カテゴリー「猫ハルキ」の14件の記事

2012年10月 6日 (土)

小説木幡記:猫ハルキも随分大型化してきた

承前:小説木幡記:2009/07/31(金)夏のハルキ君

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 昨年ころから、猫ハルキ君はこの大胆ポーズ、というよりもいささか懈怠した、アンニュイの極み姿を見せるようになってきた。
 毎日が気怠いのかもしれない。
 そしてまた、「ノルウェーの森猫(NFC)」にとっての夏は、叫び出したくなるほど暑い日本の、日々過ごしにくい時期かもしれない。
 深い森の奥から雪の女神さまの橇を引くのが生来の仕事なら、彼にとって京都や宇治の夏は物狂おしい季節だと思った。

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 しかし目を見てみると、さすがに毎朝秘伝の鰹節をひとつかみ饗応する余を忘れてはいない。懈怠の中でも目をあわすだけの労はつくす。みあげた猫ハルキ君である。
 ともかく。
 大きくなった。いまで8キロ前後だろう。

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2011年4月23日 (土)

小説木幡記:猫ハルキと日常

Muimg_6907 今朝は4時、昨日は5時に起床した。就寝はいずれも午後9時だから、7~8時間眠っておる。脳は快調(に思える)だな。しかし落ち着いて考えて見ると、脳が快調すぎると生きるのが難しい。世相も職場も、ほとんどのことに難点を見つけてしまって、それが自分へ向かわないように、要するに自滅しないようにするのは、なかなか疲れることだ。なんとか、外への論難だけにとどめておこうと努力するが、ときどき自分への論難になってきて、生きるのが難しい。
 ともかく最近の世相は語るに落ちる脳。

 それで、深夜に目覚めることも手洗いに立つこともないから、熟睡しておるのだろう。ただ、零時すぎにふと目覚めて時計を見て、「手洗いに行くのは邪魔くさいな」と、思うこともある。だが、そう思って次に覚醒したときは午前5時ころになっている。余にとって、睡眠は限られた愉しみなんだろう。
 (いや、若者達をみていると、みんな授業中も、くつろいでいるときも、話の内容からも、ひっきりなしに、のべつ幕無く、眠っておるから、余だけの快ではなさそうだ)

 部屋の引き戸を引くと確実に猫ハルキが戸の前に座っておる。100%確実だな。余はおもむろに冷蔵庫のドアをあけて、カツブシの袋を取り出し、軽くひとつまみを床に置く。ハルキ君は決まって猫猫した背中を丸めて、かつかつと食べ始める。彼にとってこの世で唯一のおやつなのだ。
 ハルキ君にとっては冷蔵庫のドアが午前4~5時に開くことは鰹節に直結した現象のようだ。だからこの時間帯に不用意にドアを開閉するのは禁断行為である。さらに、他の時間帯に「かつぶし」とか「かつおぶし」と言うのは禁句である。どこに居ても、この言葉が発せられると忽然と冷蔵庫の前に姿を現す。(これは本当の話である)

 食べ終わると次に余の足首に絡みつき、余が歩くと余の足にじゃれついてくる。約30秒たって余が次の行動にでないと、100%確実に、余の足甲にがぶりと噛みつく。これが「アウチ!」と叫ぶくらいに痛い。この攻撃は次の行動を起こさない限り続く。

 次の行動とは、余が玄関口に向かい、ドアをあけて外気を部屋にいれることである。もちろんハルキ君はとことこと外にでる。出ると言っても半径最大5m以内で、けっしてそれ以上には出ない。そこで余は気分にしたがって5分~20分、外でぼんやりしている。勿論寒冷時は数分が限度だが。余が入ると70%は後についてくるが、以前、そうしても振り向かなかった。「ハルキ」と声をかけてもそっぽを向いていた。三度目に「ハルキ!」と強く言うと、振り返って恐ろしい顔をして「ニャーゴ」と怒りの声をだした。ようするに、「おっちゃん、うるさいで。くつろいでいるんやから、ほっといてくれ」と言いたかったのだろう。

 今朝もそうだった(笑)

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2010年11月 7日 (日)

小説木幡記:2010/11/07(日)悠々自適の日曜日

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 悠々自適とか晴耕雨読とか毎日が日曜日とかいう古(いにしえ)からの言葉が耳にやさしく語りかける日々である。しかしそれはまた心身枯渇し、収入が途絶え、頼るもの無く朽ち果てていく様とも裏表であるぞ。
 いつの時代にも。
 老いとか若さとか、加齢とか希望絶望というのはいささか相対的なものであって、余の記憶にはうっすらと20代のころにも上述のような実感を味わっていたことを思い出す。そのころ、20代初期の余は、今からでも「本心だった」と確認した上で、「長く生きた。もう若くはない。後は滅びを待つだけだな」とうそぶいておった。いや、ほんま!

 そういう感性を、最近亡くなったドイツ文学系の文芸評論家が、「老いてもいぬのに、若年寄じみたというか、晩年などと自嘲するのは、本当に老いた人に対して申し訳ないではないか」と、叱責していたので、はっとして襟を正した。おそらく太宰治に関する文芸評論だったと思う。

 三食たべて好きな読書してうたたねしながら「貧しい。赤貧あらうがごとし」とか言ったり、まだ旅行したり散歩できるのに「心身衰えたるかな、嗚呼、我が生終わりぬか」などというのは、本当に飢餓状態の人とか、病気で長期入院している人から見たら、嫌みでしかないし「ふざけるな!」と座布団や急須を投げつけられる。

 心しよう。
 と、反省するのは猿でもできる。
 で、日曜日を悠々自適と言うには、blogを通して世界に向けて記録を残したり、好きな小説を紙の文庫やiPadで読んだり、近所の伏見港で安いラーメン食べてお茶したり、京阪特急2階建てに乗ったり、部屋をかたづけたり、……。自慢のEH500をDCC制御の超微速でじわじわと走らせたり、~。NHK大河ドラマを見る前に夕べの風呂にじゅわりとつかったり、美味いご飯をいただいて猫ハルキの髭に触ったりして、一日を終える。それが余の晴耕雨読、自適生活なんじゃろう。良しとしよう。

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2010年7月11日 (日)

小説木幡記:2010/07/11(日)猫ハルキのおっちゃん座り

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 今日は選挙の日だったので、昼頃豪雨の中を近くの公民館まで出向いて、清き一票を投じた。先回投票したのは10年前か、20年前か、わからぬほどに昔のことだった。

 猫ハルキ君が珍妙な座り方をして余を見つめていた。何故か知らぬが、それを「おっちゃん座り」と名付けている。随分前から時々この座り方をしていたので、気になっていた。今日は写真をやっと撮れたので記録しておく。

Muimg_3981 最近、ハルキ君を撮していないので、ついでにパスポート用というか「身分証明書」用の写真も編集しておいた。
 もう木幡研に来てから1年半くらいになろうか。随分重くなって、大きくなった。
 一応猫ハルキと名付けているが、イメージとしては中型犬を想像してしまう。もうこれ以上には成長しないと思うが、抱えるとずっしりと腰にくる。
 ご飯は、チキン系の「かりかり」で、これは常時茶碗に入れておく。なくなると、余のアキレス腱に噛みついてくるので、すぐわかる。
 おやつは鰹節を朝晩二回、ほんのひとつかみ。朝は五時、夕方も五時と定めている。朝は余が受け持ち、おやつをあげた後は、必ず玄関ドアをあける。すると、彼は外の空気を吸いに行く。ただし、すぐに戻り玄関口のタイルで寝そべる。
 彼は明確な時計を持っているようで、時間を違えるとぶつかってきたり、甘噛みしたり、ひっかいたりする。声はめったに上げない。ものすごい無口猫なのだ。
 たまに、カラスの鳴き声をまねて、カラスを惹きつけたり、鳥の鳴き声を出す。フェイントをかける狩猟派の猫ハルキである。
 ~
 なお、意外なほどに余の書斎を好む。朝夕、眠っていてなにかしら気配を感じて目を開けると、大抵は猫ハルキ君が余を見つめておる。大の字になって寝そべっていることもある。余は、猫とはなかなかに相性が合うようだ(笑)

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2009年12月26日 (土)

小説木幡記:2009/12/26(土)高い高いの猫ハルキ:満一歳

Muharuki5576 猫ハルキ君が木幡に来て10ヶ月くらいになろうか。彼は昨年の今頃、12月上旬に誕生した。満一歳の誕生日に近所の犬猫医院に連れて行って健康診断をした。
 猫ハルキ君はまだ若いから、鼻から胃カメラとかCTスキャンにMRI、諸々の治療薬など不要だった。

 そういえば、余は夏には鼻から胃カメラ、冬にはCTスキャンと医療世界を騒がせておる。20年間くらいろくに医院通いもしたことがないので、最近は華々しい。主治医の先生は、余の性向・体質・遺伝質あれこれ観察しておるようだ。
 それで、話は飛ぶが、一昨日近所の車屋さんからの帰り、キャンパスを歩いていて思わず自笑しまくった。
 「余は40年間、自動車の点検だけは、うまずたゆまず飽きもせず、年に2回必ずディーラーに診てもらってきた。しかるに、余自身は中学校の時に虫垂炎(盲腸炎というておる)で一週間手術入院した以外、入院体験がない。ましてこの20年間、まともに医院へ足を運んだ覚えがない(歯科は別だな)。一体、自分の身体と自動車と、どっちが大事なんだぁ~それに猫ハルキ君、これから誕生日に必ず健康診断とは、豪華だなぁ、……」

 「先生、つかぬことをうかがいますが、いつも患者さんが沢山来られますね。みなさん、病気が多いのでしょうか?」
 「うふふ~」と、彼は不思議な笑みを浮かべた。
 「あれだけ大勢の人が、薬をのまないとマズイというのが、信じられない。日本は病んでおるんでしょうか」
 「いやいや、そうでもないです。ナイショですが、普通の腹くだしなら絶食。普通の風邪なんて、水飲んで寝ていたら治りますよ~」と、笑った。
 「おお、やっぱり」
 ~
 と、話しているうちに、両親の死亡時のことや、兄弟の遺伝体質について、話していた。最近の「先生」は、四方山話をしていても、ちゃんとキーボードで打ち込んでいた(まめだぁ)。

 しまった!
 猫ハルキ君の健康診断の話だった。
 それが、「異常ありませんよ」ですんだ。体重や身長。ひとしきり猫ハルキ君を触診したり、耳穴を覗いたり、歯(牙)ぐきをひんむいたり、喉の奥にライトをあてたり。聴診器を使ったり。それはそれは特殊技能が満載だった。傍で見ていて堪能した。猫ちゃんは一般にプライドが高いから、マズイ扱いをすると引っかかれたり、肉球パンチをくらう。
 先代のマタリン翁は、別の「動物のお医者さん」で若い女医さんに噛みついて血だらけにした。誤解されては困る、マタリン翁は実におとなしい猫君だった。彼が激怒憎悪して攻撃したのは、その女医さんが「猫の気持」を無視したからである。
 で、今度猫ハルキ君は別のお医者さんにした。中年のオジサン医師で、手慣れていた。予防接種に最初行って以来、まるで猫玉演技のような診察だった。
 それで。診察代。
 おお。
 国民猫健康保険無し、こんな額で、このお医者さん、やっていけるのだろうか。と、思うくらいに楽な出費だった。これなら、毎週通っても困らない~。

 で、冒頭の写真は、実は知らない間に天井近くの高台に登って、探し回る余を上からじっと俯瞰していた時のものだ。狭い家だが、先代もハルキ君も、すぐに姿を見せなくなる。もちろん、十ヶ月にもなるのだから、大体はどこに隠れるかが分かってきたが、時々、本当に途方にくれることがある。「まさか、逃亡か?」と、胃が痛むほどだ。いつぞやは、テーブルの下に収めた椅子に寝ころんでいた。これが見つからないものなのだ。今度は、天井だった。

 さて。
 次はどこに隠れるのか? 猫ごっこも楽しみなものだ。

追伸
 以前、倶楽部ご隠居さんの猫ちゃんが永眠したと耳にした。人間でいうと100歳くらいのはずだが、これからしばらく、そのご隠居さんの前では、猫ハルキ君の話を出来なくなる。合掌。

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2009年9月18日 (金)

小説葛野記:2009/09/18(金)九月の猫ハルキ

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↑2009年9月の猫ハルキ君

9月も下旬
 感覚として、ここ何日かは、朝昼夕の寒暖差が10度ほどもある。かといって、相変わらず夏の姿のママで、このまま10月に入ってもしばらく半袖でいく気分だ。衣替えの季節と歩いていてもおもうのだが、気持ちが日常になかなか向かない。

 この10日間ほどは、今夏期いちばんの疾風怒濤時間だった。10日前に夏期論文物語初稿を完成して、神戸で研究発表をした。緊張する。その上、発表後に聴衆の同業お二人から、それぞれおひねりまでいただいて、なんか漫画世界にいるようだった(笑)。こういうことは生まれて初めてだったので、帰路しきりに首をひねっておった。大昔の欧州中世大学では、学生達が講義を受けた後、その場で適切なおひねりを篭に入れていたようだが、プロ同業間でもそういうこともあるんだ。(余の生涯の記憶となろう)

父の祖地
 父の祖地に往復300キロ走った。これまた帰路が、日頃味わえないスリリングなドライブだった。つまり、旧北陸線の単線トンネルを11箇所通り、そのなかで信号付きが3箇所。ついにというか、まんまと一箇所で正面向き合ってしまった。結局、おとなしいよそ者の余がRSを数百メートルバックさせた次第。相手が悪いのはわかっていても、地場のおっさんに喧嘩うるほど不用心ではない。余は、入る前に、ハイビームにして警笛を10秒もならして突入したというのにな。その日は晴れていて、大体一箇所1キロあるトンネルはカーブしていて、入ったとたん暗黒になる。蛍光灯がぽつぽつついているだけの、要するに地場者専用道路みたいなものだ。トンネル内走行の事件以外は、だれともいきちがわなかった。

 ああ、父の祖地は、au携帯が圏外だった! あそこから、父が大正時代にはるばる東京へ一族一帯の期待を背にして、遊学したころを想像し、思わず落涙した。関東大震災の頃20代前後だったようだ。下宿の臨月のおばさんを戸板にのせて右往左往していたとの話だけを、父から鮮明に聞いていた。

葛野図書倶楽部2001も動き出した
 倶楽部。いろいろあった。新人会や~、今朝は一番隊長が新人・旧人たちにPC講習会を開催してくれる予定。来週は連休明けに後期大月例会、来週末は副長主催で機関誌の印刷製本、いろいろある。

 そして、余は夏期論文物語、今夏の〆に入る。
 脳がとろける。太陽にとろける葛野研。

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2009年8月24日 (月)

小説木幡記:2009/08/24(月)木幡夕照と猫ハルキ

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↑2009年8月23日曜日の木幡夕照

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2009年8月23日曜日のハルキ正装

 昨日日曜日は午前中にえどるん君を京都駅まで送り、その後帰還し、読書を始めた。
 髙村薫さんの『太陽を曳く馬』上下。夕刻にようよう第一章を読み終えた。上巻の150/400位の分量だが、ぐっときた。合田刑事はあいかわらず、よいな。今は40代の警視庁係長になっている。うむうむ。今度の文体の様子は、まだまだどうなるかわからないが、ユリシーズの翻訳を読んでいるような酩酊感におそわれた。いや、余の脳は日曜の午後、しっかりしていた。結局文章の海の中で、余はゆるくゆるく足と手を動かし、遊泳しておった。一章だけで、上物だとわかる。うむうむ。

 さて、シャワーを浴びて外をみた。
 急激にカメラを使いたくなった。キャノンEOSのデジタル一眼なのだが、心身が思わしくなかった数ヶ月、触ることもできなかった。数枚とって、室内を見るとハルキ君が静かにしていた。えどるん君の不在を不思議に思って、考え込んでいたのかも知れない。

 かくして夕照とハルキ君との競演となったが、どちらがどうのと言う前に、両方とも気に入った。そういう対象がこの世にあることに。

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2009年7月31日 (金)

小説木幡記:2009/07/31(金)夏のハルキ君

承前:小説木幡記(追伸):2009/05/16(土)五月の猫ハルキ

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↑2009年7月30日の、猫ハルキ

 先回猫ハルキの写真を撮ったのが5月の半ばだった。それ以降心身低調でずっとカメラを向ける気力がわかなかった。ようやく、一昨日にハルキ君の様子が面白かったので、数葉収めておいた。感想は、ともかく「ずっしり重い」の一言につきる。このまま来年になると、10キロ前後になって、抱きかかえるのが難しくなるかもしれない。

 普通、この「ノルウェーの森猫」は6キロくらいで止まると聞いているが、あまりに成長が激しいので、ついついコタツ猫じみた巨猫を想像してしまう。

 暑いせいかこのごろは寝てばかり居る。寒いところから来た猫ちゃんだからしかたなかろう。玄関の土間部分がタイルなので、そこに横たわって顎だけあげて部屋を眺めていることがある。猫も賢く行動していると思うと、笑える。贅沢にも、クーラーをハルキ君のために運転する時間が長くなった。そのうち氷柱でも部屋の真ん中か、風呂に入れておけば、北極熊さんみたいに楽しんでくれるかも知れない。

ハルキ:2009-05-29 あくび猫
ハルキ:2009-05-29 ねむり猫
ハルキ:2009-07-06 散髪したようなくびすじ 
ハルキ:2009-07-28 ベロだしハルキ
ハルキ:2009-07-28 ハンサム・ハルキ
ハルキ:2009-07-28 野生のハルキ
ハルキ:2009-07-28 獰猛なハルキ
ハルキ:2009-07-28 理性を取り戻したハルキ

↑夏のハルキ百態(クリックで大きくなります)

 ハルキ君は、素早いので寝ている時しか写すことが難しい。最初の2枚はソファ地が温かそうなので、5月末の写真とわかる。首筋だけを撮したのは7月はじめで、この首筋のラインが以前から気に入っている。正面むいて猫式正式なフォーメーションを組んだときは、まるでライオンのたてがみのように見える。

 一応長毛に属するようだが、毛繕いが激しい割りには、毛玉は目立たない。みたことはないが、丸くて小さな物らしい。長兄のまたりん翁は、毛だらけ猫だったので毛玉も大きかった。

 食事は相変わらずカリカリだけで、ここまで大きくなった。ただ、この一ヶ月は毎日2回だけ、鰹節をひとつかみずつ好んで食べる。冷蔵庫から鰹節の袋を取り出すと、かさこそと音がするだけで、別の部屋から全速ではしりぬけてくるのだから、「猫に鰹節」という格言が出来そうだ。(いや、あったかな? 猫にマタタビはあった)

 7月始めに、例の手術をした。その日は少しだけおとなしかったが、翌日からは元気もりもりに戻っていた。なんか、獣医さんに欺されたのかも知れない(笑)。ともかく、元気なハルキ君をみていると、安心する。

 そうそう、メモ。
 実は風呂にはまだ一度も入っていないはずだ。それなのに、無臭。白系の長毛がうすら汚れている風にも思えない。相当に毛繕いが上手な猫系なのだろう。
 食事のカリカリと、御手洗いだけで、今のところ手間はかからぬ。ただし、「遊ぼう!」は、またりん翁に比べると百倍うるさい。またりん翁は殆ど常に高Pルックスだったが、ハルキ君は朝からしっぽや胴体を絡ませてくる。ほとんど鳴かない。ないても、小さくミヤウ、ふにゅ、という音しか聞こえない。変な猫君(ねこぎみ)であるわいな。

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2009年5月16日 (土)

小説木幡記(追伸):2009/05/16(土)五月の猫ハルキ

 ハルキ君も随分大きくなった。最近は、来たときに比べてよく眠るようになった。おそらく木幡研の居心地のよさを味わい、所員達の人柄にもふれて、警戒感が薄れてきたのだろう

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 そういえば、兄の故・またりん翁も十数年の間、ずっと寝てばかりおった。しかも、写真のソファと人形と熊と羊が彼の晩年の友だった。春ちゃんはそれをしってか知らずか、「羊」を特に愛好しておるようだ。猫族の継承は、あるのだろう。

 メモとして。
 彼がときどき押し込まれる、お仕置き部屋とか、拷問部屋とか、座敷牢という名称はこのごろ極力春ちゃんの前では使わないようにしておる。彼は、確実に人間語を理解している兆候がある。単に「お部屋」と、言い換えだした。
 その座敷牢じゃが、春ちゃんは100%確実に電灯の消灯を自分で任意に操作しておる。恐るべきかな。気分によって、点いたり消えたりしておる。
 で、余はこのごろ言葉を教え込むようにしておる。国語教育こそ知能ある万物の根源と考えておるのでな。これも「またりん翁」に似て、ときどき池をながめておるので、「鳥」とか「虫」とか、「池」と指さして教えだした。すべてにたいして、「にゃお」としか答えぬが、分かった目をしだした。

 余は嫌われておるのか好かれておるのか、春ちゃんが気まぐれなのか、この頃分からぬ。所員達が部屋にいるときは、手をかざしただけで身をすくませる。抱き上げると、まるで拷問されているような深刻な目をし、身体を硬直させる。しかるに、だれもいないときは余の膝にぽんと載って、濡れた鼻先を余の手足や顔や鼻に押しつけてくる。

 猫の気持は分からぬことも多い、のう。

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2009年4月11日 (土)

小説木幡記:2009/04/11(土)春のハルキ君

 昨日、眠気を誘うようなハルキの姿をみた。面白かったので写真を数葉とって眺めてみた。ともかく大きくなった。まだ生後4ヶ月というのに、木幡に来て3ヶ月というのに、ものすごく貫禄がついてきた。膝にのっても身体がはみ出すくらいだから、子猫とは到底言えない。これではもう猫カフェ・デビューは無理だなぁ。

 しかし根は子供子供している。無鉄砲、考え無しで「見るよりも飛べ」の毎日だ。
 金魚鉢には金網が張られ、電気製品の後ろの幅数センチの隙間にも重い本を山積みしている。家中の広辞苑や漢和字典や高額美術集は全部それに使われている。家中バリケードだらけなのに、それでも跳躍力は日に日に優り、1メートルほどの高さだと気楽に「ホイ」と飛び上がる。四畳半を「お仕置き部屋」にしているが、これも数分間でテコテコと引き戸をうごかし、にょろりと長い身体が押し出されてくる。今朝など、真夜中に手洗いに立ったとき部屋に灯りがついていた。寝ぼけた頭で「だれが付けっぱなし?」と思って覗くと、春樹じゃなかったハルちゃんがちらりと余を見た。ところが手洗いから出ると、部屋が暗くなっていた。ハルちゃんは数週間前から、電灯を自由にオンオフする技を身につけているようだ。

 そんなハルキも春なのか、昨日はソファでのたりのたりとしていた。羊さんを枕にして眠っている姿をみかけてカメラを出した途端に、目を開けて、絶妙の猫枕寝から起き上がった。残念。いつかまた、羊を枕にしているハルキを撮っておこう。
 余も、近頃ますます~猫馬鹿になったのう。

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