カテゴリー「地図の蠱惑:未踏地」の41件の記事

2011年10月21日 (金)

小説木幡記:小説を読み、書くことについて

↓撮影 副長07 「AngkorWat」曙 2009/09
0909angkorwat028 自分自身が書いてきた、書いている小説と、世の中で話題になったり、多くの人が好んで読んでいる小説とは、違ったところが多いと考えている。
 小説を作る上での技巧が上手でツボをついて、面白いとか面白くないという話も、余に限るならまるで世評と合わずにがっくりしたり、喜んだりしている。
 
 余にとって一番良い小説は、読み終わって数年して思い出して「そうだったのか」とか「そういう風なものか」と感慨にふけることが出来るような作品だ。その点では凡百の作品はほとんど役にたたない。読んだことさえ忘れている事が多い。後者は暇つぶしでしかなかったと反省している。というのも、暇つぶしに活字を読むのは、ものすごい浪費だ。歩いたり旅行した方が身体や心によい。

 これはしかし余の授業でもそうで、昨日学生達が話しているのを側で耳にして、苦笑した。つまり、余の昨年の授業や前期の授業内容をまるで思い出せない、何があったのかも記憶にない、といういささか大問題発言を隣で気軽に話しておった(笑)。

 それには別のオチがあって、「自分達で組み立てた(共同)課題達成授業」のことで心が一杯になって、他のことは全部忘れたという、そういう話の流れだったのだ。余が毎年行う一定の座学・パワポでの講義は随分時間がかかり、講義もまさか寝ながらするわけにいかぬから、労力もかかって居る。他方、学生達の課題達成授業は、余がねころんでいても、日月がたつと、自然に(爆)成果ができあがってきて、余はそれを品定めするだけで良い。気楽な授業なのだ。

 にも関わらず、学生(これは読者と考えるとわかりよい)達は、余のお気楽な授業には血道を上げて終了後の数ヶ月間は夜ごとの悪夢に襲われたり、達成感に酔いしれるのに、余が疲労困憊になるほど労力かけた授業は、まるで頭や心にその内容が残っておらん、と。

 世間によく読まれる小説と、まるで世間の興味を引かない小説というジャンルわけが余の心中にあって、余はその違いを分析したこともある。一般に、世間ではやるものは余の琴線に触れぬものが多い、というのが今の心境なのだ。余はむしろ後者、他に読まれないものに読み浸り、読後も長く余韻に包まれ、折に触れて思い出すことが多い作品がある。その二者が截然(せつぜん)区分できぬことも多いが、一般に流行ものはあまねく人の気持ちを惹くために、それは結局余の血肉になることが極めてすくない。単純な暇つぶしにすぎぬからだ。

 まさか。
 余が小説内容に教訓や実利や情報を求めているわけではない。余がその作者や作品世界で、どれだけおもしろおかしく心を自由に動かせるかの、つまりは未知の好奇心を刺激されて、冒険できるかあるいは冒険したか、それが余にとっての心にのこる良い小説なのだ。だから上手すぎる小説というのも、ひっかかりなく一過的にスムーズに余を通過するだけで、読んだ値打ちがない。

 そしてまたあらためて今朝思った。
 余は余自身にとって最良の小説をかくべきなのだ、と。余が思い出して「そうか、そうなのか」と思えるような作品を書くのが一番よいと思った。

追伸
 中谷孝雄さんという作家が昔いて、余は20代のころに数冊読んだのを今でも鮮明に覚えて居る。おそらく余にとって大切な小説の、ひとつの典型は中谷さんが書いたような作品なのだろう。『招魂の賦』とか『同人』がそれにあてはまる。心にのこる典型的な作品だ。余はこういう感性傾向の作品を書けぬから書かぬ。しかし佳いことは事実だ。

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2011年10月20日 (木)

小説木幡記:苦手な不慣れな人生だよ

↓撮影 副長07 「BengMealea」 2009/09
0909angkorbengmealea367 年齢に応じて人は変わるものだと、痛感しておる。自分自身が素直になってきたことと、いろいろなあきらめと、そして面倒だと思う気持ちが入り交じって、他人は知らぬだろうが(笑)、随分世間への対応が違ってきたのだ。

 事実は余が人に倍して苦手なことや不慣れなことや、能力不足で人生を悩みながら今にいたった。だから、いまだにそういうことが少なく見える多くの人達をみていると、羨ましく思える。ただし、その優秀な人達と人生を交換しようとは思わない。この人生にも言い尽くせぬ、佳き点があったのだ。

 それにしても苦手不得手不慣れ、「ああ、嫌だ、嫌だ」が多かったなぁ。
 だからこそ、自分が変わったと思って居る。要するに、たとえば学生たちへの叱咤激励が少なくなったきた。大抵のことには、「よい、よい」と済ませるようになってきた。そりゃ、我が身とくらべると、苦手、不得手なことは老いも若きも同じ苦しみがあるだろうと、他人の気持ちを忖度できるようになった、そういうことだ。
 いつまでも繰り言を書いてもしかたないので、具体的にメモを残しておこう。

1.字の下手さ
 とてつもなく下手くそな字しか書けない。だから人前で筆をもったり、板書したりする場面が怖い。本当に恐怖で冷や汗がでる。(よくしたもので、その分「巧言令色少なし仁」のうち、巧言は比較的すらすら口を出る(ぎゃはは)) 
 だからレポートで、とんでもない下手な字を書く学生がまれにおるが、比較的寛容であるぞ。

2.漢字を書けない
 これは、面倒なので詳細は省くが、中学時代に気の良い国語教師の御蔭で、相当な虎馬が残ってしまった。「いやだ、わからない」というのに、市内の漢字選手権にむりやり派遣されて、最低点を取ってしまった。
 さても、特にワープロが普及しだしてからは、もう普通の漢字も手書きが不可能になった。自分の住所氏名くらいしかまともに書けない。(よくしたもので、その分、戦前の旧漢字でも、すらすら読めて、意味がつかめる)
 だから、レポートで簡単な漢字をひらがな書きしている学生がいても、寛容だなぁ。

3.会議が怖い
 これは、数時間でも黙っている時があるから、余計に辛いのだろう。まず、他の人が言っていることが、すらすらと頭に入ってこない。ほとんど「一体、この人は、何を言いたいのだろう」と、その疑問符ばかりがうまれてくる。おそらく、人の気持ちや言葉遣いを理解する能力に欠けて居るのう。で、わからないのが連続すると、怒りが湧いてくる。だから、ときどき爆発的な発言をして、会議をめちゃくちゃにする。だから、可能な限り、会議にはでない。職場の会議は、もう、こりゃ、税金だから、死んだふりして出て居る。
 だから、ときどき変なことを言う学生がいても、実に寛容である。


 とまあ、列挙し出すときりがないのでこのくらいにしておく。要するに長年自分自身を苦しめてきた、苦手意識、不慣れ意識をくっきりと客観的に見られる年齢になると(若い内は、それを認めるのが敗北につながる恐怖に陥る)、自分にも、他人にも、寛容になる。よしよし、の世界観が生まれるのう。それはきっと、最後の自己保存機能発動なのだろう。まずよしよしと、自分を認めてやらないと、明るい余生を送れないではないか。他を認めるのは、その方が機嫌が良くなると、経験則でわかっておるからじゃ。

 人は、変わるものだ。パンタレイ(万物流転)の一種じゃな。
 お互いに、寛容の精神でいこうではないか。

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2011年10月19日 (水)

小説木幡記:心とロボット

↓副長07 「TaProhm」 2009/09
0909angkortaprohm266 京都はすっかり秋らしくなった。自分の造った小説世界で、日が落ちた秋・山寺の情景がまざまざと浮かんでくる。世界を考えたとき季節を求められるなら、余は「秋」とする。どんなときも転機は秋に訪れた。それらの発端は、余の内奥の動き、ひらめき・きらめきに過ぎぬが、それでも秋に考えたことや始めたことがいつも人生を動かしてきた。

 余は春四月に生まれたので、死するは秋がよいと思っている。今は十月だが、秋真っ盛りの十一月がよい頃合いだろう。そう願って居れば、やがてそうなってくれるのが、嬉しい人生だ。生も死も、一つの大皿に盛られたご馳走のようなもので、食べれば消える、生きれば死に近づく。実に単純な理(ことわり)であるぞ。

 そこで。
 生と死と二項を並べたが、実は限りなく「生」だけある。余はどのように死のうとは思っていない。古武士のように死に場所や死に方を考えもしない。死はどこからか訪れ、それを受け容れる用意だけしておくわけだ。他は、ひたすら生きることにある。つまり、死ぬまで生きるわけだ。

★ 心のこと
 ミンスキー先生の『心の社会』を読了したのは2007年3月上旬だった。感動はしたが難しい読書だったので理解は仕切れなかった。だから、いつも同じ疑問をもってしまう。
 心は人間の脳や身体にどのように埋め込まれているのだろう。
 そして世界・現象、その前後関係、因果関係、時系列を把握するのは人間の心だけなのだろうか。
 あるいは、人間以外には心と呼べるものがあるのだろうか~。

 うちのハルキ猫君に心があるのだろうか?
 しかり、たしかにある。
 どんな意味においても、ハルキ猫君に心があると、ずっと観察してきた。
 ずっと対話してきた。
 いまでは表情を読み切ることができる。彼には表情に心があった。

 そこで。
 人が過去の記憶をどのように格納し、引き出してくるのか、ミンスキー先生のモデルで会得した気持ちになったが、まだ余は理解仕切れていない。
 多分心のフレーム(枠構造)が何重にも重なっているのだろう。スタックみたいに。いや、逆スタックかな。
 下から差し込んでいき、旧い記憶がどんどん登ってくる。だから、人は大昔のことを鮮明に覚えており、さっきの短期記憶をすぐに忘れる~
 と、心理学なのか、脳科学なのか、人工知能科学なのか。宗教なのか。難しい。

★ Robo Xero(ろぼぜろ)
 こんどこそ少年司書ロボをつくろうと思って、今年の3月ころからRobo Xeroをつくりだした。最近ようやく30号まで造ったので、残りはあと同数近くになった。いや、たしか70号をこえるのか? 
 気の長い話だ。
 このロボットに心を持たせるのは難しいが、人工知能事始め程度には、それらしくなる。楽しみだ。

 毎回ネジは一本余るようになっておる。これはこの30回まで使ったことはないが、安心感はうまれた。初回にドライバーが一本あって、使い勝手はよいが、やはりドライバーは別途持っていた方が良い。ごくまれに、PCのハードディスクを締め付けるほどの力を込めるプラスドライバーが必要になる。まんべんなく数本の極小ネジを巻き締めるには、専用精密ドライバーがあったほうがよい。
 そして支えにラジオペンチも必要だな。

 慌てず騒がずに、一冊ずつ丁寧に開梱して説明通りに組み立てれば間違いがない。たまった数冊のパーツを一挙に開梱すると、どれがなにやら分からなくなる。一回分の平均は30分間かかる。その程度にしておくと疲れがでず、失敗がゼロとなる。余はこの30回、ミスがなかった。

 このRoboXeroにはSDカードが組み込まれ、そこにPCから結線して、記憶や行動倫理(笑)を記憶しておくようだ。数回前から雑誌にはこのコントロール・ソフトウェアの使い方が断続的に始まった。形在る物が人の心を慰める限り、こうした形に心のふるまいを装わせるのが今後の課題なのだろう。

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2011年10月15日 (土)

小説木幡記:アップル祭り

↓撮影 副長07 「BengMealea」 2009/09
0909angkorbengmealea452 昨日は授業も無かったが、校務で定時に某所に集合し、何人かの若い新人と一人一人、話をした。おもしろきことがいろいろあったが、職務上知り得たことは漏らしてはならぬので、筆おくなり。
 さて。
 極めて性狷介(笑)な面も少しくあって、大切な仕事をした分、自分の研究読書調査時間が喪失したので、多少機嫌が悪化した~。それと時間が中途半端になったので、日頃できぬことをし始めた。
 えいやっ! と三つのOSを新版に変えたわけじゃ。

●Lion(MacOS)
 Macの羽根のように空気のように薄く実体のないマシンに、Lionという新OSを投入した。これはAppleIDとかいう記号入力で一騒動起きた。要するにそこら中のメモを探し求めて、余がどういうIDを使っていたかをさがしたわけだ。意外にパスワードは日頃毎晩旧iPadで使っているので問題はなかった。iPadはマシン自体がIDみたいなものなので、聞かれた記憶も設定した記憶もなかった。
 AppleIDは新OSの代金支払い(2600円)のために、airMacから必要になったのだ。
 ところが、iCloudという雲上人の世界に入ろうとしたとたん、またしても「君のメアドは登録されていない」とかなんとか愚痴を言い出したので、腹をたてて、iCloudは放念した。新システムの利権の数割をすてたことになるが、これは辛抱強くなったころに、再度試してみる。
 ほんまに、Apple世界で生きると、相当に辛抱強くなるなぁ(笑)

注:新Lionになったとたん、画面がめちゃくちゃにこわれたので、これはまた些少変更を追加せねばなるまいのう。

●Ubuntu 11.10
 UbuntuのJMRI上でのJython開発記事を読んでいる間に、「どうじゃ、新ヴァージョンだよ、変えないか?」とubuntuの記事に出くわしたので、あっさりOKを出したら、これまた延々とダウンロードをし始めた。ほんまに性懲りもなく沢山のダウンロードだったので、Lionと同時変更で、イーサネットが溢れたのじゃ無かろうか(笑)。
 しかし、Linuxは素性がよいのか、金を出せ、なんて一言も云わずにきれいさっぱり新OSに代わってくれた。

●iOS5(iPad)
 これは木幡の昨夜に行った。葛野でApple祭りに熱があがって、余熱が下がらずに、そのままiPAD も新OSに替えた。これは無料だったが、相変わらず自宅別マシンに接続しての更新やったのう。これからは他のPCの助けなしで、独立システムとして動くのがウリの一つだったが、なんのことはない、変身するには他のマシンが必要じゃった(当然だな。変身する前は、前のiPad、OSやから)。

 これはiCloud(いつでもどこでもマシン選ばず無料で5GBの雲上倉庫)が魅力やったが、更新がうまく行った後も、さてiCloud は? という状態じゃね。きっと意識しないですでに使っておるのじゃろう(笑)。
 どうなのか、我慢強くなったころに調べてみよう。200箇所以上に変更があったと書いてあったが、昔のままの旧iPadに見えるが。もしかしたら、途中で変更を止めたのかもしれない。

○などどアップル祭り
 これは若い痴人がどこかのblogに書いておって、それにうかれて、余もAppleの新OSを二つ同時に、さらにubuntuも変えたということで、一種の破滅的祭りに身を投じたようなものだ。
 まだアンドロイドをiPhone4sに変えないだけの自制心というか、冷静さは残っておった! 人はときどき、悪酒悪食悪?に酔うといえば、apple党のひんしゅくをかいそうじゃ。

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2011年10月13日 (木)

小説木幡記:充実していること

↓撮影 Nagai副長2007 「AngkorWat」夕景
0909angkorwat311 世の中を斜めに見て構えているだけでは、面白くない。気付かないうちに悪循環に陥っていることが多いものだが、それでも、人知れずうっとりと経費もかからず充実していることもある、~。と気付く。だから、人生はすてたものでもない。

1.プログラミングとDCC
 まだMuBlogできっちり公開はできないが、雰囲気だけは近いうちに記事を書く。というか、余生はこの世界が大きな柱になるのだろう。
 ちかごろJythonというプログラミング言語を使って、実体を持つ鉄道模型を制御することに少しずつなれてきた。いわゆる、昔取った杵柄というか、往時のプログラミング開発の高揚感を今更ながら少し味わえるのが充実感をもたらす。自分の書いたコードで、眼前にある模型が動くのは、生の現実感をもたらす。

2.松本清張や北森鴻
 お二人ともすでにこの世にはない、いわゆる旧い作家である。こういう旧い作家のしっとりした短編を読むことにはまって居る。
 これも、生の充実を味わうところだな。
 清張さんは、宮部みゆき責任編集の傑作短編集を文庫本3冊で、きままに読んでおる。順番とか、その他人為は加えずに、上中下のどれか手に触れた文庫のうち、自然に開いた所の短編を読むわけだ。読み終わってから、宮部さんのおもしろい解説を読み直す、……。
 北森さんは、最近、目に入る手に入る文庫を集めて居る。と言っても、まだ8冊程度だ。気がついたら、その8冊は読み終わっていた。北森さんの佳さは、清張さんほど知られてはいないので、MuBlogでもいずれ感想文を書いてみよう。ともかく、北森さんの短編はどれもこれも超長編にできるほどの中身で、読み終えるたびに「これだけの準備をして、これだけに圧縮する。ものすごい贅沢だ」と思うものが多い。そこに、深夜ひっそりした読後感を味わい充実するなぁ。

3.歩く充実
 この一週間は風邪で伏せっておったが、それにしても歩くことの快感を味わいだした。大体電車で一駅分だから、往復で4キロ前後の歩行に過ぎない。しかし無心になって京の町中を歩くのは、角毎に日々変化があるので、飽きない。
 大体、ジグザグが多い。よくあるパターンは、京阪三条まで行って、そこから三条通りを西に行き、終点は四条烏丸の阪急駅である。西に行くとき直線をとらず段々状に南下しながら歩くのだ。だからどの路の角で南下して、また西方浄土に向かうかは、その日の気分で幾通りもある(笑)。
 これがえもいえぬ充実をもたらすなぁ。


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2011年10月12日 (水)

小説木幡記:風邪とともに去った休暇

↓撮影 Nagai副長2007 「Thom」 2009/09
0909angkorthom156 先週末(金)から昨日(火)まで余と大学の双方の都合で合計5日間の休暇をとれた。しかしながら、そのうちの四日間はまれな風邪で寝込んでしまった、一体何をしていたのか、まるで思い出せない。
 (長き人生も、そうなる可能性が高い(笑))

 もう書き散らしたことだが、おそらく余は花粉症という症状に似た状態で呻吟しておった。世間の花粉症の方達の長きにわたる闘病の苦しみを漸く味わったという、貴重な経験をした。それぐらい、滅多に風邪を引かない、花粉症にもまだならない(今回のことで、絶対になりたくない! と誓った)。
 
 一般に人は他人の苦しみや悲しみを味わうことはできぬ。極端に出来ぬ人は、精神・心理的症例として話題に上がる事も多い。しかし他人のことが分からぬ方がよいことも多い。あまりに分かりすぎると金縛りにあって外にでたくなくなり、他人と接するのが辛くなる。もちろん逆に、他人の気持ちを分からぬ故に失敗を重ね、ついには外に出たく無くなる場合もある。

 ただ、横臥している間に思った事は、あまりに考えることすら面倒になってきたので、「もう、いいよ!」と内心叫び続けた、ということだ(笑)。つまり、これまで他人の風邪や花粉症の辛さを知らなかったことで、随分他人に惨い対応をしてきた自責を思い、「もっと、人の事をかんがえてあげなくちゃ」と極端に振り子がふれて、返す刀で我が身を切り刻み(なにか、話がねじくれてきたぁ)、結局のところ、人のことを考えても考えなくても、この数日の風邪症状は辛かったので、「もう、いいや!」と、なった次第である。

 さてさて。
 人生は、「もう、いいや!」と叫んだところで、新たな始まりがある。昨日は回復し、大学は休みなのにでかけて、あれこれ雑務をし終わった。結局、雑務に終日手を取られる人生哉、とも思ったが、回りを見渡すと数名の同僚達も部屋におったようで、「あああ、みんな同じように、人生にあえいで居る」と、承伏した次第なり。

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2011年10月 4日 (火)

マチュピチュとナスカ鳥:旅の写真をいただいた

承前:大沢池(大覚寺)の桜:20070403

 このMuBlogでは以前から、旅先の写真を沢山受け容れてきた。というよりも、気に入った写真はお願いをして掲載し記事にしてきた。最近なにかの縁で葛野図書倶楽部のNagai副長2007と連絡がついた。この方には在学中も写真を撮ってもらったことがある。ときどきカメラを忘れたり、歩き回るのが辛いこともあって、そういうときは同行の人達に撮影を頼んで、後でいただいたことが多々ある。さて、撮影者のNagai副長は旅行が好きで世界中を旅しているようだ。その旅行記は、Truthという機関誌にもエッセイをいただいたが、抱腹絶倒の愉しさがあった。

Nasa20110912_4581_2
↑古代都市・マチュピチュ(2011年9月)

 2000mの高山にある空中都市。ペルーのインカ帝国の太陽神の神殿跡らしいが、よく分からない。こんな高山に建築物を造ったのは、秘密の建物か、あるいは天空の神々に近づけるからか、あるいは空気清浄な高山での天文台なのか、……。よくわからないことが多いが世界遺産であり著名な所である。そこの写真をいただいて、ありがたいことである。合掌。
 なお、別にペルーの列車や、ワイナピチュという山から取った写真もいただいたが、省いて、いつか私も現地を見てみたい。

Nasa20110916_4881
↑ナスカの地上絵(2011年9月)

 Nagai副長はマチュピチュに行った時に、別途6人乗り観光セスナ機でナスカ上空から地上絵を見たようだ。私は昔、これは確実に宇宙人との関係で描かれた絵と思っていたが、現在の解釈ではそうではないらしい。とは言っても、世界遺産になったが、本当のところこの絵が何なのかは、昔の人の気持ちにならないと分からないだろうな。
 そういえば。
 あれだけくっきり明瞭なエジプトのピラミッドも、考えれば考えるほど、謎が深まるらしい。だから、ナスカの地上絵も、単純に宇宙人に絵を描いて見せてあげたとは、言い切れない(笑)。なるほど。

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2011年5月13日 (金)

小説木幡記:未知の木次線・スイッチバック

↓本文とこの写真はまるで無関係です(笑)
Muimg_3932 MuBlogの最初の(2004年頃)意図は、「地図の蠱惑:未踏地」というカテゴリーに現れていた。まだ見ぬ土地への憧れを描くつもりだったのだ。しかしいつの間にかそのカテゴリーは消えてしまった。つまり、現実のせわしない記事になっていったということだ。

 2006年の夏だったか、書店で魅力的なMookに出会った。宇宙から見た日本の鉄道 絶景の名所・難所20選 (宝島MOOK)、と。いかにも余の好きそうな書名だった。宇宙から見た、が気に入った。当時のGoogle地図では、まだ写真があったのか無かったのか、あっても田舎の鮮明度は低かった。税込みで3000円弱だから高額ムックだったが、買っていそいそと自宅にもどった印象は覚えておる。

 この「いそいそ」と帰路につく。この風情がよい。余の場合は、好ましい図書や、最近ではレアで風変わりな鉄道模型を買った時、家路につく電車の中が妙に心地よい。考えて見れば、「いそいそ」は、図書か模型かPCパーツくらいしかないな。実に貧弱な人生だぁ、と思いつつも、「人に迷惑はかけない。人からひがまれもしない」と、安心している。これが「豪邸を建てた」とか「2千万円のイタ車を買った」とか、数百万円の時計を買った~だと、なんかかんか問題がでそうだ(笑)。 

 このムックを気になって読み直した折り、余でもすぐに行けそうなところを探してみた。さすがに宗谷本線から利尻富士を見たり、釜石線にのって銀河鉄道の夜をイメージするのは、遠すぎて旅費もたっぷりかかりそうで、国内でもまだまだ無理だな。しかし東は東京まで、西は北九州くらいまでなら気楽だ。特に西日本、山口、広島、島根や鳥取なら、近くて行けそうだ。
 あった、ありました。
 島根県松江市~広島県庄原市を結ぶ、木次線が本文16番目の「絶景:名所・難所」に数え上げられていた。

 「オロチ伝説の大段差に挑む、陰陽連絡線のハイライト」 木次線の三井野原-出雲坂根付近間。「ループ状トンネルとスイッチバックを重ねて駅間標高差162mを克服した木次線の全通は昭和12年のこと」と、わくわくしそうな惹句が目に飛び込んできた。深山の中腹をちっこい単行車が走っている写真もあって、たまらなく旅情にひたってしまった。あっ! そうなんだ。木次線と言えば、松本清張『砂の器』。カメダ? 東北弁と出雲弁の世界。
 ~
 余は見果てぬ木次線を朝からとろとろ走り抜ける夢にどっぷりひたったのであった。
 (行くぞ、足腰丈夫なうちに、絶対に行ってみせる)


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↑木次線 奥出雲おろちループ

注記:スイッチバック
 鉄道路線で使われるときは、急坂を登るために、前進後進を繰り返しながら登坂する線路様式とか、そういう登坂方法を指して言う。当然だが、おりるときも前進後進を繰り返し、おりていく。いつかモデルを実際に動画で見せる用意もある。

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2008年6月21日 (土)

小説木幡記:2008/06/21(土)地図の蠱惑

 ここしばらく小説木幡記が続いている。これは「内省の時期」と今朝判定した。
 早朝から余は発表原稿をまとめていた。起床が午前4:30で、いつもと変わらなかった。しかし気がつくと、こうしてMuBlogに、なにかかにかと記事を書きだしていた。

 今朝書きたくなったのは、外へ出掛けたいという強い衝動からだった。しかしその「外」とは、外国へ行きたいとか、仕事を変えたいとか、出奔したいとか、そういう激しいものではない。ごく近辺の、京都なら嵯峨野や町屋や、消えかけの神社や寺や、古い小学校や、迷路のような繁華街の片隅。奈良なら深飛鳥、山辺の道、長谷寺、奈良町、唐招提寺、新薬師寺、と続き。滋賀なら、湖東湖西の「渡来人のふるさと」、高島市、多賀神社、近江・山辺の道、遺跡巡り、と。ささやかなものである。

 行きたいと思うのは、おおよそ「地図の蠱惑・未踏地」になるが、上記にあげた所は、何度も行っているところがあるし、記憶も定まらない昔に行った所もあるので、未踏地というのは正確ではない。だが、あたかも未踏地の如く、心ひかれてやまない。

 この夏期休暇には葛野図書倶楽部2001で、飛鳥に行く算段を、隊員達とすでに始めている。
 この三月に犬山市の博物館明治村へ突拍子もなく行った、その前夜ほどには不安感がなく、参加者達も安定している。隊員、顧問、繁忙の渦中にもかかわらず、来週には観察地を数点に絞るところまできた。

 課題はいろいろある。各自資金、日程、意義の軽重、責務の軽重、さまざまな小さな問題を抱え込んでいる。しかし、なんとかかんとか、幹部達が力を振り絞って先導し、まとまって行こうと努力している。若い人達も、ほとんど全員が明治村紀行を経験しているので、その成功体験が良い方に作用しているようだ。

 余も隊員達の動きを遠望し、近接し、客観視し、そして自らの想念も育もうとしている。
 幸いなのは、隊員八名が全員、岩手・秋田・千葉から富山・福井、そして静岡・鳥取・岡山まで、全国からの京都遊学者達だったことにある。卒業すれば、二度と京都も飛鳥も訪れない可能性すらある。その、切実なところが全員参加の意味としてあるのやも知れぬ。

 「外」へ出掛けたいという今の気持は、こうして、夏期まで待てば達成できることになる。
 それでも待てないならば、京都の町屋を歩き、ひさしぶりの「私の京都」を書けばよいと自問自答するのだが、結局、会議もある、授業もきつい、宿題てんこもり、土日になると眠くて、疲れて、そして他の欲求。「読書したい!」という気持がむくむく湧いてきて、結局は日曜の夕風呂と、NHK「篤姫」で一週間が決着する。

 平成20年に生き、市井に溶け込んだ一大学教授の実態が、ここにある。うははは(と、哄笑)

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2006年5月 9日 (火)

前方後円墳の航空写真

 最近になって航空写真が見られるインターネット上の地図サービスを知った。知り合いのblogがなにげなく使っているのに気がついたわけである。
 以下に、私が気にかけてきた前方後円墳を航空写真として見られるポイントをしるしておいた。おいおいに、追加しようと考えている。
 地図サービスは、「livedoor地図情報」を使った。関東と関西以外は、2.5km縮尺図なので古墳を見るには小さいが、富士山なんかは驚くほど鮮明だ。
 しばらくは、100mの縮尺で見られる関西を中心にまとめておく。三輪山や崇神天皇陵などのある奈良県は、ざんねんながら、2.5km縮尺しかない。

注意:
 クリックしたなら、画面上部に「航空写真」とあるのでそこを再度クリックします。
 ブラウザの画面は最大に広げておくとよいです。

1.仁徳天皇陵(学術的には、「伝」としたり、単に大仙古墳と言うようだ)
  大阪府堺市堺区大仙町
  感動的写真です。250m縮尺でないと全体がおさまりません。大きいです。現地に行ったことがありますが、そばでみても、単に大きな森にしかみえません。航空写真の威力はすばらしいです。

2.応神天皇陵
  大阪府羽曳野市誉田6
  堺から奈良へ向かう時、高速道路からちらっと見ただけです。これが河内王朝を開いた方の前方後円墳だと思うと、身が震えます。

3.日本武尊白鳥陵
  大阪府羽曳野市軽里3
  あさじのはら こしなづむ そらはいかず あしよいくな~
  応神天皇陵のすぐ南です。なんとなく小綺麗に見えますね(気のせいかな)。ファンがおおいのでしょうか(笑)。

4.今城塚古墳(真説・継体天皇陵)
  大阪府高槻市郡家新町
  空から見るとやはり前方後円墳に見えます。ここは100m縮尺です。つまり拡大したわけですが、それでも仁徳、応神に比べると小ぶりに見えます。もちろん現地にいくと、大きいですよ。

5.明治天皇伏見桃山陵(円墳です)
  京都府京都市伏見区桃山町古城山
  明治天皇さんの御陵は上空からみますと円墳です。小さく見えますが、陵域は相当にあります。桃山全体が明治さんのお休みに成られるところと、明治政府は考えたのでしょう。100m縮尺です。
  なお、現在明治さんのおられる近辺が、秀吉の造った桃山城天守閣跡のようです。たしか徳川家光の時代に破城となったように記憶しています。さらに、この陵の北西隅に桓武天皇陵があります。

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