小説木幡記:常寂光寺の藤原定家卿
嵯峨野散策でも、常寂光寺への道のりはわかりやすく、また自動車でも比較的走りやすいルートがあって、小さな駐車場もある。嵯峨野散策に自動車は無粋だし、日曜祝日に車でうろうろするのは犯罪的だが、普段の日ならときどきカメラを積んでハンドルを握ることがある。
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写真の石碑にある定家卿のことは、嵯峨野巡りをすると必ず話題になる(と、脳内で一人話題をつぶやくわけだ)。
今日はちょっと別の切り口から考えて見よう。
森浩一という碩学がおられる。考古学の先生で、古墳について、天皇陵について、以前から御著書に親しんできた。この先生が『京都の歴史を足元からさぐる:嵯峨・嵐山・花園・松尾の巻』(学生社、2009)を出しておられる。これは全六巻あって、余は以前に身近な嵯峨編を入手したわけだ。他にも面白そうな巻があるので、まとめ買いすべきかもしれないと、(笑)。
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で、この中でも定家卿の嵯峨山荘について、簡単にまとめられていた。おそらく、西行井戸から落柿舎のあたりに山荘があったという説である。これは、候補の一つである厭離庵からは離れて、二尊院、あるいは写真の常寂光寺あたりに接近することになる。事情は、西行を偲んだ定家卿が西行庵の近くに山荘を構えたのではなかろうか? と記してあった(p49)。
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と、嵯峨野はぼんやり歩いても風光明媚だが、すこし奥をさぐるとなかなかに歴史が深く、考古学者も、市井の余にも、興がつきない。
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