小説木幡記:2009/01/09(金)悪酔い日記
正確に2004年3月5日(金)京都伏見の「黄桜」事件で、2003年次「葛野図書倶楽部2001」を送別して以来、余は外での酒量を極端に抑えてきた。要するに、乾杯に飲むビール、コップ一杯としてきた。
なぜそうなったかは、今を去る五年前、2004年当夜の余は手洗いでぶっ倒れて、一番隊長2004が男子手洗いまで捜査し中に入り声を掛けるほどの失態だった。当然そのまま、2003年次ご隠居たちと親しく語らう間もなく、呼んでくれたタクシーに押し込められて、木幡に早々と帰還した。昨夜の事のように鮮烈に思い出される経験だった。早い話が、隣に座った「底なしザル」のご隠居に、ついほだされて原酒を「うまい、うまい」と飲んだあげくの生涯痛恨の失敗だった。
さて今夜。伏見桃山「和こう」で復興カナーン96の新年会があった。過去の隆盛いまやなく、顔ぶれは橋本船長とツオイエ君だけとなってしまった。彼らもはや40代、出会った頃が20代だったから、牛タンをつつきながら、光陰切々と味わった。「時」は平等とはいいながら、早い、速すぎるなぁ。
で、余はきっちり小ジョッキ一杯のビールに限定した。両名はそれぞれ大ジョッキ4杯を飲んでいるそばでのことだから、修行僧じみてくる。何を食し話したかは、もうよかろう(笑)。陰謀うずまく濁世を三人で悲憤慷慨していたと言えば、それにつきる。
そうそうメモリーが馬鹿安になったとか、SSD(つまりシリコンディスク)が流行りになって、それでRAIDするのがかっこよいとか、~。いよよ、涼夏2009PCの出番じゃねぇ、とか。も、話したな。
結論をのべよう。
7時から始まって、丁度8時半ころに余は異変を感じだした。たった一杯の小ジョッキは既に8時頃(笑)空になっていた。動悸が高まり、座っているのが億劫になってきた。胸苦しさを味わいだした。昔の酒酔い、黄桜の夜を思い出し始めた。いろいろ手当てした。しかし結局9時に外に出て、ベンチに座った。ツオイエが茶を買ってくれた。船長が背中をさすってくれた。顔色が白くなったきた。冷や汗がでてきた。ツオイエがセータの上から「汗が滲んでいます」と話す声を聞いた~。
9時10分に橋本船長の肩をかりてタクシーに乗った。9時20分に木幡に戻り、服を脱ぎ、そのまま床に入った。
そこで、今夜の一番のトピックスがあった。
余は、はっと気がついて背中のペッタン懐炉をはずした。すーっと、汗が引いていった。楽になった。10時にはごそごそ起きだして、茶を飲んだ。そして今、MuBlogを書いている。
1.当夜の和こうは暖房が効いていた。満席で喧噪はなはだしかった。余は、喧噪に弱い蒲柳の質なり。
2.寒さに対応してペッタン懐炉やセータや、ダウンジャケットやオーバーや、一杯着込んでいた。
3.要するに、体温調整に余のホメオスタシス・システム(自動体調完備システム)が失敗したようだ。
アルコールと喧噪と高温の部屋を出、余は大量の発汗をしたことで、わずか30分ほどで元に戻った。まだホメオスタシスが機能していることを実感した。しかし、悪環境要素が重なってくると、余は単純に変調をきたすことが、まざまざと分かった。いわゆる失神状態になるわけ(爆)。
今後も宴会では、ビールコップ一杯を原酒じゃなかった、厳守しよう。小ジョッキも余の適量を超えていることが明確になった。人は幾つになっても、学習するものじゃ脳。長生きしよう、皆の衆。
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