カテゴリー「北国紀行DeepG2005」の9件の記事

2006年2月28日 (火)

絵葉書:冬の合掌造(白川郷)

承前[MuBlog:冬の兼六園

白川郷(岐阜県大野郡白川村大字萩町)地図

 DeepGがこの三葉を送ってくれたのは、数日前に掲載した「冬の兼六園」と同じ便だった。日付を見ると、この白川郷が一日早いので、岐阜から白川に入り、そして金沢に抜けた旅程かもしれない。汽車だったのか自動車だったのかバスだったのか、全く分からない。

 掲載するのが遅れたのは、いま考えてみると二つの要因があった。

 一つは、DeepG独特のことなのだが、はたしてこれが白川郷の合掌造り風景なのかどうか、確証を持てなかったからである。もしかしたら飛騨高山か下呂温泉かもしれない。先年「ヤセの断崖」と10キロ離れた「巖門」との写真取り違えで手ひどい思いをした。そっけない一行メルには「白川郷」と記してあったが、裏を取らないと、またしてもDeepGも私もそろってトンデモ世界に落ち込んでしまう。だから、真剣に掲載を悩んだ。

 もう一つは、この三葉が実に印象的な写真に思えたからである。夢幻。そういう味わいだった。雪と空と陽と、そして鄙びた田舎屋。たったそれだけのことに過ぎないのだが、非常に気に入ってしまった。となると、自分の大事なRSをなかなか全面公開しなかった心境と同じかもしれない。

 私はどうにも、こういう人為人工と自然とが、適度に配分された写真が好きなのだ。そして雪。北陸福井市に生まれたわりには、雪への憧れはいまだに強い。そこに住めば地獄と、山寺の和尚さんに言われたにもかかわらず、傘と長靴を手放せない寒く陰鬱な雪国生まれなのに、雪を見ると気持が昂ぶり、やがて和やかになる。

 そしてまた合掌造りの飛騨という言葉へのどうしようもないときめき。この地にない、この手にない、遠くに憧れるだけで足元のおぼつかない世界共通ロマン派の宿痾なのだろう。憧憬はつきない。

 というわけで、今宵は写真への解説はとどめおき、じっくり眺めてねむることにしょう。

逆光雪

逆光雪 白川郷合掌造

 
ほの温かい合掌造と梯子
ほの温かい合掌造と梯子
 

雪中合掌造

雪中合掌造
 

参考
 世界遺産合掌づくり集落
 白川郷合掌造り集落と平瀬温泉

 飛騨民俗村・飛騨の里[Mu注:今回の写真の白川郷とは離れていますから関係がないとも申せましょう。しかし私が初めて合掌造りを見たのは高山市でした。その時飛騨の里があったかどうかは知りませんが、3度は高山に行っております。学生時代の友人M君の故郷だったのです。が、中退した彼の消息は不明です。懐かしい青年期でありました。]

 白川郷 野外博物館 合掌造り 民家園

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2006年2月25日 (土)

絵葉書:冬の兼六園(金沢)

承前[MuBlog:絵葉書:金沢城と兼六園
承前[MuBlog:紅葉と四季桜

兼六園(金沢市)詳細地図

 一昨日、メルで写真が送付されてきた。
 見知らぬアドレスなので少し躊躇した。この時期「もしかしたら?」と思ったが、タイトルには「残りわずか」とあるだけだった。しかし添付が6通もあったので、「いまどき、こんなことするのは~」、「いや、いつもの携帯アドレスじゃない」と迷いながら開封した。そうだった。まったく動静が掴めないまま忘れていたが、前触れもなく突然突拍子もなく、またDeepGが写真をくれた。
 いろんな点から見て今度はカメラが携帯電話ではないのが分かった。

 いつものように、地名だけが記してあった。兼六園3枚と、他が3枚あった。しかも「冬の兼六園」だった。MuBlogの過去記事を見てみると、金沢は昨秋に写真をもらっている。それから数ヶ月、またしても「冬」の金沢に出かけたようだ。出身地でないことは最初のメル写真送付の経緯からわかっているので、何故なのか想像もつかなかった。
 ただ、写真を見ていると、分かった気がした。
 冬の兼六園。つまり、DeepGにとっては、季節によって感覚が異なるのだろう。秋の金沢と冬の金沢はDeepGにとっては異種のものなのだ。と、合点したら写真が映えて見えた。

兼六園の雪つり

兼六園の雪つり
 私はこの雪つりを幼少時から知識としては知っていたし、写真やTVでもみたことがあるが、実際には未体験風景だ。
 祖母が金沢の雪つりの話を何度も聞かせてくれた。だから、こういう風物詩はすくなくとも戦前にはあったのだろう。祖母の昔話はいつも戦前戦中戦後すぐの、異世界話ばかりだったから。
 しかし脳というのは不思議な物で、何度も訪れた春夏秋の兼六園なのに、「兼六園」と言えばイメージは「雪つり」になっていた。しかも冬の兼六園の実体験はゼロ。

 DeepGの写真を眺めて、これはもしかしたらいつのまにか「冬の兼六園はなぁ」と人に語るほどの疑似体験になってしまうのではなかろうかと、おそれだした。妙にDeepGの写真とは親和性が高く、まるで自分が写したような気分になる。そして、興にのってこういうMuBlog記事を書き出したものだから、そうなってもしかたなかろう。一人で二人分旅行しているような気分である。
 それにしても、一本の松に数百本の縄をかけるというのだから、豪勢なものだ。もし江戸時代からのものならば、前田家の気風が知れる。

虹橋とコトジトウロウ

兼六園の虹橋とコトジトウロウ

兼六園展望台から見た白山(?)

兼六園展望台から見た白山(?)
 この写真をみて、そして送られてきたメルにあった「兼六園から白山、かな」というタイトルだけでは、なんとも判別しがたい。地図で確認すると白山は45kmの南南東に3千メートル近くの山並みとしてある。この写真がはたして45kmの遠望なのかどうか、どうにも山に不慣れなのでわからない。
 まあよかろう、白山にしておく。トンでもなくても、撮影がトンデモ金太郎なんだから、しかたあるまい。人生も、そういう曖昧模糊とした、アバウトな情報で、イライラしないことも肝要。なんでもかんでも、解明されればすむ話でもない。
 (と、たかが風景写真一枚で、最後は人生論風に納めるのが、このblogの悪弊やな)

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2005年9月30日 (金)

絵葉書:金沢城と兼六園

承前[MuBlog 禄剛崎灯台]

金沢城と兼六園(金沢市)マピオンBB
 [Mu註:昨日9月末に、マピオンBB地図が大改良されたようですね。マウスの真ん中の車を動かすと拡大縮小ができるみたいです]

金沢城
 旅の終わりは金沢城。と、あいなったようです。一般に金沢のことは膨大な書籍、ネット情報、そして多くの人がおとずれた加賀百万石ですから、ことさらここで一知半解な記事は書かないでおきます。
 Muですら、金沢には数度行ったことがあって、なつかしい所です。また、卒業生も数名このあたりに居て、これも、ときどき、忘れた頃に年賀状なんかいただいておりました。さらに昔の縁で知った同年代の方々も、おりおりに金沢の某組織の幹部におられまして、……。

 それにしても、ここでDeepGからの消息はぷっつり絶たれました。おそらく数名の☆達はここで散会し、近辺小松飛行場から高飛び(こういう言葉、今のミステリではないですね)したり、サンダーバードで関西に隠れたり、あるいは現地で皿洗いでもしながら、身を潜めておるのかもしれません。

 絵葉書メルがとぎれたところから、事件が発生と、まともなミステリならそうなるところですが、さて。
 まあ、絵葉書メル自体が謎につつまれているのですが、こういう決着の作品があっても、よろしいかと(笑)。
 そもそも発端は、昨年末、とつぜん見知らぬDeepGから一行メルがとどきました。発信地は、九州は深夜に近い小倉駅、「いまから南に下る、退屈だからメルした。ちょっと人に聞いてblogを見たことがあるのでメルした。寒い」でしたからね。南というと、鹿児島、宮崎、大分、……琉球!。普通は飛行機でしょうから、電車というのは、経済状態があるていど推測できますが。
 ……
 本人姿形は、年齢性別不明の、トンデモ金太郎風ぼやけた写真だけ(笑)。困ったもんです。

 それが。
 旅の終わりは兼六園。
 なんとも、言いようがない結末でした。
 一番気に入ったのは、東尋坊絵葉書でした。海の色がたまりませんね。わらったのは、ヤセの拷問です。
 ロマンは灯台です。
 よい、幻想写真集ができて、よかったよかった。

兼六園
 庭の中の橋と、松の傷を送ってくれました。説明は当地の案内板付きなので、それを見るのがよいでしょう。DeepGはもしかしたら、密かに以前からMuBlogを見ていたのかも知れません。MuBlogでこれまでやってきた写真の掲載に便利なように、ポイントや案内板が送られてきたからです。
 いや、絵葉書メルは、そうするのが世間の相場なのでしょうか。どちらにしても、写真の姿形だけではなにも分からないMuのことですから、現地案内板がそえてあったので大助かりでした。

虹橋:兼六園

虹橋:兼六園

松の傷:兼六園
松の傷

DeepGへ
 大量の良質な写真をありがとう。MuはDeepGの絵葉書メルで、2005年の晩夏を楽しく過ごせました。
 突然、単独自転車放浪先の城之崎から写真と一行メルが届いたときは、不審、わけのわからなさで一杯でしたが、その後、東尋坊からの絵葉書メルを数日おきにいただくようになって、それなりにMuの中で納得理解した次第です。
 人の心の動きなどは推し量れないのですが、要するに旅が好きで、絵葉書やたよりをするのが趣味なんだとおもいました(笑)。よい趣味ですね。

 はっきりとは、ご承知ないかとおもいますが、Muは大学で先生をしておりまして、最近はblogを使っての情報処理にこころを砕いております。DeepGのなかば気まぐれな、なかば熱心な遠隔情報発信に、それが今夏ぴたりと合致したわけです。

 どんなことでも、人生でもシステムでも、機能を設計構築し動かし、そこそこ目的を果たすことは、なんとなくやってきたMuですが、それが美的か、感動をもたらすか、気持ちよいかという点では、まったく心許ない半生でした。だから、今回の北国紀行DeepG2005も、ともかくいただいた絵葉書メルを記事にし、相互に自己参照トラックバックやリンクをはって、それらしくしましたが、胸はって「どうや、見てみいや!」とはもうしません。
 そういうわけで、いつか後年思い出した折にでも、DeepGの2005年晩夏、旅の思い出を、ご笑覧下さいませ。

追伸1
 Muも携帯(au)をもっていて、1メガ画素のカメラ付きなんですが、とてものこと今回いただいた絵葉書メルのようには写りません。全部虹がかかったように綺麗な色々なんですが、これはぁ~、まともな写真とは申せません。
 ついては、今後も画素数があがったなら(現在2メガ画素と、一行メルにありましたが)、ますますよき携帯で、遠隔情報発信、絵葉書メルを送って下さいませ。楽しみです。

追伸2
 DeepGの推定気性からして、Muが不用意に場所を指定しても、おそらくアマノジャクでしょうが(笑)、期待するところをメモしておきます。
 1.長崎(二度ほど見ているのですが、北のほうが坂道・石段でしたでしょうか)
 2.岩見銀山(洞窟大好きMu)
 3.秋芳洞(洞窟、鍾乳洞大好きMu)
 4.宇佐神宮(ネットで見た写真では、季節によっては翠が鮮やかですね)
 5.東北各地、会津、平泉、三内丸山、……
 6.沖縄、奄美、南海の珊瑚礁
 7.網走番外地
 ……、ようするに、Muは関西周辺しか見たことがないようですなぁ。

追伸3
 われながら、Muは人にお願いするにも、注文がおおすぎて、ほとんどうまくいったことはないのですが、ともかく。
 必ず正確なタイトルを下さい。「ヤセと拷問じゃなかった」ようなぁ。それと、現地案内板もよろしく。
 それと、今すぐとはもうしませんが、数年内に、正式な世間で通っている、姓名・性別・年齢、お仕事など、お聞かせ下さい。
 Muも普通に世間的人間ですから、覆面絵葉書DeepGでは、なんとなく……。

では

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2005年9月28日 (水)

絵葉書:能登半島・禄剛崎灯台

承前[MuBlog 千枚田]

禄剛崎灯台(石川県珠洲市狼煙町)マピオンBB地図

禄剛崎(ろくごうさき)灯台

禄剛崎灯台
 ついに能登半島最北端にたどりついたようです。写真だけは鳴り物入りで送ってくるのに、説明が、カンモクショウなDeepGのメル談[映画千年火]によれば、どうも今回のキャラバンはレンタカー&徒歩のようです。自転車ではなかったようです。

 いくつかサイトをみていると、ここからは佐渡も見えるようです。内海と外海との別れるところという一節がありましたが、海の色も変わるのでしょうね。そういうクオリア(質感)は、現地に行かないと実感がわきません。
 Muの灯台経験は、M1君と出雲へ行ったときに日御碕灯台 (ひのみさきとうだい)を歩きました。記憶では中に入ったようなんですが、はて。

灯台の感傷
 職業の上で、自分自身を灯台になぞらえることがあります。他人が聞けば笑止千万かもしれませんが。
 大学の教師は、青年が毎年社会に出て行く姿を眼前に見る立場です。彼等が社会に溶け込んでいくのは、多くの場合、キツイ思いをするものです。だいたい、真面目な学生ほど艱難辛苦の日々を送ることになるものです。そういう、まるで戦場に出向く若者達を見ていると、言葉を無くすことが多いです。

 だから、
 「僕は、灯台みたいにずっと、この大学で送電が切れるまで、うっすらと点滅しているから、格別(貢ぎ物など持って)来なくても良いから、ときどき思い出して自分自身の位置を確認してください」、と言ってきました。
 聞く卒業生も、言うMuも、キザの二乗と思いつつ、です。

 ただ、これは、畏友のふうてんさんがずっと申しておられる「定点観測」と、すこし似通っています。
 そういうこと、……かもしれません。

日本の灯台
 灯台については参考サイトに挙げましたが、Muの知らなかったことが一杯あるようです。
 この禄剛崎の場合、海上保安庁による「日本の灯台50選」、「Aランクの保存灯台」に入っています。つまり、ものすごく有名な灯台の一つなわけです。特に後者入選は、明治時代創立で、景観に配慮すべき灯台なので、さすがに「美しく写るはず」でした(笑)。

 フレネル式レンズを使っているようですが、これについては淡い記憶があります。探し出せなかったのですが、知人が以前明治村に行ったとき写した写真に、これがありました。明治村のカタログも見せてもらった記憶があります。灯台やレンズの解説記事がありました。

参考サイト
  禄剛崎温泉
  禄剛崎と禄剛埼灯台(石川県)
    <灯台用語集
  明治村(菅島燈台付属官舎《重要文化財》)

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2005年9月26日 (月)

絵葉書:能登半島・千枚田

承前[MuBlog 輪島塗]

白米(しらよね)の千枚田(石川県輪島市白米町)マピオンBB地図

千枚田

能登白米の千枚田
 旅はしてみるものですね、たとえそれが幻視・仮想旅行であっても。この千枚田は、棚田(たなだ)の一つで、日本でも有数の美しさを誇るようです。日本海を見ながら潮風にふかれて水田を作っていくという、この国の真情は縄文期までさかのぼるような気がするのです。もちろん、水田は弥生時代と相場が決まっているのですが、そう幻視してしまいました。

 以前、畏友のJOさんが飛鳥の段々畑や、棚田の話をコメントしてくれたのです。それが脳に沈殿していて、棚田と耳にすると、気持は一挙に古代湖だった三輪や飛鳥に心が飛んで往くと言うわけです。三輪の東の山中からは、縄文時代の遺物が出てくるようですから。

  Jo 09/06/2004 02:47:26 PM (飛鳥の段々畑についてJoメモ) MuBlog
  Jo 11/12/2004 04:00:45 PM (棚田のはじまりについてJoメモ) MuBlog

 さて能登半島の、輪島市から東北東に約10キロ、白米町の海岸沿いに「千枚田」があるようです。ネットをいろいろ見ていると、小さいのは畳2畳分(一坪:3.3平方メートル)からあって、棚になった田んぼが千枚も在るのでしょうか。地図で見ると国道249号線ですね。本当に昔の人はマメだったんですね。

 ここでの田毎の中秋名月は、どんなものなのでしょう。千の月、万の☆。

参考
  白米千枚田
  棚田講義録(2)/牧山正男(茨城大学農学部地域環境科学科)

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2005年9月24日 (土)

絵葉書:能登半島・輪島塗

石川県輪島市地図

承前[MuBlog 能登二見]

輪島塗の箸、お椀

輪島塗の箸
輪島塗のお椀
 さて北国紀行絵葉書たより、今夜は輪島塗です。といっても、撮したDeepGも、記録するMuもどうやら輪島塗がどんなものかは、さっぱり。最初の方の便りでは、「輪島の朝市じゃ~」と言ってきたものですから、編集するMuも、「これが、どうして朝市?」と、わけのわからない始末。

 さっきまたしても、携帯ががんがんごんごん(嘘)何分間もなるものだから、ひょいと覗いてみたら、くるわくるわ大量メル絵葉書。そん中にたったの一行。出店でおばあちゃん達が「買わんかえ!?」と声をかけてくれた市場の雰囲気は、普通のカメラの方に撮し、Mu用のこれらは、店内ディスプレイとのこと。なんだか、騙された気分になった(笑)。

 しかし、よくながめると、これが携帯? と思うほどに鮮明。200万画素らしいです。
 実は、とここで告白。
 箸の方は、最初全部縦写真で送られてきました。それで、店内とわかる方の写真(左上部)は、なにが写っているのかさえ判別できなかった。次に翌日到着した大写しの箸(左下部)を見て、始めて「ああ、箸なんか」と分かった始末。

 ところで、輪島塗がどんな漆器で、どういう歴史があって、どうして石川県輪島なのか、そういう疑問には参考にあげたサイトが全部答えてくれます。

参考
  輪島漆器商工業協同組合 [Mu注:掲載写真とは関係ありません]

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2005年9月17日 (土)

絵葉書:能登半島・機具岩(はたごいわ)能登二見

機具岩(石川県羽咋郡志賀町富来生神)マピオンBB地図

承前[MuBlog 厳門]

機具岩(はたごいわ)能登二見
 さて、この能登二見(機具岩)は、先回の厳門(笑)からみて、地図上で真北2キロのところにある。ちなみに先回間違った「ヤセの断崖」は、この機具岩から直線で、北北西11キロあたりに位置する。だから先回の「ヤセの断崖・看板」は、厳門とは切り離して再編成すべきかもしれないのだが、なに、そこは未知の領域故に、こういう間違いがあっても、ご愛敬(笑)。

風景写真の誤認話
 地元の人が観れば怒るかも知れないが、Muも、京都を訪れて写真をとった旅人が、後で嵐山と宇治とを間違えても、斑鳩の法隆寺と太秦の広隆寺とを撮し間違えても、なになに金閣、銀閣をまちがってさえ、まあ、そばにありますから、ようまちがえはりますなぁ、ですませておこう。
 程度の問題だが、そのうち、寺と神社を間違え出すと、多少はMuもムカッとするけど。だれかが三輪の大社を撮して、「寺~」なんてほざいたら、怒髪冠を刺す。(本当は難しい事ですが、神仏習合)

 だがまてよ、京都市民、奈良市民でも、大澤、広澤、猿澤の三澤・池の写真をみて判別できる人は、何パーセントだろうか。おそらく、ゼロコンマ以下だろうなぁ。
 (と考えると、ゼロの焦点、ヤセの断崖と、厳門とを見間違えても、……。うむ、ここまでMuも屁理屈男だったのか)

 この掲載写真を見て案の定、最初Muは、左下の丸っこい岩を、機具岩と誤認した。しかしこれは、どう考えても、単に標識代わりに使ったものなのだろう。機具岩(はたごいわ)は、右下の二見岩を指すと思っている。いや、もちろん後日に、DeepGから一行メル「すみません。あれは、伊勢鳥羽の二見でしたぁ~」となるかもしれないが、まあ、それもご愛敬。

機具岩伝説
 古代、お姫様が賊におそわれて、えいやっと機具(機織り機のどこでしょう?)を投げつけたら、それが夫婦岩になったとかいう伝説らしい。案内板には、そのお姫様がヌナキイリヒメノミコトと、だけ記してある。
 さて、ここからが大問題である。ヌナキイリヒメノミコト、これはどこかで目にした耳にした。
 神名は似ている柱もおはすから、簡単には言えないが、近所のナンデモ海部族史家にもお伺いをたてないと、あとで泣きを見るのだが、たしかに、北陸関係の御姫様に「ヌナ」の付く神は、おはしたはず。たしか、翡翠と関係が深いような(調べりゃ分かるだろうが、まず推論)。そして、ああ、思い出した。

 崇神天皇の御代。そうでした。
 荒ぶる神々が祟りに祟ったとき、天皇はどうされたか。宮居に併せ祀っていた天照大神と、大国魂神とのために、巫女をたてました。一人は、アマテラスさんを、娘のトヨスキイリ・ヒメノミコトに、一人は、オオクニタマさんを、娘のヌナキイリ・ヒメノミコトに預けて、宮から出ていただいたわけでした。
 ところが、うまくいかなかったのです。国中の疫病やまず、ことに渟名城入姫命は髪がおち、やせ細ってしまい、大国魂神(おおくにたまのかみ)を祀ることも出来なくなったのです。
 さて、その崇神天皇の皇女・渟名城入姫命は、この能登半島、日本海に面した二見岩に祀られ伝承を生んだという渟名木入比咩命(ぬなきいりひめのみこと)と同じ方、いや神様と思って良いのでしょうか。

ヌナとも謎に
 とここで、翡翠の話になると、「渟名(ぬな)」という名前が別の方と関連を持ってきます。万葉集に関連するのですが、浅学故に、他の人の記事をあげて、お終い。(歌語り風土記・奴奈川姫:新潟県

 またこれは、古事記(上巻)にも、ぬなとももゆらに~という言葉があって、国語辞典レベルでも意味がありました。つまり、「ぬ」は玉、「な」は「の」の意味で、玉の擦れ合う音、すなわち漢字表記で「玲瓏」になっていきます。
 要するに、ヌナとは、玉の意味を持っていて、さてそれから翡翠、北陸、機織りとどう続くのか、おそらく識者にはよおくおわかりなのだと思いますが、浅学Muは、今夕これにて失礼つかまつりまする。

 願わくば、写真が鳥羽の二見岩でないことをねがって、また次回。

参考までに
  保田與重郎『機織る少女』がありまする。Muの記紀の知識の多くはこういう図書から承けています。

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2005年9月16日 (金)

絵葉書:能登半島・ヤセの断崖看板と、巌門

ヤセの断崖(石川県羽咋郡志賀町前浜)マピオンBB地図
巌門(石川県羽咋郡志賀町富来牛下)マピオンBB地図

承前[MuBlog 福井県の東尋坊]

能登半島:ヤセの断崖
 人とは贅沢なもので、数日前に東尋坊の綺麗な写真を受け取ると、一昨日は「メル絵葉書はまだか、次はまだか」と仕事の合間に心待ちするしまつ。しかし、メルで督促するのも行儀が悪く、また相手がなにかと「トンデモ・天邪鬼」と見抜いてもいたので、捨て置いた。すると、昨日午後。
 くるわ、くるわ、携帯電話が鳴りっぱなし(笑)。なんというか、DeepGのやりようは以前から、激しい。で、文面は一行だけ「圏外でしたぁ」。

 というわけで、今日はその中の二編をMuBlog幻の北陸紀行にまとめ入れることにした。残りは後日に。

 Muは、昔職場の親睦旅行で能登へ行くはずだった(30年も昔の話)。ところが台風接近というので取りやめになった。Muは若くて愚かだったから、幹事たちに悪態をついた記憶がある。「台風くらいで、やめるなんて、根性がない」。もう、20代のMuは対人も対社会も、いまから思い出すと赤面するくらいむちゃくちゃだったようだ(赤面)。

 その能登へDeepG達はたどり着いたようだ。東尋坊からどうやって、どのくらいのグループで、電車なのか徒歩なのかバスなのか、そこらは全く不明だが、写真だけは着いた。
 
 「ヤセの断崖」(看板)。これは、大昔小説でも読んだし、TVドラマでも見た。松本清張の名作『ゼロの焦点』の名舞台になったところだ。TVドラマでは、この地方のお葬式、野辺の送りがとても印象深かった。しかし、清張さんもようまあ、ああいう状況設定を考えたものよ。と、未読の方は御覧あれ、たしか新潮文庫でした。

 ところで、おまけに、近所には義経の舟隠しもあるそうだ。今年のNHK義経がどこで終わるのかは知らないから、なんとも言えないが、もし舞台になったら楽しみだ。

参考までに
  絵葉書:東尋坊[MuBlog]
  ヤセの断崖(石川 能登)
  義経の舟隠し
  巌門(じゃらん)

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2005年9月13日 (火)

絵葉書:東尋坊

東尋坊(福井県坂井郡三国町)地図

東尋坊の夏

東尋坊の夏
 以前は四季折々に絵葉書が届いたものだ。筆無精の身には、返事を出さなくても良い絵葉書は、心にしみる。相手が旅先や別荘地で、長期滞留の者なら、返事を書こうと焦るところだが。
 ところが、最近はメール絵葉書が届くようになった。
 東尋坊、これは知り合いのDeepGからもらったものだ。

 実は、この8月には城之崎から温泉写真が不意に届き、驚いた。文面がだった。自転車で単走しているとのことだった。真夏に一体どうして? と思った。メールだから、すぐに「一体、何をしておるのか」と、問い合わせたが、返事もなかった。もともと以前から「トンデモ金太郎」と呼んでいるDeepGのやることなすことは、理解できないので、そのままにした。なぜトンデモ金太郎なのかは、まあ、実物を観ればわかるのだが、詳細に記すのはやめておこう(笑)

 昨日、また不意に絵葉書メルが届いた。今度は福井のようだ。電車の切符も写っていたから、自転車単走ではないなと思ったら、あんのじょう、旅の行く先々で友人達と合流しながら、国内を旅しているとのことだった。

 そういうわけで、幻想の旅の記念にMuBlogで使わせてもらうことにした。Muは心で国内のあちこちへ行きたいと思いつつ、なにかしら、木幡と葛野しか知らないままだ。代わりに、方々へ手の者を派遣しているとおもえば、それも旅かもしれない。

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