カテゴリー「情報図書館学」の47件の記事

2012年3月10日 (土)

小説木幡記:アップル社のiBooks-Authorなどでうむふむ

 以前、とは言っても2月ころか、アップル社が電子書籍を製作するツールをだした。無料というので飛びついて初版をダウンロードし、すでにパワーポイントで造っていたある種のbookを再構築した。
 なかなかのものだった。
 が、しかしそれから葛野も会議会議で失神するほど繁忙、さらにひな祭りには最高顧問を十年つとめた葛野図書倶楽部2001の集会もあって、寧日暇無し、ということが続いていた。

 昨日から漸く心おちつくひとときを葛野研でもてるようになり、さっそく仕事を再開した。
 なにが、とはいいにくいのだが、パワポやKeyNoteとは異なる。電子書籍を自製するには、将来iBooksAuthor、これしかないなぁという、そんなカン働きが働いた。昨日はさっそく微妙な仕様変更もあり受付、本格的に動かし始めた。

 今日は葛野で3時間実験した。
 そうだな、昔なら研究内容などの詳細は、そうそう人に言わなかったが、もう年も年じゃから言ってしまう(笑)
 ここ数年、有志学生たちと、鐵道図書館列車コンセプトのうち、いろいろな図書館や博物館を小さな基盤に作ってもらってきた。それぞれが報告書をだしてくれているので、それをまとめることにした。コンセプトと技術の両方を含んだ教科書を造り出したわけだ。

 各学生がつくるものは「モジュール」として情景は独立している。寺院図書館、海辺の駅図書館、田舎の図書館、黒い森の図書館、……。これらをリンク・結合させるのがレールである、……。と、説明はいずれ後年にでも。
 要するに、そういうモジュールを製作する報告書を電子書籍として造っているわけだ。

 ~
 まあ、いずれMuBlogでもきっちり記録するつもりだ。

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2011年6月 1日 (水)

小説木幡記:電子書籍と電子図書館はPMLで一つのものなのだ

Aopimg_55671.昔のことでした
 近々葛野で公開講座を受け持っておる。発表内容の調整はすでにできているのだが、当日話す前に、特別にMuBlogで(笑)でさわりをメモしておこう。

 むかし、江戸のふうてんさんとPMLという考えについて論議していた。それはシステム名なのだが、プロトタイプを作った記憶がある。しかし、PMLには二人の考えの微妙な違いがあった。ふうてんさんは、Personal Media Laboratoryと考え、余はPersonal Media Libraryだと思い込んでいた。直訳すれば、前者が個人情報研究室で、後者が個人情報図書館となる。

 研究室と図書館との違いは、前者は一般に実験器具などの装置を持ち、使用者は比較的限定される。後者は実験設備を持つことは原則ないが、使用者が不特定多数の傾向が強い。

 その違いがあるにもかかわらず、ふうてんさんと余との間に話の齟齬が少なかったのは、研究室と図書館とを修飾限定する言葉、Personal Media を持っていたからだと思う。これも直訳すると、個人的なメディア、個人情報となる。もう少し展開すると、Personalとは明らかにPC:Personal Computerからの借用で、media はあらゆるメディアを指し、マルチメディアと考えて良い。ただし、すべての情報をメディア変換して、ディジタル情報に変えた結果を意味している。

 つまりイメージとしては、机上の研究室であり図書館を指していた。研究室の実験器具はメディア限定とも言えるし、ディジタルメディアに収束していたとも言える。勿論、図書館の膨大な書籍はディジタル情報に変換されているという前提だった。

2.電子書籍←→電子図書館
 この20年間、インターネット情報と電子図書館との違いを、運動場や野原に山積みされた図書雑誌を、決して図書館とは言わない、その論法で説明してきた。インターネット情報とはカオス・混沌世界であるが、図書館情報は整理整頓されたものを指す。

 そこで。
 昨今の電子書籍およびこの集合を格納したアンドロイド端末(つまり携帯電話機)やiPadやキンドルは、個々の電子書籍が統合されて、整理整頓した状態にあるならば、これはPMLだと言える。そこにクラウド(雲の上情報)機能を有機的に組み込んだ場合、巨大なネット上にある電子図書館と、個人のPMLとに区別がつきにくくなり、折り目無しの平滑スムーズな電子図書館に変貌する。これは20年前に電子図書館研究会で得た結論の一つ「スケーラブル」に合致する。つまり規模の大小を問わない世界が電子図書館の特徴なのだ。

 そういう考えを言外にもって、電子書籍元年の昨年から今年のiPad状況を20年前と比べながら、話す予定である。ただし余はiPad2 を持たない貧しい研究者なので、格好は悪いが~ぼろは着てても心の錦なのだぁ。

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2011年5月 1日 (日)

小説木幡記:メディア変換の中での紙や電子書籍

Muimg_5730 メディア変換という言葉は、媒体変換ともいえるから、単純に考えるとたとえば粘土板に書かれている本を、紙に印刷し直すようなことが想像できる。他方、もっと大切なことは、地図を文章に変換したり、文章から写真(静止画)や、動画に変換することもある。この方が根源的で大胆なメディア変換である。
 ところで。
 最近、というか先年の春にアップル社のiPadを注文して以来、ずっと電子書籍と紙書籍の対比を考えてきた。余が考えずとも、余人が賢く考えてくれるわけだが、暇もあり手持ちぶさたもあって、ともかく考えてきた。そこで、現状での中間的な結論はというと。3つでてきた。

1.小説の電子化必然性?
 電子書籍化という必然性は、新しいメディアを生み出すことにつながる。だから紙で済ませられることは紙で済ませておいてもよい。
 つまり、ひたすら読み進んでいく小説などは、そのままのテキストならば紙の方が読みやすく扱いやすい。ディジタル化すると数千冊を持ち運び出来るから便利という話にもなるが、~人間は大抵一冊の長編小説を読み終えるのに数日かかるから、数千冊を同時に必要なのは世界旅行したり、特別な職業の人だけだろう。

2.新しい別種の電子化小説?
 電子書籍化の必然性と持続性は、電子化することで圧倒的な利便性や別の世界が広がる時だろう。たとえばテキストオリエンテッドな小説が、電子化することでゲーム化したり音や映像の映画的要素が入ったとき、初めて電子化書籍の強い意味が生まれる。
 それは紙書籍媒体から別の新媒体に変化(あえて進化とは書かない)したことになり、iPadのような読書機があってこそ生まれるものだ。iPadで村上龍の歌うクジラ(ネット上での電子版解説あり)を読むというよりも眺めていると、近未来の新しい電子書籍を想像することができる。坂本龍一の音楽から雰囲気を耳できっちりとらえて、そして篠原潤のイラストが近未来世界の形を見せてくれる。
 従来のテキストオリエンテッドな芸術から、別の物が生まれる端境期だと思った。

3.メディア変換の難しさ
 コンピュータが生まれて70年近くになってきた。インターネットが日本の一般社会で解禁というか普及し始めたのは1995年前後だから20年近くになる。その間の変化は犬加算年というか、「実年x7」の勢いだった。つまり、陳腐化が早い。インターネット話は、実年は20年弱前だが、一般的な歴史に換算すると140年ほども昔のことになる。要するに明治時代のことと同じくらいに古い話である。
 その間のメディア変換の激しさからして、すでにインターネット黎明期の情報を読み返せないことが多い。情報の格納形式と、格納媒体の変化によって消えた情報も多々ある。
 たとえばβのビデオが沢山あって、再生機が生産販売されていない世界では、もうβにあるビデオ映画を見ることが出来ない。と、それはたとえ話ではなくて現実である。

 この1~3は、紙であっても電子であっても、それぞれの格納媒体が生まれた時、新旧メディアの並列同時存在時期が長く続いたと考えている。紙印刷術図書は1450年のグーテンベルグころを始点とできるから560年前だ。紙が生まれたのは諸説あるが中国で西暦紀元前後と考えるのが穏当なところであろう。2000年前だ。そして電子計算機の誕生は1945年頃、65年前のことで、7倍して455歳(笑)。紙印刷図書の年齢が560歳で、電子書籍が455歳。まだまだ共存するだろう。(昨年2010年iPadの誕生普及をもって電子書籍元年と言われ出した)

 それにしても、コンピュータのOS自体が問題だな。今時、CP/MとかMS-DOSとかOS9、Windows95とか、~Apple2対応とか~。そういうゲームやテキストを、現代のwindows7やMacXやLinuxで扱うのは至難の業だし、玄人でないと無理だろう。さらにそのころは音楽テープや紙テープ(爆)や巨大な7インチ・フロッピーディスクにデータを保存していたような気がする。5インチはその後だ。わずかに30年昔のことだ。メディア変換して現代に蘇生させるには、研究課題になるくらい苦労する。

 いろいろ来し方行く末を考えるとしんどくなってきた。数日前にiPad2 が国内発売された。そのうち、初代iPadで読めた小説は、iPad5くらいになるとフツーゥには読めなくなるような悪い予感がする。taurus

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2011年3月 1日 (火)

小説木幡記:海辺の駅図書館

Muimg_6955 
 
 ↑写真は2010年夏に開催した「未来図書館ジオラマ」制作で、書記局長2010が造った「海辺の駅図書館」だ。参加者全員が、ジオラマ、レイアウトを生まれて初めて造ったようだが、多くは三日間で基本を完成させた。
 この写真作品も書記局長は三日間で完成し、その後数日掛けて海の色や砂浜や階段に手を入れていた。
 余は特にこの砂浜におりる階段や海の色、そして濡れたような砂浜、岸壁が気に入っている。

 景色だけは豪華絢爛な地方駅。
 単線で乗降客も少ない。
 しかし気候に恵まれ海も静かでサメもいない。その片隅の駅には司書資格を持った女性の駅長がいて、乗降客へのサービスや、丘を越えた向こうの村や隣駅の子どもたちに読書指導をしている。子どもたちは本を読みたいだけでなくて、その駅長司書のおねえさんが気さくで、畳部屋の閲覧室の上がりかまちに腰掛けて、列車がくるまでの間、子どもたちに京都の話や、はやりのファンタジーや、映画の話をしてくれるのが楽しみなのだ。
 少女や少年は目を輝かせて遊びに来る。
 ここはそんな海辺の駅図書館なのだ。

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2010年12月26日 (日)

葛野司書・共同演習(2010後期)情報サービス・資料組織Ⅰ 

承前:葛野司書・共同演習(2010前期)情報図書館学・資料組織Ⅱ 

 2010年12月16日に、「情報サービス」及び「資料組織Ⅰ(分類)」の作品(9月からの共同演習成果)が提出されました。写真整理が完了しましたので、各作品名の簡単な感想や写真を記録します。

1.情報サービス:専門主題のレファレンス・ツールを作る
2010jop640
助勤→佐藤(は)局長2010、曽我書記局長2010
特別参観→吉村経理局長2009

S1 嵐山周辺にある小倉百人一首の石碑についてのレファレンスブック
S2 夏の課題図書
S3 宮廷女官チャングムの誓い
S4 ONE PIECE
S5 『ガラスの仮面』のレファレンス
S6 近畿地方の妖怪
S7 藤沢周平
S8 日本の歴代首相

2.資料組織Ⅰ:専門主題の分類表を作る
2010bop640
助勤→佐藤(ゆ)経理局長2010、曽我書記局長2010
特別参観→吉村経理局長2009

B1 島津創業記念資料館の教育理化学器械の分類
B2 『5分間ミステリー』の分類
B3 川端康成『掌の小説』の分類
B4 彩色絢美
B5 ターシャ・テューダーの絵本の分類
B6 KARA-AGE分類 99選
B7 阪急電車の駅の分類
B8 日本の硬貨の分類

3.二科目の感想
 私と助勤の正式な講評は2011年1月刊行の機関誌・教材「Truth」34号に、上位3席の発表と、全作品へのコメントを掲載します。また特別参観者の感想文・寄稿もあります。

 <情報サービス>は洗練された質のよい情報整理と、目もくらむ大量情報の手際よい処理とに、二極化しました。
 前者、洗練された作品は{S1百人一首、S2課題図書、S3チャングム、S7藤沢周平}が該当し、対象世界全体を把握できる作品になりました。助勤はこのシンプル・イズ・ベストに高い評価をだしました。また、実際の成績とは独立した特別参観者の評価感想も、現役助勤と重なっていました。

 後者、大量情報処理の手際よさは{S4One-Piece、S5ガラス仮面、S6妖怪、S7首相}で、もともと情報量が多いか或いはとらえどころの無いテーマなので、迷路を歩むような印象となりました。これは学生相互評価(平均)と私が、比較的に高い評価を出しました。
 今期分かったことは、大量情報を対象としたときは、相互関係情報を結合するためのアクセス・リンク自体に、階層性(分類と言ってよいです)が必要なことです。昨年度は、それを「中間リンク」としてうまくまとめた作品がありました。

 <資料組織Ⅰ(分類)>は、内容を深く読み込み、各記録が持つ多様性を表にまとめ、その行列が交わるところに記録を並べていく作品と、対象情報全体をだれが見てもわかりやすい階層にまとめ上げたものと、大きく二つの違いがありました。
 代表的な作品をあげるなら、前者の行列表による分析は{B2ミステリ、B3 川端康成、B6 kara-age}が顕著でした。残りは「わかりやすい階層分類」が取られています。
 今回の評価は、私と助勤と学生相互評価、そして特別参観者の感想、その全てが大体一致しました。ただし、私はこの中でも、数点の行列表による精緻な分析をほどこした作品には高い評価をだしました(笑)。

まとめ:科目目的
 さてそこで、かねがね思っているのは、科目の目的を明確にすることが、すっきりした作品を作る秘訣だと思いました。ただしその中で、前期の「未来の図書館を造る」は情報を整理整頓するよりも、未来環境の整備ですから他の三つとは道筋が異なります。これは別の機会に話します。

 主要三科目で大切なことは、それぞれの作品を構成する手法が、実は密接に関連していることの把握です。

 A:資料組織Ⅰ(分類)では対象情報群(テーマ情報)をしっかり集めて、内容を分析し、一意に分類すること。
 B:資料組織Ⅱ(目録)では対象情報群が持つ自然な性質に従って一意に記録を並べ替え、多様な索引を作ること。
 C:情報サービスでは、対象情報群をいくつか(多義)の視点で(A+B)としてまとめ、
   その視点間の関係を結合すること(アクセス・リンクのセット)。

 ということで理屈を書き出すと結構難しく感じるかもしれませんが、各年次のほとんどの優秀過去作品は自然に上記目的を達成したものです。そういう目で再度過去作品にあたってみると、理解が深まります。
 では来年にまたお会いしましょう。

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2010年12月 3日 (金)

小説木幡記:2010/12/03(金)満鉄あじあ号の(列車)図書室

Mudsc00026 昭和十年代の満鉄(南満州鉄道株式会社)に特急あじあ号が走っていた、そうだ:余は見たことはない。大連~新京の700kmを8時間30分で行き来した。先頭の蒸気機関車は流線型でパシナ形と呼ばれている。最高速度は120km時速、冷暖房完備で乗り心地は静粛だった(らしい)。
 鉄道マニアだと真っ先にこのパシナに目がいくだろう。線路の規格(1435mm)といい、車両の大きさといい、現代の新幹線が満州の直線路をひた走りに走っていた、と想像できるほど斬新な設計だった。たしかに模型でも色は異なるが、満鉄あじあ号は新幹線模型と同じ大きさ、似た雰囲気になっている。
 ~
 →市原善積さんの書かれた『満鉄特急あじあ号』は、氏が直接この特急列車建造にかかわった経験から得た内容で、好奇心にかられて各ページ、写真、文章を興味深く読んだ。その中の一節が目をひいた。

なお展望車と一等座席との間には書棚とテーブルがあり、快く旅の手紙がしたためられるし、読書やカードも楽しむことができ、またマグネット式碁盤、碁石も備えられて囲碁愛好家に喜ばれていた。(展望一等客車 p183)

 この一等展望室の図面は同書のp246-247にあって、車両長が24.696m、幅3m、高さ4.2mと、いわゆる25m級の大きさで、これは新幹線の客車と相似である。ちなみに在来線の車両は大抵は20m長、2.5m幅、と小振りになる。

特急列車図書室
 この図面を見てみると、たしかに展望室と一等客席の間に机・読書室そして書棚という表記が見られた。設計者達は、単純に机を置くだけでなく、ここを読書コーナーとして設計していたことがよくわかる。これで、ここ数年来気になってきた「満鉄には(列車)図書室があった」という伝説の一端が氷解した。

 現代の新幹線と大きさが同じで、速度だけが120km時速とすると、なんとなく以前に乗車した近鉄「楽」を思い出す。「楽」は乗り心地が静粛だったことと、直線が続くことから、新幹線と変わらないところがあった。車内で読書することも自然にできた。しかし昔(70年ほど昔)の満鉄は、現代に通じる特急車両に、設計図面レベルで「読書室」を設定していた。これは設計思想として、日本の鉄道図書館列車の幕開けだったのだろう。

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2010年10月16日 (土)

机中のカシオペア号:図書館ジオラマ

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 ジオラマ・レイアウトの発想に関わることとしてメモをしておく。これは事例として図書館と図書館列車をテーマにしているが、それとは別に狭隘な日常空間の中で、引き出しの中に別の宇宙を作ってみたい人のためのヒントになればよい。
 写真は、内寸で500x400x45mmの引き出しに翠の毛氈(笑)を敷いて、レールレイアウトを試したものだ。レールはTOMIX社の半径140mmを多用した。Y字型ポイントを一つ加えて引き込み線も作った。
 二階建ての図書館は、TOMIXの現代民家を「みたて」て置いた。これは引き出しを閉じるときは外に出す。高さが6センチあるのでそのままでは閉まらない。

 引き込み線に待機しているのは、金太郎・EH500。これは半径14センチでも難なく走行する。走っている電気機関車(パンタグラフを外しているので電池式と想定)は寝台特急カシオペアを牽引しているEF81形と、サロ124二階建て客車。ただし、EF81形カシオペアが走行するには、以前台車を少し削った。(MuBlog記事)

Opmuimg_4609s 俯瞰してみると、引き込み線やY字ポイントの収まりがよくない。あり合わせのレールやポイントを使ってとにかく机中:引き出しの中を二階建て図書館列車が走るのを、手早く実現したかったからだ。
 これはこれで佳かろう。

 タイトルにジオラマと記したが、あっさりしすぎてレイアウト(レール配置)そのものだと思っている。しかし、想念ではここに川が流れ牛が放牧されて、二階建て図書館列車から降りた利用者が、ぱらぱらと牧場を横切って基地図書館への散歩をしている姿が眼裏に浮かぶので、図書館情景ジオラマの一コマとして記録した。

 ここからは鉄道模型固有の問題だが、ジオラマ・レイアウトはスペースを使うので、いろいろな工夫をしないと取りかかる前に諦めてしまう。
 今夏の学生達との制作も、モジュラー方式(分割式レイアウト)を取ったが、2名は独立したA4判の透明ファイリングケース(厚さ4センチ)にモデルを埋め込んだ。
 さまざまな情景ジオラマ(未来の図書館)をモデル化するには、一つ一つのスペースが小型の方が、一覧もよく比較しやすく、多様性を残すことができる、……。

 ということで、極端ではあるが、一度引き出しの中に作ってみたかった。しかし、この引き出しの中に、石膏を塗ったり粉をまいたり、木を植えるまでの根性は、まだ生まれない(笑)。ただしDCC化については考慮してもよいだろう~flair

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邪馬台国の図書館:病院A木造(トミーテックのジオコレ)

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 図書館のある情景ジオラマを今夏学生達12名と猛暑の中、モジュールに分担して、のべ10日ほどかけて作った。で、その話は後日に章をたてて記録するつもりだ。ただ、その準備期間中にそれぞれに現代の建物コレクションを見てもらって、それを「図書館にみたてる」という、みたて製法をとった。この事情は種々あるが、今のところは、「情景ジオラマを作る時間で精一杯。独自図書館建築までは手が回らない」と、しておく。

 「みたて」のいくつかは、寺を図書館に、松本城や熊本城を図書館に、農家を図書館に、海辺の駅を、……。あるいは教会をブライダル図書館に~と、それこそイメージ豊にいろいろあった。それをまとめて紹介するのを楽しみにしている。

 今回巻頭写真は、数日前に入手した「トミーテック社の病院A木造」である。トミーテックのジオコレシリーズの建物コレクションは、組み立てやすく、汚れ具合がよく、価格も2000円前後と入手しやすい。MuBlogでも以前に「神社」を紹介した。今回のものは昭和初期の木造病院だが、明治村の建物に雰囲気が似ていて気に入った。さっそく組み立てて(10分間程度)、これを古典的な図書館に見立てることにした。

 どのジオラマ・レイアウトに配置するかは考えているが、一応「邪馬台国周遊図書館ジオラマ」の分館扱いにすることとした。今後は、以前の「ペンション」に加えてこの病院も大きめの図書館<コード:記号>として扱う予定である。この建物があれば、「図書館です」という暗黙のルールつくりである。

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2010年10月 6日 (水)

天橋立研修旅行20100909(3)丹後国分寺跡と丹後郷土資料館

承前:天橋立研修旅行20100909(2)天橋立{文殊堂、阿蘇海、籠神社、傘松公園}

3 丹後国分寺跡と資料館
 研修旅行の目的には、各地の図書館や博物館、資料館、史跡などを体験することが含まれています。私は景観全体のイメージを重視していますので、個々の現代の建物・資料よりも、地域全体の雰囲気を味わうことに心しています。
 
 奈良時代(8世紀)、聖武天皇の頃に仏教を日本の国是とする考えが成熟してきました。その一つに、全国に国分寺、国分尼寺を建立し、中心を奈良の東大寺(総国分寺)、法華寺(総国分尼寺)としたことです。東大寺の大仏さんはその象徴で、鎮護国家を願う宗教的な気持ちが根本にあります。

 関西に限っての国分寺(男・僧寺)を旧国名で探してみると、紀伊、大和、近江、山城、丹波、丹後、河内、和泉、摂津などがありました。山城の国分寺跡は恭仁宮跡として以前探索したことがあります。この宮津市には丹後一宮・籠神社と、丹後国分寺跡がありますから、一帯・与謝郡に国府があったのだと想像できます。つまり、上代・古代の地域中心地として栄えたのでしょう。

3.1 史跡・丹後国分寺跡(たんご こくぶんじ あと)
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 国分寺跡には案内板とベンチがありました。
 写真の下方は現地の案内板の内容です。これによると中世・後醍醐天皇時代の建武年間に、国分寺が再建されたとのこと。
 資料館を見た後、ここのベンチで阿蘇海を眺めていると、バスに弱い幹事の書記局長2010が傘松公園・ケーブル府中駅から自転車でやって来たので、しばらく古代話をしゆっくり休みました。

3.2 資料館への道
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 写真最初の海は、資料館への登り坂から振り返ってみた宮津湾・阿蘇海です。地図で見ると、天橋立を眺めていることになります。
 次の二葉は資料館の遠景と近景です。建物は老朽化が激しく思えました。炎天下の坂道だったので私はいささか疲労が重なり、前を歩く隊員に荷物を持ってもらったり、杖をひっぱってもらいました。

 ようやくたどり着いた資料館ですが、電気も消えていました。だれかがおとないをいれると、係の方が出てきて「クーラーが故障しています」との事でした。写真撮影も禁止で、クーラーも無かったので、私1人だけ早々に退室し、国分寺跡のベンチで涼んでいました。(旅の終わりは疲れるものだ、と思いました)

3.3 足湯
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 バスで天橋立駅に戻ってきました。幹部の計らいで「おみやげ」「散策」時間を約1時間用意してありました。実はそれでも計画が前倒しになり、当初予定していた京都駅までの直通特急を止めて、1時間早めた別の特急(福知山で乗り換え)にしたのです。

 駅前に外湯「智恵の湯」がありました。研修旅行を終わってからこうして記録をまとめていると、智恵の湯に入らなかったのが残念なことでした。これからはタオルくらいは持参して、いつでもどこでも外湯に入れる準備をしていた方がよいようです。
 タオルや石鹸は用意してあるでしょうが、「心構え」です。
 それで私や、あと数名の人たちがぱらぱらと、この無料の足湯をつかったようです。遠くから眺めるとしばらく混んでいたのですが、私の時は、見知らぬ旅人がひとりいたくらいで、無人に近い足湯をじっくり楽しめました。

 靴下をぬいで足をつけると、疲れが足先から湯に溶けて出ていくような感じがしました。足湯の効能には、実際に血液循環がよくなって疲れるが取れるのも事実ですが、イメージとして「落ち着いて、ほっこりして、疲れを出していく」という想像が、心身を楽にしてくれました。

3.4 帰路
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 帰りは、天橋立→エクスプローラ4号→福知山→きのさき10号→京都、となっていて福知山で乗り換えました。おそらくこのエクスプローラ4号は福知山から大阪方面に向かったのだと思います。ここで、幹事・三番隊長だけが大阪方面にそのまま向かった記憶があります。残りは、「きのさき10号」に乗り換えました。

 こうして、行きは西舞鶴経由で、タンゴ浪漫号に乗って天橋立に着き、帰路は二つの特急に乗って快適に京都駅に無事たどり着きました。バス旅行や鈍行旅行に比較すると旅費が少し上乗せされましたが、鉄路を特急タイプの車両で走る快適さはすてがたいものがあります。
 幹事達の旅行計画として、疲れの少ない往路に観光列車を選び、復路は広々とした特急タイプを選んだのは正解だったと思います。

3.5 エクスプローラ4号
Bmuimg_4576

 現代の特急車両大写しを掲載しておきます。日が経っていたので一瞬車種がわからなかったのですが、後ろから見える髪型で判定できましたcat。なお、特急エクスプローラはKTRサイトに記事がありましたので、記録しておきます。眺望のよいハイデッカータイプと分かりました。
   KTR タンゴ・エクスプローラ
 福知山から京都まで乗った特急・きのさきは、JRおでかけネット:きのさき183系、という記事がありました。

3.6 まとめ:天橋立研修旅行
 現代の日本三景・天橋立が歴史観光地としてどれだけの吸引力を持っているのか、それは私には判断できませんでした。ただ、夏期の猛暑の九月上旬平日では、それほど沢山の人がいたわけではなかったのです。特急列車の贅沢な空席や、傘松公園のレストランの空席からそれはうかがえると思います。

 日本三景といわれるだけあって、天橋立の景色は感動をもたらしましたが、私は最後に回った丹後国分寺跡と眼下に見下ろす阿蘇海との対比がもっとも印象深いものでした。無人の国分寺跡から眺める景観を、古代日本の原風景の一つとして味わいました。

前←→先頭

参考
  ふるさとミュージアム丹後:京都府立丹後郷土資料館
  智恵の湯
  
大きな地図で見る
↑丹後国分寺跡

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2010年9月21日 (火)

天橋立研修旅行20100909(2)天橋立{文殊堂、阿蘇海、籠神社、傘松公園}

承前:天橋立研修旅行20100909(1)京都→天橋立:タンゴ浪漫1号

2 天橋立周辺観光
 私が数年前に天橋立へ行ったときは(茶六別館:MuBlog)、往復を自動車にして、温泉につかって美味しいものをいただいて~が中心でした。勿論傘松公園には登りましたし、麓の籠神社(このじんじゃ)もじっくり参詣しました。
 今回は、JR天橋立駅からすぐの智恩寺・文殊堂でおみくじを開いて、船に乗って対岸に渡って、籠神社、傘松公園、そして資料館と続いたわけです。幾分丁寧に周辺を観察した研修旅行でした。

2.1 文殊堂
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 智恩寺のことをもっと詳しく知ろうと思いましたが、紀行文としては「知恵の文殊さま」ほどでよいと思い、調べを中断しました。ただ、国宝の「紙本墨画淡彩天橋立図/雪舟筆」には当時(中世室町時代)の天橋立が詳しく描き込まれていて、そこに智恩寺や、対岸の籠(この)神社が記されていると、方々の記事で確認しました。ちなみに、雪舟の天橋立図は最初籠神社に納められたという話を知ったときには、意外な感がしました。要するに、その後流失し、現在は京都国立博物館に所蔵されたという流転があったわけです。

 さて。かねがね思っていたのですが、女性の信心深さは一方で占いに凝りすぎたり、淫祠邪教にはまり込んだりと佳くない面もあるわけですが、他方、彼女たちの心の深さによって宗教心とか情操が長い年月をもって育まれてきたのも事実です。それなくして高くて深い文明、文化はうまれなかったと思っています。
 私は遠くから眺めていたのですが、本当に熱心に文殊堂で手を合わせ、近くでいそいそとおみくじを開いて一喜一憂しておりました。そのひとつひとつの表情や、遊覧船がでる時刻のぎりぎりまで堂内や境内を離れなかった隊員達の深層心に、私はいたく感動したのでした。

2.2 観光船のりば
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 幹事や局長が皆と離れて別行動にでたことを私はめざとく見つけました。実は私もひとりで別の動きをしていたのです。そうです、行き先は「船のりば」でした。幹事達と私の思いは同じだったようです。というのも、私の場合今回の研修旅行の付録として、船で宮津湾・阿蘇海を渡海することが楽しみだったのです。船は大抵時間が決まっています。だから、幹事や局長はリーダーとして、最初に観光船のりばを探したということです。

2.3 阿蘇海の渡海
07funenoue 観光船乗り場からは、知恵の輪や旋回橋が見えましたが、幹事達の作った旅の栞には詳細が無かったので(笑)、無視したことになりました。ただし両者とも、幼児期の記憶にうっすらと残っていました。特に旋回橋を見下ろす旅館に泊まった記憶まであります~。そこでオジから、「橋と箸」のアクセントがおかしいと、矯正されたことまで覚えています。
 幼稚園前後だと思います。

 観光船にはわずかに10数分の乗船でしたが、全員楽しんだようです。笑顔で一杯でした。青空と蒼い海と、気温がそこそこで風もあって、気持ちのよいクルージングでした。
 全員上甲板に上がったままでした。
 ただ、ふと気付くと一人足りないので、船室を覗くと、幹事さんがたった一人で経理作業をしていました。なかなかに、うむ、ふむ、の思いで一杯になりました。

2.4 籠(この)神社の水琴窟
08kono

 この、籠神社はなかなかに由緒来歴が深く広く、数年前に訪れた時以来、多くの資料を集めたので、まとめようと思ったのですが、そのままになってしまいました。今回もいろいろ考えていると頭が痛くなったので、適切に話を打ち切ります。要するに、海部氏(あまべし)系図という国宝があるのです。古い古い話なのです(笑)。伊勢神宮の元々の神社ですから、崇神~垂仁天皇と、ヤマトタケルが活躍したころの世界から始まっていて、気の遠くなるような世界です。

 で、境内に水琴窟(すいきんくつ)があって、新人さんが耳を当てて聞いていました。私も耳を澄ませて聞きました。「と、っぴん」と小さな音がしていました。もちろんこの擬音表示は写真の隊員さんに再確認するなら、「いえいえ、ぱっぷん、でしたよ」と言われるかもしれないので、黙っておきます。
 少し調べましたが、籠神社ではこの水琴窟に関する詳しい話は得られませんでした。作庭の仕様のひとつと思っておきます。

2.5 傘松公園ケーブルカー
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 傘松公園が籠神社の裏手の山上にあって、その登り口の府中駅には徒歩すぐで着きます。山上の傘松駅とはケーブルカーかリフトで行き来するわけです。どちらに乗っても往復で700円前後でした。私も含め、一行の登りはたぶん全員がケーブルカーだったはずです。
 しかしケーブルカーを考えた人は工夫したものですね。大体の山の斜面角度に合わせて車体も斜めに作るわけでしょう? 実に面白い考えです。

 傘松駅に着くとさっそくみんなは股覗きや散歩、写真撮影にかかりきりになりました。私も数名と「かわらけ」投げを試してみましたが、だめでしたね。飛ばずにすぐに落ちました。
 そのころでした、携帯に連絡が入ったのは。
 「いま、リフトに乗っています。もうすぐ着きます!」と。謎の書記局長2010がついに姿を現すことになりましたleo

2.6 昼食:海の幸と現地集合
10hiru もう午後1時まえだったでしょうか、随分空腹でした。幹事に引き連れられてレストランに入りました。「最高で1300円までですよ」と、釘を刺されました。しかし最初は「千円までで」との事だったので、なにかとゆとりができたのでしょうか。
 後日のために結論を記すと、うどんなんかを食べた隊員は「?」でした。海鮮丼系の人たちは、私も含めて「おお、すばらしい!」でした。なんというか、天橋立に来てまでうどんを食べる必要はなさそうです。

 ところが。
 その頃無事にレストランに着いたミステリアス書記局長は、局長と二人で別席に座って、窺い見るとなんと「とんかつ定食!」でした。あははは。いろいろ、好き好きですねぇ。

 ところで。
 今、写真を見ていて気付きました。大型観光バスが写っています。ということは、ケーブルカーやリフト、徒歩以外にバスが走る登山道もあるようですね。ふむふむ。

2.7 リフトからの眺望
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 帰路はほぼリフトで降りました。新人の経理局員さんがケーブルカーに乗ったという記憶があります。少なくとも、リフトで降りた一行は、みんな(3人しか写っていませんが)笑顔がよいです。今回の旅は、この笑顔だけでも百点! でした。
 まだまだ旅は続きます。

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参考
  天橋立 智恩寺
  丹後一宮 元伊勢 籠神社(このじんじゃ)
  雪舟筆 天橋立図(籠神社)

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