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京都・嵯峨野の珈琲焙煎小屋

焙煎小屋とは無粋な表現だとは思う。カタカナを使えば、キャビンとかもっと言いようがあるだろうに。ただ、最近は専門用語とか隠語以外はなるべく漢字かな表示を心がけている。もちろんパソコンを電脳とまではいわないし、インターネットを「相互乗り合い電網」とまで極端には走らない。ところで夏期に読んだ小説に「サッチョウ」というカタカナが出てきたので、悩んだ。てっきり薩長(主に幕末の薩摩と長州を指す)と思ったら、なんのことはない「警察庁」の隠語だった。
話が飛んだ。先週末の夕方、気晴らしに嵯峨野へ出て、ビフカツサンド(牛肉粉まぶし油揚げ麺麭巻き惨怒伯爵風)を久しぶりにいただいた。相変わらずよい味だ。実は、そこは相当に渋い重厚な珈琲店で、店舗とはべつに焙煎小屋がある。そのおもむきを長年気に入っていたのだが、写真がなかった。思い立って撮ったが、光が広いガラス窓に反射して、なにやら分けの分からないオブジェになってしまった。が、よく見ると小屋の中に煙突があって、珈琲豆樽らしきものも見える。今度機会があったら、もう少しましな写真を撮ってみよう。(平成19(2007)年10月16(火)記す)
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今年の夏、夕涼みがてらに祇園祭り前夜の杉本家を訪れた。まだ七月も13日で六時ころだったので、人も少なく、旧大店の母屋も庭も涼しかった。クーラーがないのにどうしてそんなに涼しいのかと、考え込んだ。本当の昔の智慧が建物全体に施されているのだろう。多分、それは風の道だろう。ところで、近所に天満宮があって、その近くの町屋の屋根を見上げたら、猫ちゃんがいた。なにかしら、人は可愛らしいことを考えるものだ。(2007/10/03(水)記す)
研究棟前に木が倒れていた。化石のようになっていた。なにかの原因で倒れたようだが、珍しい光景だった。木とか林とか森は好きだから、葛野中が森になればよいと思っているが、こうして見てみると、木を育てるのも大変だと想像した。近寄ってみると、中はがらんどうになっていた。以前から枯れていたのだろう。なにも気がつかなかった。ただそこに立っているだけで安心していた。木には安定感がある。それでも、いつかは横になる。生きているということの証なのだろう。生死をながめてよい朝の風景だった。(2007/09/25(火)記す)
写真としてはとても殺風景なものです。が、実はこれは京都の平安神宮の夕方、これから薪能が始まる前なのです。会場は人で一杯です、一杯になってもまだ入口には長い列がありました。いつの年の薪能だったかは思い出せませんが、それにしてもこんな提灯二つと大屋根だけで薪能の賑わいや幽玄を表せるはずがない。じゃ、何故掲載したのか?
もう初秋というのに、これは春の花のはず。今年の三月に写真に収めてそのままにしてあった。背景は嵯峨野というよりも、京都市全体になっている。これは某・嵯峨野篇の主要な舞台になるので、場所は明かさないが、お気に入りの庭園と屋敷だ。ここをみんなが走り回る。うふふ。だから日曜作家は楽しい。
以前と同じように、ブライトンホテルの
デザートが出たときに眼を丸くした。三段重ねのデザートが町では普通なのか~と、驚いたわけだ。木幡村と葛野村しか知らない日々だから、いまどきの町の動きが分からなくて、三段重ねのデザートなんて、初めてだった。
この6月下旬か7月上旬だったと思うが、新幹線を一年ぶりにつかった。朝、京都駅の構内を歩いていると、透明な施設に気付いた。よく見るとエレベータだった。硝子なのかアクリルなのかよく確かめなかったが、いつのまにできたのだろう。新幹線はめったに使わない。じゃあ、飛行機かというと、そうではない。要するに旅行する習慣がまったくないということだ。だから、著名な京都駅でも内部に入るのはごく稀な機会しかない。
昨年(2006)8月の末に