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2013年2月 2日 (土)

小説木幡記:菜食で心身一変の気構え

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JR鎌倉と江ノ電鎌倉

 昨日の平成25年2月1日(金)を、菜食記念日とした。体力も知能も落ちて高齢化の兆しがますます重なる昨今、ここはショック療法のひとつとして菜食に変えることにしたわけだ。もちろんこういうことは信仰の一種とおもうが、なにかを信じて新しい企てをすることは、心身が活性化して気持ちよい。

 たとえば3年前に、突如完全禁煙した。禁煙グッズとか、禁煙医療とか、そういうことを一切なしで、突如・ノンリニアーな禁煙を断行した。そのことでもちろん数ヶ月の禁煙鬱と体重増加は避けれれなかったが、そのことの何十倍もの利をえた。たとえばシミが1/3くらいに減少したので、よくわかる(笑)。
 しかし高齢男子が妙齢の女子とおなじく「シミ」で悩むのはおかしいと思う者もいようが、皮膚のシミは体中のシミの表れと思えば、美容ではなく問題は一挙に健康観に結び付く~。

 また昨日のニュースでは「世界保健機関(WHO)は1月31日、塩の摂取量を成人は1日5グラム未満にするべきだとする新たな指針を公表した。」とあった。関西は薄味といわれるが、それでも日本人は大体毎日9~11gと、塩をとりすぎらしい。おそらく外食は味を際立たせるために、食塩が多く含まれているのだろう。

 塩は大昔は「薬」だったし、塩分が無ければ人は死ぬだろうが、それでもやり過ぎはよくないということだな。
 戦後の日本食生活のやりすぎは「外食」「肉食」「甘さ」だと思った。塩分、糖分、動物性タンパク質を飽食しすぎてきたきらいがあった。医療が進んだから長生きはし続けているが、内実はぼろぼろの心身を医療で厚化粧して寿命を延ばしている感もする。

 ということで、余の菜食革命。
 家族全員団結して(猫ハルキは微妙だな)、糖分、塩分、肉・乳製品よ~さようなら。野菜とフルーツと、豆乳と豆や豆腐や梅が主になっていく~。となると、当面は親友知人知己たちと、生牡蠣や焼き肉を食べることも「反革命・反動」になるから、無理だな(ちょっとまった、貝類はまた異なった栄養源じゃな?)。ともあれ焼き鳥「鳥せい」の片隅でひっそりとドレッシング無しの大根サラダと、「ささみ肉」を食すのが関の山、かな。ぎゃは。

 さて今朝は。
 1.カゴメ野菜ジュース(塩、糖は無添加と書いてあったが、さて?)
 2.高級茶1杯
 3.ミカン3つ
 4.イチゴ5つ
 5.パイナップル1/2片(厚さ1センチ)
 6.パン1片(全粒粉)
   添え物は{冷バナナ5切れ(5mm厚)、ゆず蜂蜜小さじ1杯、梅エキス5g}
 7.煎茶数杯

追伸
 こういう食生活は後味がよいが、タバコや酒や肉食やめて、健康長生きしてどうするつもりだ? と問われれば、「生とは死に至る絶望的な病なり」と、まず答える。次に、「ならば、死の直前まで気持ち良く生きる。そのための工夫が必要」と答えるなり。菜食革命の哲学的理論武装かな。

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コメント

ベジタリアン Muの誕生

 この前、インドにANAの直行便で往復しましたが、機内食の注文で苦労していましたね。普通は和食か洋食の二種類ですが、インド人は80%以上がヒンドゥー教徒なので、ベジタリアンが多いのです。

 イスラム系のインド人は少ないですが、彼らは豚肉を食べない。ユダヤ教徒になると又、ややこしいですね。左右対称でない魚は食べてはいけないとか、色々と食べてはいけないものが多い。

 我々、終戦直後の生れは焼け野原で何も食べるものが無い時代に育ちましたので、何でも食べないと生きて行けなかった。そして、経済大国になり飽食の時代を体験した。贅沢三昧を経験した。

 最後は坊さんのように、ベジタリアンになり身体を清めてこの世とオサラバするのが良さそうですね。

 これからは、ベジタリアンMuさん、と呼ばせてもらいます。(笑)

投稿: jo | 2013年2月 2日 (土) 11時34分

Joさん
 菜食は聖人君子食でも病人食でもないし、まして美容食でもないですよ。

 縄文時代も含めて日本は牧畜・狩猟が主体ではないから、雑穀で生きてきたわけでしょう。もちろん小型の鳥などは食したでしょうが、大型動物になると牧畜・狩猟民族みたいな、上手に解体して保存して食べるシステムがなかったようです。
 仏教が入る前から、四季温暖の日本列島は雑穀草木・木の実・豆を主食にして、体内で上手にタンパク質を造り、エネルギー変換してきた実績があります。
 魚は別にして、食肉や乳製品は明治以降に浸透し、戦後の成長とともに爆発的飽食の濃い味として定着していったわけです。

 Muの場合、普通は昔から少食系で草食でした。それは多分人より血液酸化が強くて、食材体内反応が強すぎたから、人並みに酒や肉食を食べると心身がぼろぼろになったからです。

 単身赴任の時は、湯がき餅二きれ、きな粉黒砂糖と煎茶が昔の朝食でした。夜は昆布ダシに野菜をちぎって入れて、魚の切り身あるいはチキンを入れて、ポン酢で食べて終わり(ご飯もなかったな)。

 というわけで、いまさらベジタリアンと自称はしたくないのですが、あえて菜食記念日は記録しておきたかったわけです。

 どんなものを食しているかは、特に夕食などは、ときどきメモします。陸上肉や乳製品なしでも、ものすごくバラエティにとんだ食事ができます(笑)。
 ええ、今夜はトーフステーキ、豆乳カボチャスープが主でしたな。
 
 それにしても、京都は豆腐、湯葉、生麩などの主産地というか主消費地です。とくに生麩田楽なんか、おいしいですぅ~。

ではね

投稿: Mu→Joさん | 2013年2月 2日 (土) 20時24分

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