カテゴリー「NDK:日本文学データベース研究会」の13件の記事

2013年4月10日 (水)

小説木幡記:「出町ろろろ」のNDK、あるいは幻の「マツモト模型」店

Bigro
出町ろろろ

 日曜に京都の出町柳近くの「出町ろろろ」でNDKの昼食会があり、その後NDK番頭役の鉄先生の新居に押し寄せて茶会になった。
 「ろろろ」は京阪特急で終点の出町柳まで乗って、西側(高野川)出入り口4番から、右手に下鴨神社・糺の森(ただすのもり)をみながら、中洲にかかった橋を二つ渡って、正面に京都市駐車場を眺め、そのまま西行し、河原町通りも渡り、ふたば餅の待ち行列を左に眺め、書店横の「枡形出町商店街」を通り、丁度二筋目で左(南)を眺めると餃子王将の看板が見えるが、その手前にある。
 すぐにたどり着く。
 大原の無農薬野菜が中心と記事で読んだが、こういう食材をもとめるせいか、さすがに昼は女性客が多く、予約無しでは無理のようだった。ご主人がときどき献立の説明に来てくれたが、現在の余にとってはあつらえたような材料なので、安心してしっかりいただけた。覚えている動物性タンパク質は、鱈の焼き物、貝柱のお造りと、だし巻きだったかな? 
 美味である。
 食事中の話題は。NDKも当初は大半が20代、30代前半だったことを思い出すと、そのころの若いお二人でさえ丁度50になったとかで、コレステロールがどうのというセリフを耳にして、思わず笑ったよ。

Bigtya
ティーセレモニー:花より団子
 
 源氏物語の専門家で、東京立川市の(国立)国文学研究資料館教授・鉄先生のご新居は、植物園の南、京都府立大学の西側あたりの閑静な住宅街に、築80年の歳月を経た後、大規模な補修(茶室を作り炉をきって、風呂・水回り、基礎などなど)を加えて、先生の「終の住処」となったよし。なにやら新規に建てるよりも経費がかかった様子だ(笑)。
 茶室に案内されると空蝉の香りがした。
 さて、東京と京都を新幹線で往復し、日々徒歩五分の鴨川に出て朝日をのぞみ、散歩するとは、これほどの贅沢もまたなかろう、趣味人とはこういうセンセをさすと余は思った。

 鉄先生、奥様を交えて、N君、O君、そして余は和菓子を食べながら、えんえんと笑い転げていた。なにが面白いのかはわからぬが、30年近くも似たようなことをしていると、お互いに笑いのツボが似てくるようだな。
 食事療法、iPhone、アップル社、近未来の住居~どうやら茨木住人O君は鉄先生の近所に引っ越してくるかもしれない。摂政関白藤原家の別荘地木幡に住まいする余と、御所の東に住まいする鉄先生や将来のO君、そしてN君はなにやらミサイルや地霊に満ちた帝都に住みたいようだが、いずれがそれなりのすこやかな余生をもてるかは、これからのNDK大問題だな。やがて人は、雲隠れなん、よって住まいに意を注ぐのもこれ是也や。
  
  27年も続くパソコン仲間との交流(鷺水亭より)
  ★慈愛の眼差し(空と旅と風景と)
  出町ろろろ(ぐるなび)

追補 マツモト模型店のこと
 京都なのに、長年京都の老舗鉄道模型店がどこにあるかが分からなかった。しかるにNDK仲間の導きなのか、うろうろと集合地「出町ろろろ」のあたりを歩いているうちに、発見した。実はそばを歩いていた爺さん(極めて高齢)たちの声高な話がふと耳に入ったのだ。「この角をまがると、模型の蒸気機関車がかざってある」と。余は瞬時にカン働きがうごめいて、その見知らぬジサマたちの後をつけ、彼らが店に入ると同時に何食わぬ顔をして、その高名な「マツモト模型」店のドアを開けたcat。たしかに、模型店なのか、博物館なのか区別の付かない重厚な、極めて稀なお店だった。もちろん、特別模型を自作し販売しておられた初代や二代目の店主はすでに亡く、現在はご家族が後を継いで店を守っておられる。
 場所は、今出川寺町上る(北)一筋目から数えて北へ4軒目。二度目はすぐに行ける。

  マツモト模型のホームページ
  京都のマツモト模型はワンダーランド(ワークスK)

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2010年12月27日 (月)

小説木幡記:2010/12/27(月)Mu貧乏物語なり

Muimg_5728 昨日日曜日は午前に授業関係記事をまとめ、午後は葛野の屯所でNDKメンバーと落ち合った。いろいろな過去蓄積が複層的にからみあい、システムを新しい企てに調整するための打合せに終始した。なかなか難しいが、解はある。

 夕方は早めに出てタクシーに4名が乗った。忘年会は御池木屋町の豆水楼だったので、電車を乗り継いだり(乗り換え2回)、阪急の河原町から御池まで歩いたりするよりも、タクシーが得策だという一致意見からだった。一人あたり丁度500円ですんだ。電車賃と変わらない。

 話題は尽きなかった。
 I君の病後の食事。酒も飲んで良いのだが、普通の速度で食べるとものすごい腹痛に見舞われるとのこと。体重が増えぬのが悩みと聞き、差し上げたいと思った。
 O君の職場の話(そこは事件事故の多い難儀な職場(笑))や、発狂しそうな某blogの話には目点になった。要するに人の悪口罵詈雑言しか書かない、それが人気のblogが実在しているとのこと。問題はそのblogオーナーが基本的に知識階級・文筆で生計を立てている人なので、悪口を実名で書かれても口では勝てないところがあるらしい。余思うに、他人の言動を餌にし罵詈雑言で身を立てるとは~、いじましい人士が人気を博しているものよ。
 さて、真打ちのN君からはたっぷり東京豪華生活の顛末をうかがったが、人にはいろいろ考えもあることだし、もともと人格立派な人のすることだから、それなりの理屈もあるのじゃろう、と余も納得した。

 とはいうものの、O君とI君の豊かさには「どうして、同じ人類なのに、かほどの人生の違いが生じるのじゃ楼」と、余は長嘆息しつくしていた。するするとカバンからとりだした、最新鋭・極超薄型の11インチと13インチのノートPCを同時に2台も眼前にし、ワープロの起動が1秒どころか瞬時なのを知り、時代を知った。自転車一台が50万円を超えるとか、なにげの腕時計が10万円を軽く超えるとか~、単眼鏡が10万円は最低するとか~、豪邸にすんでおるとか、~なにもかもが異世界物語じゃった脳。
 余もまけじと貧乏物語を披瀝しかかったが、馬鹿馬鹿しくて止めた!

 ところで話がMuBlogに及び、余は2004年のMuBlog開催以来、最大の危機に襲われた。要するに、余が世界中でもまれなほどに読みやすいとおもってきたMuBlogデザイン(黒背景に白文字仕様)が、実は目が疲れる、読みにくい、早く白背景の黒字にしてほしい、昔のパソコン時代と同じじゃないかぁ~と惨憺たる悪評だった。これには愕然とした。
 見識豊かな3名が口をそろえて「読みにくいblog、目が疲れるblog、漢字だらけのblog~」と真顔で言った。余がどれほどの衝撃をうけたか、分かるまい。
 うむむ。

 しかし。
 昔のMac風に、白地の黒字って、ものすごく馬鹿っぽくないかな。余はその輝く白地に目がひりひりする。その白地なるものは紙じゃなくて、徹底的に電気照明光なんじゃから、疲れる。なにもない黒地にぽっと白文字がうきでてこそ、くっきりして読みやすいではないか、~と抗弁したが、「世の中は、Mu先生と真逆です」とあっさり言われた。あまつさえ、すぐにMuBlogデザインを白地・黒文字に変えぬなら、もう読まぬと3人は言った。

 余は余の不幸の始まりをここに見た。
 ときどき人々の感覚と真逆のことを、自然に選ぶようだ。
 で、結論は、「白地に黒文字のblogは、すでにしてMuBlogでは無くなる」となる。
 やんぬるかな人生。
 かくしてふたたびMu貧乏物語が始まる。

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2010年11月 4日 (木)

小説木幡記:2010/11/04(木)雨中再会のNDK

Muimg_6668 このまえの日曜日、随分久しぶりにNDKの全メンバーが集まった。諸説あるが、全員集合は6年ぶりとか言うた先生もいた。毎回似た記録になるが、25歳だった二人の青年が48になっていたという長い付き合いだ。23年にもなるのか? そのうち十数年間は毎月会っていた。大阪の豊中の阪大の文学部の一室で論議し作業していた。そもそもは源氏物語別本の異同と索引を作ることだった。余の主な仕事は、5つほどの源氏物語系列の長文を比較しながら並記するシステム構築だった。その5つの本文は、句読点も段落もなく、永遠に文字がならんでいるというやっかいなしろものだった。今だと残念ながら、ゼロからプログラミングすることはできないだろう。修正はできても、そういうものをゼロから作るには気力が必要なのだ、……。

 ああそうだ。今ある源氏物語の原本はすべて写本で、いわゆる作者と言われている紫式部さんの直筆はないようだ。その写本が幾つあるのかは余も知らぬが、印刷術が発達していなかった時代の物語だから、写した数だけ源氏物語が存在する。その全てが微妙に異なる。光源氏が女性だったというような内容の異本は耳にしていないが、あってもおかしくないほど写本間の違いが目立つものもある。

 ~
 この日曜の昼食会は四条大橋のたもとだった。4階なので見晴らしがとてもよい。鴨川を挟んで南座の南東方向には五重塔が二つ見えた。清水あたりだ。
 この店は以前、教授会忘年会があったところだが、余はその夜欠席したので、初めての店だった。普通の和食レストランと思っていたが、ウナギが特徴らしい。ところが大先生が、にょろりとしたウナギをお嫌いと知って、幹事も、紹介した余もいささか「しまった!」と凹んだ、なぁ。まあしかし別の先生の病気快癒祝いでもあったので、それぞれ品目を変えて、その場は収まった(笑)。余は錦糸鰻丼にしたが、意外にも細きりではなくて厚揚げ風のでっかい卵焼きがウナギの上に載っていて、美味しかった。他の方は懐石膳だったと記憶しておる。

 食後に皆で阪急電車に乗って、余の研究室に寄ってもらった。というよりもそこが当日の会議場だった。いろいろ先生方にはお見せできぬ機材もあるので、余の研究室は施錠したままで、近くの屯所で夕方まで論議した。議事録や今後のNDKのプロジェクト推進についてはその夜のうちに幹事N氏がまとめてくれて、メールで添付された。今回も、なかなかに大きな企画になりそうだ。うむ、ふむ。

追伸
 そうそう、若いお二人(と、言ってももうすぐ50~!!!)とも、MacBookAir(MBA)を購入されたよし。N氏は会議に持参して、見せびらかしておった。余は安物のiPadしかなかったので、知らぬふりをしておった。今回のMBAは1kgもあってiPadよりは重い。そんな重いものをカバンに入れて新幹線を月に何回も往復するだなんて、ふふふ。
 ~昔変わらぬ、NDK情景の一コマであった。人は変わらぬところもあるものよ脳。

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2010年8月18日 (水)

小説木幡記:2010/08/18(水)もう盆も終わった:古典の品詞分析

 昨日は、古い知友が入院するというので見舞いを兼ねて4人で昼食をとった。若い若いとおもっているまに、30代とイメージしていた者は還暦に近く、いまだに20代半ばと思っていた2人は、すでに40代も後半と聞き、唖然とした。しかしそういう長い長い知り合い達がまだ活躍していることにほっとした。
 さて。
 そのあと知友の家により仕事の話もすませ、さっそく余1人葛野に向かった。今年は葛野の学園の工事停電も続き、まるまる一週間研究室を訪れなかったので、EH500金太郎機関車がネズミにひかれてはおらぬかと心配になって、夕方着いた。機関車や客車やPCや図書達は元気だったので、ほっとした。

 さっそく主PCを点火起動し、古いシステムを表すキーワードをいれて、それがどこに潜んでいるかを探してみた。話というのは10年も昔に動かしていた古典文法の形態素解析システムで、共著論文も著していた。探している間に10年前の論文を読み返したが、難しくて、一体何をしているのかとんと思い出せなかった(笑)。~ようやくそれらしいシステムの入ったフォルダーが見つかったので、ともかくそこにある、源ファイル、加工1ファイル、加工2ファイル、~結論ファイル、らしき諸ファイルを知友達におくり、「このシステムでよいのか」と言い添えた。

 木幡に帰ってさらに見てみると、2004年頃には、方法を改良してより大規模にしたシステムも見つかったが、一つの源ファイルに対して、関係データファイルだけで7つ8つあって、本当に「一体、何をしているのか?」わからなかった。またしても、第二陣を送ったら、「今回は別のシステムが必要なので、また別のも作ってください」と返事があって、がっくりした。

 ~
 というわけで、盆がおわったとたんに、夏期論文の継続はあるし、古いシステムの再起動はあるしで、またまた汗が出てきた。いつまでも忙しい。

 ところで。
 関係諸ファイルが7つ8つもあるのは、余が相当に手堅い方法をとったせいだと、徐々に思い出してきた。複雑怪奇な処理を必要とする場合、一挙にかたづけようとするとうまくいかない。あるいは脳がついていかない。一つ一つの山を越えるたびに、その結果を一旦はき出して(ダンプ)、それをじっくり眺めて次に対処するという、つまり次の工程に必要なアルゴリズムを沈思黙考し、次のステージのためのプログラミングをするという、実に単純だが失敗の少ない方法をとったわけだ。
 だから途中結果の7つもあるファイルの意味を今更思い出そうとしても、それは無理だ。最初の源ファイルと、最終らしい完成ファイルだけを使えばよいのじゃろう(笑)。これぞ、中抜け、つまりキセルじゃのう。

 ~
 というわけで、知友達と食事して、10年前のシステムが再起動することになった、というのが昨日の結論。そこで、今日はもういちど古い論文を読み返してみるつもりだ。今日は、理解できそうだ。基本はこれまた単純で、源氏物語の全単語を古典研究者達が分析し品詞を付与したデータがあって、これを辞書として、すなわち源氏物語を教師として、別のテキストを自動的に品詞分解していくシステムなのだ。その古典研究者達とは、昨日あった3人だから、まあ、すべては自家薬籠中のものと、言える。

 いろいろあるのう~。

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2009年4月 9日 (木)

大沢池(大覚寺)2009/04/06(月)大沢池の桜・塔と堂

承前:(2009年桜シリーズ)賀茂川と鴨川の桜:2009/04/05(日)出町柳駅近く賀茂大橋
承前:大覚寺裏と広沢池の桜:20080405:桜変じてオブジェとなる

 週初めの月曜日に関東と関西から若い研究者が葛野研に足を運んでくれた話は記しました。外からは誰一人訪れる者もいない寂れた我が研究室ですが、当日は「二階建てトロッコ鉄道図書館列車」について白熱の論議が交わされたことも、その日のMuBlogに記したところです。

 さて頭を冷やすためと、遠来のまれびとを待遇するためにRSを引っ張り出して、嵯峨野の蕎麦屋さんへ昼食にお連れしました。そのあと、大覚寺の境内・大沢池に二人を案内したのです。

 これまでいろいろな冒険、経験、趣味・研究をつくしてきたお二人ですが、「やはり」というかこの地の大沢池はご存じなかったようです。時代劇映画のロケではよく登場するところですが、嵐山からは離れていますので、普通には知られた所とは思っておりません。私の場合は、近所の幼稚園、小学校、中学校、高等学校と、青年期にいたるまでの散歩道、遊び場だったわけです。

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(大覚寺の大沢池と塔:心経宝塔)
↑ つまりこういう写真が好きなのです。同行のNaka某先生は、「Mu先生は、これがお好きなんだぁ」と諦め顔してご自分の針穴写真機を8秒露出で触っておりました。Oo某先生は、「ほぉ」とうなずきながら、用意がよくて、ご自慢の一眼レフカメラを常に3枚自動連写で使っておられました。(カシャカシャカシャと、連続音がするのです。すごい機能があるんですねcancer

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(大沢池の堤桜・東岸)
↑ 電線も電柱も排気ガスもJRも何もない、ただただ古典的な堤桜が咲いておりました。嵯峨・嵐山、つまり嵯峨野からは少し外れた大沢池がこれほど優雅であると、他国の人はご存じないと思うのです。

Bimg_2715
(大覚寺本堂:五大堂)
↑ 撮影日が6日、今日は9日、そろそろ満月の夜ですが、いまごろ月見の広縁からは池が鏡になってよい頃合いの春月夜でしょう。

大沢池東岸の堤桜
大沢池:堤の桜
大沢池:なんでしょう(笑)
大沢池:塔と堂
西岸の五大堂(本堂)と、月見の広縁
大沢池の桜枝
名古曽の滝跡から撮影隊を撮す
大沢池の男二人

 MuBlogでは毎年京都の桜をあちこち出歩いて撮っているように見えますが、よく考えるとつまりは毎年毎年大沢池や広沢池、それに佐野桜、天神川桜、まれに祇園や伏見、……。限られています。それだけで許容量が一杯になってしまいます。今日4月の9日夜半になって、ようやく数日前の大沢池桜写真を整理し始めたのですから、私自身の桜精を迎える限界があるのでしょう。

 あと二つほど桜記事を掲載しますが、そろそろ今年の桜2009の自薦を考え出しました。
 結局上位には必ず冒頭の大沢池桜塔をいれることでしょう。つまり、ある意味で月並み、別の意味で私自身の心象風景のひとつがこの写心(ママ)ということです。小学校から現代まで、この風景がいつも心にあったわけです。だから嵯峨野の桜は私の歴史と言えます。

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2009年4月 6日 (月)

小説木幡記:2009/04/06(月)少壮研究者とのディスカッション:鉄道図書館列車運用

 昼頃に関東と関西の研究者が葛野研を訪ねてくれた。先回会ったのが昨年夏だったから、久しぶりと言える。さっそく我が嵯峨野鉄道図書館ジオラマや、改造中の二階建てトロッコ鉄道図書館について忌憚ない意見を承け、論議に心が躍った。
 余にくらべ20年は若いだけあって、二人とも着眼点が鋭かった。ヒヤリングというか査問を受けている気分になってきて、長らく覚えていない緊張感が走った。
 今日の結論は総論賛成、しかし収支経済的に運用が難しいとの意見が出た。それに尽きたと言ってもよかろう。

問題点
1.新たに鉄道図書館列車を運行した場合、その初期経費はどのくらいかかるのか。
 たとえば近鉄電車が新しい特急電車を建造した際、10両編成で19億円かかったと公表している。詳細は不明だが、仮に牽引車相当の電車と鉄道図書館列車との2両編成にしても、新造すると4億円はかかる。(http://www.kintetsu.jp/news/files/shingatatokkyuace20081211.pdf)

 図書館初期経費としてすぐに分かるデータでも、島根県の斐川町立図書館は総工費約16億円。延べ床面積が3千㎡で、蔵書冊数は開閉架あわせて30万冊は可能だろう。(http://lib.town.hikawa.shimane.jp/statistics/pdf-statistics/2008_06.pdf)

 余の考える書庫車は一万冊のコンテナ蔵書を可能とする。一万冊を運用するのにハードウェアだけで3~4億円かかるのは、その30倍の斐川図書館が16億円とするなら、計算が合わない。

 →新造車を一両2億円と推定することの妥当性は未だ不明だが、しかし図書館列車として無蓋車などを改良しトロッコ形式にする当初案は余の中で潰えた。理由は単純で、騒音の激しさで静止利用しか無理と分かったからである。どうしても、走行読書を可能とする列車は現代的な特急車両並の構造を持たないと役に立たない。

2.運用経費の目途は立つのか。
 詳細は未調査だが、電気機関車、電車等の電力維持は相当に経費がかかるようだ。
 いまだに各地でディーゼルタイプの車両が運用されているのは、初期投資だけでなく電力経費から残っているのだろうと推測する。

 →しかしディーゼル機関はCO2も含めて環境保全には未来的ではない。「未来の図書館」としての「鉄道図書館列車」ならばこの点を解決する必要がある。
 →余はリチウムイオン電池に期待をかけている。車両編成を小規模にするので電池駆動の可能性は確かめる必要がある。すでに実用化は図られてきている。
 →海上自衛隊の新潜水艦「そうりゅう」がスターリングエンジンを使っている情報を報道で知った。(http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090330/plc0903301336007-n1.htm)
 種々探索したところ、蓄電池を充電するために使うらしい。ちなみに潜水艦の建造費は600億円と、桁が違う。

3.運用管理と収支
 余は機関車、電車の運転を司書が行うことを前提に考えてきた。自動車を使う現実の移動図書館からの発想である。しかし三人で話したが、鉄道の運転は自動車よりも飛行機に近い熟練度を必要とする。たとえば制動ひとつとってみても、列車が乗客に事故を起こさず静止するには600m~1km程度の距離を必要とする。路線毎にカーブごとに速度、制動を熟知して運転する世界のようだ。

 →JRや私鉄の運転士を雇いあげる。ないしは、路線および列車編成の一部を国や地方自治体が借りる。
 →たとえば、嵯峨野トロッコ鉄道の一部車両に特急静音タイプの図書館列車を編成に加え、その経費を図書館母体が負担する。
 →図書館母体は引き込み線、静止型図書館としての機能を果たす諸条件を負担する。引き込み線で一時的に切り離し本体列車は通常運用を行う。など。

 近代図書館は利用に関して原則無料を貫いてきた。図書館列車の利用は無料としても、列車編成自体に乗車することについては、上記の場合通常乗車料金を運用会社に支払う必要がある。

まとめ
 問題点を列挙した。ダイヤと自由運行の問題など他にも課題は山積する。
 しかし総論にかんしては、二人の研究者の同意を得た。
 要するに、100歳まで生きる時代にあって、余生の生涯学習を充実させるには、地域全体を覆う鉄道図書館列車は意味を持つという本質に関しての同意である。
 別途、心理学の分野から、拘束性を持つ列車における読書の心理的な影響についての分析は後日に考えてみる。

 二人が帰ってから国土交通省の資料をネットで読んでみた。LRT(新型路面電車)に関する補助金の資料である。
 LRT(http://www.mlit.go.jp/road/sisaku/lrt/lrt_index.html)
 国の支援制度(http://www.mlit.go.jp/tetudo/tetudo_tk5_000001.html)

 こういう項目の中に、鉄道図書館列車を組み込むだけの詳細な調査考察論議が必要なのだと、二人の鋭い質問の後で反省した。しかしなお新しいコンセプトは、まず思考を飛ばさねばならない。客観的な批判に耐えうる図書館環境ジオラマや鉄道図書館列車モデルを作っていく必要に駆られた。

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2008年8月26日 (火)

小説木幡記:2008/08/26(火)夏の終わりの庭園鉄道

1.日曜の会合
 日曜の夜は数年ぶりにNDKの初老諸氏と出会い、祇園でうまいもん食べて、次回は上賀茂の町屋に居をかまえた鐵ツアン翁に招かれることにした(注:自然言語処理アルゴリズムでは、なかなか難しい日本語だ)。
 当日は京の写真、祇園の写真、iPhoneの写真、初老達の写真を一杯撮ったので、後日暇があればまとめておこう。ただし縛りの強い、箝口令付きの、難しい話題が大半だったので、書きにくい。要するにもしかしたら国宝問題じゃね(笑)。

2.月曜の夏期論文
 昨日月曜は午前7時~午後7時まで葛野で精勤。ただし、その間息抜きに、屯所でたむろしていた若いもん達と合計90分程度世間話や鉄道図書館披露に、時をともにした。
 だから実質10時間程度を夏期論文に費やして、成果は200文字程度の原稿半枚だった。嗚呼。
 若いもん達との意思疎通は、ようわからん。ただし、「余が茶髪にしたら、授業に活気がでるかな?」 と聞いたら「みんな、逃げる」という予測をもらえたので、コミュニケーションの成果はあった。
 
3.余の用字用法:若いもん達
 若いもん、そうそう。余の用語・語法も過去現在将来の為に、少し注記しておく。
 大学という世界で余は世間を味わっておる。
 で、若いもんとは、一般に3年生(21歳前後)をさす。だから年輩の人とは4年生(22歳前後)、必然的に2年生(20歳前後)はギャル(capricornus)、1年生(十代)だと把握しようもない、話をしょうもないオブジェクトと感じているな。当然、卒業生・ご隠居さんたちになると、これは「ご先祖さま」になってしまう。
 やはり、大学とは、世間とは独立した世界なんだと、思った。

4.若いもん達の実相
 実は、若いもん達も午前9時半~午後6時まで、合計4名が夏期の課題をやっていた。「疲れないだろうか?」と、思うほどに熱心に課題にいそしんでいた。
 世間では、ぐうたらな若いもん達の方が目に付くものだが、他方まったく逆の情景も大学にはある。そして、その精勤内容は、手慣れた余の夏期論文よりも、もっと難しい点が種々あると、余には理解できた。脳が破裂するほど錯綜した内容を、解きほぐすのにシンドイことも多いと、わかる。
 我が國の将来も、すてたもんじゃない。

5.『庭園鉄道趣味/森博嗣』講談社、2008.7 税別2800円
 この本は探すのに往生した。てっきり「鉄道関係」と思って、ジュンク堂に一点攻撃をしたが、見あたらない。探しあぐねて、フロアにあったコンピュータで検索したら、「ミステリー」の棚だった。庭園鉄道は、ミステリーなのかとぼやきながら、最後の二冊の一冊を購入した。
 ファンだからといって、全冊集めるほどコアファンではない。普通は森先生の古典的純粋ミステリィしか手にしない。じゃ、何故この図書?
 ★珍しく、ジオラマ製作が少しある。
 ★珍しく、T先生のお姿が写真にある。
 ★ネットでは見られない、図書初出記事がある。

 で、感動したのは、「庭園鉄道は、やりようによっては、誰でもできる」という趣旨だった。つまり、二本のレール(鉄かステンレス棒)を敷いて、戸車で代用した板きれトロッコを走らすだけでも、よい、という内容だった。なにか、希望がわいてきた。
 葛野のグランドの一画に、深夜密かにレールを敷いて、ミカン箱に戸車をつけて、トロッコ鉄道図書館を、作ってみたくなった。(手押しトロッコ、誰が押す? まあ、そこらにいる若いもん達)
 どうじゃろう。

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2008年7月22日 (火)

源氏物語・大沢本のこと

 昨夕帰路に伊井春樹先生(国文学研究資料館長)のお姿をNHKニュースでかいま見ました。
 源氏物語写本の、これまでない「大沢本」が再発見されて、伊井先生の知るところとなったようです。

 ここで。
 現代の人は、古典の全てが実はお互いに「異本」であって、定稿らしきものは著者の自筆紙がないかぎり、定められないという事実を確認してください。さらにくどく言いますと、その著者自体が不明の古典は一杯あって、さらに著者も「出版社」に原稿を納めるという様式はなく、日々書き散らかして筐底にしまっておいたものが幾篇もあったはずなのです。うそかまことか、紫式部さんが反古(ほご:ボツの意味)にした紙を、こっそり藤原道長がひろって、「くくく、こっちのほうがよろしいなぁ」と、今に残ったかどうかは、歴史の謎です。

 定稿という考えが無かった時代なのでしょう。
 ただし、古事記や日本書紀、そして万葉集、いくつもの勅撰和歌集などは、朝廷が管理しましたから定稿らしきものはあったはずですが、それも「印刷術」が普及していなかったので、書き写されるたびに違った本「異本」が生まれたことでしょうね。

 そしてまた。
 現代の人は、大抵は現代人が翻訳した源氏物語を読まれると思いますが、まめな人や大学で源氏物語を専攻する人は、各出版社からでている著名な研究者が「校訂」した源氏物語を読みます。

 ところが、これがまた、もともとの写本から見ると似ても似つかぬ「源氏物語」を読んでいる可能性が残るわけです。どういうことかというと、研究者が適切な漢字を当てはめたり、句読点や段落をつけて、原文を再現していますので、そこに研究者の解釈が入るわけです。研究者AとBとが校訂した「源氏物語」は、お互いに異本となるわけです。

 こういう詳細に立ち入る力量はまったくないので、この程度にとどめますが、初めて写本の影印本(写真版)を見たとき、周りにいた源氏物語の先生方に「これ、何?」と、私は心から驚いた記憶があり、昨日のことのようです。句読点とか「」とか段落とか全くなくて、まして漢字はほとんど使われていない、のたくるような「ほにゃら」とした平仮名で一杯の写真でした。

「これ、先生、よめるんですかぁ?」と、大阪大学文学部の一室。今をさる20年も昔。
「ええ」
「君もよめるの?」と、隣の若い研究者の卵に。
「毎日眺めていると、読めてきます。Mu先生も、どうですか?」
「無理!」
「こっちのは、定家(藤原定家)さんが写したものです。これだと、読めなくもないでしょう?」
「ああ、ちょっと分かりやすい字ですね」と、Mu。

 私は大学生時代、極端な文学青年だったことがあり、こっそりと源氏物語を読んでおりました。岩波書店の出していた日本古典文学大系というシリーズの中の、たしか五冊本でした。注記も読みもあって、漢字も使ってあって、小見出しもあって、今から考えると「現代直訳本」なのですが、それでも「ああ、分からない」と絶望していた経験があります。そして、刷り込みというか、古典とは「こういうものだ」と思いこんでいたのです。
 それが。
 源氏物語の写本を見たとき、その驚きはどれほどのことだったでしょう。それまで原典と思っていたのが、実は本物の写本があって、その写本が一杯あって、それぞれに微妙、あるいは大胆な違いがある!

 古典研究者はすばらしいと思いました。
 研究対象が謎だらけなのです。謎がない研究なんて、ちっともおもしろく無いじゃないですか。古典は謎だらけなのです。それを、生涯かけて愚直なまでに写本に接して、こつこつと解読する仕事が古典研究者の基本なのです。日本中の、どこに何が隠されているのか、忘れられているのか、まさに「幻の」写本探しですね(笑:なぜわらうのかは、ナイショ)。

 というわけで、久しぶりに国文学研究資料館・館長伊井春樹先生の若々しい声にTVで接し、一文したためました。

追伸
 別本、青表紙本、河内本、とか専門用語は私にも、いまだに全体像が結ばないので、この稿では言及を差し控えます。
 また「大沢本」については、都合20年間ほどNDKという研究会に参加していた間、なんどか耳にはしました。一時期は、「幻の大沢本」で、ミステリを書いてみようかと思ったほどですが、今回解明されたようなので、止めておきましょう(笑)。
 専門家の伊藤先生とか中村先生、あるいは日本語学の大谷先生の若きころの姿を思い出しながら、「源氏物語」写本の姿を、今一度心に描きなおしたいですね。 

再伸
 この記事を掲載後に、伊藤先生のblogを確認したところ、昨日のうちに「大沢本」について公開されていました。
 難しいところもありますが、専門家ですよね、正確です(笑:怒られますね)

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2006年12月30日 (土)

男達の挽歌:NDK篇

男二人・Ndk20061230

男二人・Ndk20061230
 暮れも押し迫った今日30日、男が二人葛野研に訪ねてきた。二人とも長身で、狭いミニにどうやって座ってきたのかわからない。用向きは決まっていたのだが、まずN君のミニ再生話から始まった。ちっこい英国製ミニクーパーをN君は今年、うん百万円もかけて、部品取り替え、塗装、エンジンを入れ替えたかどうかはしらないが、新品にしたようだ。「おお」と開口一番驚いたが、お互いに趣味の世界は立ち入ることが難しく、「しかたない」と、余は諦めた。

 N君とO君とに、初めて出あってからすでに20年近く経過している。二人とも20代半ばだったのに、すでに中年の域。その内、15年間はNDK研究会で、毎月一度大阪大学文学部で顔を合わせているから、長い付き合いになる。最近はN君が一年、O君は2年会っていなかった。

 用向きの件は、某出版社の企画で、古典文学にかかわるデータベースの製作だった。余は専門が一応情報図書館学(笑:なぜ笑う)なので古典と聞いてもわけがわからない。N君は一応源氏物語文学の専門家、東京で先生をしている。O君は一応日本語学の専門家、大阪で先生をしている。NDKには他におふたり源氏物語の大家、中堅がおらすが、今日はお休みだった。

 で、研究打ち合わせは三人でマジメに討議した。なんとか結果がでて、N君がプロジェクト工程案まとめることになった。今後も、葛野で定期的に集まり、研究会を続行することになった。めでたし。プロジェクトは成功したも同じである。
 さあ、それからが~。

 延々と他のワラジ話というか、オタク的趣味話に埋没しだした。結論を先にいうと、ふたりとも本業への熱意はまだ微熱あるが、なんとなく異世界に漂いだしたようだ。20代の熱気(数年前に完成した源氏物語データベース)はそのままなのだが、それから20年もたつと経年変化が大きい。熱放散の方向が微妙になってきた。
 所詮男達というのは夢を追いかける動物。困った中年たちだ、しかたないねぇ~と、余は貫禄を終始見せることができた。余のみ、悪趣味に陥らず、せいぜいモーゼルM712を触っている程度で、まぬがれておる。

N君(blog 東京たるび
1.十年ほど乗ったミニクーパーの全面改良。おそらく別の車に生まれ変わった。
2.相変わらず、うん十万円もする自転車を、口ぶりでは5台は確保しているようだ。
3.二週間に一回は新幹線で東京・大阪を、趣味で私費往復している。
4.延々と写真作家している。特技は針穴写真
5.その他、一杯。

O君(blog 空と旅と風景と
1.余の大衆車RSが4台は買えるアウディ、それはそのまま乗っているらしい。安心、と思ったら。
2.飛行機の免許を取ったようだ、それだけでうん百万円。
3.小一時間空を飛ぶだけで、毎月うん万円の出費があるようだ。おお。
4.十数万円の防振双眼鏡を買ったそうだ、バードウオッチング。
5.その他、一杯、あれもこれも。

 こういう話は、重厚な研究会話が済んだ後の茶飲み話だったが、余はあまりの異世界ぶりに幻惑されて、一体なにを話したか覚えておらん。ただ、両名がひたすら趣味世界に埋没していくのをはらはらして見ていた記憶はある。
 男達の道楽とは、たしかに激しい。極めれば、それを極道ともいうのが、まさに原義だと思った。
 コラージュ写真は、昼食に鴨なんばをいただいた後の、珈琲店でのものだ。
 余は余が普通の趣味人であることに安堵した。
「あなたのご趣味はなんですか」
「はあ、読書とドライブとパソコンです」

 昼前に到着し、打ち合わせに時間がかかったせいか夕方になって、二人は仲良く無人の葛野キャンパスをミニクーパーで去っていった。

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2005年12月30日 (金)

久しぶりのPowerMacG5とNDK

はじまり
 昨日になるのか、29日のこと。
 朝からあれこれ木幡で仕事した。レポート草稿が数点舞い込んでいたのでそれぞれ添削して返した。近所の大学生が作ったblogも観察し、それなりの感想を送った。後者は明日あたりに、最終決着を付けるつもりだ。

 そんなこんなで時間が過ぎた。結構気持ちよく仕上げてはいるが、……、よく考えてみると早朝は冴えわたっているので多少の負荷は負荷と思わないようだ。仕事しながら、頭の片隅でPowerMacG5を本格的に動画で使う算段が渦巻いていた。

 可哀想なのはMacG5、この梅雨にいれたのだが、まだろくな使い方をしていない。弁解はなんとでもたつのだが、要するに今夏は保田論文2005が難しくって手が回らず、秋になると想像以上に会議が増えて、その上さらにひごろはなんともおもわぬ本業の共同演習指導がめったやたらに神経を細らせるものとなってしまっていた。ようするに、今季は、手に余ったというのが実情である。どのように、そうであったかは、不用意には書けないし、心中に浮かべることもできない。イメージしただけで、伝わる恐ろしさ(笑)。

PowerMacG5
 さて。そんなこんなでPowerMacG5は2CPUも始終寝ている始末だった。が、多くの責務が山を越えた年末年始、今となると初期の仕様のままではどうにもならない。まんざらそうでもないのだが、本気で始めると、コンピュータの資源はあっというまに食い尽くされる。

 迷った末に、S-ATA、300GB、Maxtor社のハードディスクを買った。先回のはIDEタイプだが、今回のはMacの中にすっぽり入れるために、インターフェースがSerialATAとなった。1万5千円。当初は500GBを考えたが、これは4万円を越えていたのであきらめた。セッティングは実に簡単だった。横蓋をはずし、右上の下段にはめ込んでノブをおろし、その下にあらかじめ配線されているソケットを二つはめるだけですんだ。ネジ止めすら不要だった。
 もう一つは、メモリーだった。DDR-SDRAMの512MB のものを二本セットで購入し、これも押し込むだけだった。が、多少押し込みに力がかかった。
 これで、PowerMacG5は、メモリーが総計2.5GB、ハードディスクが総計550GBとなった。これだけあればなんとか大量のディジタルビデオを格納し、ある程度高速で編集ができるだろう。それ以上にHDが必要になってきたなら、外付けHDをセットするしかない。あとは、はやりのRAM-DISKも考えたが、もう資金がつきた。結局どんな場合も制限はつきまとう。その方が、よい工夫も生まれる。
 ところで、Muは経験的にCDやDVDに焼き付けて保管するのがどうにも苦手である。大抵整理が悪くて亡失する。なにがどこに入っているか、結局わけがわからなくなって、頓挫する。だから扱いやすい安価なハードディスクを重用する。

 あとは、葛野研のPowerMacG5と、木幡研の古い黒マシンとのあいだの、ビデオデータ移送用に小型2.5インチの日立ハードディスクとケースを買った。60GBで1万円、割高になる。ケースは2千円、まあそんなものだろう。

NDK
 昼前に買い物して葛野に入り、わずかな時間でハードディスクやメモリーをセットした。さすがはアップル社マシン、なんやかやと20分程度でセットし確認までした。
 ほどなく、IT先生、N先生、最後にII先生が到着した。

 OT先生は富士登山らしく欠席。この御仁はこの20年間、肝心な時にやれアメリカの、イギリスのスペインのと旅行三昧に明け暮れて、後日遅参のわびを言う(最近は、それも聞かない(笑))。
 珈琲やらいれて差し上げ、近況相互報告。そのうちに、共同演習の過去作品がみなさんの目にとまり、絶賛を博した(笑)。特に専門領域の作品には、「欲しい。持って帰りたい」という言葉まで漏れ聞いた。様々な索引がついていることに、ますます感嘆の声があがった。

 さて結論のMuの責務は。古典テキスト用語の自動分類、テキスト内容の時系列整理リンク。これらの基本データは先生方が調整し、MuはそれをRDBMSに格納し、駆動することにつきる。考えは簡単だが、さて実装しネットで使えるようにするとなると~やせるなぁ。

 帰路は、四条烏丸地下のゆふなで一夜干し、もろもろ。そのあとイノダで珈琲散会。
 というわけで、2005年の年末はPowerMacG5とNDKとで、暮れた。
 定番行事を終えてほっとしたと思う一方、なにやら外で人にあうと、大抵宿題がふえるなぁ、と感慨しきり。それが、生きている証なのじゃろう。

リンク
  PowerMacG5の内部[MuBlog] 

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