カテゴリー「NHK功名が辻」の36件の記事

2006年12月10日 (日)

功名が辻:最終回

今年一年功名が辻
 日曜の夕風呂にはいって一息ついて、さて今夜は上川一豊さん、仲間千代さんともお別れだな、と感慨にふけった。甲賀忍者とは先回、先々回に別れを告げたが、やはり主役は一豊さんだから、今夜は特別な夜になる。
 思い返せば全編「千代~っつ」の一声で気持が和む作品だった。そして千代が権力者達に四方八方から呼びつけられて、そのたびにまじめくさった顔をして「はっ」と答えるしぐさ、顔や声に独自の愛嬌があった。

 上川一豊も仲間千代も、今の日本国を明るく照らす男女に何度も思えた。
 政争渦巻く中、血を代償にして勝ち取った一国一城。これは何物にも代え難い彼等のボーナスだったのだろう。上川一豊は確かに槍一本で織田に使え、秀吉に仕えた。そういう過酷な世界を生き残ったのは強運でもあったし、千代の銃後の支えでもあった。一旦政争に巻き込まれると、千代の面目躍如、あらゆることに参謀千代の智慧が道を開いた。

 ネネさん、お市さん、淀君さん、……。いずれも千代にとっては、時々の生殺与奪権を持った女たちだった。この間をすりぬけてきたのは並大抵の気力、智慧では不可能だった。信長、秀吉、家康。日本史に於いても完璧な権力者。彼等の間をすりぬけた一豊は、戦で勝つしかなかった。このような二人、今夜、無事高知城でおさらばする山内一豊、千代夫婦の人生を一片の絵巻として、この一年付き合った。上川一豊、そして仲間千代にひとつの悪い思い出もなかった。名優だったと思う。「千代~っつ」、「はっ」。こういう単純きわまりないセリフを毎度毎度演じ切るのは、やはり優れた俳優、女優でないとできないことだったのだろう。

 さて。
 強いて良い場面はというと、思い出しながら数行記しておく。

 一つは信長の狂であった。あれは近来まれに見る織田信長だった。鬼気迫るという言葉を使っておきたい。まず、今後ああいう狂は見られないだろう。すごい俳優だ。
 キチベエさんでしたか武田鉄矢さん。あの山崎と宇治の往還悲恋、なけましたぁ。
 女優で心ひかれたのは、仲間千代は別格として、ガラシャ夫人の色香だった。現代風過ぎるとも感じたが、かえってそのバタくささ(こういう死語は通じるかな?)がなんとも言えない時代離れした雰囲気でよかった。
 近藤細川幽斎。よろしかった。
 甲賀忍者。みればみるほどに味がでてきた。
 秀吉と家康の個々はおいておくとして、その掛け合い漫才というか、騙しあいがおもしろかった。
 ネネは秀吉がなくなってから、一段とよくなった。
 で、あはは、意外にもあの高慢ちき、あのこざかしさ、あの悲哀。そう、淀君がえもいえぬ味わいになってきた。これ、ノリよし。しかし実際にあんな女が側にいると、やせるなぁ~。離れていた方がよい。

 あと数行。
 「NHK功名が辻(03)竹中半兵衛のこと」これ、MuBlogで一番人気の高い記事でした(笑)。私は、新選組の会津中将もよかったが、この筒井竹中、よいですねぇ。
 それと、意外にも(誰も、意外じゃないかな)黒田如水。この人、やはり名優でした。こういうキャラに私は痺れるわけです。あのなんともいえない面相、うむ。俳優というのは人間離れしたところもあるようです。

今夜の功名が辻最終回
 どうなんでしょう~。
 ……
 それから一時間。今夜は午後8時から9時まで上映された。それぞれの死があった。一豊も、家康も、淀君も秀頼も、そして千代も亡くなった。家康の死後、ネネが千代に言った。「これで、女が男と手を取って生きる時代が終わった」と。戦乱の世だった故に、山内家初代は男女の結束が強かった。徳川治世、安定した管理社会では、本流武家社会の中を女が大手振って権謀術策力を振るえるのは大奥、各大名の後宮くらいだったのかもしれない。もちろん江戸の下町では想像以上に女が自由闊達だったにせよ、正史に残る世界では男女の共同世界は影にひそんでいった。そんな時代に千代が生まれていたなら、……。ふと思いにふけった。

 千代をみていて思ったのは、どんな世界でも智慧は知識よりも上にくる、ということだった。智慧とは洞察力なのだろう。そして智慧に等しく大切なのは、一豊の素直さだったのだろう。智慧を智慧として素直に受け取り咀嚼し行動の源とする曲がりない心が必要なのだ。千代だけでは、狼少女の遠吠えに終わったかも知れない。それを聞き届ける受容器として一豊あったればこそ、山内家は出来上がった。
 さらに。思い返せば、千代はお市の方やネネや時として淀君に頼られた生涯だった。いや、原作者ないし脚本家がそのように描いた。千代の智慧の源には、ネネや家康の言葉を正確に情報として得る立場、それに人徳が必要だった。千代はそれを得た。そこに、普通の女とは違った輝きがあった。人は、大切なことは、聞く耳持つ者、消化できるものにしか相談しない。常に権力中枢近辺にいたとしても、ネネが口を開かねば功名が辻はなりたたなかった。端布のパッチワーク、千代紙、黄金十両、それらだけでは千代の異才は発揮できても、一国を形成するまでには至らなかった。
 つまるところ。千代という無比の軍師、参謀。そして一豊という無比の強運武人。この二つが上手に手を携えて功名が辻が成立した。権力者という強靱なバネの力を、二人で上手に操って、権力駻馬を乗りこなしたのだろう。
 権謀術策には陰惨な場面が多いが、今回のNHK大河ドラマは、可能な限りそれを避けた。千代智慧の勝利だった。

 今夜の地図:妙心寺、大通院。 

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2006年9月17日 (日)

NHK功名が辻(37)伏見桃山城の秀吉

承前:(36)名護屋城何処
参考MuBlog:伏見桃山城

 今夜のドラマは暗かった。しかたない。跡目相続問題は、死に行く者の焦燥と、残る者達の未熟と血気、欲望が折り重なって、気持ちの良いものではない。

 徳川三代将軍家光は、もともと弟の方が母親や回りから嘱望され、兄の家光は取り残されかけたが、春日局と家康の考えで、無事三代将軍を継いだ。が、家光は弟を許さず、殺した。
 どこの国だったか、トルコだったか。王が死ぬと、各地の兄弟達が一目散に王のもとに帰ってきて、遅れた者は一番乗りの新王にすべて殺されたとか。
 あるいは王以外の旧王位継承者は、すべて鳥かごのような宮殿に一生押し込められたままだったとか。
 中国の北方王朝時代は、毎年一族親族兄弟親子同士で、殺し合いをして、次々と滅びていったとか。

 なにかと、王・皇位継承は、関係者を巻き込んで並の戦以上の血なまぐささである。

 というわけで、老醜はげしい秀吉と、そばの茶々、石田三成。関白秀次の若さ。
 どれをとっても、今夜はなにか、筆がすすまぬ。
 山内一豊・千代夫婦もなすすべなかった。

 ところで、突然だが、新選組!(2004年)で、近藤さんの養子になった人が、別の役で出ておった(笑)。

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2006年9月10日 (日)

NHK功名が辻(36)名護屋城何処

承前:(35)北条攻め

名護屋城(佐賀県唐津市鎮西町名護屋)地図

 名古屋とか名護屋とか那古野とか、わたしは学齢期からずっと区別がつかなかった。最近も名古屋の人の前で、瀬戸物の瀬戸とは、瀬戸内海のどこかと、ずっと思っておりましたと、告白してきたところだ。案に相違して、瀬戸は名鉄瀬戸線という線路が名古屋の地図の上の方にあって、加藤唐九郎記念館があるようだ。

 さて。
 関白秀次の宿老というか、守り役になっていた山内一豊の立場が、なんとなく怪しくなってきた。どうかというと、これまでのところ一豊は権謀術数とはだいぶ離れたところにいた人だが、そんなことを言うておれない事態になってきたのだ。つまり豊家の世継ぎ問題。

 秀吉に甥の秀次がいた。
 秀吉は秀次に豊臣を譲る気持で手元においた。
 しかし、淀君が先回鶴松を生んだ。
 秀次、そして一豊の第一の危機。

 ところが、このたび鶴松が夭逝した。
 秀吉は、再び秀次を後継者と定め、関白をゆずり、自らは太閤と名乗った。
 関白とは、天皇の補佐にあたろうか。太閤とは、秀吉専売におもわれているが、摂政(天皇の代理人)とか関白とかが、辞めたあとの尊称だったようだ。しかしこのあたりのニュアンスは、その時その時の関係で変化する。要するに、今風に申せば、秀吉は社長を秀次にゆずり、みずからは会長さんになったわけだ。もちろん、秀吉は代表権を保持しているから、つまり、なんでも一存で決定するのだから、隠居なさったわけではない。

 このあたりの状況下で、後を継ぐという関白秀次の気負いと、それにどう対応してよいか分からぬ一豊の陰りが、なんとも、いわくいいがたい、胃がつかえるような味わいで、今夜の一豊は苦渋を表現していた。

 秀吉はさっさと九州の名護屋に、淀君を連れて行ってしまった。各大名は~明国に攻め入ったわけだが。
 秀吉の母が亡くなった。
 大明国に戦をしかけて勝てるわけもなかった。

 しかも、どう考えても、この戦に大義名分はない。
 ネネが言うたように、領土を確保し、それを諸大名に分配しなければ、やっていけない豊家の実情があった。家康は、というか徳川は、後世諸大名をぼこぼこと取りつぶし、得たものを天領(幕府領)にしたり、大名の改易、再配置に使った。現代でも、企業がふくらんでいく様子は、なんとなく。省庁が規模を大きくしがちなのも、なんとなく。ポストを造る為という、実に、まことに、悲しいぐらいのさもしき心が原動力になっているのかもしれないなぁ。いやはや、部下を配下を、背かせずにポスト与えて喰わせて贅沢させるには、なんらかの「戦」とぶんどりなしでは、できなかったのだろうか。

 さて。
 今日の最大の一豊の危機は、またしても淀君に男子出生、これは後の秀頼になる人か。
 しかも、関白秀次には、打つ手がない。
 壬申の乱を熟知していれば、秀次さんは逃げるしかないのだが。いや、高野山へ逃げたのか、押し込められたのか、……。それは次週のお楽しみ。
 山内家の危機だ。(自らの仕える関白秀次が、危ういのだから)

参考:
  名護屋城博物館
  唐九郎記念館

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2006年9月 3日 (日)

NHK功名が辻(35)北条攻め

小田原城跡(神奈川県小田原市)地図

承前:(34)聚楽第と鶴松

 なんとなくおもしろかった。

 千代が殊勝げに「はっ」と言って、頭を下げるところが、仲間さんなかなか上手だと思った。私はしらぬまにこの半年で仲間さんのファンになったようだ。くそまじめで、綺麗で、そのうえちょっと剽軽なところが、役柄だけではなくよく現れている。よいよい。

 他方、茶々、淀君だが、これはこれでここ数回楽しくみている。めったなことで、女優であっても女性をけなすのは命がけだが、あくまで役者として言うならば、やはりなあ、NHKのキャスト選別人工知能付きDBはものすごい能力をもっているな。これほどに、高慢ちき、わがまま、冷淡、生まれながらの意地悪を演じこなすこの女優、ものすごいと感じている。よくぞ捜してきたな。画面にでてくるだけで、ぞわぞわ~と、冷気が背中を落ちていく。しかも、単に嫌みだけじゃなくて、生まれながらの高Pのなかに、いつも一筋の涙が流れるその寸前を保つ。当方も、ついほろりとしかける、が、そうはならない。同情すると、足をすくわれる。うむ、おなごというものは、ほんまになぁ。

 さてまたネネさん。これこそ、怖いネネだね。秀吉物で、始まって以来の怖さ、そう味わっている。
 仲間の千代さん、ときどき怖いおばさまと、意地の悪そうな淀君にはさまれて、戦乱なれば、女といえども油断をすると命をとられ、家を潰される、まさしく戦いの渦中にいると味わった。その一方の雄(いや、雌か)が、このネネさまだな。

 なんといっても、秀吉、ここまでノリにのると、まるで今太閤をみているようだな。そして家康。
 最近、この秀吉と家康との掛け合いがおもしろくってしかたない。爺どうしが腹芸するのを、はたからみていると、まるでかけあい漫才の至芸をみているようだ。

 というところで、一豊さん。掛川城
 同僚たちは15万石とか12万石なのに、一豊さんは掛川五万石。この事情はよくわからない。裏があるのか、それとも当時山内一豊は、天下統一の民政時代には不向きだったからこういう結果なのだろうか。あるいは、側近の石田三成なんかの評価が低かったからかも知れない。

 ただ、いま現在演じている一豊さんが、当時の一豊さんのイメージだったのかもしれない。なんとなく、スポットライトはあびないのだが、なんかかんかそこに居ないとしまりがつかない。いても大抵はまわりのアクのつよい役者連の陰に隠れるのだが、節目節目に「千代~っ」と帰宅すると、にやりとする。そこで話が回転していく。
 もう9月、秋。山内一豊を描くに、今回もNHKはというか、もろもろ、うまくいったようだ。来週も観てみようぞ。

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2006年8月27日 (日)

NHK功名が辻(34)聚楽第と鶴松

承前:(33)異なる質

 今夜は聚楽第や後陽成天皇が登場。またまことしやかな話だが、千代の作った金襴緞子唐絹端布のうちかけが天皇の目にとまったとか、逸話。
 一方、淀殿は鶴松を生んで、「豊臣の女」になったのも、なにやらまことしやかな話。生まれたのは事実だろうが、なぜ今頃秀吉に子ができたかは謎。
 そして京童のうわさは「山内家では捨て子を拾った」と。

 後陽成天皇が107代で、その後は後水尾天皇で108代。このお二方は、歴史でなにかと難しい問題をはらんでいる。秀吉、家康というめまぐるしい時代の狭間に後陽成天皇は晩年幕府と対立した。あとをついだのは家康が支持した第三皇子、後水尾天皇。ところが、後世のことだが、このあたりは物語になるほどいろいろあって、後水尾天皇は幕府と徹底的に対立し、若くして退位し、上皇となり、80代まで生きられる。朝廷の直接関与する戦はなかったが、精神的には後鳥羽院、後醍醐天皇に近しい波乱の天皇の世紀であった。
 秀吉の造った聚楽第の場所は、平安京時代の御所・内裏の跡らしい。秀吉はこれを後日・秀次に譲ったが、秀次謀反事件のあと、取り壊したとのこと。

 秀吉の猜疑心は、鶴松がうまれたことから、跡継ぎ問題でより深くなってきたような筋立てだった。
 いろいろな、後日へのつなぎはほのかくれするのだが、肝心の山内一豊と、千代の物語は、なんとなく平穏無事。最大の山場は、秀吉亡き後、関ヶ原の戦で、東西どちらにつくかの分かれ目だが、これは秋でしょうね。

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2006年8月20日 (日)

NHK功名が辻(33)異なる質

承前:秀吉と家康

  近江八幡(関白秀次の開いた町)地図
  淀城(茶々、後の淀君居城)地図

 功名が辻は一晩でいくつものエピソードを重ねるので、あとになってなにを思い出してよいのか迷う。兄弟喧嘩があった、一豊たちの母が死んだ、秀吉がキリシタンバテレンの追放を命じた、一豊の弟・康豊はどうやらキリシタンのガラシャ夫人を見そめたようだ、しかし千代たちの斡旋で別の娘さんと結婚した。秀吉はついに茶々に手を出した。その前夜、石田三成と茶々の主従の恋が流れる。その間、正妻ネネ・グループは、近江勢(茶々、三成)への対抗心を抱く。
 大坂城、長浜、近江八幡、都の聚楽第と、場所も次々と変わる。

 以前からうっすらと気付いてはいたのだが、このドラマをみていると、はっきりと後の関ヶ原が分かってきた。いや、わかるように構成してあるのかもしれない。後日に、正妻ねねと、側室茶々との争いに割って入ったのが徳川家康だったと理解しやすく、もうドラマは準備している。このころから石田三成が茶々に付いていたならば、今夜からおよそ十七年後の1600年、関ヶ原の両陣営は分かってしまう。

 それと、女性に城を与えるということも、はじめから「淀君」と頭にあったので、淀城に住んでいたから淀君という考えも、淀城をもらったから淀君と考えを変える必要に迫られた。古来、歴史上側室レベルで城持ちになった女性は、いたのだろうか? 思い出せない。もしかしたら、淀君は特筆に値する人だったのかも知れない。権力者の、寵の重さにおいても、城持ちであるということについても。秀吉に迫られた茶々が「さあ~」と、言うたのには失笑した。しかしなお、あの場合、茶々は秀吉の寵をうけざるをえなかった。なぜなら、政治的には、茶々の存在価値はほとんどなかったはずなのだから。追い出されぬためには、秀吉の機嫌をとらざるを得ぬ。三成との恋を表沙汰にすることは死を意味していた。

 かくしてドラマの終わりは、千代が門前の捨て子を抱きかかえるところで終わった。
 山内家が土佐でその後どうなったかは、今の捨て子を実子扱いの養子としたのだろうか? 弟はどうなるのか。関白秀次も、秀吉に子が生まれて微妙な立場になった。その守り役の山内一豊も来週あたりは難しい分かれ道にたつことだろう。関白秀次は、後日、一族皆殺しの災厄にあう。逆に、一豊さんはよく無事にきりぬけたものよと、冷や汗がわく。と、これらは後日のこと。まず、あの拾い子がどのような数奇な運命にまきこまれていくのか、現代ドラマも往時の講談のように、次は? 次は? と、気持を惹く。

 ではたのしみに。

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2006年8月13日 (日)

NHK功名が辻(32)秀吉と家康

承前:(29)小牧・長久手・家康

 大坂城(大阪市中央区大阪城)航空地図

 今夜蜂須賀小六が死んだ。秀吉が妹旭だけでなく、母をまで家康に人質に出そうとしたので、怒りの余り、憤死した。脳溢血のように見えた。この蜂須賀家は幕末まで残った。阿波、淡路両国の徳島藩として25万石、外様大大名であった。
 秀吉は知らぬ間に関白(従一位)となっていた。位人臣(くらい・じんしん)を極めるとはこのことなのだろう。朝廷からの官打ちというよりも、むしろ秀吉がむしり取った雰囲気だが。

 それにしても、家康懐柔にでかけた山内一豊は、家康から千代の賢女ぶりをほめられ、「大阪に帰ったなら、秀吉の妹よりも、山内の妻女をもらい受けたい」と、秀吉に言うようにいわれ一豊は愕然としたが、これは家康の戯れ言ですんだ。千代の才女ぶりは、そこここで噂されていたのかも知れない。なんとなく、一豊は家康のもとに使者に使わされることが若年から多かった。大抵、家康に逆に懐柔されっぱなしがおもしろいが、今回は、なんとか旭の輿入れが決まった。そのあと、続けて秀吉の母親も家康のところへ人質に出た。

 大坂城で秀吉と家康とが対面したとき、家康は秀吉の派手な陣羽織を所望し、座が緊張した。陣羽織は兵馬権をあらわすのだろうか、参謀黒田が家康を制した。しかし、「殿下は、もう戦にでる必要はありません。家康が、代わって戦をいたします」というセリフで、決着がついた。
 両雄が折り合いを付けるには、それなりの儀式が必要だと思った。

追伸
 事情で、30回、31回をお休みした。どちらかで長浜地震があって、千代は娘を亡くしたはず。見なくてすんだのも、また、よかったと思っておこう。

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2006年7月23日 (日)

NHK功名が辻(29)小牧・長久手・家康

承前:(28)昇進・傷心

犬山城地図

 今夜は家康の表情がこれまでと違ってきた。いよいよ天下取りの合戦に腰を上げてきたのだろう。兵力三万数千。武田武士が混じった、三河軍団と考えて良かろう。

 秀吉の表情も、甲高い声も、佳境にはいってきた。
 話は変わるが、徳川軍団麾下の石川一正というヒトが気になる。この人は、徳川を離れる。何故なのか。このドラマで詳細が描かれるとは思わないが、気になっている。

 今夜の結論は、大坂城の秀吉に呼ばれて、一豊はついに、長浜城を託された、二万石。

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2006年7月16日 (日)

NHK功名が辻(28)昇進・傷心

承前:(27)越前・北の荘炎上

 NHKの「功名が辻」がよいと思うのは、山内一豊と千代、それぞれの俳優が良かったからなのだろう。
 仲間さんは私がいわなくても、男性ファンが多かろう。
 一豊さんの、ぼよよんとした、様子がきわだってよい。

 若いものたちが、一挙に3000石、5000石加増され、同輩ふたりは万石の城持ち大名。しかるに山内はわずかに300石にすぎなかった。あわせて3000数百石。

 こういう論功行賞のアンバランスは、渡す方も受け取る方も危険だと思った。
 往時は命がけの功名だから。

 で、山内一豊は苦しい立場に立った。
 一応、母親の説得によって立ち直ったが。
 さて、来週はどうなる。
 

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2006年7月 9日 (日)

NHK功名が辻(27)越前・北の荘炎上

承前:(26)五藤吉兵衛の死

 今夜は加藤清正とか、福島政則とか、石田三成が登場してきた。
 北の荘は福井市。
 助かった茶々、後の淀君は、わらえるほどのイケズな女性として演技していた。
 ともあれ、山内一豊もしばらく迷いが生じる。
 右せんか、左せんか。
 ということで、今夜は終わり。

追記
 特筆すべき事だが(笑)、ここ何週間かのココログは最悪のコンディションだ。閲覧はまずまず出来るが、記事登録とか、統計閲覧になると、一クリックで5分待たされる。延々と。
 11日火曜~13日木曜は、登録編集もできなくなるそうだが、史上最悪の有料サービスに思えてきた。
 一体、どうなっているのでしょう。
 お知らせを読む気力もわかない。

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