カテゴリー「NHK義経」の34件の記事

2005年12月11日 (日)

NHK義経(49)源九郎義経の最期

承前[NHK義経48回
円環[NHK義経01回

 この義経の最期の日々が、その後日本の大衆の中ではぐくまれ、義経伝説、判官贔屓となった。そして今年一年、かくいうMuもその伝説の中で毎週生きた。

 現代のMuですら長い人生の中で、仙台や平泉という奥州へは二度、三度ほどしか足を踏み入れていない。今から900年も昔、義経主従は藤原秀衡をたより、この地に逃亡し、そして四代目の泰衡に攻められて、自害した。

 遙かな昔の遙かな地でのことが、今夜よみがえった。
 義経主従の死は悲しいことだが、それでも、もう逃げなくて良いという安堵感もあった。史実としては、頼朝は義経追捕を名目として、政権の基礎である全国への警察権、軍権を敷設したのだから、望みのない逃亡だった。

 奥州には奥州の理屈がある。泰衡が義経の首を鎌倉に差し出したのは、当時の武家の身過ぎ世過ぎとして、間違いだったとは言い切れない。藤原家は、義経に義理は無かったとも言えよう。ただ、弟忠衡を謀殺したくらいだから、平泉の結束は割れていたのも事実だろう。今夜のドラマでは、泰衡の兄國衡は義経にそれとなく、地元への逃亡を勧めていた。

 義経はいわゆる駻馬(かんば)、いわゆる鬼神だったのだから、制御する者の器が小さければ、使いこなせない。不運だったとしか言いようがない。逆に、史実として使いこなしたのは兄・頼朝だった。頼朝の下知あってこそ総大将として平家を滅ぼした、これが義経だった。そして、その頼朝の手に余ったのも、また、義経だった。

 さて。感想。

1.良かった点
 義経の滝沢さん、頼朝さん、義仲さんと巴、後白河法王と側近達、平家の公達、よかったよかった。
 女優さんたち、静、能子、政子、うつぼ、平家の奥さん達、みんなよかった、よかった。
 ナレーションの白石さん、よかった、ねっとりと落ち着いた声調もまた格別だった。
 様式美、それを支える映像美、クラッシカルで、斬新で、金粉が空に舞い、光り輝き美しかった。
 鵯越、屋島、壇ノ浦、これらはMuの記録として長く保管します。
 一度も見落とさず、一年見続けたのだから、水準以上の作品だったと評価している。
 (MuBlogの連載としては、一度だけお休みした)

2.首をかしげた点
 鵯越と屋島と壇ノ浦は、様式美によって成立し格別に佳かったが、本来武人英雄伝説であるにもかかわらず、義経の機略才略が、上手に描き切れなかった節もある。特に、義経主従が一丸となって戦するのだから、その間の指示、命令、それらが適切に表現されず、ひたすら「義経さま」の声に支えられ、和気藹々。義経の激しさ、集団把握異才が見えてこなかった。
 Muは人間義経を見たいのではなく、鬼才異才の義経を見たかった。その点から全連載のうち、数割は「うむむ」と首をかしげた。もちろん、制作者側の意向だったのだろう。

ともかく、
 今夜で終わった。なんとなく、年明けまでの日曜の夜が寂しくなる。
 総集編はおそらくみない。そのかわり、鵯越、屋島、壇ノ浦をみているかもしれない。
 で、一番良かった役者は。それは、……。意外にも、
 義経でした。
 影のある上品な男性として振る舞いきったのが、よい、と判定。
 ただし、現実にああいう男性がああいう振る舞いを身近でしていたなら、Muは蹴飛ばすことでしょう。
 ときどき、「兄上、兄上とうるさい」と、Muは怒鳴っておったぞ。
 物語のなかでこそ、今年の義経は、最良だったと思った次第。

さてまた来年、あはは、どうなることでしょうね。関ヶ原。 

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2005年12月 4日 (日)

NHK義経(48)藤原秀衡の最期

承前

高館(たかだち)(岩手県西磐井郡平泉町平泉)地図

 義経が奥州の藤原秀衡(ひでひら)のもとに帰還したのは、1187年初頭であったか。その秋十月に秀衡がなくなった。翌年初め頃から頼朝は、藤原四代目の泰衡(やすひら)にしつこく「義経」を渡せと迫る。あけて1189年文治五年四月に、ついに泰衡は衣川の高舘(たかだち)に居る義経主従を謀殺した。
 ところが、それにもかかわらず鎌倉に攻められて、その年の九月に北の藤原四代は滅びた。思えば奥州十八万騎は、義経という鬼神を用いることなく、戦らしい戦もなく鎌倉に蹴散らされたことになる。

 その後、頼朝は1192年に征夷大将軍となり、ご丁寧にも翌年、弟の範頼(のりより)を殺している。こういう兄弟親族殺しの頼朝は、どことなく北方騎馬民族が中国で王朝をたてた頃の騒乱に似ている。身内に厳しいのは組織に於いてよい兆候だが、それが度はずれてくると、取り返しのつかない「殺戮」になり、結局自滅する。つまりは、いつも申すのだが、源家は北条家に後日乗っ取られるわけである。

さて、今夜のNHK義経。
 義経が無事平泉に入れたのも、秀衡が温かく迎えたのも、幸運だったといえる。そういう幸運の中で、秀衡一族とともに、呪術じみた舞台の舞に見入る姿がよかった。断続的な鈴の音があやしく、月光が鮮やかだった。
 秀衡の死があと数年後であれば、と悔やむ心は残ったのだが、来週の義経は歴史に残る高舘・謀殺で生を終えるのだから、一時の平安があって、それもよいと思った。

泰衡の怯えが真に迫っていた。
 父の死に怯え、頼朝や後白河法王の督促に気鬱になり、来週はおそらく弟達との反目に怯え、最後には義経を襲った。その表情が、心の動きを上手に捉えて、Muを引き離さなかった。
 栄誉栄華をほこり、十八万の軍勢をもちながら、心の闇に光がささぬ限り、すべては灰燼に帰す。たったひとつ、胆力があったなら、義経の盛名を上手に使って、白川の関を開けて打ち出ることもできたろうに。
 掌中の珠、最終兵器義経を、扱いきれなかった、というよりも外圧に弱かったのか。ただしかし、このあたりの泰衡理解は、いかにも通俗なので、また後日に考えてみよう。

 今夜は、来週の最終回に向けての多くの布石が打たれた。泰衡の、目を見開き脂汗をかいた表情に、それが込められていた。

参考
  NHK義経(11)藤原泰衡という男[MuBlog]
  高館(たかだち)について 

  奥州藤原氏の栄光と挫折/今東光[MuBlog]

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2005年11月27日 (日)

NHK義経(47)安宅ノ関・勧進帳

承前

安宅ノ関址(石川県小松市安宅町)地図

 今夜もほっとした。義経記(ぎけいき)から、能の安宅が生まれて、勧進帳になったり、浄瑠璃にもなって、安宅物。判官贔屓はこういう様式が積み重なって広まったと得心した。
 
 弁慶さん。金剛杖で打擲(ちょうちゃく)するのは、なかなかに迫力がありました。
 義経主従はみんな男泣きした。
 男泣きとは、こういう場面で泣くものなのだろう。

 関守の富樫(とがし)さんが良かった。石橋レンジという役者だったはず。この役は特殊だと思った。おそらくたった一回の出演なんだろうが、物語の極みを支える役どころ。
 義経追捕のために安宅ノ関が急遽つくられたらしい。その関守が、無聊にあきて酒を持って現れる。この倦怠感がリアルに見えた。

 それにしてもこの逃避行。というか、当時の山伏をはじめ、諸国行脚の者達の苦労が偲ばれる。吉野山でも靜が草履だけで雪道を歩いた。そして今夜の山伏もそうだった。温かい靴下もない、編み上げブーツもない。いまからみると想像を絶する旅が、当時の一般的なものだったんだろう。まして季節は晩秋初冬。

 富樫は知っていた。山伏問答を始める前から義経一行と知っていたように見えた。だからこそ、富樫が弁慶の打擲を止めるところが、よく効いていた。知っていなければ、ただの山伏達の内紛にすぎない。「うるさい、はやくいけ」で済んでしまう背景がくっきりとある。ある上で、打ち据える弁慶の金剛杖がビシバシと音をたてる。

 さて、伝説の巴御前流離話は、今夜に決着をみた。加賀国の木こりの妻となり、子をもうけた。それでよかったと思う。

 今夜はあまり記さなかったが、内奥で「よかった」と、思っている。能や歌舞伎では、いま一つわかりにくい言葉が、今風に語られたとき、胸におさまった。Muも現代に生きる者だった。

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2005年11月20日 (日)

NHK義経(46)しずの舞

承前

 今夜の義経は久しぶりにすっきり見終わった。なんとなく、これで最終回まで続く予感さえした。
 いくつかあるのだが、やはり靜御前の「しずやしず」の舞と、政子との駆け引きであろう。

 「芳野山峰の白雪ふみ分けて入にし人の跡ぞ恋しき」
 Mu訳:あの日、吉野山の白雪をふみわけて逃れた義経さまが恋しい。

 「しづやしづ、賤(しづ)のをだまきくり返し昔を今になすよしもがな」
 Mu訳:糸巻きをたぐり寄せるように、むかし「靜、靜」と呼んでくださった義経さまを、もとにたぐり戻せたらどれほどよいか。
 
 史上、靜は鶴岡八幡宮の若宮(下宮)回廊で、頼朝・政子を前に舞ったという。吾妻鏡の記録である。
 今夜のドラマでは、頼朝ではなく、回りの御家人衆が、逃亡者を慕った舞歌に憤然としたが、政子が「よろしい」と一喝したことになっていた。
 これは一つの見せ場であった。Mu従前の筆法なれば、様式美の極みでもあった。

 この世には男達の心意気だけではなく、おんな達の女伊達もある。
 まず、都随一の白拍子、逃亡者義経の愛人、その女・靜とくれば、これはかけねなしのスーパースターである。超然と輝いていたであろう。そのうえ、立て烏帽子に水干、太刀となると、まさしく男装の麗人。この倒錯した美しさは、当時の鶴岡八幡宮に光をもたらしたはず。

 一方、政子といえば、今をときめく最高権力者の参謀ともいえる女性だった。人心をつかむこと、生き方を示すこと、すべてにあって並の女性とは異なった感性をもっていたに相違ない。
 愛人義経も、その子も、総てを剥奪された靜にたいして、この政子がどう振る舞うのか。あるいはどう振る舞うべきなのか。それが伝承にも、今夜のドラマにも、一つの「女の心意気」として表現されていた。
 若き日の流人頼朝と政子とは、せんじ詰めれば、眼前の靜と義経との関係に逆転していた可能性すらあった。
 だから政子は、腹を据えて義経をかばい通した靜の舞を、あっぱれな女と称揚した。

 史実は誰にも分からない。吾妻鏡がそのように録し、伝承がそのようになった。
 その筋の通った美しさを、今夜のドラマは、輝く舞扇と、靜の目元であらわし、紅葉を散らした。
 大河ドラマとは、かくあるべきである。

 それにしても、作者宮尾さんの力なのか、演出の力なのか、今年の義経は多くの女優を開眼させた思いがする。今夏は能子(よしこ)が筆頭にあげられ、今夜は靜がそうであった。ただ、女優にとっても見せ場を持つというのは幸せである。場があってこそ、演じ没入できる。

 一言で言えば。目であった。目の動きに靜が生まれた。
 その動きに若さがあった。
 頼朝や政子の重厚な目の動きには及ばない。及ばない、稚拙さの残る、その上目遣いこそが靜の痛々しさと芯の強さを若さとして表現し得た。
 よかった、なあ靜さん。

 さても義経主従。
 近江から越前。この逃避行でやっと安堵した。来週は安宅の関とな。山伏姿。似合っておりました。

 なお、Muは吉次が提供した隠れ家の場面が気に入った。障子を開ければ船が着く。この設定がよい。高瀬川はたしかまだ無かったはずだから、どこだろう。堀川あたりかもしれない。為体の知れない吉次の力に保護されている安堵感があった。

 佐藤兄弟はかくして平泉から遠く離れたところで死んでいった。悲しい物語でもある。
 靜の墓は全国にあると聞く。和泉式部や小野小町伝説と同じく、伝承を全国に伝え渡った女性達がいたのだろう。知らず。

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2005年11月13日 (日)

NHK義経(45)義経の光

承前

 今夜は聞き取りにくい言葉を頼朝が言うておった。簡単なことだが、耳慣れぬ人もおろうかと、老爺心。
 ゲカン→解官→官職を解く、つまり解任。クビといえば分かろうか。
 テンカソウソウ→天下草創→つまり、武家の治める初の国というところか。ちなみに後世、織田信長は天下布武と申したよし。

 さきほどから、感想を幾行も記したが、やはり削除した。
 まとまらなかった。
 そこに無体なけなし言葉は一切なかった。
 ただ、これまでずっと歴史上のエピソード、つまり平家物語の世界で義経をみてきたので、ここ数回、その後の世界には、どう対処してよいか、Muもまだ定まってはいないわけである。

 とにかく頼朝は義経を追いつめ、知らぬ間に義経は平泉に着いていた。そういう流れの狭間を、ドラマがどのように解釈するのか、それはそれで楽しく見たのだが、なにかを記すまでには、Muの心が熟成していない。

 靜については、その母が磯の禅尼といい、たて烏帽子(えぼし)に水干という男装で舞った麗人で、その娘・靜を同じく仕込んだのだから、さぞ美しく華麗な女性だったのだろう。義経が数ある愛妾の中から格別に靜を重んじたのは、そういう華麗な舞姿に惹かれたことと、また、義経の母・常磐御前が都で随一、千人に一人の美形だったことからの、連想がわき上がった。

 ともあれ。義経の長距離逃避行は、次回あたりから始まる。
 最後まで見届けるのが、義経やその一党、靜をはじめとするその愛妾たちへの、たむけとなろう。

追伸
 今夜のタイトルに「光」をいれたのは、黄金咲く平泉と、清盛の残した福原都の金屏風、そして新たな目的地を「光」と考えたからである。衣川の舘で討ち死にするとは、だれも考えていなかった。

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2005年11月 6日 (日)

NHK義経(44)靜の別れ

承前

 吉水神社地図

 昨年の新選組から勘定すると、義経も残すところ5回ほどになった。2004/11/7の記事では近藤局長が丹波橋で狙撃された頃になる。だからといっても、義経は別のドラマだからどうなるのかはわからない。ただ、これから「別れ」が続くと思うと、見るのが辛くなる。

 今夜は靜との別れだった。もちろんその前に、正妻萌との都での別れもあった。
 なによりも吉野山での靜との別れだった。

 吉野山は昔から、傷ついた者や、都落ちした者達を匿う聖地と思ってきたが、義経については容赦なく僧兵が襲いかかってきた。金峯山寺(きんぷせんじ)は何度も行ったが、こういうところで靜と義経とは別れたのだろうか。

 ともかく、義経を描く人はみんな苦労なさるところだ。
 Muも解釈に苦労する。
 つまり、逃避行は好きじゃないからだ。この逃避行にどのような光を見せるかが、大切なのかもしれない。
 ……
 と、今夜はこのくらいにしておく。

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2005年10月30日 (日)

NHK義経(43)検非違使・判官義経

承前

 六条堀川義経の舘はこのあたりか?(地図)

 土佐坊昌俊(とさのぼう・しょうしゅん)という鎌倉御家人の家来の者が郎党を引き連れて、密かに義経の六条堀川屋敷を襲った。義経郎党これを排撃し、土佐坊を生け捕り、おって義経自ら六条川原で斬首した。検非違使屋敷を襲ったのだから、現代ならば警察庁長官の住まい、ないし警察庁長官室を襲ったに等しい。
 義経はこれをもって、後白河法皇に頼朝追討の院宣を願い、聞き入れられる。しかるに頼朝兵十万を率いて上京。義経、行家の周旋にもかかわらず寡兵数百。以後、義経の逃亡が始まる。

 何故、義経は平泉の兵を求めなかったのか。
 これが今夜の、Muの疑問だった。
 だが冷静に考えれば、後に義経が尾羽うちからし逃亡し、懐に戻った故に、藤原秀衡は確固とした地盤平泉で義経一行を庇護したともいえる。
 義経が京都に構えたまま、要請したとしても、遙か平泉から京に向けて兵十数万、出兵する決断はなかったことだろう。

 結果として、義経は、舟に乗り西国、九州を目ざした(来週)。しかし嵐にあい、離散する。
 やんぬるかな。

 すべてにおいて時機を失した。若く、参謀のつかない身であれば、Mu20代後半であっても同じ愚をおかすことだろう(笑)。だから、義経を愚かとは思わない。軍神は、兵あってこそ神になる。郎党数十名では、いかんともしがたい。
 法皇にすり寄って、院宣を求める前に善後策をねるべきだったのかもしれない。行家が暴走したともいえよう。
 
 それにしても、頼朝が自ら兵十万を率いて鎌倉を出たのは電光石火の早業ともいえる。それだけ義経を怖れたのかも知れない。手をこまねいて、時機を見逃せば、法皇と義経と西国九州諸国の平家地盤の結託は侮りがたいものとなる。

 保田先生が、大昔、木曾冠者(MuBlog:木曾殿最期)でもうされたように、頼朝にとっての総ての敵は、すべて義経を名目に攻略していった。上京し法皇の権威を失墜させたのも義経が名目、そして諸国に追捕使をおいたのも、義経探索が名目だった。ついには、奥州藤原という強敵を落としたのも、義経をかくまったことが発端だった。

 義経は、やはり時代の趨勢、鎌倉幕府の前では蟷螂の斧だったのか。
 物語に身をそわせれば、如何にも夢がない。政治政略だけが進んでいく。それが、現実なのだろう。
 後日、足利幕府の時代、後醍醐天皇皇子、懐良(かねよし)親王は征西将軍宮として九州に南朝王国をひらいた。菊池氏が援助したわけである。このことは、物語として「武王の門/北方謙三、新潮文庫上下」がある。まさしく圧巻だった。

 今夜少し煩わしかったのは、義経が靜に向かって「都に止まると多くの民が難儀する」という長セリフだった。ドラマとしての緊張を削ぐ思いがした。これを義経に、ここで言わさなくても、これまでの義経からみて、視聴者は分かるはずだが。
 なんとなく好ましかったのは、正妻萌?だった。襲撃の夜に長刀を持って打ってでたのはよかった。鎌倉の密偵とさえ疑われる立場の苦しさのなかで、けなげだった。(と、いつものMuの女優贔屓)

参考
  源氏館はいずこ?
  義経ゆかりの地(堀川夜討

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2005年10月23日 (日)

NHK義経(42)義経帰京、再起

承前

 今夜の義経は、久しぶりに快感を得た。一々の画面に緊迫感が漂っていた。もちろん靜や奥さんや、うつぼを久しぶりに見たのも気持が和んだ。総じて、この義経、女性運はよいように描かれておる(笑)。

 さて、頼朝の命により、平家ゆかりの24カ国所領をすべて取り上げられたことにから、いわゆる鎌倉の政策、本領安堵→御家人の線が、義経に限って外されたわけである。よって、院の法皇より、法皇知行国から伊予守(いよのかみ)を任じられたのは、破格の名誉であり、実利であった。これがなくば、義経は郎党や奥さん、靜を養うことも出来なくなる。もちろん、まだ検非違使判官だったからそれなりの給金はあったろうが、規模が異なる。おそらく数百名であっても、兵を養っていたはずである。(と、そうでなかったなら、丸腰だから、もし丸腰ならば、義経は裸で厳冬の原野に野宿するようなものだ)

 Muは見ていてうきうきしていた。

 鎌倉幕府は、北条との関係、都からの上級官僚の採用によって、すべてがぎちぎちに固められつつある時代だった。そこで、野生というか、組織にあっては、はぐれ者の義経が生きる空間は消えてしまう。ここまできてはじめて「新しい国」という机上の空論が義経の肉体になじんできた思いがした。これで無事伊予、西国で再起したなら、どれほど物語としておもしろかったことか。
 いや。
 義経が数回後に都落ちして、奥州に逃れきり、そこで自刃するまであと数年ある。その数年間、義経は夢をみることができたはず。今夜は1185年の秋、そして奥州藤原壊滅は1189年。それは、後知恵をもちこめば夢でなくなるが、義経に身をそわせれば、逃げ切った奥州の地に足をおろし、そこで舘を得ただけでも、第一歩。

 というわけで、今夜は梶原や行家のしたり顔というか、にくにくしげなセリフまわしに辟易しながらも、それあってこそ判官贔屓、義経が映えわたった一夜であった。

 後白河法皇、夏木まりさん、草刈正雄さん。このトリオが今夜もよい雰囲気でした。
 法皇が権謀術策の底になお、義経を恃む心のあるところ、表情にうまくでていた。
 親衛隊、軍なき、珍しいわが国の王朝にとって、義経は珠玉だったのかもしれない。

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2005年10月16日 (日)

NHK義経(41)義経・近江の決断

承前

 今夜のエピソードは少なく、あっという間に終わった。いまやMuも義経と同じように考えを巡らし、出処進退を、復命、抗命、独立の潮時を、毎週日曜の夜になると沈思黙考するようになってしまった。

 もちろん、清盛の五男重衡(しげひら)が南都焼き討ち総大将の責めをうけ、木津川で南都僧に斬首されるのは、なんとも仏罰とは恐ろしいものよと思ったが、致し方なきことであった。従三位(じゅさんみ)左中将と申せば、高位高官、斬首はなかろうにと考えたが、坊主の恨みはおそろしい。仏敵には容赦せぬようだ。
 今生の、めおと別れが切ないが、それよりもその女優さん、髪、着物、顔付き、目つき、狂乱にいたる一歩前の風情がよくでていた。
 重衡は、このドラマで、一ノ谷で義経に生け捕りにされて鎌倉に送られ、しばらく静養していたのだが、南都の宗門、僧兵の圧力は鎌倉をも威嚇するだけの力が、なおあったようだ。やんぬるかな。

 もとにもどると。
 頼朝は、京に入る直前の義経に「宗盛父子の首をはねよ」と使者をだす。使者の名は、すぐ忘れるのだが頼朝側近役で、以前から好感を持っていた。
 結果は、義経、その命に復命したこととなる。

 で、Muが壇ノ浦以来毎週、額に縦皺をよせていたのは、義経がその時、それ以降どうすればよかったかの判断だった。

 今夜ならば。
(1)宗盛親子と結託し、各地の平家を束ね、後白河法皇の院宣をえて、鎌倉追討を行うことだった。
 義経の盛名と、西国の平家地盤があれば、勝てるかも知れなかった。
 しかし問題は、宗盛が、役者は大の好みだが(千年火:鶴見辰吾)、どうにも愚物だったようである。さらに、義経も参謀なく、政治的には愚物と言えようから、頼朝の首はねたあと、失政が続き、最終的には目覚めてしまった関東御家人に敗北するだろう。

(2)一路、この時点で奥州に潜行し、まだ元気な秀衡のもとで、鎮・奥州将軍?となるのはどうだろう。そして秀衡の政治力、軍事力を背景に鎌倉と対峙する。あとはわからない。

(3)あっさり、後白河法皇の庇護をえて、西国の束ねにとりかかる。これをもって鎌倉と対峙する。あるいは、九州一国の王となるか。

 ……、といろいろ考察してみたが。よい考えは浮かばない。
 要するに、義経の没落があまりに急激な故、いささか歯がゆいばかりである。

参考
  平家終焉の地(滋賀県観光情報)[地図あり]

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2005年10月 9日 (日)

NHK義経(40)義経の血涙

承前

 今夜は義経が記した腰越状を鎌倉がどのように扱ったかの一夜だった。
 つまり、頼朝、政子、北条時政(政子の父)、北条義時(政子の弟)、大江広元、坊主(だれだったかぁ?)の合議のもと、結論として頼朝は義経に会わず、平宗盛、清宗親子を再び、義経をして京まで送り返させる。

 この宗盛父子は近江野洲にて帰路悲劇があるわけだが、それにしても義経は後白河法皇の命によって宗盛親子を鎌倉まで護送したのだから、それを鎌倉に入れず返したのは、法皇に対する鎌倉幕府の明白な示威行為であった。

 今夜の見どころは政子の役割だった。
 政子は父の時政に言う。

 政子→「義経を頼朝に会わすのは、これまで情を押さえて理で生きてきた頼朝のタガを解き放つことになる。断じてそうしてはならない」
 時政→「そうじゃな、情にほだされて迎え入れれば、鎌倉には義経の武勲を目の当たりにした多数の御家人がおるから、奴らが義経を持ち上げれば、鎌倉が二分される。そうじゃ、会わせてはならぬのう」
 政子→「それよりも、もっと恐ろしいことになります」
 時政→「政子、それはなんじゃ」
 政子→「マツリゴトに並々ならぬ力をお持ちの頼朝殿と、軍神とみまごう義経が、兄弟手を握れば、北条など吹っ飛んでしまう。まさに源氏の幕府になってしまいます」
 時政→「うぉ~、そうであった!」

 史実として、頼朝亡き後、北条時政は頼朝の外戚である比企を滅ぼしてしまう。そして、時政、義時親子で初期の執権職を確立し、その後、源実朝が殺害されたあと、北条家の幕府となる。

 中井貴一の役どころはセリフが少なく、目や、口元、顔の表情だけで表現することが多く、難しい。これを実に上手に、万感迫る雰囲気を醸し出すのは、なかなかの貫禄だと思った。
 大江広元の立ち居振る舞い、押さえたセリフ、目の動き、これも上手だと思った。

 役者というのは天性のものがあろうが、それにしても、一般世間人よりも精進しなければならない職業かと、今頃になって気がついた。若い頃なら顔がよくて雰囲気だけとか、あるいは、若い女性ならグラマーだとか小悪魔的とか、修練なしでなんとか様にもなろうが、今夜の政子とか、頼朝レベルの役どころ・年齢を演じるのは、キャッキャとするだけでは、どうにもならない。
 どうなんだろう、人知れずの練習があるのだろうな。うむ。

 義経だが、若くて上品な顔立ちだから、渋みとは言えないが、笑顔とか、はにかみとか、そして沈鬱な表情とかはよく味わえるところがある。腰越状を読み上げる、ナラタージュというのだろうか、声調がいたく気に入った。
 史上の義経は少なくとも人間関係や政治関係上の策士であった形跡はないから、このような雰囲気が一番よかったのだと思う。

 ともあれ、今夜も終わった。また観てみよう。
 それにしても、義経ほどの武勲をあげた総大将が、これほどの待遇をうけたとは、史上まれなことではないだろうか。歴史は時に不可思議な航跡を残すものである。

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