は秀吉亡き後、石田三成が徳川家康を暗殺しようとしている噂が引き金になって、秀忠と江とが江戸へ移る話でした。たしかに本能時の変で信長親子が近くに居たので、明智光秀にまとめて攻められてしまいました。そういえば、大坂城と伏見城とがあって、それとなく秀吉が伏見に隠居し、秀頼が大坂城に居たような印象が残ります。権力者と後継者とは、離れていた方が良いのでしょうね。

 その変形として、徳川の御三家も、内紛の種にはなりましたが、初期にあっては江戸が攻められても、水戸や尾張や和歌山に、徳川を継ぐ縁者が居たというのは、用心深い方法だったのでしょう。

 それで。
 江が秀忠を少しずつ見直すようになりました。秀忠が三成を屋敷に招いて、家康を暗殺するものが出ぬように監督を依頼したり、酒を勧めたりと、政治的な駆け引きを江が目の当たりにしたからです。秀忠は江に「オヤジになにかあれば、わしが後を継ぐのだから、それなりにいろいろ考えて知っておくことがある」と、答えました。

 そういえば。
 隆・慶一郎さんの名作『影武者徳川家康』では、秀忠が徹底的な悪役で活躍(笑)しておりました。関ヶ原の集合に遅れたのも、真田との関係も、いろいろ事情があったのかもしれません。

 ところで。
 江戸には秀忠の乳母にあたる大姥局(おおばのつぼね)がいて、なにくれとなく秀忠の面倒をみます。江にとっては姑みたいなものですね。江の立場にたつと、この加賀まりこさんとか、後日には春日局さんとか、江に対抗してくるおばさん達に囲まれて、正室としての権力筆頭ではあっても、さぞ気苦労が絶えなかったことでしょう。

 というわけで。
 今夜は、江の置かれた立場の複雑さがありありとわかる場面でした。ねねさん、淀さん、初さん、江さんと、この四人の女性が豊臣と徳川と、おのおのの立場のもとで、悩んでいくのがドラマの後半になるようです。
 来週も楽しみです。

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