カテゴリー「私の京都」の32件の記事

2011年5月14日 (土)

六角堂:京都のへそ:私の京都

承前:銀閣寺の初夏雨:私の京都

<六角堂の羅漢さん>
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↑京都・六角堂御幸桜(みゆきさくら)の下におられる十六羅漢さん達

 京都のへそにあたる六角堂は、親鸞聖人の参籠や、時代小説で京都の往時が描かれるとよく顔を出すお寺です。正式名称は、紫雲山・頂法寺で、聖徳太子さまの創建との由来がありますから、6~7世紀の話です。さらに、後述へそ石の由来は平安遷都の桓武天皇さんですから、8世紀です。ともかく古い古い時代のことです。とは言っても、この北側には華道池坊の現代的な関係施設があります。見た目には寺境内(古拙)と池坊(現代)とが一体化していて、違和感はなかったです。

 さて、この羅漢さんの表情が気に入りました。
 御幸桜という、これも伝来が花山院さんの行幸時ですから10~11世紀の、今から千年も昔のことです。この桜が京都の観桜家には評判の華麗さなのです。一度はその満開時に訪れたいと思っているのですが、まだカメラを向けたことはありません。早咲きで3月下旬が見頃と聞きますが、色がピンクから徐々に変化していくようですから、咲き始めから終わりまで長く愉しめそうです。
 十六羅漢さんはこの桜の下の岩場にたたずんでおられます。水と岩と羅漢が重なってこれだけでも興の深いものですが、さらに枝垂れ桜が満開になると、それはすばらしいものと想像できます。

<六角堂へそ石中心考>
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↑京都のへそ石、つまり中心らしいです。由来は桓武天皇時代!

 理屈の上で考えると、桓武さんの平安京時代なら京都の中心は大極殿と羅城門を結んだ朱雀大路の真ん中あたりと思えるのですが、この六角堂は烏丸六角あたりですから、朱雀大路に該当する南北の千本通とは、だいぶ東にずれています。ところが、感覚的には現代の京都市の真ん中、へそといっておかしくはないのです。だから、調べないと分かりませんが、京都市の中心「へそ」という伝承は、比較的新しいものだと想像できます。ちなみに、秀吉の定めた洛中洛外の境界「お土居」で、洛中とは東西が西大路通~鴨川ですから、この「お土居」から見ても、中心ではないでしょう。秀吉時代なら、堀川通が南北の中心線になります。

 ま、よろしい。私は、幼児期からここのへそ石の話は聞いていたので、やはり京都の中心は六角堂だと思っております。現代人が京都を地図で眺めると、大抵は北の京都御苑と、南の京都駅を南北の中心線におもいますから、その烏丸通を目で追うと、真ん中あたりに六角堂があって、めでたく「京都の中心、へそ石」となるわけです(でしょうね?)。

まとめ
 この日の万歩計は、9375歩で、三時間にしては歩いた方です。
 「京阪特急二階」四条京阪<西向>→ジュンク堂書店→大丸六階鉄道模型→<北上>六角堂→<東向き>紀伊國屋書店→三条京阪「京阪特急一階」
 四条京阪をおりてすぐ、四条小橋のおどろおどろしい看板(巨◎専科?)横のラーメン屋で、チャーシュー麺900円、大丸下西のイノダでアイス珈琲500円。
 ジュンク堂では、いろいろ買った。
   村田エフェンディ滞土録/梨木香歩.角川文庫 500円
   京都「地理・地名・地図」の謎/森谷剋久.実業之日本社 800円
   ヤマト古代祭祀の謎/小川光三.学生社、2008年 2520円
 買い忘れて、紀伊國屋で追加。
   追憶のカシュガル/島田荘司.新潮社、2011年 1575円

 合計すると、飲食に1400円、図書に5395円、電車往復に600円。総合計は7395円。男子が一旦外に出ると、万歩の間に7000円消費することになる。図書費を余剰とすると、2000円かかる。いやしかしそのときはきっとNゲージ機関車を6000円くらい買っておるでしょう。生とはなかなか大変ですが、満足度は極めて高い。六角堂の桜の下の地蔵さんがことのほか気に入りました。桜季節に、こんどこそ行ってみましょう。そうそう、近所の魚専科店もなかなか、よろしいようでぇ。

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六角堂_6235 へそ石由来
六角堂_6237 へそ石
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六角堂_6249 あんじ


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参考
 紫雲山頂法寺六角堂:聖徳太子創建、いけばな発祥の地
 居酒屋 あんじ 烏丸六角店
  (注:六角堂とは無関係と思いますが(笑)、近所に魚のおいしそうな看板と店があったのでメモしておきます)

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2010年7月 5日 (月)

銀閣寺の初夏雨:私の京都

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↑銀閣寺(東山慈照寺)

 土曜日のことでした。朝から豪雨でした。午前5時頃には降っていましたから相当な雨量でした。思い立ってカメラを整え、雨中の散歩をすることにしました。9時半ころに京阪電車に乗って、乗り換えて、中書島からは綺麗なダブルデッカーの1階に座りました。終点の出町柳駅まで乗りましたから、約20分の乗車でしょうか、最初から大満足でした。

1.Cafe進々堂:京都大学工学部の北界隈
Muimg_3893 特急ダブルデッカー車の雨中の1階は最良の読書室となります。すっぽり包み込まれたような雰囲気です。土曜日とは言っても豪雨でしたから座席を独り占め出来ました。最初は読書しようと思っていましたが、散歩の行程を考えることにしました。いくつか案が浮かんできました。
 ~
 ともかく出町柳駅から百万遍まで歩いて、昼食どころを確認しておこう。随分長くご無沙汰しているので、店がどうなっているのか、不明瞭だったのです。目的地は銀閣寺でしたから、その帰路に昼食で百万遍に立ち寄るかどうかの判断が必要でした。社会人になってからこの界隈に22年間勤めていましたから、沢山の食堂や喫茶店になじみがありました。しかしそれが今もあるかどうか、味が同じかどうかはわかりません。

 多くの店名が残っておりました。
 しかし、何度か通ったミニ懐石の店は無くなっていました。学士堂とかいう喫茶店は土曜日だからでしょうか、閉まっていました。かぶき寿司は昼は開いていないはずですが、看板を覗きましたら、相変わらずゲソが20円でした。ほんとうでしょうか? まぐろでも80円なのです。少なくとも、当時(20年近く昔)かよっていた頃は、鄙にもまれな上ネタでした。現今回転寿司のトリックとは縁遠い世界でした。

 で、旧第一勧業銀行(この時代がかった古めかしい情報!)裏も覗きましたら、カフェ・ランチの店はありましたが、京大の中に移ったとも書いてありました。そして、おめあての「あやとり」、ここでお造り定食をいただく予定だったのです。はるばる宇治からその店へ立ち寄ろうとする、それだけの吸引力のある定食だったのです。
 しかし、よくみると「土曜日は、夜だけ開けます!」
 おお、ショック! 地べたにへたり込みました。

 気を取り直して、銀閣寺に向かって再び歩き始め、京大工学部北門あたりで、ばったりと「カフェ進々堂」に出くわしました。倉敷のエルグレコ、四条小橋のフランソワ、そしてこのカフェ進々堂、と三題噺があって、私が愛惜する古典的喫茶店だったのです。
 アイスコーヒーを注文しました。長身ショートカットの、そして黒の半ズボン(スパッツ(笑))、黒のひらひら付きチョッキみたいな、と白いブラウス・インテリ風メガネのお嬢さんが、応接してくれました。コスチュームが凝ってますね!
 さて広い店で眠るがごとくアイスコーヒーを飲んで、視界や脳世界を数十年単位でスキャンして、またパッと目を開けると11時前になっておりました。30分間ほどタイムマシンにのっていたようです。

 さすがに出町柳駅から百万遍を経由してうろうろし、バス停・京大農学部前までたどり着いたのですから、歩くのに飽きて今度はバスに乗ろうと思いました。すぐに京都バスが来て、停留場の二つ目に銀閣寺道があって、そこで下車しました。
 すさまじい雨足でした。

銀閣01 京阪出町柳駅のダブルデッカー
銀閣02カフェ進々堂
銀閣03京都大学工学部そばの北門
銀閣04白川通今出川から東の風景

2.雨に烟る銀閣寺(東山慈照寺)
Muimg_3925 銀閣寺は室町幕府第八代将軍・足利義政の別荘として生まれたわけです。祖父の三代将軍足利義満が北山に金閣寺を設けたのと対照的です。金閣寺は北山文化、そして銀閣寺は東山文化として、日本のいろいろな「日本らしさ」の源流となりました。

 以前、ドナルド・キーンの『足利義政』を読んだ時、義政がどれだけ現代日本にまで文化的影響を残したかを理解しました。義政自身は、政治的には無能きわまりない人だったし、奥さんは奥さんで日野富子と言って相当な悪名の人でした。しかし義政は最低最悪の為政者だった代わりに、唯一芸術部門においては、その後の500年間以上、日本文化に影響を与え続けるだけの才能がありました。その結集が現代「銀閣寺」と呼ばれている庭園や国宝建築物の全体です。

 たたきつけるような初夏の雨に打たれて、東山に抱かれた展望台から雨霧にかすむ境内を見下ろした感動はなにものにもまさりました。あえて雨中の宇治・木幡を出発し、東山まで訪ねたかいがありました。銀閣寺の庭はもとより禅風趣味と言ってもよいわけですが、濡れた木々に覆われた庭のそこここに白川砂の白や、建物の屋根や、壁がよいアクセントになっておりました。それは~何風というよりも、原始からある和風の極地に思えたのです。白川砂も遠く上方から眺めると、なにかの意味をもたせた象徴や抽象性よりも、すなおな自然の白に見えて気持ちがなごんだわけです。
 強烈な雨足と翠と白とが、建物という人工物を丁寧にくるんで見せてくれました。

銀閣05参道
銀閣06銀沙灘(ぎんしゃだん)
銀閣07東求堂(とうぐどう:国宝)
銀閣08観音殿(通称銀閣)国宝
銀閣09鳳凰(銀閣の屋根)
銀閣10裏庭(東山)展望所への階段
銀閣11義政公愛用お茶の井
銀閣12お茶の井・庭園跡
銀閣13全景(裏山展望所)から
銀閣14東山展望所からの銀閣(観音殿)
銀閣15錦鏡池をのぞむ銀閣

3.夏のノアノア
Muimg_3958 帰路、ノアノアに寄りました。学生時代、そして百万遍界隈に勤めていた頃、足繁く通った喫茶店なのです。というよりも、パスタ専門店でした。なぜ古民家カフェと記憶しているかというと、倉敷のエルグレコよりも陰影にとみ、四条小橋南のフランソワよりも庭を通して開放感につながり、そしてカフェ進々堂よりも、空間に包み込まれるような珈琲世界だったからです。若い頃はいまよりももっと貧しくて、外食するゆとりはなくて、気に入った喫茶店で珈琲を飲むのが贅沢だったのです。
 20代の私が友たちとそこにいました。

 ただし当時私が通った二階建てのノアノアは、その日雨の土曜日に立ち寄ると、旧館扱いになっていました。プレートがあって「登録有形文化財 文化庁(平成17年11月10日)」と記してあったのです。その横に新館があって、迷わずそこに入りました。写真でわかるように、明るくてすっきりした店内でした。今の私には、数十年も昔の暗い自分よりも、現今の私自身の方がおもしろいので、そこで今を楽しむことにしたのです。

 ボイルドソーセージが4本そえられていました。ビールは細身のピルスナーグラスで少しだけ。
 大満足でした(笑)。
 忘れるところでしたが、店先のテラスにはピッツア窯があって、お兄さんが焼いておりました。なかなかに優雅なお店です。

銀閣16ノアノア (NoaNoa)の前景
銀閣17新館ノアノア
銀閣18新館ノアノアの内部
銀閣19ビールとボイルドソーセージ
銀閣20私の本当のノアノア(旧館)

4.散歩の仕上げ

銀閣21豪雨の中の三条大橋
 ノアノアをでて豪雨の中でタクシーに乗りました。時間はまだ午後始めだったので散歩を続行しても佳かったのですが、すでに全身ずぶ濡れで寒気を感じるくらいでした。
 傘がまったく役に立たず、ついでのことなので「えーい、濡れて帰ろうか」とも思ったのですが、懐にはまだ一万数千円あったので(笑)、ついふらふらとタクシーに乗ってしまったのです。
 贅沢にも1300円かけて三条河原町下がるBALビル前まで乗りました。京阪出町柳駅ですと、ワンメータになるやならずやの距離なのに。
 目当ては書店ジュンク堂でした。
 結局、最近書店に寄っていなかったせいか、まとめて大人買いをしました。なんとなく、現今のMuの興味の行き着くところが透けて見えます。

 a. Jython(ジャイソン)プログラミング/西尾泰和 3000円
 b. 地鉄電車/宮下洋一(NEKO MOOK 1521) 1800円
 c. 鉄道模型シミュレータ:レイアウト設計入門/鷲尾宣明 1900円
 d. おそろし/宮部みゆき 857円
 e. 犬はどこだ/米澤穂信 740円

 レジで全部数えると懐が薄くなってしまって、慌ててジュンク堂を走り出てBALビルの北側を木屋町まで歩いて、角のタナカコーヒーに入り熱い珈琲を飲んで一息つきました。この珈琲店は昼過ぎですと空いていて、店内清潔で、美味しい本当の珈琲が飲めます。ただし、夜間ですと喫煙者の巣窟になりそうで、禁煙者には入りがたい所です(爆)。

 さて仕上げは、三条京阪から京阪電車ダブルデッカーへの乗車ですが(帰路も1階で上席でした)、三条大橋で鴨川を眺めると、濁流でした。本当にものすごい雨の一日を、私はうろうろ歩いて回ったのです。カメラの透明フィルタとレンズの間に雨滴が入ったのか、曇っていました。
 しかし、快哉あげるほどに佳き土曜日でした。なによりも、ノアノアでビールをおっとり独酌したのが、えもいえぬ気楽さ、快適さでしたぁ。徒歩散歩の佳さをかみしめた次第です。

参考
 NoaNoa(ノアノア)
 DRACの末裔による徒然の日々 (Mu注:ノアノアの過去全貌が分かりますね)
 文化遺産オンライン:レストラン・ノアノア(旧橋本関雪邸洋館)


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↑地図:銀閣寺界隈

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2010年6月22日 (火)

法然院の一夕:筑前琵琶/片山旭星(かたやま きょくせい)

Muimg_6161 京都銀閣寺の近く、東山の麓に「法然院」があって、日曜日の夕方にそこで筑前琵琶を愉しんだ。
 筑前琵琶は、琵琶の演奏と語りとが渾然となり、現代の弾き語りと思ってよい。曲は「壇ノ浦悲曲」、「船弁慶」そして「大原御幸」だった。最初の二つが1時間ほどで、間に20分近くの休憩があってお茶とお菓子とが別室で振る舞われた。
 筑前琵琶は平家琵琶(平曲)とは異なるようだが、この夕べに聞いたのは三つとも平家物語を典拠にしたものである。

 奏者・片山さんの声は少し高めで透明な感じだった。余がもっとも愉しんだのは、「船弁慶」だった。夕闇を背にして迫り来るばちさばきが座敷と庭に響き、古典的な平家物語の語りの中で、平知盛の怨霊と弁慶との調伏合戦が活気を帯びて、日本・土着的な厚みがあった。もともと余はネイティブな楽曲が好みなので、軽くトランス状態を味わった。また「船弁慶」を聞きながらも、時々片方の耳は朝鮮土着・パンソリの幻聴におおわれていた。
 
 最初の「壇ノ浦」は、NHK義経を思い出していた。平家物語の名場面だった。壇ノ浦近辺の情景をまざまざと思い浮かべることができた。
 最後の大原御幸は、灌頂の巻といって、平家物語では少し後で追加された巻と、大昔の大学受験勉強で学んだ(笑)。大原の里に住む建礼門院徳子は平清盛の娘で、入水した安徳天皇の母だが、壇ノ浦でむりやり救助されて、余生は大原寂光院で過ごしている。そこに源平争乱の張本人でもあった後白河法皇が訪れて、仏教的大団円を迎えるという、実に日本的な奥深い演劇である。
 夕べの閉じ目の曲として、静謐を招く気持ち佳さがあった。

Muimg_6157 後になったが、会場の法然院は銀閣寺の南数百メートル、哲学の道の東200m、東山連峰に包まれた寺である。自然な苔におおわれた大きな山寺とも言える。(だれも法然院を山寺とは申さぬが、余はそう感じた)
 往路途中、犬を散歩に連れたお女中に道を尋ねると、「ものすごい坂ですよ」と、にやりと笑った。余は白川通りのバス停「浄土寺」から杖を付いて、とろとろ来たので、その若い人は<坂を上がれるかな?>と想像したのだろう。
 →写真は、西に向かった景色のよい大広間から、正面に吉田山を眺めたものである。右手にはうっすらと京都大学キャンパスも見える。

 帰路はタクシーで新京極に寄って、四条よりの昭和初期風「スタンド」で鰯のフライやビールを飲んで梅雨払いをした。その後、老舗の木屋町・大黒屋でおろしそばのかわりにナメコそばを流し込んだ。
 京都の名刹で夕方から苔の映える庭を眺めながら、筑前琵琶を心地よく愉しみ、鹿ヶ谷の陰謀に思い巡らせたのだから、実によい日曜であった。
 京阪特急は空いていた。よきかな、よきかな。

参考サイト
 ・法然院
 ・片山旭星
 ・筑前琵琶 日本橘会
 ・NHK義経の感想「壇ノ浦残照」(MuBlog)
 ・船弁慶(能の演目としての解説)
 ・京都大原・寂光院
 ・主催:えん(伊藤和子)

 
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↑地図:法然院

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2010年5月11日 (火)

小説木幡記:2010/05/09(日)十石舟の行き交う運河

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京都府京都市伏見区村上町の地図

 先週末土曜日もまた京阪電車に乗って伏見港へ遊歩した。川端を歩くのが最近の趣向だ。その川の名は、とは言っても濠川、(新とか東とか)高瀬川、宇治川とか、宇治川派流とか名称が難しいので、まとめて伏見港運河としておく。諸賢は適切に翻訳願いたい。

 寺田屋の前を流れる運河を少し西に行くと三十石船の乗降口があって、さらに数百メートル西行すると直角に運河が曲がっている。そこの橋は上記地図でもわかるように、三叉路になっていて、珍しい。写真はそのあたりの風景を映した物だ。角倉了以(すみのくら・りょうい)の高瀬川顕彰碑もあった。

 角倉了以は嵯峨小学校に通っている頃から耳にしていた。社会で学んだ。墓が嵯峨野の二尊院にある。そして嵐山と縁が深いらしい~。と、京都のことを書き出すと、最近はそこここで角倉さんに出会う。いつか、まとめて調べておこう。今日はこれでおわり。

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2010年5月 4日 (火)

小説木幡記:2010/05/04(火)伏見港の賑わい

Hitobito
↑2010/05/03(月)の伏見港界隈 
→(上)龍馬通り、寺田屋正面、寺田屋側面 →(下)夢百衆、月桂冠大蔵記念館、鳥せい

 昨日は快晴だった。今朝万歩メータを見ると8045歩だった。昼頃に写真の伏見港まででかけ、夜は京都駅までエドルン君を迎えに行ったから、万歩に近づいた。駅では書店とソフト店を小一時間歩いた。
 賑わいの写真だけでなく、三十石舟や、柳や酒蔵の、それぞれ気に入った写真も撮れたが、これまでも多数公開してきたことだし、一時に全部見ても受容できないだろうから、この一枚に止めた。

 大河ドラマ「龍馬伝」の影響もあるのだろう。狭い龍馬通りは、歩けないほどだった。寺田屋は、二階が落ちないかと心配するほど人で鈴なりだった。もちろん、余は空いた日に行けるから、レンズを通してみただけだ。大正ロマン調でお気に入りの夢百衆や、聖地・鳥せいは、まず席空きまで小一時間は待つことになろう。大蔵記念館の利き酒は空になったのじゃなかろうか。

 そうそう、メモ。
 昨日の昼過ぎに京阪の中書島駅で下車して徒歩・北上、龍馬通り~鳥せいを写し、そして大手筋通りでブラック珈琲を飲んで、京阪・伏見桃山駅で乗車した。電車往復で400円、約5000歩・2時間の遊歩だった。それぞれの店や旧跡に、MuBlog内リンク対象はいくつもあるが、参照煩雑なので付けなかった。

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2010年5月 3日 (月)

小説木幡記:2010/05/03(月)5月の遊歩道(京都駅)

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↑京都駅中央改札口付近 2010年5月1日(土)12:41:56

 気分返しと余生を思って、散歩→遊歩を考えている。考えるだけじゃだめなので、部分的に試して見た。今のところ7000歩程度で、経費が数千円、時間が3時間程度がころあいのものだ。写真は先週の土曜日、京都駅の大階段途中にある「英国屋」でワッフルとアイスコーヒーを飲みながら下界を写したものだ。

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2010年4月30日 (金)

小説木幡記:2010/04/30(金)鴨川の川床(ゆか)季節

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↑四条大橋から見た鴨川の北・西岸

 21世紀に入った頃からか、鴨川の納涼床・川床(ゆか)は5月の連休時期あたりから始まった。この写真は2010年4月29の昼のものだが、まだ普請中だった。
 長く京都に住んでいるというか、市内に勤めているが、実際に川床を使ったのは十指に満たない。お店にもよるが、一席一万円程度はかかってしまうので、そんな贅沢はめったにできない(笑)。しかし、その席のいくつかは覚えているのだから、結構気持ちがよかったのだろう。今は亡くなった研究者・先輩や、卒業生達や、大昔の職場の先輩・同僚に連れられて、何度か行った覚えがある。ひとごとみたいに、「みなさんも、一度はお楽しみください。それなりに、風情がありますよ」と、今朝も記しておこう。

 昨日は午前中、木幡研を掃除して、昼は豆と生ハムのパスタをいただいて、昼過ぎに万歩メーターをポケットに入れて町に散歩した。結論は7600歩程度だったので、余の散歩はまだまだ初歩だと思った。逆に、1万歩ともなると、三条大橋から御所を一巡りする必要があるなぁ、というのが今朝の感想だ。

 京の穴場探索でもないので、記録するのも恥ずかしいが、メモは取っておく。
 京阪・祇園四条→(地下西行)→藤井大丸地下→(寺町南下)→電子パーツ屋「RS232C変換コネクタ」・鉄道模型屋「ロコネットケーブル、自動リバース回路(AR1)」→藤井大丸→(四条通り西行)(富小路着)→ジュンク堂「DCCマニュアル無し! 京都大型書店での店頭販売壊滅」「満鉄図書」「電子出版新書」→(富小路北上)→(三条通り)→「喫茶店をいくつか物色するも、どれも満席!」→(新京極の紀伊国屋)→三条京阪駅・特急ダブルデッカーの1階着席→帰路、合計3時間弱。

 こんなところで、8000歩弱。
 寺町通りを北上し、御所(京都御苑)をぐるぐる回って、京阪・丸太町あたりまでいけば、万歩になるかもしれないなぁ。しかし祝祭日は混む。早朝が良かろうか。~また今度。

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2010年3月22日 (月)

春の私の京都:春うらら

直接承前:そろそろの京都桜:2009/04/01(水)四条大橋、四条高瀬川
間接承前:しじょうかわらまち:私の京都;四条・三条・河原町

 私の京都と言ってもごく限られた地域しか歩かないわけですが、それがまた数十年一日のごとくのことですから、記しておきます。
 今日は祝日らしいですが、まことに暑さ寒さも彼岸までといいまして、京都も先般の黄砂に自動車が泥水をかぶったような姿でしたが、そろそろ桜のつぼみもあちこちに、……。もちろん散歩ですから、愛車は木幡においたまま、自慢の(?笑)京阪特急ダブルデッカーの、1階補助椅子に座って無事、祇園四条に着きました。特急は満員御礼の状態でしたが、このダブルデッカー車両の地階のような所の補助椅子は、穴場なんです。
Muimg_6030 11時過ぎに家をでて、南座前のラーメン店で昼食をとりました。920円。昔、「とんとん来」とかいうお気に入りのラーメン店でしたが、何代か店主が替わり、昔日の味はなかったです。背脂抜きといったのに、油まみれでした。だからスープは一口も味わっておりません。などと、最初からしょぼい話になりましたが、二階席から南座が見えたので、写しておきました。
 しかしラーメンが920円とは、ジーンズが1000円のご時世に、なかなか強気な商売です。
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 今日の京都は黄砂も晴れて、それなりに透明でした。この大きな写真は↑、MuBlogをごらんになっている方は見飽きたかもしれませんが、本日四条大橋から三条大橋遠望の図です。いつ見ても気持ちがよくなるので、こうしてつい写真に撮って、MuBlogに掲載してしまいます。変わったところでは、四条大橋西詰め北の交番が、現在修理中で中はもぬけの殻でした。お巡りさん達は別の所へ移っているようでした。(しかしこれは諸行無常の変化に当たらない)

Muimg_6033 おやおや話が急にすっとんで寺町通りのガンショップというか軍装店に移りましたが、実はここに至るまでにスローな歩きとスローなテンポで、さまざま店舗を回ってきたのです。
 まず第一に、四条大橋を渡って小橋でフランソワに入ろうとしたのですが、「まてまて、今日は混んでいるだろうな」と推理して、そこは見送りました。次に、阪急や高島屋あたりの地上は人でごった返していましたので、迷わずフランソワの通りから地下に潜り、そこから藤井大丸まで潜行したわけです。案の定、大阪とは違って京都の地下は店舗がないせいか、がら空きで、快調に歩けました。

 藤井大丸の地下を眺めながら、地上に現れて、それから南に下りました。まず電子パーツ屋さんがあって、ここでRS232Cの変換アダプターを探しました。あるにはあったのですが、♂♀の違いを確認していなかったので、あきらめました。一個1200円程度で、それぞれFとMとが売られていたので、裕福なら二つとも買うわけですが、この頃はなにかと~。始末しております(当たり前!と、空耳) 普通の人なら片方を買うかもしれませんが、なにかしらこだわりがあって、どちらかを確定的に買うか、両方買うかしかできない質なのです。だから、上下本の小説の上だけを借りたり買う人は、私には宇宙人に見えまする。

 さてそれからドスパラというPCパーツ屋に寄って、件の憤怒の地上ディジタルチューナを物色し、ままよ清水の舞台から飛び降りる覚悟で、IO-data社のGV-MVP/VSとかいう内蔵、PCIエクスプレス対応(わからんでよろし、呪文みたいなもの)、「地上、BS、110CS」三波対応とかいう物々しいのをついに、やっぱり入手しました。13000円前後して青くなりましたが、しかし「地上ディジタル日曜評論家」としては、入手せざるを得ません!

 どっこい、それで終われば世話無いのですが、それからまた南へ数分あるいて、今度は鉄道模型専門店の4Fまで一直線に登り、そこでDCC製品という、いささか特殊なパーツを物色しました。要するにアナログに動かす鉄道模型をディジタル対応にして、PCとの相性をよくする仕掛け品なのです。しかしなんですなぁ、ほとんど諸外国に頼る技術製品はなかなか日本で普及しないようで、広い店舗のわずかに40センチX1メートルほどの棚に、他のパーツに混じって数品目が並んでいるだけでした。がっくりしました。それでも、DZ125PSという、列車によってはそのまま差し込むだけで用をたすタイプの普及品を入手しました。3675円、おお高価。一円玉ほどの大きさに5センチほどの線が8本ついているだけで、この価格。しかし自分ではまだ造ることができないので、あきらめて買ったわけです。

 さて用品はすべて手にしたので、このまま混んだフランソワによって一息ついて帰ろうかと思ったのですが、気持ちが高揚して、そのまま寺町通りを北に向かって散歩しました。それがさっきのガンショップだったわけです。何年も昔にここを撮ったのですが、相変わらずお店も達者で、重畳至極、世にマニアの種は尽きまじ、という感しきりでした。
Muimg_6035 そこから途中で右折し、新京極を抜けて河原町に出ました。目指したのは、実はジュンク堂だったのです。以前書店で探した図書がなくて、今日ふと思い出したわけです。それが、眼前に「寺田屋」という提灯があったので、びっくりしました。求める図書は社会科学の本なのに、突然龍馬が目に入ると、なぜ愕然としたのかは、実は謎。人の脳は不思議な動きをするものです。それにしても、年末は「池田屋」騒動、今春は「寺田屋」騒動と、符丁が合いすぎて、おもわず自笑しきり。(注:本当の寺田屋

Muimg_6042_2 ジュンク堂では目指す図書も無事発見できて、いそいそと店をおりました。そこから京阪三条駅まで帰るつもりでしたが、途中で「エスプレッソ珈琲の吉田屋」に寄りました。ここ数日来、このお店へのアクセスがものすごく増えているので、気になっていたのを、このとき思い出したのです。世間にはいろいろおられますなぁ。私が昔から気に入っているだけで、他の人も同じように気に入られると、なんだか不思議な気分になってきます。お店はいつになく繁盛していましたが、私が年に1回程度座る固定席はちゃんと空いておりました。店の人は若いひとでした。そして客の半分も若いひとでした。これまでは壮年の方ばかり見ていたので、もしかしたらこのお店はいつのまにか、ちょっとすかした若者の店に変わったのかもしれません。ただし雰囲気その他、すべて従来通り、お味もお値段も変化がなくて、安心しました。

付録写真
 付録に写真を数枚載せておきます。3月下旬の京都の風景です。
 左端は、河原町通りのBAL(ジュンク堂のあるビル)から西にむけて、赤尾照文堂という古書店を写したつもりですが、意外にも1階は土産物店のようになっておりました。この古書店は20代のころに日参した店で、そのころ入手が絶望的だった保田與重郎という文芸評論家の著作で、極上品のものが次々と用意された店なのです。悪友が言うには「店主が、お前の熱心さに、ほくそ笑んでいただろう」と悪口を言いましたが、そこで一年間くらいかけて戦前の20冊前後の絶版図書をそろえたのですから、私には忘れられない古書店です。なんとなく看板はありますから、店舗が2階に移ったのだろうと、希望的観測に止めておきます。諸行無常の写真となりました。

 次の写真は、三条高瀬川から南の方向です。桜がほんの少し咲いています。あと一週間ほどすれば、写真らしくなるでしょう(笑)。その次の二枚は、吉田屋を出て鴨川を望み、しばらく座り込んで水の流れを眺めておりました。春うらら、という雰囲気でした。鴨川の水は透明でした。三条大橋にも人がたくさん歩いていました。ちらちらする桜枝も四月になれば、桜花で一杯になることでしょう。
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 そのまま三条大橋を渡って京阪からダブルデッカーの上階に座って帰ったのですが、丁度4時ころに木幡研にもどったので、今日のスローな散歩は4時間強かけたことになります。日頃だと(と、言っても年一)2時間程度で済ませる行程を、えらいしんねりと味わったものです。気分は上々でした。
 もちろん、地上ディジタルやDCCのセットは四月以降にするつもりです。そんな、息せき切って慌てふためいて愉しみを浪費する年齢ではございません。眼前にキャプチャーボード(ないし、いろいろ)を置いて、数週間ためつすがめつ眺めおるというのも、このごろの生き甲斐です。

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2009年4月 1日 (水)

そろそろの京都桜:2009/04/01(水)四条大橋、四条高瀬川

承前:嵯峨野の桜、まだまだ:2009/03/25(水)嵐山、広沢池、佐野邸桜
承前:小説葛野記:2009/03/30(月)京都の桜だより:もう一息(笑)

 今日は、早朝は晴れていました。それで京阪電車・祇園四条駅で降りて写真を撮りました。桜写真で高瀬川の桜を残しておきたかったのです。ほんのりと(笑)咲いておりました。午前中は温かだったので、「春が来た」と思いました。葛野の昼は小雨でしたが、夕方にはまた晴れました。まるで○○○心のようなものです~。春が定まるまでには寒暖も晴雨も風もころころ変わる毎日が続くことでしょう。

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高瀬川(四条小橋北側)

 鴨川からほんの少し西に高瀬川が流れています。小学校時代に習いましたが、江戸時代に角倉了以(すみのくらりょうい)というお金持ちの商人が伏見と京都を結ぶ運河として掘った川です。なるほど底が平たいです。

高瀬川の桜と旧ミューズ

高瀬川の桜

フランソワのステンドグラス

 高瀬川と言えば森鴎外先生の「高瀬舟」がありました。もっと北の御池あたりには船の野外展示もあった記憶があります。そんなことを考えながら、鴨川をみたり祇園八坂神社を遠望している間に珈琲がのみたくなって、高瀬川添いに少し南へ足をのばし、「フランソワ」に入りました。珈琲には泡だったミルクをいれてもらって、苦み走った朝の珈琲にたとえようもなく「贅沢」(550円)を味わいました。席の横にはステンドグラスがあったので、何気なく撮しておきました。夜のフランソワもよいですが、午前の珈琲は私に疲れがない分、深く味わえました。

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鴨川(四条大橋から北を撮る)

 ↑話が前後しましたが、京阪の祇園四条を降りて四条大橋に立って、北を眺めました。さすがにズームレンズ(50~250ミリ)の威力がありますね。三条大橋が身近に見えました。うっすらと北山の稜線も確認できます。そして鴨川は清流と言って良いほど透明感に満ちておりました。ただ東岸の桜はまだまだですねぇ。川や池の側はどうしても気化熱で温度が低いからでしょうか、なにかしら咲き誇るまでには一息必要のようです。↑

 ↓京阪の地下駅から地上に立った途端に出雲の阿国姉さんが待っております。横顔のアップをいただきました。ついでに東に向いて近々訪れる予定の祇園八坂神社を遠望しました。そしておもむろに、桜が駄目なら「柳はどうだ」のつもりで鴨川東岸・柳をファインダーに収めました。桜と柳をこき混ぜての風情は、週末から見頃になることでしょう。↓

出雲の阿国(おくに)の横顔
祇園八坂神社遠望
鴨川東岸の柳
鴨川東岸の柳と桜

東華菜館の塔
朝の先斗町(ぽんとちょう)
木屋町通り(四条小橋から北)
2009/03/30日の桜

 ↑丁度四条大橋(鴨川)と四条小橋(高瀬川)の中程からファインダーを覗いておりました。東華菜館は以前も「私の京都」で撮りました。朝の先斗町の味わいはまたオツなものですね。旧友の話では、盛り場の朝の道ばたには100円とか500円が落ちているようです。前夜に酔っぱらった人が多いのでしょう。隣の木屋町通りは高瀬川に沿っています。
 最後の桜は実は記事のサクラのつもりで先頭に出す予定でしたが、止めておきました。2009/03/30日の川端五条付近の桜です。

 さて、葛野に向かうため阪急電車に乗って沿線の朝の桜を見ましたが、ぼちぼちでした。しかし夕方に帰る頃にはそこそこまで開花しておりました。西京極あたりの阪急沿線の桜はなかなかのものなのです。
 明日こそ、そろそろ自慢の天神川桜ですねぇ(爆)。

追伸
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高瀬川の夜桜

高瀬川の夜桜
 夕方になって葛野研の仕事も終わり、ぽてぽてと阪急電車に乗って終点の河原町で降りました。そしてホームを東行し奥の右手階段から上がったところが四条小橋。朝に寄ったフランソワの近所です。さすがに朝に夕に喫茶店通いをするほどの酔狂でもなく、通り過ぎようとしました。と、そこで夜桜に出会いました。ライトアップしていましたから、それなりに毎年人気の桜なのでしょう。題して高瀬川夜桜。

 私は夜は滅多に出歩かないのでシャッターを一杯押しました。しかし重いズームレンズと三脚なしなので、殆どがぶれておりました。まだまだ写真の道は険しいです。青年期は2~3呼吸ほど息をとめて三脚なしでシャッターが閉まるのを待てたわけですが、近頃はそうはまいりません。この写真もASA800相当になっていたのをファインダーの視野の下部に確認しておりました。

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2009年2月16日 (月)

私の京都:伏見港の三栖閘門(みす・こうもん)

承前:私の京都:蛇塚古墳:魔界巡礼秦氏の謎

 京都伏見の伏見港界隈は、MuBlogでは常連の記事となっている。これからもしばしばお目に触れるだろう。鳥せい、黄桜、月の蔵人、伏見夢百衆、薮そば、寺田屋、……。少し離れて大中ラーメン、最近では牛タン塩焼の和こう、と枚挙にいとまない。御香宮、長建寺、桜に、柳。辞世にはきっと「伏見港(注:ふしみみなと、と訓んでおく。字余り)のことも、夢のまた夢」となりそうな勢いである。
 さて過日カメラを手に、京阪中書島から徒歩10分にある伏見港公園に立ち寄った。目的の三栖閘門はこの駐車場の裏から徒歩5分にあって、分かりやすい。自動車などで直接三栖閘門施設に入ろうとすると、交通量の多い外環状線高架上からなので、危ない(と、用心深い)。

三栖の閘門
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K1:三栖の閘門と閘室
K2:資料室と閘門
 ←左小写真は、宇治川沿いの塔で、ここを上がれば宇治川や京都市南部が一望のもとに見えると書いてあったが、先客達が狭い螺旋階段をうろうろしていたので登るのを止めた。
 ←右小写真は、北部の濠川(ごうかわ)側の塔と、三栖資料館が写っている。

 三栖はミス神社のある地名だが、これはこれで謎が多いので割愛。閘門(こうもん)が何かというと、↓以下の模型を現地で見学すれば機能がすぐにわかる。つまり高低差のある水面間を船が往来するための、水面利用エレベータと考えれば分かりやすい。

閘門の模型と資料館
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K0:三栖閘門(みすこうもん)現地解説板
 資料館で一番目立つのが閘門の模型を使って、実際に船が行き来する様子が分かることだった。この閘門は、1929年(昭和4)3月31日に完成と記してあったので、まだというかもう80年近くも経っている。大きな写真でわかるように、丁寧に整備されているので古びた感じはなかった。しかし、陸上輸送が盛んな現代では、実際には使われていないとのことだった。この間の事情は、「三栖閘門の歩み」に詳しい。

 さてここで古地図を見ると、宇治川の南部は広大な巨椋池(おぐらいけ)があって、この閘門が出来る頃、すなわち昭和初期までは淡水湖があった。この巨椋池と江戸時代の伏見港を舞台にした奇想天外な小説があり、私が閘門を訪ねたのはその小説に惹かれての事だった、と言っても過言ではない。
 エンジンもモータもない時代に、水面を上下させる閘門をどうやって作動させたのかは、小説を見てのお楽しみ。作家の幻想というか妄想はすさまじい(笑)。辻原登さんの『花はさくら木』というごくおとなしいタイトルだが、内容の豊さには一読感動する。

伏見港公園
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K3:伏見港の時計
K4:伏見港と伏見の町
K5:伏見港の今と昔
 橋の上から伏見港公園を写してみた。現在は、長建寺のあたりからこの伏見港公園を通って閘門まで、暖かい季節には観光十石舟が行き来している。この伏見港がいつの時代を再現したのかは分からないが、←小写真には川のそばに寺田屋も名前があったので、江戸時代のことなんだろう。
 公園はひろびろとして清潔なので、春には葛野図書倶楽部2001の面々を引き連れて、研修ピクニックにつれてきてもよいなぁ~と、ひとときの幻視にひたった。なによりも江戸と昭和初期を勉強できて、その上皆々負担が小さい(笑)。

参考
 花はさくら木/辻原登(MuBlog) 
  三栖閘門資料館
  三栖閘門

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