ひな祭り誠会20120303:葛野と伏見港「鳥せい」 2012/03/03(土)
葛野図書倶楽部2001も結成以来活動10年を経たので、解散することになった。その総会と、最後の現役を送り出す会を先週のひな祭りに開催した。昼の部(葛野大教室)と夜の部(鳥せい本店)の二部構成でほんのわずかな入れ替わりがあったが、都合30名の出席があった。
総代はセト局長2002で、幹事長はサカグチ副長2003と2003年次7名全員にまかせた。残念ながら幹事長は病欠となり、代わってイノウエ書記局長2003、イチカワ三番隊長2003らが指揮を執った。
式は両部にわたり笑顔が絶えず盛会だった。余も笑い食べ飲んだ。終了後は早々と帰宅し熟睡したが、翌朝さすがに喪失感に包まれた。十年の長きにわたり維持してきた組織が消えるとは、こういうことなのかと一人でかみしめた。眼をつぶれば十年のことごとが走馬燈のように駆け過ぎていく。一瞬に人生を味わった。
☆ 昼の部:事前準備 屯所、研究室、メシヤ
総会は午後2時からだったが、午前中に早々と幹事や関係者たちが屯所に訪れた。ヨシムラ経理局長&一番隊長2009は引き出物の「特別号」編集長として最後の確認をしていた。ビデオ撮影を依頼していたハルナ二番隊長2006が欠席になったので、代役の声をかけると引き受けてくれた。
大道芸を依頼したメリ一番隊長2004も神戸からはやばやと用具一式を担いで来てくれた。長物(棒や模造刀)を持っての阪急電車は大変だろうとねぎらった。
2003年次の幹事達が10時過ぎには次々と集まり、屯所で打合せを始めた。
夜の部の経理をまかせたアサダ経理局長2003には前日に引き下ろした会費や寄付を15万円ほど手渡した。内、未回収金を当日切り取り自由という乱暴な依頼だった(笑)。
11時半には幹事と関係者うちそろって、合計8名で近所のメシヤに行った。モンジ二番隊長2003が壮大な副食品目を並べて悦に入っていたので聞いて見ると、案の定、朝食抜きだったようだ。昼食の経理はその場で一番若いヨシムラ2009に任せて余は早々と自室に戻った。
昼過ぎに、用務で出席できないソガ書記局長2010が鉢植を持参してくれた。
東京からナガイ副長2007と、滋賀からアカエダ局長2007とが大量のどら焼き持参で部屋に来てくれた。アカエダ局長には鳥せいでのビデオ撮影を依頼し、快諾を得た。
東京からヤマムラ局長2008と富山からサタケ経理局長2008がきてくれたので部屋で遠路をねぎらった。同期コンドウ書記局長2008は秋田から飛行機で夜の部に参加するとのことだった。新潟からサトウハ局長2010が塩羊羹を手土産に持って来てくれたので、写真撮影を依頼した。(もう一人はヨシモト参与2006に撮影を任せた)
セト局長2002がまだ3ヶ月ほどの長女を見せてくれた。ものすごく愛想がよくてケタケタと笑ってくれた。創世紀組の局長として、長女初節句にもかかわらず万難をはいしての総代出席に感じ入るところ大きかった。また突撃とか「切り込み隊長」とかおとろしい異名を持つホンダ一番隊長2001/2002も、組織の中堅としてごった返している関東の某現場から駆けつけてくれた。
福井からは9ヶ月の長男を抱えたカツラ副長2002が来てくれて、余に重い長男を抱えさせてくれた。このごろ木幡ではハルキ猫にもすりよられ、なんとなく幼児とは相性が良いようで、彼は笑顔を見せてくれた。多趣味で有名なイシバシ二番隊長2002は、今度は合気道とか言っていて、笑いあった。市長がかわったせいでこれまで使っていた道場が使えなくなったそうな、……。
☆ 昼の部:本番 361教室
総会は午後2時から4時半まで、改装した361室で行った。余も初めて使う教室だが、横に超豪華な手洗いがあり、その横には控え室に使える演習室もあり、環境設備は葛野キャンパスでも有数の物だった。
席数は200人以上入る大教室だが、余はこの20年間むやみやたらに大教室を教務課に要求してきた(笑)。なんというか、階段教室で(361も二段階段)、ぽつりぽつりと学生たちが散開した中で、部屋を暗くして、一人で巨大スクリーンを指示しながら講義するのが、たとえようもない好みだったのだ。この日も、ご隠居たちは学生の習性にしたがって、最深部の席に着こうとしていたが、さすがに最後の総会だったからか、全員階段の手前までに収まった。
総合司会はキタワキ局長2005とアサカ書記局長2005が担当してくれた。二人とも実に闊達な学生時代を覚えているので、爆笑脱線司会を期待したが、案に相違して荘重堅実品格のある司会芸を披露してくれた。しかも局長は一週間前に秘密(笑)結婚しての駆けつけで、新婚早々の家から脱出してきたようなものだ。
0.総代挨拶:セト局長2002
創世紀メンバは異口同音に「10年続くとは思わなかった」と言ってきたが、総代としてその感慨に触れていた。もともと(情報)図書館学、司書養成に顔をだす若者は「おとなしい、地味な性格」が基本の共通点だが、葛野図書倶楽部2001に歴年参加してきた学生達は、個性が強く、オタク傾向で、~粘り強い面が多かったのだろう。つまりある時点で、屯所や倶楽部や演習助勤が彼女らの「趣味」「血肉」「日常」に変わっていたのかもしれない。おだやかなセト総代の挨拶を聞きながら、余はそんなことをふと回想していた。
総代の時代に、作家の森博嗣さんに講演をしていただき、そのとき千人の来客があり、セト局長には事務局長を依頼し、現場の作戦指揮はホンダ一番隊長2001/2002にまかせた。そんな夢のような十年前の記憶が、眼前のセト局長の挨拶によって、呼び戻された。
1.講演「司書課程と社会人」ナガイ副長2007
盛んに、まるで余の結婚式のごとく、余の「教え」が社会で役立っているとのたまうので、余は穴があったら入りたい心境であった。なんでも~余はさかんに「組織的に行動すべし」と学生時代の副長を叱咤していたようだ。(記憶にはございません)
2.講演「2011年の助勤について」ヒロセ副長2011
助勤(上級生による授業支援)の年間の訓練、話合い、予定を正確に語ってくれた。相当な体力と知力とを消耗したようだ。ところが、これだけ厳しい制度になったのは、厳格なヨシオカ局長2004の時代からだったらしい。当人は会場に未着だったので、関係者一同「どれほど厳しい局長だったか」という話で盛り上がった。
3.口上芸「がまの油」メリ一番隊長2004
メリ隊長の現在の生業なので、常になく襟を正してありがたく拝聴した。と、口上がなめらかでユーモアもあるせいか、会場内で余の笑い声がひときわ高くなっていた。もともとはバルーン芸が得意なのだが、余の希望も入れてくれて口上芸となった。がまの油売りのああいう長口上をまだ若いメリ隊長がとうとうと話すのを聞いていて感動した。
4.講演「青赤白黒の人生相」最高顧問
青春、朱夏、白秋、玄冬の四つの人生の季節を自分に当てはめて、久しぶりの演説を行った。
5.関係者挨拶
ヨシムラ経理局長&一番隊長2009 ひな祭り誠会引き出物「Truth特別号」の特別・編集長:= 各年次すべての関係者から原稿を集めたとのこと
ヒロセ副長2011 本編・Truth最終号の編集長として、またすべての機関誌・TruthをPDF化した:= 古いTruthはファイルの残っていない物もあり、元本からPDFを複製したとのこと、全38号
シマヅ書記局長2011 倶楽部月例会の議事録をPDF化した:= 初期11号までは記録が無く、12号(2002年9月19日)~112号(2012年1月20日) までの101号分
クロダ三番隊長2011 10年分の優勝作品の主要頁と講評掲載:= 4科目膨大な数量になるので多くの作品は解体や返却をしたが、優勝作品は記録が取れた
なお挨拶はしなかったが、余は以上内容と2005年からの葛野図書倶楽部2001-Blogをすべてダウンロードし記録した。これには、何名ものご隠居たちの助力があった。
昼の部最後に、夜の部の幹事2003年次が挨拶をした。
★ 夜の部:伏見港・鳥せい
余は10名ほどのご隠居たちと京阪特急に乗って中書島駅で降りて徒歩10分の北上をした。鳥せいの2階に上がると幹事が数名先に着いていて、テーブルが8人がけで4つの島を造っていた。名札まであって、余は迷わず現役組のテーブルに座った。慣習にしたがって、余の左にタカハシ局長2011、右にヒロセ副長2011が座った。ひょっと前を見ると、サトウハ局長2010がにっこり笑ってカメラを構えてくれた。
最初に夜の幹事2003年次を代表して久しぶりのキザキ局長2003が挨拶をした。司会は前半をイチカワ三番隊長2003が中心になり、後半はイノウエ書記局長2003がまとめ、最後の一本締めも決めてくれた。
送別会挨拶はホンダ一番隊長2001/2002が綺麗にまとめてくれた。倶楽部の実働隊長として余人を持って代え難いとは、こういうご隠居のことを言うのであろう。そういえば余も数分の挨拶をした。で、乾杯はこれまた何年ぶりかのヨシオカ局長2004が明るくはなばしく杯を上げてくれた。
プレゼント交換
終盤に近づきいろいろなプレゼント交換があった。
儀式としては、常には後輩から卒業生になにかしらあったが、このたびは後輩がいないので、ナガオカ副長2005がまとめ役になって、プレゼント及び長文の「送る言葉」を皆に聞かせてくれた。たしかにこの送る言葉は出色のものであった。
それぞれが誰に手渡したかは喧噪の中で紛れてよく覚えていないが、送った者は、
ヨシオカ局長2004、
ナガオカ副長2005、
アカエダ局長2007、
ヤマムラ局長2008、
ヨシムラ経理局長2009、
サトウハ局長2010の6名だった。
現役6人には、ほかにも、ヤマムラ局長2008が秋葉原かどこかで調達してきたとか噂の「変な物」が数種類プレゼントされたよし(実はこの内実は正確にはまだ聞いていない)。
余にもあった。
セト局長2002から挨拶をうけた。
また、一つは2004年次組のヨシオカ、タキグチ、サイダ(欠席)の3人連名で黒い万年筆をいただいた。どこかで、余が大昔、楽譜用に近い太字で、黒インクを使っていたのを聞き及んでいたのかもしれない。余の好み通りのものだったので一種の驚愕を味わった。
一つは、ほぼ全員の手書きと写真によるメッセージアルバムだった。なかなかしゃれた文言と写真が一杯あった。これこそ人の心の結晶、百万両積もうとも、金(かね)の草鞋を履いて全国行脚しょうとうとも、手に入らないだろう逸品であった。これも事情はまだ聞いていないが、現役タカハシ局長達の思案で、各年次先輩に依頼し、それをシマヅ書記局長2011が中心になって編纂したとか、……。
現役6名はそれぞれの個性に合わせて送別に対する返礼を述べた。トリはタカハシ局長2011が締めくくった。
と、宴は3時間以上続いたが、あっというまに過ぎてしまった。
ヨシムラ経理局長2009が夜の撮影はビデオカメラを定位置にセットして余に向けていた。宴の前半はアカエダ局長2007が別のカメラを手持ちで写しまくり、後半はしらぬまにナガイ副長2007の手に小型ビデオがあった。写真は一応整理したが、余はまだ都合5本のビデオ内容を見ていない。何が写り何が語られていたかは、後日の楽しみとしよう。
終了間際にアサダ経理局長2003がにこやかな笑みをみせて小声でささやいた。「先ほどレジにいったら、お釣りまで出ました」と、祝着重畳至極也。みたところ、飲み放題にしては泥酔者はでなかったようだ(笑)。
これでお終い。
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