NHK義経(49)源九郎義経の最期
この義経の最期の日々が、その後日本の大衆の中ではぐくまれ、義経伝説、判官贔屓となった。そして今年一年、かくいうMuもその伝説の中で毎週生きた。
現代のMuですら長い人生の中で、仙台や平泉という奥州へは二度、三度ほどしか足を踏み入れていない。今から900年も昔、義経主従は藤原秀衡をたより、この地に逃亡し、そして四代目の泰衡に攻められて、自害した。
遙かな昔の遙かな地でのことが、今夜よみがえった。
義経主従の死は悲しいことだが、それでも、もう逃げなくて良いという安堵感もあった。史実としては、頼朝は義経追捕を名目として、政権の基礎である全国への警察権、軍権を敷設したのだから、望みのない逃亡だった。
奥州には奥州の理屈がある。泰衡が義経の首を鎌倉に差し出したのは、当時の武家の身過ぎ世過ぎとして、間違いだったとは言い切れない。藤原家は、義経に義理は無かったとも言えよう。ただ、弟忠衡を謀殺したくらいだから、平泉の結束は割れていたのも事実だろう。今夜のドラマでは、泰衡の兄國衡は義経にそれとなく、地元への逃亡を勧めていた。
義経はいわゆる駻馬(かんば)、いわゆる鬼神だったのだから、制御する者の器が小さければ、使いこなせない。不運だったとしか言いようがない。逆に、史実として使いこなしたのは兄・頼朝だった。頼朝の下知あってこそ総大将として平家を滅ぼした、これが義経だった。そして、その頼朝の手に余ったのも、また、義経だった。
さて。感想。
1.良かった点
義経の滝沢さん、頼朝さん、義仲さんと巴、後白河法王と側近達、平家の公達、よかったよかった。
女優さんたち、静、能子、政子、うつぼ、平家の奥さん達、みんなよかった、よかった。
ナレーションの白石さん、よかった、ねっとりと落ち着いた声調もまた格別だった。
様式美、それを支える映像美、クラッシカルで、斬新で、金粉が空に舞い、光り輝き美しかった。
鵯越、屋島、壇ノ浦、これらはMuの記録として長く保管します。
一度も見落とさず、一年見続けたのだから、水準以上の作品だったと評価している。
(MuBlogの連載としては、一度だけお休みした)
2.首をかしげた点
鵯越と屋島と壇ノ浦は、様式美によって成立し格別に佳かったが、本来武人英雄伝説であるにもかかわらず、義経の機略才略が、上手に描き切れなかった節もある。特に、義経主従が一丸となって戦するのだから、その間の指示、命令、それらが適切に表現されず、ひたすら「義経さま」の声に支えられ、和気藹々。義経の激しさ、集団把握異才が見えてこなかった。
Muは人間義経を見たいのではなく、鬼才異才の義経を見たかった。その点から全連載のうち、数割は「うむむ」と首をかしげた。もちろん、制作者側の意向だったのだろう。
ともかく、
今夜で終わった。なんとなく、年明けまでの日曜の夜が寂しくなる。
総集編はおそらくみない。そのかわり、鵯越、屋島、壇ノ浦をみているかもしれない。
で、一番良かった役者は。それは、……。意外にも、
義経でした。
影のある上品な男性として振る舞いきったのが、よい、と判定。
ただし、現実にああいう男性がああいう振る舞いを身近でしていたなら、Muは蹴飛ばすことでしょう。
ときどき、「兄上、兄上とうるさい」と、Muは怒鳴っておったぞ。
物語のなかでこそ、今年の義経は、最良だったと思った次第。
さてまた来年、あはは、どうなることでしょうね。関ヶ原。
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