清水寺(京都市東山区清水)地図
十一月の末に清水寺へ行ったら、まだ紅葉があった。カメラの電池が切れたので、携帯電話で写してみた。西日を受けた紅葉の雰囲気だけはでた。
清水寺の紅葉空
| その日京都駅前で難しい会議があった。長尾真先生(情報通信研究機構理事長)がこの四月に日本国際賞を受賞されたことの、関西での記念シンポジウムである。題して「自然言語処理と画像認識に関するシンポジウム」。日本国際賞とは、ノーベル賞と同程度の意味を持ち、格式が高い。賞金も5千万円、栄誉ある賞だ。ノーベル賞では創始者の意思や時代背景から、数学とか情報学関係は対象外である。だから、今年長尾先生が日本国際賞を受賞されたことは、世界的な意味を持っている。この賞の京都での、というか長尾先生の出身である京都大学の情報学研究科関係の主催で記念シンポジウムが執り行われた。
受賞者は、例年1月に決定され、授賞式典は同年4月に東京で天皇皇后両陛下御臨席のもと、内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長、最高裁判所長官を始め、関係大臣、駐日大公使、学者、研究者、政官界、財界、ジャーナリスト等約千名が出席して盛大に挙行されます。(日本国際賞)
京都駅近くの会場に着いたのは午前9時。驚くべき事に、同時刻玄関前で畏友の梅翁(氏は大昔の京都大学工学部電気を卒業しているらしい。そのころ長尾先生が助教授だったよし、伝聞)と出会った。彼が東京を出て奈良ホテルに泊まり、当日会場で落ち合うまでは計算にあったが、男同士の計画は乱暴なもので「なに、来ておればよし。こなくてもよし、会場で会えるかどうかなんてどうでもよろし」のノリだ。それが、どんぴしゃり、絵に描いたような朝の遭遇だった。ここで、Muは「はあ、今日はおもしろくなりそうだ」と、思った。
その通りになって、清水寺(笑)。まだディジタルカメラの電池もあった。
清水寺:仁王門と三重塔
| はじめから「京都のことは梅翁に聞け」が合い言葉となった。つまり、この仁王門を写す前、昼食をとったのが京都近鉄駅の高架下のうどん屋だった。牛南蛮うどんと巨大だし巻きとホタテ貝のバタ焼き。梅翁が何故こういう美味いうどん屋を探し当てるのか、奈良では絶品のウナギ屋を数年前に発見し、その京都駅うどん屋はすでに十年前に発見していたとのこと。
清水寺、仁王門と三重塔。三重塔の前の幾層もの石段が、異国のように思われた。原始仏教の世界をイメージするくらいにこの風景は焼き付いた。牛南蛮うどんの美味とともに恍惚とした。
紅葉塔(子安塔)
| さてMuがこの塔を写したのがデジカメ撮影の最後となった。要するに、ここで電池切れ。Muの電池は時と所にかまわず、五分から三十分横臥するだけで、満充電されて生き返るが、あいにく現今のデジカメはそうではなかった。だから泰産寺の子安塔を写して、紅葉塔と名付けたのが最後となってしまった。
地図でみるとわかるが、地理的に子安塔が清水寺とどう関係するのかむつかしい。他の記事(参考)では泰産寺は清水寺境内にあったが廃寺となって、この地に塔が移築されたとある。
ただ、歴史背景を知ろうとすると難しいのであって、清水の舞台からみたこの塔は紅葉につつまれて、じつにわかりやすい風景だった。
Dr. NAGAO Makoto
で、話は飛ぶが、会場で梅翁は親しく長尾先生と話をなすっていた。どんな内容かは、公開出来る範囲で「ふうてん老人日記」に出るかも知れない、でないかも。Muも知らない。
かくいうMuは、簡単きわまりないというか、そっけないほどの一言で済んだ。しかし、それは書けない(笑)。だいたいこの五年間は、長尾先生との話は禅問答みたいな、一言、二言である。
さて。しかし、ここで自然言語処理のウンチクを傾けるには、場もMuも適当ではない。難しいことであるとも言えるので、それ以上については別記事をたてて記すこともあろうが、せいぜいMuの幻想世界としてしか描けない。
ただ、Muは随分自分自身のこととして、このことに長く執心してきた。なんというか、学問とか学術とか大学とかとは、もっと離れたところで、とは言っても独学とか趣味とか、それとも違って、自分のこととして考えてきた。だから基礎科学の素養なんかどこにもないMuであっても、その原始的な執心によって、なんとかDr.Nagaoと話す機会を長年得られてきたと思っている。
少し派手な言い方をするならば、この世のしがらみとか仕組みとかとは無縁なところで、日本語・自然言語処理はMuの存在にかかわることだった。だから、Muはあらゆる肩書きがなくなっても、ぶつぶつと、コンピュータ内における自然言語とは、日本語とは、などと呟いているのだろう(笑)。
で昼、さらに話は飛んで、「どうじゃ梅翁、清水寺へお参りにいかぬか」と、さそってみた。
Muには、こういう乱暴さもある。天啓があったと申せば、通じるだろうか、いや通じない。
自然言語処理の話を聞いて、清水寺へ即刻行こうと思ったこの「人の気持ちの動き」は、なかなかにコンピュータで解析するにはやっかいな代物である。少し上等な人工知能ならば、一般則として、「人は会議参加と称して観光巡りなどするもんだ」となる。しかし、それではまだまだ真の人工知能とは言えない。幼稚園レベルだな。
「時に、人によっては天啓を得て会議の半ば、会議内容とは全く無縁、しかも周知の清水寺に行くこともある。ただし、固有の特異な制限条件として、Muなる人格が、ある特定の条件下にあったときに、限られる」
こういう用例をしっかりマシン・システムが理解したふりをしなければ、真の人工知能は生まれたとは言えない。
これは、なかなかに、すぐに出来ることではない。
無論というか、当然というか、梅翁は即刻同意してくれた。さすがに巨大某企業で社長賞を受賞しただけの御仁である。というか、長年Muの話し相手になって下さった方だけある(笑)。
このあと、清水寺で征夷大将軍坂上田村麻呂(さかのうえの・たむらまろ)に出会った、~。後日に続く。
参考
日本国際賞(国際科学技術財団)
オンライン広報通信(政府)日本国際賞
長尾真博士のノート[MuBlog]
子安の塔(京の通称寺)
塔の都/弐:三重塔