カテゴリー「図書館」の6件の記事

2012年9月 7日 (金)

小説木幡記:ちょっとぼんやり博物館

 今日も早朝から葛野で三島由紀夫論をまとめていたが、さすがに午後に入ると、脳がぼんやりしてきた。
 恒例の夏期論文もそろそろ草稿が初稿になる直前で、~少しだけ休むことにした。
 そういえば、8月~9月にかけて、会議や図書館や博物館巡りをまとめてしたので、夏の疲れかもしれない。よく眠れて、食事も快適なのだが、どうにも論文や会議やいろいろ屁理屈を考えるのがしんどいわけだ。脳が疲れておるなぁ。

博物館や資料室

(1)横浜と鎌倉
 ・原鉄道模型博物館 ここにはまだ資料室はなかったが、さすがにジオラマは素晴らしかった。
 ・ラーメン博物館(ご愛嬌だな) ここにもまだ資料室はなかったが、昭和の雰囲気がよくでていた。
 ・馬車道十番館 レトロな喫茶店で休憩した。ここは島田荘司作品の舞台となっている。
 ・金沢文庫 ここには図書資料室もあった。金沢文庫の原型は図書館史の武家図書館として十八番だ。
 ・鎌倉文学館 文藝博物館として全体が図書資料室だな。戦後の鎌倉文庫や、三島や川端や、鎌倉文士達の動向をある程度実感できた。何よりも、『豊饒の海』ではこの館が松枝侯爵の別業モデルになっている。観ておいて良かった。
 ・江ノ電のレトロ電車に乗ったが、これもある意味では動態博物館になっていくだろうな。
 ・神奈川県立歴史博物館 馬車道に面していた。ペリー来航時の西洋人顔を展示していた。もちろん図書資料室があった。

(2)伊勢
 ・斎宮歴史博物館 カウンターの後ろに資料室があった。
 ・本居宣長記念館 宣長の古事記伝などあったので、全体が一種の図書資料室だ。

 博物館とは言っても余の見学先は鉄道関係以外は大抵歴史博物館が多い。そこには資料室があって、司書が配置されている事例が多かった。いや、鉄道模型も一種の歴史産業博物館なのかもしれない。~

 今日はまだぼんやりしているので、最近まめまめしく読んだ数シリーズの小説や映画は、またの機会に。
 さて、一眠りしようかい。

 

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2012年5月10日 (木)

洲本市立図書館

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↑明治・大正レトロ街(旧・鐘紡洲本工場跡)

 この年(平成24、2012)の2月に四国を走って、淡路島経由で帰路についたとき、洲本のレンガ街が印象深かったので、写真を残しておく。
 中でも市立図書館が随分気に入ってしまって、しばらく中を歩いて座ってみた。人とは理屈だけでなく感性で動くところが多々あって、どこが、どうして良いのかとは、すぐには答えが出なくても、ただそこに居るだけで気持ちが良くなった。洲本市立図書館はそういう図書館だった。もちろん旅人の一過的印象と、そこに住んで居る人達の気持ちとが一緒になることはまれだが、「よい感じ、雰囲気」という印象はずっと消えないと思った。
 そしてまた図書館単体での優劣だけではなくて、その場の全体にも意味がある。私は以前から、明治や大正調の雰囲気が好きだったが、多分「煉瓦造り」に惹かれるのだろう。図書館は、そんな煉瓦造りの町並みの中に、ひっそりとあった。

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2011年9月18日 (日)

九州2011夏:佐賀篇:佐賀県立図書館の朝

承前:九州2011夏:小倉篇:松本清張記念館と文学館

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↑佐賀県立図書館の全景と入り口

 現代の佐賀県は県内を一時間程度で行き来できる地の利がある。京都府や滋賀県、奈良県は南北に長く、これは無理だ。奈良県は、いずれバイパス整備で解消されるだろうが、南北の交通停滞が酷く激しく、奈良県庁に会議のために人が集まるだけですったもんだするようだ。だから、佐賀県が小一時間で全員集合できるのは、珍しい。かといって、吉野ヶ里遺跡を見た後では狭い県とも思えない。

 ディジタル世界が進んでも、生身の人が住み、移動し、住処や移動した先にそれなりの空間・建物が必要なのは当たり前の事だが、えてして人は世相に浮き足立って、図書館のような建物は不要になると考える人も多い。ネットさえあれば情報を得るのは簡単だと思うわけだ。しかし実際に佐賀県立図書館のある堀端に立って巨大な楠木を実感し、図書館前の広い公園をながめないと、図書館があることの値打ちはなかなか分からない。そこで某Jo氏のように郷土資料室にどっかとすわり、遠い祖先の生きた姿を文献資料からつかみ取らないと、本当の情報収集とは言えない。すぐそばのお城の中にJo氏の父方祖母か曾祖母の実家があったとは、聞いて初めて驚いた話だった。

 しかし皮肉にも佐賀県立図書館のおもしろさを知ったのは順逆難しい所だが、ネットサイトの記事中に、『県は一つの大きな図書館(ビッグライブラリー)』なる惹句を見つけたからとも言える。サイトの底部には貴重で大部な資料があった(「図書館先進県づくりのための今後の方策」)。そして、こうやって古びたコンクリートの図書館にたどり着いたとき、私は人間が動き回れることのありがたさを知ったし、さらに遠い昔、昭和38年頃に開設した旧い京都府立総合資料館の二階の閲覧室で旧い雑誌をながめていた自分の姿を思い出していた。京都と佐賀とは離れているが、建物の雰囲気や懐かしさが似通っているのだ。

 今度、県立図書館が施設を建て直すのはいつなのかしらないが、現在の趣を残してもよいと思った。それは堀端の巨大な楠木、広々とした南面前庭、そして威圧感の無い低い階層。二階のバルコニーから庭や城域を見渡せる開放感、……。内部の絡繰り・仕掛けはいまさらそれほど気にならない。電脳まみれ、ロボットまみれになってもそれで良かろう。それらは何度でも更新できる。しかし館としての結構は一旦造るとそうそう増改築はしにくいし、バランスを欠いていく。最初が肝心なのだ。

 と、20年近く前に佐賀医大(現在は佐賀大と統合したようだ)の図書課長S氏に連れられて吉野ヶ里遺跡を案内されて、その遺跡見学の驚きで心がたまげて、県立図書館をみることもなく帰還した、その申し訳にやっとこのたび訪れる事ができた。葉隠れの国、再訪だった。

追伸
 宿泊はJR佐賀駅前のビジネスホテルだった。想像以上に手頃なお値段で、一泊と粥付き朝食バイキングを取った。さらに吉野ヶ里から着いたその夜は、疲れが雲散無償するような鶏肉屋を見つけた。これは、美味しい旅の味だった。JR佐賀駅前の大通りの右側を南一直線に10分ほど歩いた四つ角にあった(笑)。いやはやコースのシメは大きめのツクネに秘伝の甘たれがのっていて、これを串ごと横の黄身に付けていただくものだった。私は中性脂肪を取りすぎてはいけないので、黄身付けは止めた。

再伸
 県立図書館で用を果たしたあと、JR佐賀駅にもどりJo氏と美味い珈琲をいただき、それぞれ逆方向の特急に乗った。私は「かごめ」で博多まで戻ったわけだ。

佐賀県立図01
佐賀県立図02
佐賀県立図03
佐賀県立図04
佐賀県立図05

参考
 佐賀県立図書館
 郷土資料のデジタル化事業について(佐賀県立図書館)

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2008年8月 9日 (土)

防災センターと図書館納涼会

 昨日、終日葛野の図書館の人達と一緒に「防災」全体の体験学習をし、夜は納涼会に参加しました。昼の場所は、京都市の国道1号線沿い、「京都市市民防災センター」でした。約3時間、息をきらして体験指導をうけたのですが、この間、4名の指導員に付き添ってもらって、総勢13名がじっくり防災を考えました。そして、すべて無料だったのです。

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A→京都市市民防災センター
 体験内容は、いろいろありました。

1.強風体験: 風速32mを味わいました。私のポロシャツもまくれ上がって、大変なことになりました()。司書の一人は「息が出来ない」と言うてました。

2.地震体験: 震度7を味わい、おさまった一瞬に、ストーブ、湯沸かし、レンジを止めて、ドアを開ける訓練でした。再び激震が襲うわけです。これが一番心身にこたえました。終了後、私はまともに歩けなかったのです。

3.火災避難訓練: ホテルの廊下を想定して、無害の煙で充満した暗い中を誘導路にそって脱出するわけですが、未だに鼻に煙りの臭いが残っています。私と一緒した司書達は、全員死亡(訓練だから生きていますが)しました。

4.消火訓練: 消火器の練習でした。これは全員がうまく行ったようです。しかし実際の火事に直面すると、安全装置を外して、ホースを向けて、レバーを握るという単純な作業が、めちゃくちゃになりそうです。

5.くらしの安全対策: 主に、高齢者やハンディのある方の気持になって、日常の安全を考える訓練でした。歩行や首の動きを制限する拘束具を付けて、体験するわけですが、私は年に数回、持病で近似状態になるので、見ているだけにしました
 事務長さんと司書が一人追加で、妊婦体験をしましたが、約10キロの重りを付けて歩くわけです。そんなに重いとは想像もしていませんでした。
 高齢者の耳に、TV音声やチャイムや話し声がどんな風に聞こえているかの体験もしました。
 図書館の利用者にもいろいろな方がいますから、あらかじめ充分に想定して防災・安全を考える必要があると、いつになく生真面目に思った次第です。

拘束具を付けた司書達
風呂場の補助具

6.応急手当訓練: すでに夕刻、疲れていたのか、私は頭がぼーっとしていました。心臓マッサージは、脳の血流を確保するために、うまくいくまで胸のあたりを押し続ける重労働ですね。現在は、両乳首の中間を平手で押すわけですが、速度や力の入れ方が難しかったです。AEDという高圧電流で心臓に活を入れる機器の扱いは、葛野にも設置してあるので、熱心に聞きました。

7.京都大地震: 3D用の眼鏡をかけて場面をみていると、地震で跳んでくる石やガラスが直接身体にぶちあたるような感じがして、怖かったです。座席も左右に振動するので、現実感あふれていました。

8.土砂災害: 山小屋を想定した密室に入って、電気が消えた暗黒の中で、山鳴り、土砂の崩れや「家族」のうろたえを音で味わう体験でした。暗黒になると、正常な判断ができなくなることが分かりました。目からの情報収集が8割と言われていますから、音だけで外界を判断する状況にも対応する必要がありますね。

 以上いくつもの体験をしたわけですが、二つのことを理解しました。
 一つは、疑似体験でも相当に疲労し、ショックが強かったです。それが現実に起こるともっと凄まじいだろうという事です。強風は風速32mでも息ができない状態でしたが(私は若い頃にバイクで時速100キロ前後を体験しているので、ちょっと違うのですが)、それに雨とか飛来物が加わると、相当に注意しないと、生命の危険度は赤ですね。
 二つ目は、体験で得たこととは関係ないのですが、これだけの体験学習を何人もの指導員が、無料でしてくれたことへの感謝です。大勢の子供たちも参加していました。京都市内に勤務していて、良かったです()。

B:納涼会(京都駅前の、「京すいしん」)
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 体験学習のあとは、お楽しみ会でした。
 このお店、平仮名の「京すいしん」は、以前に「電子図書館研究会」でよく利用しました。国立国会図書館長の長尾真先生や、故・原田勝(筑波大学)先生の笑顔を思い出しながら、若い人達と料理を楽しみました。お値段とお味とのバランスがよくて、久しぶりに訪れたわけです。
 昼の防災体験が、少しハードだったのでしょうか、皆さんも私も酔いの回りが早くて、いつになく饒舌な一夜となりました。新顔の、芸術系大学の院生さんや、謎の解けた司書さんや、オペラ歌手や、三人のチルドレン(ちょっと古い語法ですな)や、ベテラン、えらいさん達と席を同じくし、「お勤めしているのも悪くないなぁ」と、いつになくまともな思考にたゆたっておりました、とさ。図書館の人達とのこういう交流も四年目になり、あと半歳となりました。大切に過ごしていきたいです。

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2007年2月16日 (金)

小説葛野記:20070216(金)司書とか情報図書館学とか人工知能とか

 最近、いつものミンスキー先生に親しんでいて、心の片隅では「図書館」とか、そういうことを教える「図書館学教育」とか「司書資格」とかに、思いをはせている。

情報図書館学の心髄
 何を学生達に伝えたいか、その観点からまとめておくのが一番だ。

 まず、歴史だな。
 人類の文明文化史、文字や紙の歴史、本の歴史、図書館の歴史。うろんな遠回りとはまったく思っていない。促成栽培の司書なんかいらないわけだ。もちろん図書の中に描かれた思想や宗教や戦争や経済や、文化の香りや、そんなことも身につけてもらいたいが、それはちょっと、手に余る。

 図書館を歴史の観点から見る基盤を若年時に身につけておかないと、図書館という安定すべき機関(エージェンシーであり、マシンだな)の運営、経営に道を誤る。世間の中にあるのだから、ある程度世間に合わすのは当たり前だが、時々の世間を超えて図書館とは、図書や情報を収拾し整理して、いつでも使えるようにして、可能ならば次の五年、十年、百年、次の世紀に継承させないとだめなんだ。
 行き当たりばったりでは駄目だし、世間の流行に合わせるだけでも駄目だし、かといって世間から見捨てられるような、忘れられるような物であっても困る。

 そして、人工知能だな。
 おっ、とここでなにか空耳。
 十年前でも、インターネットとか電子図書館とか言っているうちは、図書館の世界や司書の世界でも「うん、うん」と同意を得られていたのだが、ここで突然「人工知能」とか言い出すと、とたんに座がしらける。ごくわずかの、恩師とか先輩とか、賢い(笑)若い研究者にしか、こういう余の思いは伝わらなかった。

 つまり。初めて図書館司書になったとき、当時の図書館をデータベース(DBMS)に見立てるとすっきり分かることに気がついた。そして10年程たってパソコンが出始めて、触りだした頃から、なんとなく「人工知能」という文字が頭を走り出した。そして15年ほど前に、電子図書館の研究会に参加してから、決定的に「図書館とは、人工知能である」と思い出した。

 そして、この一ヶ月、ミンスキー先生を復習しだして、ようやく、それ以外ではない、と分かった。なお、誤解を恐れずに記録しておくなら、ミンスキーを読むことを十年も前に勧めてくださったのは、長尾真先生だった。もちろん、ご本人はお忘れだと思うが(笑)。
 (ところで、何故長尾先生の当時のお考えや、今読んでいるミンスキーが図書館の未来に合致するかは、ちょっと翻訳が複雑になるので後日のこととしよう)

 図書館司書。
 館種(大学図書館、公共図書館、国会図書館、学校図書館、専門図書館、博物図書館(造語!))や、待遇(正式司書、他部門からまわされた司書無縁の人、嘱託司書、長期非常勤司書、短期非常勤司書、ただのひと(笑))によって、バラエティがあるのだが、余が申した{歴史、人工知能}、この二つは心にとどめておいて欲しい(授業でもないのになぁ)。

 これは委細を記す。
 図書館に勤務することを、飯の種と思うことは間違いではない。ただ、派手に金儲けしたかったなら、職を変えるがよい。人類史に関わることだから、資本主義世界であれ、共産主義世界であれ、「経済的基盤」は一つの要素であって、それが図書館の理念にはならない、そういうエージェンシー、マシンなんだ。

 もちろん余とて、ふつうの「ヒト」だから、図書館であれ司書であれ、安定した経済基盤がなければ、絵に描いた餅、砂上の楼閣、そういう事実は身にしみて思う。
 だが、ここが肝要なのだ。
 それでもなお、図書館は「脳」であり、人類の巨大な外部記憶装置なのだから、胃や腸とは存在意義がだいぶ異なる。

<人類史>
 その異なりを知るには、人類史をわきまえておく必要がある。なにも、こむづかしい哲学や思想や政治史を理解せよとは思わない。人類は、こうして12000年(笑)、動物とは異なる文明文化を戦争しながら、愛しながら、狂いながら、つちかって今に至った。その歴史を知った上で、「さて図書館は、今の人にどう、役立っていただく。はたまた、子供たちに、未来の人達に、どう伝えていくのか」、そういう気持、そう、気分だけでも持ってもらいたい。

 その一筋の気持さえあれば、ボロは着てても心の錦、だね。悪い待遇で、365日ボロざっしの整理をする仕事も、わけのわからん子供達の相手をするのも、あるいは高級職員になったはよいが、外部指導機関のエリートに侮蔑されても(笑)、卑屈の極みになっても、心に一点光がともる。「余は、人類史に関わる、崇高な上等な仕事をしてるんだもんねぇ~」とな。

 そう。余も、ひごろ授業で若い人達にもみくちゃにされても、~(詳細を書くとお笑いになるのでやめる)、「余は、君たちを動物、ケダモノとは異なる、人類の一員として、人類史を司る高貴な職業の基礎を教えているのじゃ~」と、笑って済ませている。「メディア論」これが余の人類史だ。

<人工知能>
 異なった世界の相似性(アナロジー:類似性)に気づき、相互に応用したり、あるいは意外な本質を確認することが新しい考えを生む、とは余がもうしたことじゃなくて、恩師が昔百万遍の研究室で語ってくださった。

 そこで、人工知能と図書館。一方に「脳」、真ん中に「人工知能」、そして現実に「図書館」。こういうラインを想定してみましょう。ミンスキー流にもうすと、K-ライン(知識の太線かな)。
 
 閑話休題。
 だからといって、司書になる人みんなに、知識情報学とか、知能情報処理とか、さっそく社会人大学院大学に入って数年間ワークステーションにぶら下がって、むつかしい工学を学べとは、一言も言わない。
 そういうことじゃない。
 どういうことかというと、そういう現代科学の中のエッセンスを仕事を考える中に持ってもらいたいということだ。機は熟している。おそらくGoogleなんかが目指しているのは、一種の、Web上の巨大人工知能構築なんだと思う。
 Googleの創始者達は、つたない知識ではスタンフォード大学の院生達だったらしい。

 ただ、当然だがGoogleは経済基盤が優先になるから、それが人類史、人類にとって吉とでるか凶とでるかは余に占えない。経済活動は、血の流れない、しかし明確な「戦争」なんだから。戦争は勝つためには、どんなことでもする。大英博物館を封鎖して、一企業の為だけに使うかも知れない。(お、怖ろしい:英国と企業の戦争!)
 ↑これは嘘です。余がGoogleの幹部なら、言い出しかねない(邪笑)、いや、そんな悪じゃないけどぉ~。

 しかし、遠い遠い未来を考えるならば、そういう一企業がやり出した事業は、図書館と表裏一体のものとなる。
 断っておくと、すでに巨大電子図書館とは、余は言っていない。巨大人工知能と、書いたことを、くどく言うておく。MuBlogの過去四ヶ月の検索サイトランキングをみてもGoogleの強さが分かる。

検索サイト
解析対象期間: 2006年11月1日(水) ~ 2007年2月15日(木)
集計対象アクセス数:21,618
1 Google 12,227 56.6%
2 Yahoo 5,570 25.8%
3 MSN 1,183 5.5%
4 goo 1,040 4.8%

 それで、ミンスキー。
 人の知識情報とはどういう物であるのか、そういうモデルについて語られている。人の脳、知識、記憶、感情とを組織的に、システムとして考えられるという一つの事実を味わったなら、これからの図書館がどう言う風になっていけば、おりおりの世間の人に役に立ってもらえるのか、という課題のアナロジーがえられるねぇ。

附録
 余はMuBlogを余の外部記憶と捉えてきたが、これはもしかしたら、余の脳内記憶モデルなのかもしれない。技術的に考えてきたことを、もうちょっと露わにシステムとして実装したくなったし、隠居仕事がまたふえたような~。

 国内図書館にあっては、粘土媒体まで気をくばる必要は少ないが、少なくとも「紙媒体」に対しては、遠い将来に向けて責任を負わねばならない。紙メディアと電子メディアとは、別種のものなのだ。今後も、紙メディア、つまり図書を専業で扱えるエージェンシーは、図書館しかないだろう。

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2006年3月 4日 (土)

長岡京市立図書館の風景

長岡京市立図書館(京都府長岡京市天神)地図

長岡京市立図書館

長岡京市立図書館
 ひな祭りの午後、風が吹いて雪がふって、どういう風のふきまわしか、長岡京市立図書館の前に立っていた。長岡京探索の寄り道だった。味わいのある建築だった。四角四面にガラス張りというのは、本棚のガラス戸のようで、ほほえましい。駐車場も隣の文化ホール裏に比較的広い場所があった。

図書館のサンルーム

図書館のサンルーム

 小さな池に張り出したサンルームがあった。ガラスはよく磨かれていた。中に書架が写っていたので、帰ってから眺めて喜んだ、そのうえ人影まであった。

図書館からみた長岡公園

図書館からみた長岡公園
 地図で見るとこの池は「八条が池」となっていたので、八条通りの池かとも思った。なにしろ長岡京は、平安京、平城京と変わらぬ大きさだったのだ。別に記すつもりだが、平安京を尺度にすると、長岡京は南北に長く、平城京は左京(地図では東側)が外に出ている。とぼんやり考えたが、今は条坊制を考えるよりも、長岡天満宮の苑地が見える図書館ということに、とどめておく。

図書館のこと
 一階は成人用、二階は子供用、三階は会議室となっていた。このうち一階だけをこっそり歩いてみた。カウンターには三名ほどの女性がいて、仕事をしていた。司書さんなんだろう。利用客は高齢者、しかも男性が多かった。この形態は少し考え込むに足ることかも知れない。高齢者が多いのは、時間帯によっては当然だが、男性がめだったのが、気になった。サンルームの回りの椅子にずらりと座っていた。

 今、椅子と書いたが閲覧机はわずかしかなかった。日頃大学図書館を見慣れていると、ときどきこうした机なしの図書館にぎょっとする。最近の図書館は別にして、20世紀の日本の公共図書館は机なしが多い。辞書事典類を読むために、わずかにあるだけのことが多い。これはこれで図書館の歴史的な見方の変遷として、興味深い。

 昔、関係者にとって、図書館を作ることが最大の目標だった。図書館などにお金を充分払う自治体は少なかった。いろんな努力が実って、ともかく、限界の多いスペースだが、建築物は建った。しかし図書は毎年更新していく必要があって、建物がたっても毎年予算が増えていく。図書購入は図書館を廃墟にしないための維持費だった。それには親機間を納得させねばならなかった。その指標が、図書の貸し出し率だった。

 かくして図書館に図書を読むスペースは無く、図書を貸し出すためだけの機能が大きくなっていった。あるいはそういう指標を元にして、自治体や住民を納得させて図書館を維持する方式が普及し、あとに続く図書館は最初から読書スペースを無くした物が多くなってきた。

 かえって読書室が潤沢だと、生徒学生が勉強のために占拠して、勉強部屋になってしまう、という考えも生まれた。たしかに昔は冷暖房も家庭に普及していなく、狭隘な家には勉強する個室も少なく、それでも学校以外で自習したい者にとっては、図書館は極楽だった。朝、席取りに長蛇の列があったのを、私もまざまざと覚えている。

 他方、比較的豊かだった旧国立大学図書館では、試験期にそなえてどんどん閲覧スペースを増やしていった事例もあった。公共図書館の多くは、それと逆の道をたどってきた、が。さて、21世紀、少子化が進み、高齢者がふえてきた時代である。これからの図書館はどんな風になっていくのか、楽しみだ。

 ちなみに、私が住む宇治の木幡と、長岡京市とは、地図上では東西水平10キロの向かい合わせになっていて、自動車だと30分を切ることもある。風景がよくて気持ちよさそうな図書館なので、これからも通うことになろう。郷土史コーナーはさすがに「長岡京史」で埋まっていた(笑)。

注:しかし、私は宇治市民なので、この図書館で図書を借りることは出来ないようだ。「長岡京市に住んでいる方、通勤・通学している方ならどなたでも借りることができます。」さて、どうする。そうだ同じ京都府民だから、京都府立図書館に尋ねてみよう。私→京都府立図書館→長岡京市立図書館→京都府立図書館→私。なかなかに、大変かもしれない、はて、どうなるのか。道州制が導入されたらどうなる? と、ふと考え込んだ。

参考サイト
  長岡京市立図書館の公式HP
  府内の図書館-長岡京市

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