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2009年12月 5日 (土)

小説木幡記:2009/12/05(土)静かなubuntu狂乱

 じっと身を潜めている。
 事情は余にもよくわからぬが、ひたすら施錠し木幡に籠もり、葛野に籠もる日々。なに、いつものことよ、と独り言を言いつつ、「いや、どうにもこれまでとは違う」と、すぐにうなずく日々なり。うむ。

 またしても小説の3冊並行処理読み。コンカレントというのかパラレルというのか。おまけに日曜作家は週に4日間午前4時~7時に及ぶ。さらに、マシン、ubuntu三昧極まれり。

1.マシン、命
☆木幡マシン上
 ubuntu(Linux)のv9.10を入手した。雑誌の付録だ。インストールについて微に入り細に入り説明がある。だいぶ慣れてきた。それに、9.4に比べて、相当に分かりやすくなってきた(つまり、Win利用者にとって)。

 木幡マシン(Pentium4 2.8C、主メモリ1GB、外部合計300GB、WinXP)に新ubuntuを再設定した。
 趣向を変えて、WinXPからubuntu-CDにある特殊アプリケーション(Wubi.exe)を起動して、そのまま設定した。すると指定したWindowsの通常フォルダに「ubuntu」ができて、そこに、

 □disks フォルダー
 □winboot フォルダー
 ○Ubuntu.ico
 ○uninstall-wubi.exe

が格納され、次回からはPC電源をいれるたびに、WindowsXpかubuntuか、どちらを使う? と聞いてくる。
この謎は、主にdisksフォルダーに、以下の様な特殊なファイルを作り、仮想ディスクとして扱っているようだ。

    □disks-+- - □bootフォルダー
         |
         +-- home.disk 4GB
         |
         +-- root.disk 4GB
         |
         +-- swap.disk 2.6GB
         |
         +-- usr.disk 4GB

 実に快適で、悩む必要がない。仮想ディスクなので、アクセスがとろくなる心配もしたが、体感では通常のWinXPを触るのと変化はなかった。
 まず、上海を動かした。順調(笑)。次ぎにLinux世界のワープロ、表計算、そしてプレゼンテーションソフトを動かした。快調。Windowsのパワーポイントで作っていた過去のファイルを読み込んだら、実に不思議なくらいにスムーズに動いた。自然に「くくく」と笑った。

☆葛野のマシン群
 涼夏2007PCでの、ubuntuの取り扱いを止めた。まだwinXPとubuntuとのRAIDの整合性が分からないので、君子危うきに近寄らず。

☆SONYのノートvaio 2000年製
 これは~、メモリが200MBに満たず、大変な事になった。
 延々とubuntuのLive-CDを読み込んで(30分くらいかな)、そして到着して、なにかアプリケーションを使用するたびに又えんえんとCDを読みに行き、ときどきメモリ不足故のエラーを起こした。

 これではなぁ。HDにインストールする気力が失せた。 この実験だけで半日使ってしまった。マシンは時間と根気を湯水のように使うものと、しりながら、「止めた」というまで気息奄々。おそらくもっと軽いxbuntuとか、あるいは別途「国産VineLinux」、あるいは軽すぎる(笑)「PuppyLinux」で試さないと10年前のvaioでは無理なんだろう。

 しかし、当時はわずかに200MBに満たないメモリーでwindows2000がサクサクと動いていたのだから、驚異的とも言えるし、現代のOSがファットすぎるとも言えるなぁ。

☆Dell inspiron2600 多分2000数年製
 うむ、手こずった。これも失敗だった。
 CPUがceleronで、メモリも384MB搭載していて、良いLinux専用マシンになりそうだが、LiveCDの導入部分でけつまずいた。最後は画面がぐちゃぐちゃ

 CD読み込みでフリーズするので、起動パラメタをいくつか変化させた。これは雑誌に載っていて、その通りした。すると一応、進みはしたはずだが、今度は画面が写らない。それも様々に別の起動パラメタ変更をしたが駄目だった。このころのDellマシンは現代のLiveCDーLinuxでは動かないようだな。

☆インテルMAC
 これはわざわざBootCampを使わなくても、ubuntu側のディスクパーティションソフトでなんとか行きそうな記事があった。v9.4ではそんなことは知らなかったから、今度のv9.10からの新機軸かもしれない。
 ただ、葛野では疲れ切って止めた。また今度にしよう。

2.なぜubuntu(Linux)にこだわるのか
 ゲーム「上海」が綺麗ですいすい動くのは命の一部じゃが(嘘)、本気で将来のことを考えておる。
 いろいろ読む限り、ubuntuは現状では、もっともWindows利用者に馴染み深い装幀をしておる。

 だれもかれもが、LinuxやUNIXの重利用者でもないし、OSの専門家じゃない。ただ、Windowsを長年使っていて、不安がある。
 一つは、寡占化による価格のこと。特に必須アプリケーションのこと。Linuxは創始者の意思もあり、例外をのぞいて今後も無料で行くだろう。WindowsもMacOSXもなんとなく裕福な人や、前者は特に会社持ちの人が使うには重宝だが、こんごの年金生活者にとっては贅沢だな

 その価格に関して、今後のOS発展はますますヘビーなPCを要求するのだろう。10年前に200MB に満たない主メモリー、20GBに過ぎないハードディスクで動いていたwindows2000が、今のvistaとか、軽くなったといわれるWindows7にしろ、メモリは2GBとか4GB載せて、ハードディスクも256~1000GBになっていきそうだ。同じようなワープロを使っていて、どうしてこんなにOSがファットになっていくのか。性能を追求するというよりも、無駄無駄しい厚化粧をして、価格を維持させているように思える。ふむ。

 安かろう悪かろうはよくないが、無駄はその底意に気付くと愕然とする。少なくとも90%のマシン利用者は、Windows98 でも、当時より少しだけCPUやメモリが豊富なら、信じられない超高速で、求める仕事のすべてをこなせることに気付く。

 Linux系のバリエーションの多さには目をみはる。古代マシン用から最先端マシン用、ネット用、マニア用、初心者用、……といろいろある。もっとも使いやすく思えるubuntuなどで充分に手慣れたら、その先の世界が開けている。他の巨大企業の高額OSは、会社が破産でもしようなら、こまったことになるなぁ。

 最後は文化の違いとも言えようか。
 そして閉塞感。なんとなく、MS-DOS以来、MS世界に疲れた。CP/Mの方が気楽だった(爆)。
 さて、余にもどうなるかは分からぬが、余が必要とするすべての用件をubuntuで使いこなせるようになるため、少しずつ慣れておく。

3.一太郎の恨み
 余は日本語のための入力システムATOKと、そのためのワープロ「一太郎」の愛好者である。
 この特に「一太郎」がMS社のwordの前にシェアを、この日本で激減させられたのは、無念に思っている。
 日本語を必要とするメーカのMS社との関係にまで遡る話になるが、こればっかりは無念至極。

 さてLinux上でWineというアプリケーションをセットすると、ubuntuでも古い一太郎が動くという話があった。継続して試していこう(今月だめでも来年は動くという、このLinux世界特有の楽しみがある)。

参考
 Ubuntu Magazine vol.02 アスキー社
 Linux Perfect vol.04 インフォレスト社

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2009年2月 5日 (木)

小説木幡記:2009/02/05(木)Google Earthで火星を見たり、最中を食べたり、忙しい

 厚切り焼きラム数片。芥子醤油でもぐもぐ。味噌汁。漬け物。そして白菜とフレークの炒め物。お茶。うむ

火星に水があったらしい?:Google Earthのv5.0
 (Google Earth画面の上覧に土星マークがあって、そこをクリックして「火星」を指示する)
 (Potenntial Landing Site Near Mawrth Vallis)
Marwater
Google Earthのダウンロード

「Google Earth」の機能がアップしたとTVニュースで見たので、さっそく仕様を更新してたしかめてみた。一番気になったのは火星の詳細な地形や特にクレーターの形状を木幡机上で眺めたかった。全域はそれなりに起伏が見られ、部分的には高解像度の画像が表示され、現代科学の成果に感心した。昨年に火星の水がニュースになったので、今度の写真では火星人とは言わぬが、宇宙古代遺跡がないだろうかとじっくり見たが、無かった。そのうち数十万年前の遺跡が見つかるだろう、おそらく黒いモノリスが。
 もう一つは「歴史」(時計マーク)的な写真を連続して見られることだった。大阪府堺市の仁徳天皇陵(大仙陵古墳)は2003年と2009年とでは少し違いがあった。2009年の後円部墳頂あたりに、過去には見えなかった空き地のような所があって、円形がぼんやりと見えていた。
 もう一つは海洋探検らしいが、これは後日に確かめてみる。

つくりたての最中(もなか):黄金逢(こがねあわせ)
 ぱりぱりしっとりした最中を食べた。つまり、最中の皮とあんこが別々になっていて、いただく直前に餡をぱりぱりさくさくした皮でくるんで口に入れるわけである。意外なおいしさだった。「清閑院」の京風菓子なり。

メルクリン社の鉄道模型
 30数年前に、東京銀座の店で高額きわまるドイツ・メルクリン製の機関車だけを買った。高額の中で一番安価なものだった(笑)。制御装置もレールセットも買えなかった。将来だれかが趣味にして成長していくことを念じたものだったが、数日後に墜落していて部品が外れ(余ではない)、何年か後には消えていた。残念なことをした。
 その懐かしいメルクリン社が、世界筆頭の鉄道模型会社が破産しかかっているというか、日本で言う会社更生を申請したようだ。なんとか製品は持続するようだが、記事を読んでみると難しい。製品の品質は最高級らしいが、ネットでいくつかみたところ日本製の数倍の価格だった。今の目で模型を手にして眺めてみたいと思いもしたが、やはり高嶺の花というものだろう。余には千円の鉄道コレクションを眺めているのが似合っていると思った。しかし、メルクリンという名称は余でも知っているのだから、ブランドがこの世界からもし消えたなら、それは寂しい。

 今日はそんなところだ。

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2009年2月 4日 (水)

小説葛野記:2009/02/04(水)朝霧の宇治からNetbook 28800円

 ブリ大根、シャケの焼いたの。味噌汁。林檎。余はブリ大根が好物なのだ。

朝霧
 宇治の朝霧は毎年経験してきたが、今朝はことのほか濃霧だった。起床時には気付かなかったが、朝シャワでもつかってゆったりしようと思ったとき、外を見た。自動車が殆ど走っていなくて、まれに小さな豆球がぽつんと地上を動いていた。一昨年のドラマ「風林火山」では、川中島の戦いで濃霧の戦法が話題になった。日本は河川が多く周りを海に囲まれているから濃霧には親しみがあるのかもしれない。船では霧笛(むてき)という言葉があるくらいだから、海の濃霧はライトの無い暗黒と同じだったんだろう。明治村に行ったときは品川燈台の近くに「霧砲」があった。そう言えば幼少時、真田十勇士の霧隠才蔵(きりがくれさいぞう)は猿飛佐助とならんで余の憧れだった。飛車角でいうと才蔵は角で猿飛佐助が飛車だった記憶がある。さらに、笛吹童子では「霧の小次郎」は人気がでた、役者は大友柳太朗さんだったか、……。松本清張さんには「霧の旗」とか「日本の黒い霧」とかあった。などと「霧」と日本の関わりを思い出そうとしたが、出てくるのは漫画講談映画の話に尽きる脳無。霧のロンドンはなんとなく煤煙まみれだが、宇治川の朝霧は日本の美質の一つだと思った。日本は山紫水明、霧や雨や川がよい。

28800円のNetBook
 NHKクローズアップ現代で、日本メーカにとって価格破壊に近い、超ミニノートPCというか、NetBook(インターネットとメルだけに用途品質限定)の話があった。メーカーは台湾でASUS(アスース)社。ネットで調べてみるとエーサーとか、他のメーカーもすでに10社くらいが競争しだしたようだ。

 ただ、日本の場合、当夜の番組に富士通の人が出ていろいろ申しておったが、これまで10~20万円で販売してきたノートPCとは品質や使い勝手の上で別の製品になり、販売するのが難しいようだった。たしかに別製品だった。しかしケータイもPCと思えば、極めて上等な携帯PCとも言える。世界企業の富士通だっていろいろな人がいるから、NHKに出た方が代表とも言えない。画面の中では品質を重視する技術者が古典的に扱われ、営業主体を主張する方が革新的に描かれていた。

 余は技術者系贔屓なので、品質を落としてまで安くするのは反対だった。技術者のプライドとして10年は持つパーツを使いたいと言い張っていた。NHK解説ではそれを、殻を破れない姿のように写していた。(司会のいつもの女性のことではない。)
 解説者のアスキー研究所の人も言っていたが、ASUSは余でも知っているマザーボードの本家本元。話では5000万点ものマザーボードを売ってきた実績と、多くのPCパーツ・メーカーが台湾に本拠を持つことから、パーツの仕入れ値が7割引き、6割引きのようだ。もちろんインテル社のATOM(CPU)も半値以下で大量購入するのだろう。そしてそういうASUS社へ日本や世界のPCメーカーがマザーボードを発注するのだから、話がかみ合わないし、勝負にならない。

 だから基本的に、ASUS社が日本で28800円(2009年2月4日付けのジョーシンのネット情報)のNetBookを販売していても、これは同じ土俵じゃないのだから、仕方なかろう。富士通やNECやSONYは別のPCを作って売らなければ、この競争には勝てない。かえって、パーツの品質を落として火災をだしたり、修理返品の山になるくらいないら旧来通りのA4判タイプの堅牢なデスク・ノートBOOKを販売している方が、今後稀少製品メーカーとして長生き出来ると思った。学生たちを見ていると、やはりデスクトップでは置き場所がなく、実際に卒論やレポートを書くには大きめのディスプレイやキーボードのある普通のノートPCの方が、眼精疲労も肩の凝りも小さくなって、使いよいようだ。

ASUSのEee PC 701 SD-X:28800円その諸元
 (http://joshinweb.jp/pc/115/0884840310082.html#reviewJump
 OSはWindowsXPの廉価版。SSD(シリコン記録媒体)を8GB搭載しそこにOS等が入れてある。大昔に使っていたSONYのVaioノートはHDDが8GBでいろいろなアプリケーションを動かしていた。8GBもあれば十分(笑)な上にこのNetBookは30GBの携帯型HDDが付属している。あっ、ディスプレイは7インチカラーで800x480画素。重量電池込み910gで、電池は3.7時間程度。メモリは512MBだが、これはまあWinXPだとギリギリかな。外部ディスプレイは2048x1536ドット対応だから十分だ。その上無線LAN付き。
 要するにディスプレイが小こくて見にくく、キーボードが狭苦しく、CPUの瞬発力がなくてとろくさいのに目をつむれば、一昔前の高級マシンだ。これが3万円切るとなると、余も欲しくなったぁ(笑)。

アプリケーション
 購入してすぐだと、エクセルもワードもないから困る人もおるだろう。外付けDVDとOffice2007を購入されてもよろしいが、NetBookというのだから、これはクラウドコンピュータのターミナルなんで、インターネットに接続して使うものだ。
 たとえばGoogleサイトのサービス一覧を御覧になれば、「ドキュメント」というのがあってこれはワープロソフトや表計算ソフトである。OpenOffice.orgにアクセスすれば、ワープロも表計算もデータベースもプレゼンテーションソフトも無料入手できる。一応MS社ファイルの読み書きが出来る。収入の低い若年者や高齢者には極楽世界になってきた。

まとめ
 28800円のノートPC、SSDが8GB内蔵とは洒落た商品だ。一台あってもよいだろう。これを技術立国日本が現在開発できない(巨大台湾パーツメーカーに勝てるかどうかの問題。技術力は当然ある)のは、仕方ない。昔の日本のPCは接触部分に金メッキをしたほど品質に拘っていた。しかし、以後10万円デスクトップが生まれた頃から、悩みだした。パーツもOSも知らぬ間に、ワープロソフトまで一太郎からWordという異国外注品になってしまっていた。資本主義世界だから、この上はASUS社を買い取るしかない。
 あるいは、PCなんて電卓と思えば、100均ショップで売られる運命なのだから、さっさと撤退して「おいしい、お米立国」になるのが本道かもしれない。
 畏友のふうてんさんや、Joさんは、今夜のクローズアップ現代をどんな気持で御覧だったろうか。わが日の本のPC黎明期に生きてきた風雪梅安一家にとって、悲しい話でもあった。うむ。

参考
 小型ノートPC、ついに3万円台に突入/平林 久和=ゲームアナリスト Mu注:読み応えのある記事でした。
 ジョーシンのカタログ:ASUSモバイルパソコン「Eee PC 701 SD-X」ブラック 

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2009年1月 6日 (火)

小説木幡記:2009/01/06(火)年頭の失念事項

1.Webページ(ホームページ)考
 関与する葛野図書倶楽部2001でもホームページ(HP)を一番隊が管理しているのだが、実は余も葛野から長年重々しいWebを公開している。しかしこの数年はMuBlogに気持が移って、それこそ閑古鳥、手を付けていない。
 2009年のこの1月、なにかしらそれが思い出されてならぬ。

 昨年木幡では、紺屋の白袴というか、十数年来のISDNという、つまり昔の通信回線64Kbpsをやめて、念願の光ファイバー仕様にした。一戸建て用の公称100Mbpsだから動画も見られる(笑)。しかしそれにした最大の理由は、そろそろ木幡直接Web発信にしようと思ってのことだったと、いまさら思い出した。

 blogであれwebであれ、自家直接発信のメリットはあまりない。設定、メンテナンスからトータルに考えると、クラウドコンピュータではないが、たとえばこうしてniftyに毎月支払いをしながら、MuBlogを発信する方が、コンテンツ重視でよい結果がでる。

 しかし、問題はデータを人質に取られていることだな。昨年も、いろいろな事情はあるだろうが、突然ファイル転送容量を一度あたり1MBに制限された。これで、動画計画は破綻した。まして多量の写真を送るとなると、手間が何倍にもなる、……。なによりも、解約と同時に人質データは雲散霧消する。これは怖いことだ。以前の余ならば、バックアップを取って、~、いろいろ実験もし実際にバックアップも取っているが。とったバックアップファイルから、今のMuBlogを再現するのは、なかなか困難なことだと、弱気になった。要するに他人の家で、土俵で、勝負するのが難しく、結局肩身の狭い思いをしだした。

 とは言いながらもniftyから離れないのは、実はblogシステム(ココログ)がだいぶ成熟している事情にある。慣れもあるが、これだけのシステムを自家製で動かすのは、余の隠居仕事としても手に余る。使える物は使えばよい、という最近の余の哲学からは、MuBlogはこのままでよいのだろう(笑)

 しかしWebページは別に考える余地もある。
 巻頭に記した、1996年に発信しだした「テキストと情報学」というWebがある。荒野になっておる。これを光ファイバーの威力でもって、木幡発信するのも悪くないと、この新年に思い出した。
 いつ、どこまで出来るかは分からないが、niftyココログを上回る上等なblog様式を得られない、作る気力がないなら、別の自家製Webという原点復帰が残された道だな。

2.もっと楽しいRPG-MuBlog考
 そうだったんだ。MuBlogはもっと楽しい物にするつもりだったのだ。RPG(ロールプレイングゲーム)世界のような。
 いや、誤解を招いてはならない、世情のゲーム紹介をしたり、キャラに振り回されるゲームblogのことじゃない。記事内容は相変わらず暗くて重くて辛気くさい、それでよい。
 ただ。
 ~
 要するに、迷路や罠があって、使って達成感や冒険を味わえるような、RPG世界構造をblogで作りたかったのだ、と思い出したのだ。
 さて~、どうするのか? わからない。いや、ぼんやりと考えはある。

 手始めは、MuBlogの概念図を一つ作ろう。別の言葉で言うと、Mapが最初に示されるRPGーMuBlogだな。
 ……。
 と、思って実行されるのは、本当の隠居仕事。
 こんどまた物語世界。

*.年頭のまとめ
 こうしていろいろ楽しみはあるのだが、今夕も葛野から帰って、ぐったり疲れている我が身に気付いた。
 ……。
 冴えも切れもなく、鈍重な重い剣になった気分だ。重い剣を振り上げる力もなく、ドスンと岩を叩いた。そんな気分だ。他方、食事も風呂も気持ちよい。相変わらず「消灯即起床睡眠」の世界におるのだから、良しとしましょう。

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2008年10月20日 (月)

小説木幡記:2008/10/20(月)インターネットが消えた日:タイムマシンに乗って

 『2ちゃんねるはなぜ潰れないのか? 巨大掲示板管理人のインターネット裏入門/ひろゆき(西村博之).扶桑社新書014、2007.7』
 という新書を日曜日に読んだ。とてもおもしろくてためになり、そして刺激を受けた。しかし余は文系女子大学のヘボ教授なので、この図書のそこかしこを引用し、評価し、感想をMuBlogに書くのを止めた。

 ひろゆき君の破壊的言辞や、世間体とはちょっとずれた物言い、すべておもしろおかしくふんふんと頷いてよんでおったが、やはりこれは悪書なのだと思った次第。
 どう悪書かは、それも言いたくない。言えば、ひろゆき君の信奉者が読んで喜ぶだけだから、けったくそわるい。もちろん、ひろゆき君は市井にうもれたblogなんか知るよしもないだろうから、書く必要もない。

 余には世間体とか立場がある(と空耳、「Mu先生に、世間体なんてあったんですかぁ~」)、だからいかんものはいかん、こんな悪書に染まって、2ちゃんねるなんぞの悪所通いを省令じゃなかった、奨励するようなことは断じて、職業倫理としてできない。「できない」というのは、余はロボット人間だから、自動的に12Vのブレーカーが落ちるくらいにできないことなのだ。自動シャットダウンしてしまう。

 悪書の所以は、「ちょっとだけ」言及するならば、いたずらにウィニーの良さと将来性をかたり、恣意的に悪所2チャンネルへ若者を誘い込み、意図的に著作権無視をあおり、ホリエモンを偶像視し、とどまることがない。その一々を引用して論破せんとしたが、この新書は1年前の作品、いわば業界では犬年令で7年前の古書故に、過去をあれこれ言うてもしかたないと思った。
 一刀両断「悪書」と言えばすむ。

 さて。
 世の中にはいろいろな読者がおる。特に余が日頃接する年端もいかぬ学生達に、こういう悪所通いの図書を見せるのは、乳幼児に18禁映画を見せるような衝撃を与える。まあ、乳児なら何を見ても分からぬと思うなかれ。抱いて観ている母親を通して世間の悪に染まるものじゃ。
 余は、教え子達には、2チャンネル通いや、ウィキペディア通いのコピペ課題提出を、口元ゆがめて否定し、そしてまた年に数回は、「お前達、ウィニーを自宅PCに入れていないじゃろうな。もし、あれば早速HDDごと破壊せよ」という回状をまわしておる。「YouTubeで、著作権違反の馬鹿なTV番組を観るひまあれば、勉強せー」と、吠えておる。それが、余の立場、余のロール、役割分担ちゅうもんや。
 (余は、RPGの世界に住んでいるのか?)

 余は思った。タイムマシンにのって学生時代に遡れば、インターネットも、ケータイもない、TVと新聞と図書と映画しかなかった、穏やかな時代だった。マスメディアは「公器」と呼ばれておったなぁ。
 うるわしい時代であった。
 公器であるかぎり、お上と同等、間違いは極めて少ないはずと、安心してTVや新聞をみておった。しかるにいまや、ケータイやメールには、馬鹿メルは入るし、せっかく検索してぴったりの情報を得たと思っても、まるっきり新聞や図書のデッドコピー(まあ、コピペじゃね)だったり、トンデモだったり、嘘が多い世界になってしもうた。

 なにを信じればよいのか、分からない時代やのう。
 やはり、ひろゆき君やホリエモンは、きっと~嘘世界に生きるひとやったんやな。
 信じるに値するは、MuBlogと、そのリストに載ったサイトしかない!

追伸
 「小飼弾xひろゆき」、末尾のこの対談は悪書の中の聖書であった。ここだけ80ページほどOCR入力・コピペして、MuBlogで宣伝しようと思ったが、それでは余も悪に染まったことになるので、やめた。
 波及効果というか、余は大昔に書いた、Basic,C,Pascal,Modula-2,そしてDelphi 記述の図書やプログラム紙リストを引っ張り出して、ひととき眺めておった。
 余にも、宇宙人じみた会話を交わしていた時代があったんだ。

 記念に、新しくGoogle・Blogを作って、そこに全リストを掲載し、古い時代のLuna企画ゲームや、初期DBMSの「中枢アルゴリズム」を痕跡として残そうとおもったが、なにやら無駄無駄しく思えて、やめた。
 つまり、プログラマー魂ちゅうか、生粋の技術者の面を二人は臨場感あふれる対話として残した。それが余を異様に刺激した。
 その分は良書なのだ。
 なれど、悪貨は良貨を駆逐する(笑)。やはり感想は書かないことにしよう。

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2008年10月19日 (日)

小説木幡記:2008/10/19(日)blog、ネットの利用異変

 近頃めったにコメントやトラックバックのない寂れた()MuBlogなのに、数年前の古代史記事に以下のようなコメントがあって、喜んだ。で、コメント返しをする前に、その文中の紹介図書がどんなものかをGoogleしてみた。

 すると、結果は出ない。
 その代わり、文章が全く同一の記事が一ダース出てきた? 驚いた。おもに2チャンネル投稿だったが、それ以外の記事へも、同一文章がコメント投稿されていた。ただし、コメント著者名は全部異なっていた。

「いま、◎◎○○著「△△△王権のZZ」が密かなブームになっていますが、それによると○○に▲▲■王権が出来た当初は□□をもった■■により興されたとの説になっています。  そうすると、がぜんあの有名な■の×××時代がおわり・・・・・・・が作られ▲の製造が行われたあたりに感心が行きます。当時は、++++++++++++大勢力が形成され、そのどちらかがVVVVVVとなったと考えられるのですがどちらなんだろうと思ったりもし」
(特徴的名詞をすべて消しました)

 まったく同じコメントを機械的に方々に投稿するって、どんな気持なのだろう。プログラマブルかな? とも思ったが、最近のココログは滅多に変なコメントを受け付けないし(来ないだけかな?)、頑強な門がしつらえてある。だから、アルバイトの人か、同一人が如何にもそれらしい対象記事を発見すると、手技投稿しているのだろうか。
 今回の場合、余の記した記事本文と、おなじみJo庵主のコメントが功を奏して、まさに投稿コメントはツボをついておった。

 考えられる意図は、その図書を発行前に「密かなブーム」とたきつけておく、著者や出版社の仕掛け。
 あるいは、無意味な、投稿趣味。
 ……。
 あるいは自説瀕死の考古学者のダイイング・メッセージ(爆)。

 効果は。
 MuBlogがαブロガーなら、いろんな検索エンジンによって、コメントまで含めて洗いざらい採取されていくだろうから、そのコメント中の図書名や著者名のランキングが上がる可能性もあるがのう。残念ながら、誰もこない(わけではないが、古代史関係は無理。篤姫さんなら、多少は影響あるかも(笑))

 なんにしても、てをかえしなかえ、いろいろな工夫があるもんだ。
 わからぬ。暇があるのじゃろうか。
 あるいは余が無知なだけで、ネットではこういう流儀が流行りなのかもしれない。

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2007年10月13日 (土)

MuBlogへのご招待

京都・嵯峨野の珈琲焙煎小屋
Mucoffee002
 焙煎小屋とは無粋な表現だとは思う。カタカナを使えば、キャビンとかもっと言いようがあるだろうに。ただ、最近は専門用語とか隠語以外はなるべく漢字かな表示を心がけている。もちろんパソコンを電脳とまではいわないし、インターネットを「相互乗り合い電網」とまで極端には走らない。ところで夏期に読んだ小説に「サッチョウ」というカタカナが出てきたので、悩んだ。てっきり薩長(主に幕末の薩摩と長州を指す)と思ったら、なんのことはない「警察庁」の隠語だった。
 話が飛んだ。先週末の夕方、気晴らしに嵯峨野へ出て、ビフカツサンド(牛肉粉まぶし油揚げ麺麭巻き惨怒伯爵風)を久しぶりにいただいた。相変わらずよい味だ。実は、そこは相当に渋い重厚な珈琲店で、店舗とはべつに焙煎小屋がある。そのおもむきを長年気に入っていたのだが、写真がなかった。思い立って撮ったが、光が広いガラス窓に反射して、なにやら分けの分からないオブジェになってしまった。が、よく見ると小屋の中に煙突があって、珈琲豆樽らしきものも見える。今度機会があったら、もう少しましな写真を撮ってみよう。(平成19(2007)年10月16(火)記す)

MuBlogへようこそ
  ↓初めての方に、簡単な説明をいたします。

続きを読む "MuBlogへのご招待"

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2007年8月14日 (火)

倭宿禰命(やまとのすくねのみこと)

Muimg_1453 昨年(2006)8月の末に天橋立へ行った。そのとき、とても奇特な「籠(この)」神社にお参りしたのだが、結局まだ記事を掲載していない。事情は単純で、その籠神社の由緒来歴がそこらの史書でまかなえるものでなく、要するにMuの手に余るという次第。

 この亀上をした命は、神武天皇が明石海峡にたどり着いたとき、亀に乗って現れて、神武さんを案内した時のお姿のようです。

 つまり、知人某が好む「海部族」始原話。そして、籠神社第82代の海部宮司の書いたものによれば、「海部宮司家四代目の祖」とのこと。はるばる天橋立から明石海峡にどうやって行かれたのか、Muはこの一年間実証的に考えて参ったのですが、未だに解はでません。ただし、Muの心底にはすでに答えがあります。それは後日に。

(2007年8月14の火曜日記す)

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2007年6月17日 (日)

AQUOSケータイ・W51SH (au)で革命を知った

TV(ワンセグ)が鮮明に映る
Mufurin_2595 ケータイ(近頃、携帯電話という文字を見かけない)を3年ぶりに買い換えた。物保ちが良い方だ。先回のは故障知らずで、転送メルだけを見ていたが、問題はなかった。この頃は三日くらいで充電しはじめたので、そろそろ電池切れと思い出した。

 思い切ってシャープのAQUOSにした。今春のものだから、夏物がそろそろの今時、なんか下手な買い物とも思ったが、そんなことを云っていると、いつまでたっても変えられない、普通の心理。エイヤ!

 お値段は、夏前でも人気機種らしく(と、お姉さんのセリフ:多分、どんな機種でも人気高く品薄になるような予感:邪笑)、3年au継続で1万5千円もした。無料に近いのもあったから、ちょっとだけ高め。ポイントとか夏期割引?を含めて、丁度1万円になった。なんとなく割安のええ気持にさせてくれるauさん。
 そういえば、担当の人はベテランで、人当たりがよかった。短時間で要点に答えてくれた。その間、数度別の店員さんが側に来て、彼女に小声で仕事の指示を受けていた。

AQUOSでMuBlogをブラウジング

AQUOS ケイタイ W51SH  (au)
 わざわざMuBlogに載せたのは、深い意味で革命を味わったからである。
 もともとケータイはコンピュータなのだが、このAQUOSは最良のPCケータイになると思った。米国流通のケータイiPODは知らないが、少なくとも日本はこういう機種を1万円で市場にだしたわけである。

 3インチの比較的大きな画面を横置きにして、PCサイトを見られる。どれほど宣伝されて、カタログに踊っていて、すでに既知のことだったとしても、実際に手にしたときは唖然とした。
 PCが通信ケータイになったのじゃない、通信ケータイがPCになったのだ。
 入出力デバイスとして、この3インチ横置き画面がついたAQUOSケータイは、革命であると、Muは記録しておく。

 ここに一般のOSが載るとか、パワポ出力が可能かとか、一太郎が走るかとかは、結果としての将来の枝葉である。要は、これほど制限の強い物理媒体上で、自然にインターネットをブラウズ出来るケータイ、その大きさ重さ、その画面の機能性、そこが重要な所なのだ。
 3インチカラー液晶を横置きに、小気味よくできて、机上に掌に置くことができる。これはどうしようもなく、ものすごいことである。

 ついでに申すと。
 ワンセグTVも、あれほど宣伝されたが、内心は「嘘でしょう」と思っていた。「どうせ、ぎざぎざの画面に、こもったような声なんでしょう」と。
 そして、愕然とした。
 軽く画面を横にする、NHKが民放がくっきり映り、イヤホンなしの内蔵スピーカーで、耳の遠くなった(笑)Muにもクリアに聞こえる音量・音声、音楽、字幕まで!(そういう初期設定)。さすがに由布姫の写真は掲載しなかったが、記事巻頭をじっくり見ればわかるように、風林火山が横置きTVの迫力で充分味わえる。

 他の機能は当然てんこもり、Muは邪魔くさがりなので、転送されてくるメルと、インターネットとTVとディジタルラジオとFMしか使わないだろう。ああ、カメラも200万画素になった。
 通常内部メモリは120MBあるらしい。
 それでもワンセグTV内容は綺麗に録画できた。別途購入すればマイクロSDカードは2GBまで対応だから、カタログには10時間40分録画可能と書いてあった。(これはもちろん充電しながらだろう)。通常のTVに出力もできる。
 ああ、音楽関係もてんこ盛りだが、あんまり使わないだろうから書かない。

 宣伝臭が滲んできた。もう、止めよう。シャープとも、auとも縁もゆかりもない。
 ただ、革命であることの意味を、数パーセントの人には知ってもらいたい。
 (作った人達は、そういうことを、まさか知らないわけでも無かろう)

   × PC→ケータイ
   ◎ ケータイ→PC

 すなわち、インターネット・通信世界にとっての最良のデバイスが、我が手に載った。
 あとは、グーグルお得意のネットアプリを自由に使えるだけの速度がでれば、完璧。通信速度も関係するが、やはり、CPUをワークステーション、最新ゲーム機並にしないとなぁ~(笑)

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2007年5月12日 (土)

古いノートパソコン・再生のお勧め:SONY-Vaio(2000年)に外付けハードディスク

承前:2004年4月25(日)晴:パソコン自作の準備(MuBlog)
 ↑この記事の(1)と(2)で、SONY-Vaioの2000年ノートパソコン(PCG-XR7F_K(J) )の詳しい内容を掲載してあります。

 2000年に入手したSONY-Vaioノートパソコン(PCG-XR7F_K(J) )を、四苦八苦して生き返らせようとした。半ば成功した。現在、最大の弱点である外部記憶を増設したわけである。それには、このノートパソコンでも使える外付けハードディスクケースと、Fujitsuの2.5インチ100GBハードディスクが必要だった。あわせて、約1万4千円かかった。作業時間は、土曜の午後を全部使った!

 半ば失敗したのは、本文で述べるが、途中で腹をたてて、外付けケースの強化プラスチック・カバーをラジオペンチでむしり取るという荒技というか、破壊行為をしてしまった。後で、私の誤解とわかったが(笑)。途中の怒りの内容を知れば、ケースを制作したnovac社も、販売したソフマップ(京都駅)も、泣くかも知れないな。

 いまとなっては、Vaioが生き返ったので、この世のすべてに感謝しておる。

 それにしても、基盤むき出しの裸の小型ハードディスクは、人前にはだせない。ケースの裏は写真に撮らなかったが、今あらためて見てみると、私は自分の内奥の凶暴さに、たじたじとなる。ギザギザ、ガリガリの惨状。繊細なアルミケースを、ここまで怒りにまかせて壊さなくてもよいのじゃなかろうかぁ。と。

SONY-Vaio PCG-XR7F_K(J) 2000年の製品

SONY-Vaio PCG-XR7F_K(J) 2000年の製品
 このマシン、もう7年も愛好している。当時のスペックをながめると素晴らしいノートパソコンだった。メモリーが少ないのも、USBが旧式で一つしかないのも、今は忘れよう。ただ、ハードディスク残量が0.9GBしかない。授業に使っているパワーポイントは、文字だけなら何とかいけるが、画像や、動画となると、動くには動くが、容量がパンクしてしまう。なんとかしなくちゃ。捨てられない。中に入っているデータもプログラムも、そしてマシンも。
 起死回生の妙案は、たったひとつ。
 このマシンは、当初からiLinkという名称のIEEE1394インターフェース(アイ・トリプル・イー1394)を持っていた。マックでいうところの、FireWireインターフェースである。この仕組みで、私はディジタルビデオを長年にわたって快適に使ってきた。線一本で、長大なビデオデータをあっけなく吸い上げる装置として、当時出色のものだった。
 だが、時は流れた。
 今やこういった外部装置、ビデオや外付けハードディスクはのきなみUSB2.0インターフェースに変わってしまった。痛恨の極みは、昨年入手したSONYのディジタルビデオカメラには、すでにiLinkがなく、USBだけになっていた!
 ともかく、IEEE1394(iLink)で動く外付けハードディスクさえあれば、旧式のUSBに頼らずに、高速で外部ハードディスクを使える。この一念で、京都駅前のソフマップ(パソコン屋さん)を歩き倒した。

 おお、あった。たった一種類。

はい〜るKIT(novac)の箱

はい〜るKIT(novac)の箱
 この箱にはMacのFireWireが使えると明示してある。これがIEEE1394、つまり私の古いVaioで唯一、高速データ転送をしてくれる装置なのだ。
 しかし。
 値段を見てみると、ちょっと高い。5千円ほどする。いまどき、USB2.0のケースだと2000円以下の物も多い。どう考えても現在なら3千円程度だと判断し、迷った。
 ジャンク屋へいくか、しかし時間が足りない、急いでいるわけじゃない、マニアではないし、これが専門でもない、最小の投資で最大の効率を上げたい、欲深い、時間が今の私にはもっとも高価なものだ、諦めた。
 買うことにした。
 2.5インチ・ハードディスクも安くなって100GBで8000円台になっていた。Fujitsu製品だった。ケースとディスクを買っていそいそと土曜の午後の葛野へ向かった。

 ところが。

勘違いしたマニュアル表記
外付けハードディスクケース(novac社)
100GBの2.5インチハードディスク(富士通)

 ケースを取り出しハードディスクをセットしようとした。
 カバーを開けようとしたが動かない。これまで他の製品だと、簡単に開いた。おかしい。マニュアルを見たら、そっと引っ張れとだけ書いてあった。小さなドライバを裏の隙間にいれたが、びくともしない。もちろん指ではうごかない。ドライバを大型のに変えて力を入れた。プラスチックが傷ついた。接着してある雰囲気だった。
 いらいらしてきた。
 マニュアルの裏をみると、2005年3月とあった。だんだん怒りがわいてきた。「長年、店ざらしにしてきたから、アルミケースとプラスチックが接着してしまった!」「5千円もしたのは、当時の値札をそのままで、買わされてしまった!」「WinVistaのシールに騙された、てっきり新品と思っていたのに」あらゆる疑念、怨念、恨み辛みがわいてきた。
 ついに、破壊衝動にかられて、ラジオペンチでねじ切りだした。
 結局、全部潰してしまった。
 最後に、メルか電話で抗議しようと思ってマニュアルの後ろを探していたら、あった。
 「最後にネジどめしてください」「うん?」
 そう言えば、破壊されたケースの両端に小さな黒いネジがあった。
 そうだったんだ。プラスチックカバーは、ネジ留めされていたのだ。引っ張っても、ぬけないはずだ。
 なんだが、身体の力が一挙に抜けてしまった。

 ネジの収まっている両穴が深くて小さくて、ネジ山が黒色だったから、見えなかった。いや、完全に思い違いをしてしまっていたのだ。そっと引き抜いて下さいというセリフを、そのままに取ってしまっていた。ああ。

当時のVaioはUSB1.1がたった一つだったのです

USB1.1ハブに無線マウス、LAN、フラッシュメモリ、……
SONY-Vaio(2000年の)のS400(IEEE1394)インターフェース
 それまでVaioのiLinkは、ディジタル・ビデオカメラだけに使っていた。他はすべて後ろのUSBコンセント一つに、でっかいハブをつけて、あれこれぶら下げていた。
 最近は無線マウスの、受信機もつけて快適に動かしてきた。以前は、キーボードもぶら下げていた(笑)。まるでデスクトップ。いや、それだけの働きを長年してくれた。だから、捨てられない。
 今後も、このVaioは、100GBの増量を済ませたのだから、大量の写真や動画を大スクリーンに投影することだろう。

追伸1
 ノートパソコンの外付けハードディスクといえば、3.5インチタイプ? IDE?、SATA?と、悩む人がいるだろうがその話は省略。
 ただ、フォーマットについてはちょっと注記。

 100GBあるとしても実際は30GBと64GBに分割した(パーティション)。1割近くはどんな場合もシステムが使うからユーザーの自由にはならない。
 前者30GBは、FAT32という形式でフォーマットした。これで、Macと完全な互換性(ファイルの読み書き)が保てる。後者64GBはNTFSという形式でフォーマットした。大容量が扱えて便利なのだが、実はこれだと、Macでは(G5時代のもので、現代のインテルCPUマックは未確認)ファイルは読めるが、書き込めない。

 後者もFAT32タイプで、64GBをフォーマットすればよいのに?
 それはつまり、FAT32タイプだと、32GBまでしか扱えないからだ。だからこそ、他社のMacや他の古いOSでもファイルが読み書きできるわけだ。

追伸2
 以前に書いた記事「HD(ハードディスク)の直付け増設のお勧め」では、直付けを推奨したのに、今回なぜケースを購入したのか?

 それは、ケースであれなんであれ、古代Vaioを生き返らせるには、IEEE1394インターフェスが必要だったからだ。最近のものには、本当にこのインターフェースが少なく、殆ど全部USB2.0になってきている雰囲気だ。だからこそ、私が買ったのは古い流通品、なんと2005年の製品だった、というオチにもなった。

追伸3
 写真では、Vaioにハブをつけて一杯USBタイプの道具をぶら下げているが、外付けディスクもUSBが使えるなら、なぜそうしない?

 それは、2000年のVaioノートが古い規格のUSB1.1しか使えないからだ。その規格はマウスとか、フロッピーディスクとか、低速のものでは充分だが、ビデオとかハードディスク相手だと、日が暮れるような速度なので、使い物にならない。
 また、高速で精密な外部装置は、マシン本体のUSBに直結しないと、様々な理由でうまく動かないことも多い。

追伸4
 古いケースを高く買わされたと、途中で怒ったいたようだが、それはどうなんでしょう?
 うん。
 古い製品だから、IEEE1394があった、これが事実。
 値段のことは、パーツ単位になると、現今はやりのものが、たとえ高性能でも一番安くなる。メモリでもなんでも、古い規格を買おうとすると、品薄、現品なし、あっても高価。これが現実だから、いたしかたない。

追伸5
 以前、1500円程度で、USB2.0やIEEE1394インターフェースボードを買って、葛野図書倶楽部マシンにセットしてませんでしたかな?

 それは、デスクトップだから簡単、朝飯前にできたのだ。ノートパソコンだと、私もああいうちっこい基盤を触ることができない。素人だと、USBたった一つのために、基盤ごと入れ替えるしかないようだ。それなら多分、最近のノートパソコンを、完動・中古で買った方が手軽だな(笑)。 

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