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2013年3月20日 (水)

小説木幡記:卒業式・平成25年3月19日 晴

Sotugyo2013314_2 昨日火曜日は葛野で卒業式があった。余はいろいろな事情の中で、7:00~13:00まで研究室や屯所に待機し、式場参加は欠礼した。
 ともあれ、授業をなにかと手伝ってくれた数名の卒業生達が屯所にきてくれて、華やいだ中で写真を撮ったり、談笑をかわした。
 若者達の四月からの予定を確認したわけではないが、半数以上が企業に勤め、他はそれぞれの自分の道を選び、希望・光に満ちていた。それぞれの社会人としての思いはそれぞれにあり、余のごとくそれらの全てをほぼ完了したものから見ると、「未来」「不確定の楽しみ」に満ちあふれ、オーラがまぶしかった。

 もちろん芭蕉の晩年を思い浮かべながら、眼前の若さの醸し出すエーテルにひたっていたわけだが、古老達の心懐、あるいは釈迦の悟りを反芻し、なにやら心中が暖かくなった。
 帰ってから、司馬遼太郎の『この国のかたち』その1、その2をランダムに読みひたり、歴史の青春や明治の春をかみしめた。

 若さの象徴である卒業式を遠望し、実に心地よい半日であった。
 うむふむ。
 ここで、芭蕉の辞世をいくつか思い出したが、祝祭に辞世はちょっと「ずれ」があるのでまた後日。夢は葛野を駆け巡る(笑)。

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