カテゴリー「Luna企画」の5件の記事

2008年7月 9日 (水)

小説木幡記:2008/07/09(水)幻の古代王朝、どうした?

 後の思いに、景気づけに、「過去の栄光」をメモしておく。

 数日前に、突然au携帯にCメルが入った。なんだかわけのわからない独特の着メルなのですぐわかる。
 ?
 エドルン君からだった。

 「父ちゃん、ていへんだぁ~。幻の古代王朝・吉野編、ヤフオクで入札件数74件、49550円で落札されていたよ。すごすぎる~」
 で、実は夕方の葛野で、大体夕方にいろいろな仕事というか「まとめ」が入るので、エドルン便りを見ても、なんのことか分からなかった。ともかく返礼とおもい、「びっくり!」と返しておいた。今みると7月7日七夕の夕方だった。

 けさ、思い返してCメルを読み直し、そしてヤフオクを捜してみた。{幻の古代王朝、吉野編}と。すると記事があった。入札開始が3月27日で、終了が4月2日になっていた。

http://page11.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/n58367429

現在の価格: 49,550 円
残り時間: 終了 (詳細な残り時間)
落札者: ny1***** (330)
数量: 1
入札件数: 74 (入札履歴)
開始価格: 500 円
入札単位: 500 円
出品地域: 山口県
開始日時: 3月 27日 14時 8分
終了日時: 4月 2日 3時 13分 Yahoo!カレンダーに終了日時を登録
オークションID: n58367429

 記事の写真をみるとたしかにルナ企画・SONY御製のものじゃった(笑)。ニセモノじゃない。それは余が保証する。うあははあ。

 実は、余はヤフオクをうっすらと、知識では知っていたが、使ったことがない。だから、どういうものなのかは判定できない。しかし、物知りのエドルン君が「すごすぎる~」と言うのじゃから、稀な現象のようだ。
 30年も昔、当時のソフト代金は、たしか4000円弱だったから、正価の10倍で取引されたことになる。オークションとはそういうものなのか、と今朝、あらためて感心した。
 しかし開始価格が500円とは、ふむふむ。それから数えると100倍になる。
 やはり、すごすぎる~と、おもってよいのじゃろうか。
 わからない。

まとめ
 こんな記事をみると、ついつい強迫観念におそわれる。収入のない日曜作家なんかやめて、オールドファッションRPG作家として、「出る!」べきかぁ~。と、妄想に駆られることも、ないでもない。まずしい木幡研やエドルン研究所分室、はたまた葛野図書倶楽部2001に、「どうじゃ、今月の運転資金、1千万円。これでやっていけるか?」と、皆に言うてみたい脳。

 そろそろしがらみを全部断ち切って、新世界RPGに再突入すべきなのか。迷う、迷う。
 ただしかし、「なんとかの冷や水」、という思いも同時にするでのう。

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2008年6月18日 (水)

小説木幡記:2008/06/18(水)プログラミング考

 畏友のふうてんさんが「2008・6・15 梅雨の晴れ間に篇」を書いたので余もコメントをいれた。

 するとほどなくしてMuBlogの記事には、余のプログラミング考をあまり見かけないが、余は以前どのようなプログラミング設計手法を用いていたのかという、ご下問がござった。
 というのも、30年も昔になろうか、余は某社新鋭の、FM-TOWNS開発課長「ふうてん」さんの指導のもと、一介のLuna企画開発部長として、なにやかやとゲームやらデータベースシステムを、名機FM-TOWNSのCPU上で作っておった。そんな縁がある。

 しかしこの件は、たしかFM-Gearsとかいう、いまでいう、強力なプログラミング機能を備えたプレゼンテーション・アプリケーションに入れ込んでしまって、いっかなふうてんさんの所望の作品ができなかったという、苦い記憶がある。ここで伏線を明かすなら、余がやれ恭仁宮の、紫香楽宮の、そして近いうちに「大仏の」「平城京の」とMuBlogに記すのは、ひとえにこの苦い記憶、負い目を解き放ちたいという、一種の、青年晩期への挽歌じゃなぁ。と言っても、その内実は誰にも分からぬ。うはは。

 さて。
 たびたびこれはしるしたが、Pascal系のTrubo-PASCALが余の最強の得物だったが、皮肉にも、いわゆる糊口をしのいだのは、BASICであり、スッピンのCであった。いや、記憶が蘇った。他の研究会で最強・主力兵器にしたのはModula-2じゃった。この言語による作品は学術的なものだったので、一般の目には触れていない。

 それで、プログラミング設計手法。
 昔の事例で申すなら、手続き型言語では、関数(function)と手続き(procedure)という二種類の部品化手法でモジュール(ひとまとまりの仕事)を作って、それを組み合わせることで、一式意味のある作用をするプログラムができた。現代は大規模工場生産が主流だから、そのあたりの筋目が見えず、複層する絡みの沼に足を突っ込んでしまう。ことの起こりはオブジェクトオリエンテッドという考えがあったようだが、今のことはもう分からぬ。ただしかし、Modula-2というのは、その原型だったのは間違いない。ヴィルト先生が開発した言語でした。

 ……(遠い目になるな)
 それで、現代のことは放念して、そのころの設計手法じゃが。
 ……(胸がつまるな)

 これがおどろくなかれ、まるっきり日曜作家と同じで、設計図らしきものがなきに等しい。
 ただ、今にしておもえば、高校の数学を思い出して作っておった。ものごとが複雑になってくると、それをひとまとめにして、ラージXというか、別名で置換して使う手法だな。

 Pascal系は、すべての手続きや関数を最初の main 部分で披瀝する手法だ。だから、置換しつくすと、最後の主プログラムは、以下のように単純極まるものになってしまう。

主プログラム
  begin
   あれせい;
   これせい;
   ついでにこれもやれ;
   もういいか?;
  end.

 注意したのは、極細部と大局とのバランスじゃった。これも日曜作家と変わらぬ。ともかく、なにがしたいかは大体イメージにあった。たとえば、ゲームなら、地図上をあっちらこっちら歩き回って、事件に出くわして、情報をえて、ゲームしている人は自分がなにをすべきなのかが、だんだん分かってくる。そう、RPG。ロールプルレイングゲームのはしりだな。これが大局観。

 そして、地図上の人間もどきが事件に遭遇したのをどうやって判定するのか、などなど細部を事細かに考えること。これがプログラミング技術とか、当時なら開発マシン毎にだいぶ異なってくる。
 大局を考えながら、細部を造り込む。技術的にデッドロックにぶちあたると開発が停まる、幾何学や代数学の問題を解くように、時間がかかる。ひらめく。まったく別の手法が。熱中し、完成する。
 すると。
 大局を忘れてしまって、大局がその細部によって変成してくる。……。

 余の日曜作家はまさにこうであった。
 ということは、プログラミング手法も、おなじく行き当たりばったり。どんなものが出来るかは、まるっきり分からないことも多い。現代の大勢が関わる工場開発手法では許されないことやね。

 ただし、プログラミングにおいては最低のルール、つまり後日の他人である自分自身が数ヶ月後、数年後にも自分で分かるような「流れ」アルゴリズムを使わないと駄目だ、ということは20代末に分かっておった。それは、やはり苦い経験の上でのことじゃろう(昔のことを類推)。

 基本は、repeatという命令に代表される、一連の作業全体の繰り返し(ループ)。
 その中でさまざまなスイッチング(切り替え、具体的には処理系による)で分岐させる。
 それに尽きた。
 さらに、クセとしては、「再帰」リカーシブというのかな? それを多用した。
 それは効率が悪くて、スピードも落ちるが、清明さでは優れていた。
 ともかくそこら中、再帰手法だから、あとで余には、よく分かる!

過去のプログラミング手法のまとめ
  なにが出来るかはわからない。だから、担当さんが「ふうてん」さんみたいな人でないと、潰れる。
  しかし、イメージはしっかりある。雰囲気だな。
  「こうなる」と、余の脳には明瞭にあった。ただし、それが毎日変化するということ。

  行き当たりばったりだが、最低限のルールを持っていた。
  ああして、こうして、こうなって。
  これは逆転できない。こうなって、こうして、ああして、とはならない。地道な積み上げ。
  そして、次々と置換して、名を与えメモリの海にモジュールを浮かしていき、
  さらにモジュール間で連絡船を造ったり、橋を渡したり、トンネルを造ったりして、
  各モジュールを繋いでいった。
  つまり、基本的なアルゴリズムは、多重ループ内でのスイッチング手法。
  さらに再帰手法。

  というわけで、細部にとらわれながらも大局を思い出し、
  一度動いたアルゴリズムも大抵は再帰手法にかえることで、構造を分明たらしめた。
  つまり、変換することで、善し悪し、無駄がよくわかってくる脳。

 そんな方法で、昔男ありき、なにやらシステム開発のはしりに、身を寄せておりましたなぁ。

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2008年4月 8日 (火)

東寺の桜:20080404:東寺桜あるいは『京都ミステリーツアー/ルナ企画』

承前:東寺←(桜ではありません)

桜{木幡、伏見港}2008と東寺南大門

木幡桜2008X2-40:満開
伏見港2008X2-43:酒蔵+桜+柳
東寺2008X2-80:東寺の南大門

 先週の末でしたか、すでに歩行がしんどくなっておりました。仕方ないので、RSを巨大なサイボーグ足と見なして葛野へ行ったのです。途中、車窓に現れる桜を、停車して、車窓から写しました。
 左が木幡の桜・車窓から、中が伏見港の柳と桜・車窓から、右が東寺南大門、九条通りの南から道を挟んで車窓から写しました。
 2008年4月4日の朝桜たちでした。
 しかし東寺にまで来たとき、九条大宮の角からは塀の中に桜が見えたのですが、南大門からは全く見えなかったのです。

東寺宝蔵前の桜と柳

東寺桜2008X2-56:東寺桜満開
東寺桜2008X2-59:東寺桜と柳
東寺桜2008X2-63:宝蔵前の桜と柳

 なにか心ときめくものがあり、朝方で時間もあったので駐車場に入りました。広い駐車場が東寺の北にあって、600円前払いでしたが、駐車場に入った途端に桜が一杯ひろがり、満足でした。
 拝観料窓口の直近に車を停めて、窓を全部あけて車内から写しました。一カ所だけ杖突ながら柵に近付き、柵の間にカメラをいれて内部を写しました。
 それ以上には杖突が無理だったので、拝観することはやめました。だから、この桜は外からの無料拝観物です。

 東寺の柳も生き生きとしておりました。
 後日エレベータの中で先輩教授にお会いしたとき、柳が夏の植物になったのは、西行さんからとうかがいました。もともとは春の柳だったそうです。ところがお話を伺いながら、鎮痛剤で麻痺した頭は旧暦と新暦とがごっちゃになり、わけがわからないまま戸がひらいたので、「ありがとう御座います」と頭を下げて外にでました。

さすがわ、東寺の桜は背が高いです

東寺桜2008X2-66:五重塔と塔桜(仮名)
東寺桜2008X2-60:桜+甍

 いつも眺める佐野藤右衛門さん宅の桜も長身なのですが、東寺の桜はおどろくほど空に高く伸びています。柴本幸(由布姫)さん以上にあるなぁ、とファインダーを覗きながら独り言をつぶやいておりました。一瞬、「東寺の塔桜」と頭に浮かんだのです。こちらの五重塔も奈良の興福寺並に長身で有名ですからね。
 と、話が逆でした。今、事典で見てみると55m級で、日本一! でした。高いはずです。見かけ上、その五重塔に匹敵する長身の桜でありました(嘘ですよ)。

附録
 東寺の五重塔は毎週車窓から眺めているのですが、見るたびに心がぞわぞわするのです。今朝、この記事を書きながら、思い浮かぶことがあったので、ネットで探してみました。
 インターネットは怖いものですね(笑)。謎が解けました。私は、30年も昔にも、五重塔が好きだったのです。

 「京都ミステリツアー

 ついでに這い蹲って木幡研の机下を捜してみたら、ありました、私にとって「一級のレア」ものが出てきたのです。解説や回顧録はよしにします。ただただ、往時を偲ぶばかりです。

Kyomisuluna

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2006年10月27日 (金)

ゲーム・プログラミング考

承前MuBlog:幻の古代王朝・京都篇/Luna
承前MuBlog:純粋物語作法

 パソコン黎明期から、コンピュータの中に物語世界を造形することが夢だった。つまり、物語世界の模型を、プログラム(アルゴリズム)として定着させることだった。
 これは、動く細密模型をシステムの中に仮想的につくりたかったとも言える。
 そこには、疑似人間も住まわせたい。
 それぞれが世界観を持った人間、1..n人。

 登場人物や、物語世界の要素を、対象物(オブジェクト)として自律させることになる。
 私が造った物語世界に、私が造った登場人物が、私の条件設定した世界観の中で、自由に動き回る。
 「私の物語世界観となると、それは対象個々の自由がなくなるではないか?」
 そうじゃない。
 私の設定した、初期設定の物語世界観という制約を突き抜けて自律的に動く世界を創りたい。

 すでにあるゲーム世界を楽しむという気持はなくて、世界を創りたいという意識が先行する。
 要素はDNAにあると考えてきた。アメーバーほどのゲノムを解読する立場よりも、設計し施行してみたい。
 そんな風に考えると、MuBlogを書いている場合じゃないと、焦りも味わう。
 ただ。
 私の趣味としては、それが一番かと、今朝思った。

 実際に使う道具は、……。いろいろあるだろう。筆をえらばない。

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2006年5月30日 (火)

幻の古代王朝・京都篇/Luna

はじめに
 最近いろんな機縁があって、ついつい何十年かぶりにSONYのSMC-70マシンに、ゲームのフロッピーディスクを入れてオンした。
 動いた!
 この大学に着任して、初めてまともにゲーム・システムを稼働させたことになろうか。
 この15年間で、電源を入れたのは数度あるが、いつもそれで止めた。何故か分からない。動かないかもしれないのが、怖かったのだろう。

幻の古代王朝・京都篇

幻の古代王朝・京都篇 パッケージ
 今日試したのは、1983年に発売された『幻の古代王朝』京都篇である。アドヴェンチャー・ゲームに分類されているが、私はRPGと思っている。ただ、当時のRPGとは異なっていたのも事実である。
 私は、当時1982年、たった一年間で4つのゲームをSONYに納めた。京都篇、吉野篇、飛鳥篇、それに「法隆寺の謎」だった。それで、自宅を売らず、一家離散を防げた。まことに、芸は身を助ける(劇笑)。

 法隆寺の謎は、Cで記述し、前三者はすべてSONY-BASICだった。
 実に、不思議なほど短期間で開発できたのは、SONY-BASICが他に類を見ない開発言語として設定されていたことによる。~が、この話は後日に、別記事で。

 当時の担当課長は、品川という方だった。補佐に桜井という若い人もいた。今にして思えば、マシンの提供、開発援助、全てに於いて深い感謝の念をここに記しておきたい。
 私も、当時のSONYの品川課長も、……。暗中模索だった。そしてご存じFM-TOWNS開発者のふうてん爺さんも、まことに「パソコン黎明期」に生きていたんだ。

 それでは、当時のルナ企画(Luna)開発主任・ゲームプログラマー、浅茅原竹毘古として、パソコン黎明期の記録を残す事にする。
 今回は、その(1)京都篇の解説です。

京都篇タイトル

幻の古代王朝・京都篇タイトル
 パッケージの内容紹介をみてみると、「古代より日本に伝わる三種の神器には大きな謎が秘められていた。今に伝わる「鏡、剣、勾玉」は室町時代に作られた複製である。本物は南北朝時代の争乱の折、ひそかに京都、吉野、飛鳥のある場所にはこばれ、現在も秘蔵されている。この謎をとけるのは誰か~」
「豊富なグラフィックで描き出す京都の全て。チャレンジャーの条件に応じて変わる難易度。三部作の大河異色アドベンチャーゲーム第一弾、京都篇」
 なんというか、あははは。人間は、あんまり変わらないところがあるようだな。今から、25年前の私が、そこにいた。

地図表示

京都篇:論理(ロジカル)地図表示
 さっき少し遊んでみた。あるボタンを押すとLuna-Main-Computerのヒミコに接続し、そこでまとめてサービスを受けられるようになっていた(笑:もう、忘れている)。データベース検索(歴史事典)、状態確認、そしてこの地図表示である。この地図は論理地図だから、どこに御所があり、どこに魔物がいるかまで分かるようになっている。ただし、これらのサービスを何度も受けると、法外な使用料をとられて、あっけなくゲームオーバーになる。

状態表示画面

京都篇:条件(コンディション)表示画面
 たしかに、RPGと考えるとコンディションは少ない。しかし、開発者は、そういう小手先の操作よりも、歴史の流れを利用者が把握することを願ったふしがある。
 もともと、当時のBASICで現今のイベント・ドリブン方式を埋め込んだのだから、オプションを増やすことは可能だった。だが、思い返してみると、一言「納期、時間切れでしんどかった」のだろう、な。当時のSONYは気前よく50%前金だったので、納期は厳守だった。

SMC-70(SONY)

SMC-70(SONY)
 名機だった。一、二年後の富士通FM-TOWNSが名機だったことと二極化していた。SONYはこの時代、実に地味で堅固なCP/Mマシンを出したわけである。当然売れなかった(笑)。しかし、このSMC-70の詳細は後日、別途記事を書く。

トリニトロン・カラーモニター

KX-13HG1: SONY TRINITRON COLOR MONITOR
 モニターが記念碑だった。私は銀座のSONYビルでこのモニターの色、輝度を見て、SONYに手紙を出した。「貴社マシンで、ゲームを作らせてください」と。マシン一式が届いた時、私は狂喜乱舞した。なにしろ、3.5インチFDを付けたSMC70一式は現在の自動車程度の価格がしたのだ。

追想
 未知のSONY本社パソコン部門に、原稿用紙で10枚ほどの熱烈なオファーをした記憶がある。
 当時、RPGにしてもアドベンチャーにしても、いずれも美姫と騎士が多く、なんとなくバタくさいのしかなかったから、純和風を作りたかった、のだろう。
 銀座のSONYビルでみたSMC-70は、まるで宝石に見えた。そしてOSが、当時の日本のパソコンでは絶無に近いCP/Mだった。その上で走るBASICは雑誌で見かけて、これこそ「私が使いこなしたい新しい言語」とおもった。なにしろ、LISPもおどろく定義文埋め込みが可能だったのだ。それを使って再帰的にいくつかのルーチンを使って、ゲームを早々と完成させた、~。

付録1
 以下にパッケージに付された解説書を掲載する。内容は今になって読んでみると、SONYの関係者が随分工夫して書いていたことに気がついた。私は一作目パッケージを受け取ったときは、二作目(吉野篇)の開発に懸命だったので、この20数年間、まともに内容を読んでいなかった。

京都篇解説書0:遊び方→モノクロの金閣寺絵はゲーム中にカラーで表示される。

京都篇解説書0

京都篇・解説書1:あらすじ。ゲームのはじまり、はじまり。
京都篇・解説書1

京都篇・解説書2:なんと「身上調書」をとられてしまうのだ。旅を無事に終えるための親切なアドバイス。
京都篇・解説書2

京都篇・解説書3:最後に→無事「勾玉」を手にすると、あるキーワードが表示される。これが次作『吉野篇』につながる。しかし現在の私はこのキーワードを覚えていない。ソースプログラムを見れば分かるはずだ(笑)。
京都篇・解説書3

付録2
 この作品が出たときに、当時ASCII社で雑誌「Login」を編集していた塩崎さんという方が、はるばる東京から、京都宇治の木幡に尋ねてきてくれた。その記事が雑誌に数頁にわたって掲載された。編集者は有能な方で、いま読み返してみると、「これや、このゲームを買わないと~」という気持ちにさせる。以前記念に掲載したので、ぜひご覧ください。
 雑誌 Login 1983.10月号 『幻の古代王朝』

追伸
 今回の京都篇は、雑誌ログインの記事もあるので内容紹介はこれくらいにした。次回(いつになるやら)の吉野篇は情報がないので、ソースプログラムを解読しながら、できるだけ画面写真を多くして、解説記録する。SONY-BASICのソースレベルでみないと、現在の私は当時の私のロジックを追いかけるのが難しい。つまり、プログラム原本を見ながらゲームしないと、結末にたどりつけないということだ。

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