カテゴリー「四国路」の9件の記事

2012年9月 5日 (水)

小説木幡記:かくして岡山去りぬ

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↑後楽園の飛び石

 この後楽園記事は「四国路」というカテゴリで整理してきた。岡山の後楽園が四国にあるわけではない。しかしこの冬は四国への入り口を後楽園ときめていたふしもある。
 遠隔地から地図で瀬戸大橋を眺めていると、岡山市と坂出市や丸亀市が隣町に思えて、そして現実の後楽園は旭川という大きな川のそばだから、瀬戸内海が消えてしまって、後楽園の飛び石がそのまま丸亀城の石垣にひっついているような、そんな幻視。

 ところで。
 この飛び石だが、幼少期、小学生のころでも、庭の飛び石を本当に飛んでいた記憶がある。そのころは歩幅も小さくて大人のようにうまく歩けなかったわけだ。石の間隔を上手に考えないと女性の和服やタイトなスカートだと大変だろうな、と思った。

 もしかしたら、大昔の飛び石から、その時代の歩幅や身長が想像できるかもしれない。
 それではサヨナラ後楽園、また会う日まで。


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2012年8月31日 (金)

小説木幡記:記憶のあれこれ・人生!

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↑普請中:冬雨の後楽園

 ずっと夏期論文に専念しているが、三島由紀夫の長編『豊饒の海』は全四巻とも新潮連載中から読み、そして梅雨ころからまた読み出しているから、この半世紀近くの間に都合5回は読んでいる。
 小説は一度読めばすべて覚えるから二度読みは絶対にしない、という異様な方がいるにはいるが、余は何度読んでも新鮮だから、一粒で数度お得な味わい深さに堪能しておるぞ。

 でしかし、何度読み直しても、直前の記憶(脳内のイメージ)と直後の記憶とではずいぶん異なる。
0。「これは一体何だ。まるで始めての小説だよ」
1。「こんな場面あったかな」
2。「そうそう、そうだった、こうだったんだ」
3。「うむ、懐かしさが、蘇った。新鮮だ」
4。「その通り、一字一句、記憶と違わない」

 さて今朝の疑問。
 人の記憶は、目にし耳にし考え経験したことは、すべて脳のどこかにしまってあるのだろか。 
 忘れるとは、その痕跡が記憶槽から完全になくなるのだろうか、あるいは、そこへのアクセス経路がなくなるのだろうか。記憶を意味のあるものに再構成する力の強弱があるのだろうか。
 記憶に単位があるとするなら、単位同士が重なることがあるのだろうか、単位の断片が散逸したり、集まって別の記憶を構成しなおしたりするのだろうか、……。

 人の・人生は、ときどき「記憶の持ち方」と思うことがある。 
 大切にできる記憶が多ければ、きっとよい人生なのだ。
 同じことでも、大切にできなければ、きっと悲惨な人生だなrain

 そういうことだと、今朝、記事を書いた直後の今に、理解したcat

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2012年8月29日 (水)

小説木幡記:石と水と緑そして楊令伝

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↑後楽園・冬の表情

 後楽園で気に入った写真を眺めていて、石と水と緑に思い至った。
 一般に、造園には主や庭師、造園師たちの思想や美学があるだろうが、あまりに洗練された象徴性とか思想性や宗教性があると、嫌みだと思った。それを芸術や美と褒めることもあるだろうし可能だろうが、作った人達の思惑が透けて見えて、ついには「そうか、そういう魂胆かい。勝手に作れよ」と、なってしまう。
 で、しかし身近なので京都の庭を楽しむことが多いが、時がかかるとよくしたもので、自然に穏やかな手触りになっている庭が多い。
 ~
 後楽園は、最初から「考えて」観たわけではなかった。理想的な田舎、田園があるとするなら、そういうところへ遊びに行った、とただそれだけだった。もちろん作った人達の考えはいろいろあるだろうけど、どれもこれも時が磨き上げたせいか、おだやかにおっとりしていた。余は本当に、気持ちが良くなった。
 ~
 昨夜、楊令伝/北方謙三、を全15巻完読した。夏に入ってから文庫本をせっせとまとめ読み出したわけだ。北方・水滸伝は2006年ころに読み終わった記録がある(MuBlog)。北方・三国志も2000年代前後に全巻読み終わっていた。余は、けっこう北方謙三の小説にはまり込んできたのだと、今朝気付いたcat
 北方・楊令伝で、一番大きな感想は、物語を生み出す仕事は尊いことだと思った。それが読めるというのは、ありがたいことなのだ。
 北方・水滸伝で印象に残った章は楊令の父、青面獣・楊志が暗殺された場面だった。楊令はそこで生まれたのだ。そして北方・楊令伝では、どんな印象なのか。とそう問い返してみたが、全15巻が一本に思えて、全部よかったと自然に感想がもれでた。そういうことだ。

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2012年8月27日 (月)

小説木幡記:池の鯉

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↑雨に遊ぶ後楽園の錦鯉

 池の鯉は雨が降っても傘がいらないと想像して、にやりとしてきた。
 溺れかけたなら、息をつめて潜ればよいと思ったことがある。(実際には、それができないから溺れる)
 剣聖・上泉信綱の言葉として、「沈みてこそ、浮かぶ瀬もあり」が、あるとか。

 今日はなにとはなく雲が多く、日照がおだやかだった。琉球や奄美大島に吹き荒れている嵐のせいかもしれない。もうすぐ9月だから、台風がつぎつぎと襲ってくる季節なのだ。必然的に、ここ数週間の壊滅的地獄の黙示録的な焦熱はうすらいでいくことだろう。

 京都というよりも、昔風の建築物は夏をしのげるように立てられていると聞く。京都や宇治は昔の寺社仏閣がそこここにあるから、散歩する機会もおおく、夏用の家、という趣きがよくわかる。大体四隅の柱を残して、すべて取っ払っても家が立っている。いや、夏は戸は上げるか、はずしてある。そして御簾というかすだれがあって、涼やかだ。座敷にはごてごてと物が置いてないので、視覚的にひんやりしてくる。不思議だ。

 そんなことを考え感じながら、今朝も極早朝から葛野に出向き、夏季論文をしこしことまとめていた。午後も遅くなると、もう頭も手も動かなくなる。今日はこれで終わりにしよう。
 気分としては、8月中になんとかして、第一草稿を100枚程度こなし、それを9月半ばまでに70枚くらいに刈り込む予定なのだ。
 あーあ、もう、論文夏季も飽きるよな(笑)。
 またあした。

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2012年8月24日 (金)

小説木幡記:石灯籠の役割や向きと光

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↑冬雨に烟る後楽園の石灯籠

 お庭や寺社仏閣でなにげなく眺めてきた石灯籠だが、気になり出すと庭を拝見する好奇心がうきうきとしてくる。
 この写真にも、中央に石灯籠がひっそりと鎮まっていた。
 まず石灯籠の役割だが。もちろん歴史の、時間の流れの中で変化していったことだろう。

  人の歩行の安全を計って。
  神さんや仏さんのため。
   (神仏が夜目弱く、けつまずくとはおもわぬが、ガイド灯だな)
  人が眺めるため。
  庭のアクセント、装飾。
  造園の基準点。

 こうしてみてくると、まるで飛鳥・斉明天皇時代の、酒船石の役割を考え込むに似て、想像がふくらむ。後楽園の造園時代から想像すると、藩主・池田さんの趣味趣向、気持ちの癒しが大きいだろうから、庭のアクセントが大きな意味を持っていたはずだ。すると、石灯籠の向きは夜景が主になり、夜歩きの足元安全の意味は少なくなるだろう。だから、三日月や○窓位置は、どこから見ての向きが一番か、となるかもしれない。三日月に灯が点ると美しいというよりも、可愛らしく見えるものだ。

 となると、光は何、つまり光源だな。水銀灯やLEDやガス灯は近現代のものだから、……。蝋燭と油灯と、どちらが先にあったのか? これも蝋燭史などを考え出すとさらにおもしろい。蛍を飼って光源にあてた事例はあるだろうか。庭には綺麗な水があるから蛍は生き生きするが、しかし火袋に閉じこめるのは無理がある。

 江戸時代なら蝋燭もあったから、それでもよいが。
 猫君が舐めるためには、油灯がよい。
 夜な夜な石灯籠に灯を入れるのは誰の役目か。お女中か庭男か、御庭番なのか。明かりは防備の意味もあるから、警護の者が入れるのもあながち不自然ではない。

 ~
 と、ここまで後楽園の石灯籠を考えてきて、ふと酒船石を思った。
 あの石模様に油を入れて、灯をともすと、神に降りていただく磐座(いわくら)として最善最良の様式となろうな、という考えだ。
 さて、どうなんだろう。

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2012年8月23日 (木)

小説木幡記:お城が借景

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↑後楽園と岡山城(金烏城)

 庭に足を踏み入れてしばらく歩きふとみあげてみると黒い城が見えた。姫路城は白で、岡山城は黒だった。あとで金烏城とよばれていることに気がついたが、神武天皇をガイドした烏を思い出した。黒だから烏城「うじょう」で、金のしゃちほこだから併せて金烏城のようだ。昔、岡山大に勤めていた方が、ただ「うじょう」と呼んでいたのを思い出した。

 後楽園にはおだやかな起伏があるが、岡山市が盆地ではないから山影がなかった(ように記憶する)。余がひごろ遊ぶ京都、奈良、滋賀は必ずまわりに山が見えている。だからなにか建物や庭があっても、遠近の山とセットにして眺める習慣が付いていた。それを余は単純に借景とつぶやいているが、もちろん高名で巧妙な庭師のなかには、借景と言うのを嫌う人もいるにはいる。強いて申せば逆借景となろうか。庭があって自然があって、遠くに庭を飾るような山がみえる~と。ふふふ、どちらにしても景観全体の中での人や建物や庭だから、順逆とわず現代庭は自然を模したものが多い。(ここでは、江戸時代も中世も現代というておる)

 と、自然を模したのではなくて、自然そのものの一部を人の目で切り取った、いやいや、借りて庭にしているものもある~というわけで、理屈は理屈。ふと目を上に向けると黒い城があった。これは実に良いです(笑)。

 重ねて言うが、この目に見えるばかりの広々とした庭を、散策できるのが良い。庭は眺めるものと思うひともおるが、眺めて佳、歩いて佳、寝転んで佳、といろいろあって気分が落ち着いてくる。歩くな、とか、寝転ぶな、食べるな、とか「~なに、なに、するな!」というのは、実に人性に反した考え方じゃ。

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2012年8月22日 (水)

小説木幡記:広くてあかるくて、気持ちよい後楽園

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↑後楽園の茶店

 岡山の後楽園は三名園の一つらしい。偕楽園は徳川御三家の水戸、金沢の兼六園は加賀の前田さん、そして岡山の後楽園は、池田さん。いずれも江戸時代の藩主がお金と知恵と感性と、そして継続力を注ぎ込んで今に至ったわけだ。
 偕楽園はまだ行ったことがない。

 余は弱年より庭園が好きだった。最初の印象では、嵯峨野や嵐山の寺社境内が、そのころは入園料も不要で、遊び場みたいなものだったから、遊び場とは庭だった。要するに何も知らずに遊んでいた場所が、成人してからいろいろ調べてみると大した歴史的名所旧跡だった。
 そういう感覚は、今に至って名園をみても、ただ走り回ったり、隠れん坊したり、池でラジコン潜水艦を動かしたいとか、丘陵にラジコン戦車を上らせたい、〜と、まるで美学から外れた気持ちで眺めている。
 
 美学とまでは行かなくても、ああ気持ちいい庭だとか、退屈だとか、気色悪いとか、気持ちの動きは明瞭にある。
 そこで、後楽園。
 毎日でも出かけたくなる。広々していて、水田があったり梅園があったり、鯉がいたり、枯れた山水があって、豊かな日本の田舎があって〜、歴代作った人たちは、施工主も庭師たちも、なかなか明るくおもしろい人がおおかったのだろう、と感心おおいにした。

 これ、絶対に、よい庭だよ。

追伸
 写真の後楽園は2012年の2月だと思う。この記事は今朝、新横浜で書いておる。

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2012年5月10日 (木)

洲本市立図書館

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↑明治・大正レトロ街(旧・鐘紡洲本工場跡)

 この年(平成24、2012)の2月に四国を走って、淡路島経由で帰路についたとき、洲本のレンガ街が印象深かったので、写真を残しておく。
 中でも市立図書館が随分気に入ってしまって、しばらく中を歩いて座ってみた。人とは理屈だけでなく感性で動くところが多々あって、どこが、どうして良いのかとは、すぐには答えが出なくても、ただそこに居るだけで気持ちが良くなった。洲本市立図書館はそういう図書館だった。もちろん旅人の一過的印象と、そこに住んで居る人達の気持ちとが一緒になることはまれだが、「よい感じ、雰囲気」という印象はずっと消えないと思った。
 そしてまた図書館単体での優劣だけではなくて、その場の全体にも意味がある。私は以前から、明治や大正調の雰囲気が好きだったが、多分「煉瓦造り」に惹かれるのだろう。図書館は、そんな煉瓦造りの町並みの中に、ひっそりとあった。

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2012年3月13日 (火)

白峯陵の西行

 先月の中頃(2012年2月)に思い立って岡山から瀬戸内海を越えて四国・坂出に至り、いくつかの見どころを訪ねた。その記録はおりおりのMuBlogに断片を記してきたが、このたびは一番の目的地とした白峯陵をまとめておく。

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 この白峯陵のことは20代ころから保田與重郎先生の様々な著書を通して気にかかってきた。しかし知識というものは、なにか特別な機縁とか、あるいは身体をうごかしてとか、つまりは格別身に凍みるようなことがなければ、ただの物知り、文字にかかれた何事かの意味にすぎない。それはそれで大切だが、血肉になった知識との差は大きい。私は白峯陵を机上の知識で終わらせたくはなかった。
 で、
 このたびは、白峯陵への山道を自動車で登り、徒歩で歩き、長い石段を両の我が足で登り、手を合わせ、カメラに収め、その夜の宿で温泉に浸かりながら白峯陵のことを思い出していたから、紙に描かれた記録知識から、血肉に近い体験知識になったと思う。

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 そうは言っても知らぬ事が多すぎた。そしてネット知識は玉石混淆だが随分役に立つ。
 京都の東山に安井金比羅宮があって、そこのサイトに崇徳上皇の怨霊としての御恨みの内容が書いてあった。白峯陵に鎮まる崇徳天皇は日本三大怨霊の一柱と言われているようだ。その典拠をしらべたわけではないが、他の二柱は、菅原道真さんと平将門さんとのこと。菅公については昨年夏に久しぶりに太宰府を訪ね参拝したが、確かに有名な人だ。将門(まさかど)さんは以前に『帝都物語/荒俣宏』の小説や映画で堪能し、古くは大河ドラマにもなっているが、神田明神に祭られているということしか知らない。大きく祟る人だったようだ。

 皇家で祟る人といえば、もうお一人、桓武天皇の弟さんで早良親王(さわらしんのう)と言う方、平安遷都の数年前に謀反の疑いにより長岡京で幽閉されて、淡路島へ行く途中で絶食死された。後日に崇道天皇と追贈され京都には崇道神社がある。この早良親王も祟られた方で、これは夢枕獏原作の映画「陰陽師」で印象深く描かれていた。
 ここで、讃岐白峯陵・崇徳天皇ゆかりの神社は、似通ってはいるが別の白峯神社で、これは明治期創立とのこと。

 天皇の漢風呼び名(漢風諡号:かんふうしごう)は淡海三船(おうみのみふね)という人が一括してそれまでの天皇に呼び名をつけたわけだが、三船自身は壬申乱に破れた大友皇子(弘文天皇)のひ孫にあたり複雑な生い立ちを持ったインテリだった。で、その諡号(三船以降は代々今上が先帝に付けた)の中で「崇」という漢字が含まれる方にはどのような方がおられたのか。

 10代 崇神天皇
 32代 崇峻天皇
     崇道天皇=早良親王(50代・桓武天皇の弟、廃太子)
 75代 崇徳天皇
 北3  崇光天皇

 「崇」とは単純化するなら、祟(たた)るから崇(あが)める、という両義があって、一面では尊崇の為に付け、他面では「祟る天皇さんです」と言っているようなものだ。崇神はこのMuBlogでもたびたび出てくる方だが、崇に神が付くという異色の天皇で、「神」と三船がなづけたのは、神武、崇神、(神功皇后)、応神の三天皇だけで、中でも崇神さんの場合、祟る神の天皇となり、読み方によってはいささか問題がある。と、三船はそのような解釈のもとに名付けたのだろう。

 32代の崇峻天皇は蘇我馬子の命で暗殺された。
 北朝の崇光天皇についてはよく知らない。
 いずれにしても、崇徳上皇が保元の乱で摂関家の悪左府(頼長)と組んで弟の後白河天皇と争い、負けて讃岐に流され、後日に朝廷を呪いながら亡くなられたのが史実である。

 そこに西行が出てくるのは、これはかつて西行が都にいた頃、出家する前は「佐藤義清:のりきよ」という北面の武士として、崇徳天皇時代から歌を通して知り合いだったからだろうか。
 歌といえば新古今和歌集の後鳥羽院は西行の歌をことのほか愛で94首が入った。承久変でやぶれ隠岐島に流され名歌を残しておられる。と、このあたりのことは日本の和歌としていろいろ勉強しないと、何も書けない。


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 雨月物語/上田秋成の、最初の短編小説が「白峯」で、西行らしき人が白峯陵を訪れる時の雰囲気(霧雨、闇など)が、私が訪れた時と同じだった。坂出の白峯は高山ではないが天候によっては恐ろしげな山になる。
 この旅行では、近くにある「かんぽの宿・坂出」に泊まったが、景色もよく設備もよく、そして一泊二食の経費もお徳用だった。

追伸
 崇徳上皇、西行、後鳥羽院、芭蕉についてそれなりにまとめようとおもったが、浅学非才を味わってしまった。しかし白峯陵の階段を上がった足の動きだけは、まだ覚えている。保田先生によると芭蕉は白峯陵に参ることなく、大阪で病死した。芭蕉と秋成とは110歳ほどの年齢の違いがあって、芭蕉は秋成も雨月物語もしらない時代の人だが、芭蕉は「歌」において西行や白峯陵をご存じだったのだろうか~。
 幾つになっても勉強の種は尽きない。

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