カテゴリー「三角縁神獣鏡」の7件の記事

2011年12月18日 (日)

小説木幡記:古い形式の三角縁神獣鏡

Bmuimg_7224
↑三角縁神獣鏡レプリカ 直径218mm、重量1100g、推定240年:高槻市・安満宮山古墳 1号鏡

 この写真は大阪府高槻市の、名神高速道路を北に越えた所にある、高槻市の公園墓地内「安満宮山古墳(あま・みややま・こふん)」で見かけた複製品である。

 説明板には、中国・魏王から卑弥呼の使節団を通して渡された銅鏡100枚の中の一枚と書かれてあった。この地方の王は、淀川を支配する三島に君臨していたらしい。邪馬台国の卑弥呼使節団に参加していたとも推定されていた。

 ともかく、レプリカとは言っても、なかなかリアルな鏡だったので、記念に撮って記録しておく。余事については、後日にまとめる。3世紀邪馬台国時代のこのあたりから、現代の高槻市に明瞭な信号を残していたことを知り、驚いた。


大きな地図で見る

 ↑ものすごく景色の良いところだった。大阪市全域、生駒山、淀川、そして余には弁別出来なかったが大坂城、當麻の二上山まで見えるようだ。

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2008年5月13日 (火)

小説木幡記:2008/05/13(火)黄金色の三角縁神獣鏡

 昨夜眠る前にNHKの「ニュースウオッチ9」という番組を覗いてみた。TV欄で「三角縁神獣鏡」と出ていたからだ。
 この番組を過去見た覚えがない。日々のニュース解説のようだが、たっぷり1時間とってあった。最初は中国の大地震の映像解説だった。他にも一杯あったが、頭には入らなかった。
 漸く9時40分ころから、目当ての話題になった。

邪馬台国の概略
 最初は、邪馬台国の近畿説X九州説の簡単な話題提供、魏志倭人伝、鏡の中の中国歴「景初三年」の刻印、いろいろ復習があった。魏志倭人伝は国立公文書館所蔵のものだった。

 ところで、邪馬台国のCGがなんとなく三輪山あたりの景観にみえたな。それと、連想だが、三角縁神獣鏡の模様、が山の連なりに見えて、それが三輪山あたりの情景にそっくりに見えた。この邪馬台国CGは、どの番組で造ったのか、使ったのか思い出せない。気になる。

京都国立博物館・村上隆室長
 京都国立博物館の村上隆室長が出てきた。室長といっても、なんの室長か分からないので、今朝京博のHPを眺めてみたが、よく分からなかった。考古室長かもしれない。人物認定は知らない世界では難しいところだが、少なくとも「村上隆」という対象は、奈良文化財研究所におられた方かもしれない。

 さて、村上室長の話では、静岡県出土の三角縁神獣鏡を、レーザー光線で測定したところ、厚さ1ミリ程度まで研磨された形跡があるとのことだった。古代鏡のような立体物にレーザー光線をスキャンさせて、その形状をそっくりコンピュータに取り込む装置が写っていた。以前からそういう装置があることは見聞きしていたが、それを導入し、三角縁神獣鏡の精密な採寸をし、コンピュータで三次元画像を表示させるわけだ。CGだから回転拡大縮小、自由にできるから隅々までモデルの様子がよくわかる。

(人間も採寸できるな、と想像して見ていた。しかし目の部分は危なそうだ。人間は目の回りの形状、筋肉の動きで感情が表現されるが、目をつむったら困るし、つむらないと失明するかな)

黄金色の鏡
 さて、成分組成も分析された。{銅:75%、錫(すず):21%、鉛:3%}と画面表示があった。のこり1%は不純物というかその他のものだろう。

 その成分にしたがって、あらたに画面表示してみたところ、黄金色の三角縁神獣鏡が画面で回転した。青銅というと、なにか重くって暗い雰囲気だが(博物館に展示してある、銅鐸や鏡がそうだ)、輝いて見えた。
 一般に銅合金は銅に含まれる他金属の含有量によって、赤み、青、白と変化するらしい。黄金色というのは、以前中国の青銅器制作番組を見て、完成したものを磨くと輝きだしたので驚いたことがある。

 これまで、MuBlogでも三角縁神獣鏡の組成記事を参考にあれこれ愚考していたが、昨夜のニュース番組をみて、あらためて自然科学の基礎を他分野に応用することの「強力」さに感心した。ふむふむ。

参考
  MuBlog: 「卑弥呼の鏡」中国製の可能性
  MuBlog:三角縁神獣鏡はただの銅鏡か

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2006年2月18日 (土)

黒塚古墳・公園の現況写真

承前[MuBlog:黒塚古墳・展示館
承前[MuBlog:椿井大塚山古墳の現況写真

 地図:黒塚古墳、崇神天皇陵、景行天皇陵との位置関係
 地図:黒塚古墳、崇神天皇陵、景行天皇陵、箸墓(倭迹迹日百襲媛命陵:やまと・ととび・ももそひめのみこと・りょう)との位置関係

 二月の晴れた日に、二つの三角縁神獣鏡関係古墳を現地見学した。一つは、この黒塚古墳(奈良県天理市)、一つは椿井大塚山古墳(京都府相楽郡山城町)である。椿井大塚山古墳については、午後遅くの帰路に訪ねたが、ここでは黒塚よりも先に掲載した(承前参照)。私の住まいする宇治木幡から近いのと、調べてみると「謎の第一次現地調査報告書」の存在や、なによりもJR奈良線が横切っている様態、そのふたつが気がかりだったからである。

 午後早くに訪れた黒塚古墳は、膨大なネット記事があってまとまりがつかなかったし、なによりも、私には風景が美しく見えて、写真の選定がなかなか出来なかった。ともあれ、出土された多数の古鏡の意味、その歴史的解釈については他の人にまかせて、ここでは古墳からみた大和の地をゆったりと眺めてみたい。

Ψ史跡・黒塚古墳石碑

史跡 黒塚古墳 石碑
 昨年に公園整備が完了したようで、この二月には、お弁当を持って来たくなるほど、小綺麗になっていた。古墳の東には展示館もあって、別サイトでみると模型もあり全体が理解しやすくなっているようだ。が、私が行った日は閉館日だった。また後日に縁があれば見学できるだろう。この石碑「史跡 黒塚古墳」は、後円部の真東にある。

Ψ黒塚古墳全景と城郭跡

黒塚古墳全景と城郭跡
 現地では大抵案内板を写すことにしている。記事内容は一般的なものなので、厳密さでは後日変更せざるを得ぬこともあるが、全体像が分かる点で重宝してきた。写真では別々の箇所にあったものをまとめておいた。
 上の写真で、全長132mの全体を眺めると、右の後円部と左の前方部のつなぎのところがくびれている。下の写真ではこのくびれのところが、戦国時代に穿(うが)たれて城の壕になっていたようだ。なんのことはない砦(城)の中心は後円部だったのだ。これだと、JR奈良線が横断する椿井大塚山古墳と大差ない仕打ちをうけたのだといえる。これはまだ調べていないが、高槻市の今城塚古墳とか、畏友Joさんの話では三輪の箸墓もそうらしい。戦国下克上の世界は、罰当たりなことが普通の仕様のようだ。

Ψ古墳への通り道

古墳への通り道
 ここでは古墳公園へ、後円部から入るようになっていた。多分、周濠があるので道をつけたのだろう。展示館にはそういう説明があるのかもしれないが、閉まっていたので調べないとわからない。そうそう、古墳の回りに周濠があるのは江戸時代の農地水源の可能性も多いので、原型と思わない方がよいとも耳にしている。
 同下の写真は後円部に登り着いて、今あがってきた所、東方面である。山並みが実に麗しかった。まことに、ああヤマトであった。

Ψ北東部の風景

北東部の風景

Ψ山ごもれる東

山ごもれる東


Ψ南の風景と箸墓

古墳の回りの池

Ψ南西・橿原方面:霞む大和三山

南西・橿原方面

Ψ竪穴式石室上に置かれた石室原寸写真

竪穴式石室上に置かれた石室模型
 三十数面の三角縁神獣鏡が出土した石室については以下の案内写真や案内板に詳しいが、後円部広場の真ん中に柵があって、写真のような細長い模様入り石台があった。もちろん予備知識なしの飛び出し現地調査だったので、一瞬なにか分からなかった。休憩するにしては、柵があって中に入りにくい。
 これは、南北に長い石室の写真だったのだ。展示館には石室立体模型があるようだが、私は石室平面模型写真を見ていることに気がついた。写真位置は石室の北小口である。たしかに、鏡が数枚見えているようだ。
(ところが、思いは遠く中央右に見える箸墓に飛んでしまったのも、酔狂な話だ)

Ψ竪穴式石室の案内写真

竪穴式石室の案内写真

Ψ黒塚古墳の案内板

黒塚古墳の案内板

Ψ黒塚:前方後円墳

黒塚:前方後円墳
 ということで、今回の記事は現地の前後に机上調査らしいこともせず、ただただヤマトの風景を古墳後円部から眺めた記録だ。あとで地図をみると、崇神天皇陵は東南700m、箸墓は南へ2.3キロの位置にあった。黒塚と前者は柳本古墳群とよばれている。天理市と桜井市との境界付近なので、なにかと話題の多い纏向遺跡(まきむく・いせき)とは近所というか、親戚のようなところに黒塚古墳は位置している。
 いつかまた、このあたりを歩いて往時の想像をしてみたい。

参考サイト
  黒塚古墳発掘調査現地説明会、1998年1月[Mu注:鮮明な石室写真が多い]
  三角縁神獣鏡をデジタルアーカイブ化、卑弥呼の鏡、謎解明へ貢献

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2006年2月12日 (日)

椿井大塚山古墳の現況写真

承前[MuBlog:椿井大塚山古墳

椿井大塚山古墳(京都府相楽郡山城町大字椿井)マピオン地図

 この一年間ほどずっと気がかりだった古墳を追って、京都府と奈良県の境にある山城町に寄ってみた。目的地は、椿井大塚山古墳である。その前に、奈良県天理市の黒塚も行ってみたので、根底に「三角縁神獣鏡」があるのかと、識者にはとられるかも知れないが、あながち、それだけでもない。もちろん大塚山古墳も、天理市の黒塚も三十枚前後の三角縁神獣鏡を出土したことで著名な古墳なのだから、そういう考えがあっても不思議ではない。
 ただ、アマチュアの気楽さというか、近頃、大量に出土する古鏡に興味が薄れた。「棺内にたった一面立てかけられた画文帯神獣鏡が、象徴的である。”宝器は一点、呪具(三角縁神獣鏡)は多量に”をシンボライズしている。」(石野博信『邪馬台国と古墳』学生社、2002)こういう一節に、なんとなく私の気持が変わってしまったというのが、今の心象である。諸先生の説を読んでいると、棺の外回りに多量に並べられた三角縁神獣鏡は、魔よけ(へきじゃ)の意味が強いのではなかろうかと、私も自然に思うようになってしまった。

 では何故行った。近いところなのに足を運んでいなかったから。そして、前方部が広がるバチ型は箸墓と同じく古い様式らしい。前方後円墳の始まりに興味がある。と、しるしてみたが、一番の興味はいささか古代史談議からは外れたふしもあるのだが、椿井大塚山古墳は、古墳全体の中核である後円部をJR奈良線によってぶち切られている国史跡なのである。
 それを見たかった。
 あとで調べてみると、鉄道がこのあたりを走ったのは、「明治27年(1894)におこなった京都-奈良間の鉄道敷設工事などのために、著しく形状をそこなっている。」(山城町史)とあり、そのころに二つに切られたのかもしれない。そして、この古墳が世間を騒がせたのは昭和28年、日本国有鉄道が線路の拡張工事を行った際、大量の鏡が出土したことによる。

 現地を歩き写真を撮って、それをまとめながら、いくつかの資料やネット情報をひもとく内に、別の謎にも直面した。この古墳の第一次調査報告は、長く秘されていたようなのだ。なぜそうだったのかは、末尾の樋口先生の話(参考サイト)から概略分かったが、まだまだ現代的な不思議さは残ったままである。
 とはいうものの、なにが謎で、それがどうなのかは、MuBlogの将来に任せて、今日は、撮った写真の解説に終始する。

Ψ椿井大塚山古墳登り口

Ψ椿井大塚山古墳登り口
 自動車RSはこの鉄橋よりも西に20mほどの所の広場に停めた。奈良の南部であれ、京都の山城町であれ、こういう古墳めぐりには小型車がよい。しかし、本当は軽トラック程度の大きさが一番よい。経験では、崇神天皇陵の東で車幅がぎりぎりに往生し、飛鳥・酒船石では見事に脱輪した。いずれも、地場のオジサンが軽トラックですいすい走っていた道である。
 ここでも、直前に前方部端の道を知らずに走って、両脇がそれぞれ10センチ程度しかなく、運転歴40年の私も冷や汗がでて、途中で10m程バックした。ただし、バックで山道を数キロ戻るのは昔取った杵柄で、得意技である。
 鉄橋をくぐるとすぐ右手に登り口がある。詳細は写真のコメント欄にしるした(以下同)。

Ψ展望台

Ψ椿井大塚山古墳展望台
 あっけなく後円部の頂上にたどり着き、そこは広場になっていて、展望台を兼ねていた。ただ、天理市の黒塚を直前に見ていたので、いささか荒れた様子に思えた。これはしかたなかろう。最近みていないが、高槻の今城塚古墳[MuBlog]は公園化の整備をしていたし、神戸市の五色塚古墳[MuBlog]は公園だった。だから、ここ大塚山古墳も公園にすれば良いと考えた。
 それが気楽過ぎる思いだったことは、直後に分かったのだが。

Ψ国史跡:案内板

Ψ国史跡 椿井大塚山古墳(つばいおおつかやまこふん)
 案内板があったので丁寧に写し掲載した。内容は写真のコメント欄に翻刻しておいた。古墳の全体図については、先頃全長がようやく175m前後で決着を見たようである(参考サイト参照)。諸説あって160~200mの間で揺れていたらしい。どうしてそうなのかは、次の写真の内、前方部を展望台から眺めたものを見ると、分かってくる。要するに、長い歴史の中で、原型をとどめなくなったというのが、真相であろう。

Ψ古墳を横断するJR奈良線

Ψ古墳を横断するJR奈良線
 現在なら想像を絶することだが、昔は古墳と丘陵の区別も曖昧だったし、また古墳というよりも、別の専門書によれば天皇陵比定古墳ですら、植林され畑になり人家になり、そして城になった歴史がある。たしか、宇佐神宮[MuBlog]は古墳の上にあるらしいという話も聞いた。だから、明治時代にここを蒸気機関車が走っても不思議ではなかったのだろう。
 それにしても、第一次調査報告をよんでいると、時代観、人の心、あれこれ考え込んでしまった。工事関係者は、鏡を割って金物と判断し報告したようである。
 別件として、いつか記すが、飛鳥の某寺にあった酒船石同様の石も工事関係者が爆破したとのこと。現代でも道を造ったり、鉄道を敷いたりすると、そのあたりの感覚が、多少異なってくるのかも知れない。

Ψ山城町風景

Ψ山城町風景
 古代の人になったつもりで、山城町の町と川と山と空を撮してみた。昔の古墳は、おそらくそこで祭祀も行われたはずである。選ばれた人達、あるいは祭りには多くの人達が、この丘陵に登り一キロほどの近くにある木津川を眺めたのだろう。畏友のJoさんの話では、神戸の五色塚は、そこから瀬戸内海を見張ったり、あるいは睥睨(へいげい)していたような想像をかき立てられた。ここなら、木津川を行く舟を眺めていたのかも知れない。
 大和と山背との境目に、椿井大塚山古墳はあった。

木津川と椿井大塚山古墳の高低差

木津川と椿井大塚山古墳の高低差
 これは附録だが、こうして高低差をみてみると、古墳は平地から25mの高さにあった。それにしても、見晴らしの良いところだから、奈良の柳本や桜井のように、もう少し大型前方後円墳があってもよさそうな地勢である。前者もこの地も、山を背にして西が開けている。ところが、地図をみているかぎり、神社はあっても大型前方後円墳はなさそうだ。いつかまた、二基、三基と出現するのかもしれない。その時は、公園にしてほしい。
 ただ、公園化も、やりようによっては、損なう物が多く、識者でも反対者がいるようだ。それについては触れない。私はアマチュアだから、多少気楽に物を考えておる故だ。

参考サイト
 昭和28年 椿井大塚山古墳発掘調査報告/樋口隆康 (第一次調査原本)
 (京都府山城町埋蔵文化財調査報告書第20集)

昭和28年[3月31日]樋口、林、小野山

 「昨日に続き、南北の両端の粘土槨の残部の調査を行う。南壁寄りでは槨の上面の朱の層より15cmほど下方に別な朱の面があらわれ、水平近く層をなしている。ただし、この方は色が茶色を呈し酸化鉄かもしれない。

 上狛小学校校庭に保管してある石棺なるものを、庄司氏の案内で見た。花崗岩を刳り抜いて作ったもので長さ 240cm、幅 155cm、高さ80cm、内深59cm、周壁の幅15cmある。四隅が丸くて、石棺とは思えない。水抜きがあり、何かの貯水槽かと想像されるが、大塚山古墳の南にある御霊山古墳から出土したという言い伝えがある。」

 ↑[Mu注:椿井大塚山古墳の、埋葬施設は町史によれば、「昭和28年(1953)の法面拡張工事のおり、竪穴式石室とともに、木棺をいきなり粘土で被覆した粘土槨らしい施設が、西にならんであったという。しかしこの施設は早く破壊されたために、調査の手がおよばなかった。」とある]

 同調査の、1998年再刊「前書き」↓

「前期古墳の最も重要な資料である京都府相楽郡山城町 (発見当時は高麗村) 椿井大塚山古墳の主体部は昭和28年に発見、調査されたものであるが、その報告書の出版が、あるトラブルのために中止され、一部の人を除いて、一般に公開されないままになってしまった。実際に発掘調査を担当したものとしては、この貴重な資料をひろく、研究者に活用して貰うためには、どうしても最初の調査内容を公刊する責務があるとかねがね考えていたが、幸い地元山城町も貴重な文化遺産を保存活用のためにも必要として、報告書の出版費を提供してくれる申し入れがあったので、当時の記録をそのまま公刊することとした。

~(略)~1998年12月31日 京都大学名誉教授 樋口隆康」

 京都大学総合博物館 三角縁神獣鏡
 京都府立山城郷土資料館
 10月14日「前方部の端 ほぼ確定 山城・椿井大塚山古墳」(京都新聞 10月13日)/とかちゃんの「ほけほけ日記」歴史篇(2005年)
 山城町史(抄)
   [My注:椿井大塚山古墳の全体像が、まとめてある]

謝辞
 本記事を掲載するに付き参考にした、椿井大塚山古墳の過去調査資料は、多くを木津川(ハンドル名)氏のまとめられたサイト「椿井大塚山古墳と三角縁神獣鏡-京都の古墳」をもとにした。また、それら調査資料を刊行された京都大学、岡山大学、山城町教育委員会にも感謝する。 

追加情報
  木津川流域 隠された王朝(JoBlog)  

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2005年6月 6日 (月)

くろづかこふん:黒塚古墳・展示館

黒塚古墳(奈良県天理市柳本町)マピオンBB地図(概略)、MSN地図(詳細)、its-moGuide(極詳細)

 気にはなっていたのだが、知らない間に黒塚古墳周辺が整備完了し、散策道が開放されて、墳丘には写真パネルが展示されているらしい。今朝の朝刊に数行あった。
 1997年に32面の三角縁神獣鏡が出土したということ以外の意味付けは、Muの力量で出来ないので、ここのところは、ひとつのまとめ記事として掲載しておく。

参考サイト
  今回のこの記事には直接関係しないが、1997年以降に沢山の記事がネットにあった。
  興味深そうなものを数点あげた。
  写真のあるものは、臨場感がある。

  黒塚1997年度:天理市黒塚古墳現地説明会資料(1998年1月)/橿原考古学研究所
  黒塚古墳
  黒塚古墳資料館

  三角縁神獣鏡[MuBlogのカテゴリー]

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2004年5月19日 (水)

三角縁神獣鏡はただの銅鏡か

 何故かしら眠れなくて、三角縁神獣鏡のことを考えていた。
 手元にある数冊の図書を眺めていたら、三角縁神獣鏡にかんしては、膨大な論文があるようである。これで新たに研究論文を書く研究者の卵は大変だろうなと思った。

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2004年5月16日 (日)

「卑弥呼の鏡」中国製の可能性

三角縁神獣鏡は「三輪巻向の卑弥呼」の鏡だった(私の作ったタイトルです)

 2004年5月15(土)付の夕刊によれば、三角縁神獣鏡(魏が3世紀に、卑弥呼に贈った百枚の銅鏡をさす)の成分分析の結果、国内にある8枚の鏡のうち6枚の成分が、当時の中国製鏡と近しく、かねてより粗雑故に国内模倣とされてきた2枚が日本の他の鏡と、成分が一致したらしい。

 なお現在まで、中国では三角縁神獣鏡は未発見であり、国内の三角縁神獣鏡はすべて魏が卑弥呼のために特注で製作した物か、あるいはすべて国内で生産した可能性がある。

 今回の分析で、三角縁神獣鏡の数枚が、三世紀の魏鏡と同一成分ならば、いま日本で発掘される三角縁神獣鏡は卑弥呼の物と考えられる。その発見地はほとんど近畿なので、邪馬台国近畿説の有力な傍証となる。

 一説には渡来の呉の鏡作り技術者が、中国から輸入した銅鏡成分を用いて日本で作ったとあり、その可能性はわずかに残る。私は、そこまでややこしく説き起こす説は、現実的でないと考える。

以下産経新聞夕刊(京都版)による抽出情報

  成分分析は、主成分の錫(すず)と不純物との割合。銅鏡{錫、銀、アンチモン} 
  分析手法は、大型放射光(X線か?)によるもの。SPring8(兵庫県の分析施設)
  実施機関は、京都市の泉屋博古館(せんおく・はくこ・かん)。
  実施代表者は、樋口隆康 泉屋博古館館長。
  発表時期などは、5月15日午後、京都市で開かれた文化財科学会大会。

以下にいくつかの参考サイトをあげる

  「卑弥呼の鏡」中国製と同成分 強力X線で分析 
    (asahi.com 速報故暫くしてこのリンクは切れるだろう)
  泉屋博古館
    (ここは開館時期が一般とは異なる:また今回の発表内容が展示されるのかどうかは不明)

開館期間
3月~6月、9月~11月 (10/16(火)~10/19(金)は展示替のため青銅器展のみ)
※ 12月~2月、7月・8月は閉館となっておりますが、
団体(20名以上)のみ 予約観覧 を受け付けております。

  大型放射光施設 SPring-8(兵庫県)
  
各識者論評(産経新聞夕刊)
  金関恕(天理大学名誉教授)
    1.邪馬台国畿内説か九州説かは判定できない。
    2.中国から原料を仕入れて国内製作された可能性もある。
    3.国内、神獣鏡を分析し、データが重なれば「畿内説」が実証できる。
  河上邦彦(奈良県立橿原考古学研究所付属博物館長)
    1.成分分析は鏡の復原には有効だ。
    2.鏡の成分から産地は判断できない。

MuBlogの論評(いつのまにか、日曜考古学者)
 1.三角縁神獣鏡を100枚、魏皇帝が卑弥呼に贈ったと魏志倭人伝にあるらしい。
 2.現在まで中国で三角縁神獣鏡は発見されていないらしい。
   発見されるまでは、1が嘘か、1の総てが日本に移動したと推測。
 3.国内にある確実とおもわれてきた三角縁神獣鏡の成分が3世紀の魏鏡と同様であった。
 4.現在まで、三角縁神獣鏡のほとんどが近畿地区で発見されているらしい。
   百枚を越えているかもしれないが、残余は国内模倣品であろう。
 5.MuBlog結論:三角縁神獣鏡は卑弥呼に贈られた銅鏡100枚だろう。
   そして邪馬台国は近畿だった。

 反証について補足
  河上館長のいう、成分と産地の関係は?
  成分を輸入して、渡来人が三角縁神獣鏡を作った可能性。
  可能性としてはあるが、なぜそんなややこしいことをしたのだろうか。
  魏志倭人伝が嘘をついたのか。
  卑弥呼は、あげるといわれてもらえなかったから、面子上、渡来人に作らせたのだろうか。
  (権力と資金がないとそういうことはできなかったろう。)
  だが、入り組んでくる話で、これなら本格推理小説になってしまう。

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