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2013年5月14日 (火)

小説木幡記:ひねもすのたりのたりかな

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 日本武尊白鳥陵 (大阪府羽曳野市古市)

 昨日から西日本というか、京都や宇治は昼になると30度cの暖かさになっておる。各地で熱中症がでたともきくが、長袖シャツ一枚で座っていると、暖気のありがたさを深かふかと味わう今朝であった。

 こういう時になると頭の中に、ひねもすのたりのたりかな、という一節が漂い出てくる。小学校か中学校の国語で習った、與謝蕪村が天橋立あたりで詠んだ「春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな」なのだろう。とすると、国語教育は大切だと思った。たとえばそのときそのときの気持ちを言葉にする力がつくからな。

 ああなにかしら暖気はうつらうつらに誘い込むような力がある。うつらうつらとすると、のたりのたりとした気分につつまれる。じっくりゆっくりぼよよんとしたよい気持ちだな。それが瞬間で終わらずに、ひねもす(終日)、じっくりと長くずっと続く。

 ところで。
 写真の白鳥陵だが、この話も余の中では若い頃からのたりのたりと想がうねってきた。忘れた頃に思い出し、思い出すとひねもす目をとじて、古代を想像してきた。

 保田與重郎『戴冠詩人の御一人者』冒頭文はさりげなく「河内古市の近くに日本武尊の御陵と傳へられる白鳥陵がある。」で始まっていた。このたったの一文が半世紀にわたり、のたりのたりと心象文になり心象絵となって余の想念を色付けてきた。文学とは、あるいは国語とは、たったの一文でも人を半世紀以上も支える力がある。

 さて。
 今朝も元気に切り餅二つをきな粉蜂蜜で食した。なかなかに、煎茶と合ってよいものだ。のたり~とな。

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