砂の器/松本清張原作、竹山洋脚本:TVで見た新・砂の器
はじめに
数日前の土曜と日曜の夜に、ドラマ「砂の器」があって、録画しながら二夜とも堪能した。これは3月11日に放映されるはずだったが、大震災で延びてしまった。ともあれ、無事放映されてよかった。
原作は、大昔読んだが2月か3月に大きい活字の文庫本を買って、8月に読み終わっていた。原作のよさ、TVの佳さ、それぞれ十分に味わった。
TVドラマの佳さ
実は、原作への私の評価は超絶ではなくて、だいたいぎりぎりの80点である。カメダ話や方言話、差別のことなど、小説として他に比較しようがないほど良くできているが、ヌーボー・グループとか錯綜する女性関係とか、殺人の音響トリックとか、代議士と一人娘とか、それぞれがクサイ話だと思った。「点と線」とが原作150点ならば、意外にも、「砂の器」は80点。悪くは無いが、うむむ。長く無駄なところが多々あった。
それに比べて、ドラマの出来は85~点。部分的に原作よりも優れたところがあった。
優れた点。
仕方ないが、映像メディアの凄さがある。だから遍路の親子を望遠で撮ったところなど、私は何度も落涙した。これは人間が文章から再現喚起する脳内映像を、越えていた。すばらしい美しさだった。
原作で「いらない!」と思ったところが綺麗さっぱり消えていた。たとえば、ヌーボー・グループのややこしさ。音響トリックの不自然さ。全体にスリムになって、見通しが良くなった。
和賀(佐々木さん)という人の目玉の異様さが、映像故に、めりはりきいて心理の綾をうまく表現していた。
TVドラマの至らなさ
困った点。
女優(中谷)さんは好感度の高いひとだったが、原作にはない魅力的な女流新聞記者というのが、どうにもその狂言舞わしというか、役割がすっきりしなかった。別にこの役は無くても良かったのでは。
主演になる吉村(玉木さん)刑事が長髪なので、最後まで落ち着かなかった。また、吉村刑事がかつて浮浪者で、母や妹の死を眼前にして逃げたという設定から、犯人の気持ちがよくわかるという物語構造が、どうにも変だったな。要するに、吉村刑事には鬱鬱とした陰影がなくて、突拍子もなく突っかかったり、表情が現代的すぎて、なじめなかった。
原作から棄てて欲しくなかった点
ベテランの今西刑事(小林さん)に家庭が見えなかった点。昭和初期のちゃぶ台のある家庭で、お茶漬けを食べながら沈思黙考する刑事の姿が清張さんの佳さだが、それがドラマではきれいさっぱり消えている点。
まとめ
どの俳優、女優も好感をもてた。特に若手の吉村刑事と、ベテランの今西刑事が時に二手に分かれて別々の捜査をする様子が、うまく出来ていた。そういう意味では繊細なドラマだと思った。
原作の最大の鍵「差別」が、TVドラマでは「殺人」になっていた。以前のドラマでもそうだったらしい(覚えていない)。こういう点は、極端に庶民やスポンサーの気持ちを重く受けざるを得ないTVドラマの弱点だと思った。遍路親子の本当の、深い深い悲しみや絶望は、今の視聴者には伝わらなかったかもしれない。現状では仕方ないだろう。
ただ、最後の、絵の裏に書かれた、父親の息子に向けての言葉が胸を突いた。「秀夫、秀夫、秀夫、……。永遠に忘れられぬ旅でした」。これだけでも、このドラマは成功した。
冥土の清張さんも喜んで居られるだろう。
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