小説木幡記:電車に手作り感を味わう
ある日の嵐電の運転室
この写真は記憶が定かではないが、京福電気鉄道(嵐電)の四条大宮駅で撮ったようだ。写真の手前には、小型の自動改札機が見える。嵐山まで有人の駅は数えるほどしかないから、各駅に人を配置するよりも改札機を電車に丸ごと乗せてしまう発想が昔の知恵者にあったのだろう。日本の殆どの公共バスはそれが普通だが、バスや電車には必ず車掌がいた時代からみると、大きな転換があったわけだ。
写真を詳細に眺めると「IC CARD」という文字が見える。ここにピタパとかを載せると切符を買ったような仕掛けになっているわけだ。昨日の新聞では、日本中の交通機関用ICカードが共通に使えるようになったから、今日なんかは東京や九州のカードもここに載せられて動くはずだ。それにしても、機器やソフトウェアの変更は大変だったろうな(笑:いや、それでボーナスが出る会社もあるだろうから、大変が一概に悪いわけでもない)。
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というわけで、小型自動改札機はそこまでとして、肝心の運転席を眺めてみると。
たしかに工業製品にはみえるのだが、こういう写真はバスや自動車にくらべて、たとえようもなく手作り感を味わってしまう。バスも自動車も、手作りではなくロボットが流れ作業で完成させたという、そんな雰囲気の運転席だ。しかるに、電車に限って、ハンドルもメータもごつごつして、一品生産、一つずつ違った出来合、そんな風に見えてしかたない。
これは京阪電車も阪急も、京福電鉄もみな同じ感じがする。この写真では確認できないが、鉄道時計というか、大きな懐中時計を運転士がいちいちメータ横の凹部に置いているところなんか、もう運転そのものがますます手作りに見える。おそらく新幹線以外の鉄道は、すべてこの嵐電の運転席のノリで走っているように思えた。
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ああ。鉄道には他から犯されない独特の文化があるのだろう。
なるほど。
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