小説木幡記:「出町ろろろ」のNDK、あるいは幻の「マツモト模型」店
日曜に京都の出町柳近くの「出町ろろろ」でNDKの昼食会があり、その後NDK番頭役の鉄先生の新居に押し寄せて茶会になった。
「ろろろ」は京阪特急で終点の出町柳まで乗って、西側(高野川)出入り口4番から、右手に下鴨神社・糺の森(ただすのもり)をみながら、中洲にかかった橋を二つ渡って、正面に京都市駐車場を眺め、そのまま西行し、河原町通りも渡り、ふたば餅の待ち行列を左に眺め、書店横の「枡形出町商店街」を通り、丁度二筋目で左(南)を眺めると餃子王将の看板が見えるが、その手前にある。
すぐにたどり着く。
大原の無農薬野菜が中心と記事で読んだが、こういう食材をもとめるせいか、さすがに昼は女性客が多く、予約無しでは無理のようだった。ご主人がときどき献立の説明に来てくれたが、現在の余にとってはあつらえたような材料なので、安心してしっかりいただけた。覚えている動物性タンパク質は、鱈の焼き物、貝柱のお造りと、だし巻きだったかな?
美味である。
食事中の話題は。NDKも当初は大半が20代、30代前半だったことを思い出すと、そのころの若いお二人でさえ丁度50になったとかで、コレステロールがどうのというセリフを耳にして、思わず笑ったよ。
ティーセレモニー:花より団子
源氏物語の専門家で、東京立川市の(国立)国文学研究資料館教授・鉄先生のご新居は、植物園の南、京都府立大学の西側あたりの閑静な住宅街に、築80年の歳月を経た後、大規模な補修(茶室を作り炉をきって、風呂・水回り、基礎などなど)を加えて、先生の「終の住処」となったよし。なにやら新規に建てるよりも経費がかかった様子だ(笑)。
茶室に案内されると空蝉の香りがした。
さて、東京と京都を新幹線で往復し、日々徒歩五分の鴨川に出て朝日をのぞみ、散歩するとは、これほどの贅沢もまたなかろう、趣味人とはこういうセンセをさすと余は思った。
~
鉄先生、奥様を交えて、N君、O君、そして余は和菓子を食べながら、えんえんと笑い転げていた。なにが面白いのかはわからぬが、30年近くも似たようなことをしていると、お互いに笑いのツボが似てくるようだな。
食事療法、iPhone、アップル社、近未来の住居~どうやら茨木住人O君は鉄先生の近所に引っ越してくるかもしれない。摂政関白藤原家の別荘地木幡に住まいする余と、御所の東に住まいする鉄先生や将来のO君、そしてN君はなにやらミサイルや地霊に満ちた帝都に住みたいようだが、いずれがそれなりのすこやかな余生をもてるかは、これからのNDK大問題だな。やがて人は、雲隠れなん、よって住まいに意を注ぐのもこれ是也や。
27年も続くパソコン仲間との交流(鷺水亭より)
★慈愛の眼差し(空と旅と風景と)
出町ろろろ(ぐるなび)
追補 マツモト模型店のこと
京都なのに、長年京都の老舗鉄道模型店がどこにあるかが分からなかった。しかるにNDK仲間の導きなのか、うろうろと集合地「出町ろろろ」のあたりを歩いているうちに、発見した。実はそばを歩いていた爺さん(極めて高齢)たちの声高な話がふと耳に入ったのだ。「この角をまがると、模型の蒸気機関車がかざってある」と。余は瞬時にカン働きがうごめいて、その見知らぬジサマたちの後をつけ、彼らが店に入ると同時に何食わぬ顔をして、その高名な「マツモト模型」店のドアを開けた。たしかに、模型店なのか、博物館なのか区別の付かない重厚な、極めて稀なお店だった。もちろん、特別模型を自作し販売しておられた初代や二代目の店主はすでに亡く、現在はご家族が後を継いで店を守っておられる。
場所は、今出川寺町上る(北)一筋目から数えて北へ4軒目。二度目はすぐに行ける。
マツモト模型のホームページ
京都のマツモト模型はワンダーランド(ワークスK)
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