0.Asuka2008
例年のことではないのですが、今年はHMK:明治村研修旅行を無事に終了した余勢をかって、炎天下の明日香村への研修旅行「Asuka:飛鳥2008」を決行しました。葛野図書倶楽部2001にとって、その最大の目的は、司書や学芸員の卵として、青年期にきっちり日本の黎明期を味わってもらいたかったからです。
これは諸説あるのですが、私の持論では、20代半ばころまでは、だれしも一種の「天才」的な感受性をそなえ、そして銘記力も強いので、その時点で得難い体験をすると、生涯それが「人格の核」になるという考えから導かれています。社会人や、司書や学芸員である前に、全人格的な「核」なくしては、豊かな人生を送りにくい事実は、そこここで味わう昨今です。
まして当日参加者9名のうち、新人さん二名が関西圏で、他は全員遠国から葛野に来ている人達です。おそらく生涯、飛鳥の地を踏むことが無いかも知れないのです。
分かりやすく言うと、若い内に良質な体験をしておくと、それがよい想い出になって、人生を支えるということです。あるいは、そういう核があって、自信とすると、他の人達に余力を持って接することができるということでしょうか。世の中の、多くの対人・対社会障害は、自分の中に核が無いので世界への怯えが生じ、いたずらに攻撃的(対外・対内の両面)になり、他や自己との協調ができない状態になった結果と考えています。
明日香村(あすかむら)は、田舎です。しかしその風景と歴史とを合わせて考えると、わが国の黎明期を彩った地域です。年令に応じて体験すれば良いと思います。ただ、上述のように二十代前半に訪れた経験は、他の年令よりも影響が強いと想像します。
1.石舞台で記念写真
後で聞いたら、一番印象にのこった遺跡のようでした。蘇我馬子の墓と伝えられる巨石ですが、特に玄室に自由に入れたことが、うれしかったようです。下段の、全員が走り出した写真は、その意味がどうしてもわからないのです。なにかあったのでしょうか?
それぞれの石舞台青春
すまして記念写真、ちょっと変わったフォーム、何かに驚いた様子の人、のんびり炎天下を散歩、考古学者みたいな人と学生、天井石を見上げる人。いろいろな表情が見て取れました。
2.酒船石の模様は「地図」か「人」か?
岡の酒船石は、9人の青年でも取り囲み切れない大きさです。模様は、こちらから見ると、「人」か「宇宙人」に見えますね。学説史では、機能に重点が置かれてきました。つまり、麻薬製造とか、酒造とか、油生成、日時計、暦、……。ここにきて「地図」説が機能追加され、私は単純に呪術的「人」形を思い浮かべました。
3.飛鳥寺の参詣人
午後の飛鳥寺で一番疲労があったのは、私だったと思います。たしかに気持ちよい汗がたらたらとひたたり落ちて、木陰に座ると風が頬をなでたのですが、中に入って説明を伺う気力は無かったのです。飛鳥寺の意味やそのCG再現像は事前にNHKスペシャル番組を鑑賞していたので、皆さん、全員が仏様を拝顔しました。
私は一人で、ビデオを使って甘樫丘と入鹿の首塚を写し、もどって隊員達の記念スナップを撮りました。
4.伏見鳥せい:納涼会20080812
奈良からの帰りに、近鉄桃山御陵駅で下車し、鳥せいで本年度の納涼会を行いました。葛野図書倶楽部2001では、定番中の定番ですね。というのも来年の2月新誠会では、「黄桜」を送別会総会の地に予定しているので、上級生在学中に鳥せいに行っておくことにしたわけです。
写真を見る限り、極限の疲労はなかったようで、一安心でした。しかしさすがに両巨頭(?)の食欲は普通人並に落ちておりました。一人は納涼会幹事、一人は夏ばてだったのでしょうか()。一説には、経理局長の経費削減通達が功を奏した結果とも密かに語られておりました。
5.まとめ:客観的評価
Asuka2008は無事終了しましたが、参加者達の気持はまだ熟成していないと考えます。つまり、総てが「良かった」というものではないと想像します。
マイナス要因
明日香村の夏は暑いです。
早朝7:30に京都駅集合で、鳥せい納涼会終了が20時すぎですから、疲労困憊の隊員もいたと思います。行きは近鉄特急で快適でしたが、副長の観察では(私の席は別車両の飛び地)眠っている隊員が半数でした。学生は朝起きに弱いです。そして他の様々な予定を持った合間での参加ですから、朝から疲労している人もいたわけです。
歴史を好む人もいれば、興味の薄い隊員もいる。
飛鳥とか大化改新とか、蘇我入鹿、馬子と聞いても、それらに興味を持つ人は、私をいれた10人の参加者のうち、数名だと想像します。小さな倶楽部でも、意志が統一されているわけではありません。特急代を含めた経費や、そして炎天下の汗まみれ、睡眠不足、……。これらが重なると、時々顔が曇る場合もあることでしょう(笑)。
10人乗りのレンタカーを使ったわけですが、炎天下の廻遊は、各員にとって好奇心と疲労のバランスが崩れることもあったと思います。
夏の飛鳥時空紀行は、炎天の下では、最良ではないわけです。
プラス要因
あらかじめ所用で参加出来なかった二名以外、希望者が全員当日集まったことは、HMK;明治村と同じく、倶楽部にとってよい兆候でした。いろいろな予定をかき分けての参加者が多かったのです。
レンタカーは10人乗りなのでそれなりの経費も必要だったわけですが、幹事達や上級生の事前の話し合いで「あった方がよい」という決断をしたわけです。途中天井高が2.3mと知らず、2m制限の高さでコツンとして、結局私は夕方に一人で橿原署へ事故証明をとりにいったりと、小さなトラブルもありましたが、大過なかったと言えます。その時の幹事達の言葉に感心したのです。「先生! 人身事故でなくて、良かったじゃないですか」至言でした。
最初に綿密に決めた計画書・栞があったのですが、幹事達は、状況に応じて対応しました。たとえば、午後の中頃に飛鳥寺を訪ねたのですが、隊員達の疲労を見極めた幹事達は、最後の甘樫丘登頂を断念し、少し早めの急行電車に全員をガイドしたわけです。これも、英断だったと言えます。
納涼会の時に一番印象に残ったのはどこか? と尋ねました。
殆どの人が「石舞台」そして「石舞台の玄室」でした。日常に味わえない巨石や、黄泉の国の雰囲気に、なにかを感じ取ったのでしょう。
他に少数でしたが、橿原神宮参拝や、橿原考古学博物館の埴輪、飛鳥寺の趣に感心した人もいました。しかし、私が一番人気として推した「酒船石」及び「酒船石(北方)遺跡」は、だれもあげませんでした。前者は模様に興味をもてなかったのでしょうか? 後者は夏草が茂り、少し荒れていて、神聖な雰囲気が薄れていたからかも知れません。
酒船石の模様を現地で無理強いして尋ねたところ、「地図」じゃないでしょうかと副長補佐、「人」かなと、二番隊長。この二つには感心しました。特に前者の地図説は、私も研究したくなりましたね。後者はかねがね私も「宇宙人かな?」と思っていた次第です()。
プラス要因のまとめとして。
それぞれの飛鳥があったと考えます。橿原考古学博物館、万葉文化館、各員自由な楽しみ方をしたようです。前者では、徹底的に博物館のガイドの方に考古学を仕込まれた隊員もいました。後者では、快適な情報室(図書室)でじっくり休憩し瞑想にふける隊員、端の方で一人物思いにふける隊員、そしてお茶する隊員。館内全域を見て回った隊員、それぞれの楽しみ方があったようです。これは、プラス要因だったと判断しています。
*.責務分担
旅行計画・栞作成・現地ガイド→副長2008&一番隊長2008
特急券・乗車券・食事・入館料・拝観料など経理全般→経理局長2008
倶楽部代表挨拶・記録ビデオ撮影→局長2008
記録写真撮影・納涼会2008幹事→書記局長2008
運転・喫茶代部分?負担→最高顧問
行事もり立て役→副長補佐(介護担当)、一番隊員、二番隊長、二番隊員