NHK八重の桜(06)会津の決意:京都守護職拝命
承前:NHK八重の桜(05)松陰の遺言:井伊の無念
NHK大河ドラマ公式あらすじ
八重がいろいろな局面で、男達の井戸端会議、政談からはじきだされ、悔しく思っている様子がよく現れていた。京都守護職拝命の話題を盗み聞きしたとき、父親から「国政に女が口を挟むな!」と怒鳴られたのは、なかなか現代人としても衝撃だった。一般に、有史以来(笑)、その国政を預かって来た為政者達にまともな賢人、正常な胆力のある人は少なくて、ほとんど98%は、怯懦、姑息、右顧左眄、~まあそれくらいはしかたないが、偏執的傾向の強い疾患、心身に重い病をかかえ正常判断を出来ない人達~こういう人達がその「国政」の判断をしてきたわけだから、随う者達には迷惑千万なことが多々あった。だから「女に政治がわかるか!」という罵声、怒声はそのまま男の政治家達に跳ね返っていく。単純に「男である」「選挙で選ばれた」「家柄がよい」「金がある」「一般的な才能がある」「苦労人だ」「調整人だ」~そんなこって、政治がわかるか! と。
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このドラマでは、会津中将容保(かたもり)に京都守護職をおしつけたのは、松平春嶽(まつだいら・しゅんがく)と一橋慶喜(ひとつばし・よしのぶ)のようだ。ともに先の大老井伊直弼から謹慎を強いられた人達だ。桜田門外の変が起こるまでの京都や西国への備えは彦根藩の役目だった。京都には所司代もあったが、幕末になって治安は破綻していた。
将軍が朝廷へ挨拶に上京する必要からも、京都の治安を安定させ、守護する組織は必須だった。
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国元では、この役目を辞退せよと容保に嘆願があった。西郷頼母は京都守護職拝命は「薪を背負って火事場にいくようなもの」つまり、火中の栗を拾う危険性。あるいは「殿は会津藩滅亡への道を選ばれた」とまで言いつのり、号泣する。京都は政争のるつぼ。将軍家、朝廷、公卿達。薩摩や長州の暗躍。脱藩浪士達の犯罪行為、テロ。そして幕府の姑息。井伊直弼の死は犬死に等しかった。幕府は彦根藩をさんざん使って、切り捨てた~。松平春嶽も一橋慶喜(15代将軍)も、ともに溢れるほどの才能があっても、至誠無し。(だから象徴的に、容保配下となった新選組が、誠の旗を立てたのか、とさえ思った)
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容保は溢れるほどの「誠」を貫いた。それがドラマでの「初代の家訓(かきん)」、徳川将軍家に災難があったときは、これに殉じるの意味であった。
「一、大君の儀、一心大切に忠勤に励み、他国の例をもって自ら処るべからず。
若し二心を懐かば、すなわち、我が子孫にあらず 面々決して従うべからず。」
と、会津中将が京都守護職を拝命した背景には、会津藩としては藩全体で水杯をかわし死出の旅路に出るほどの苦痛を伴っていた。そういう任務だったと言えよう。それまでの出費からぼろぼろになった藩財政をさらに工面し、藩兵千人を遙か京都に派遣し、政争に巻き込まれ、京都や他藩からは憎しみしか受けないという、これほど損な役割はなかった。
(現代も会津が恵まれているわけではなかった。今年、「八重の桜」が放映されたことには、英断があったと想像した)
追伸
NHK大河ドラマサイトの登場人物を眺めていたら、新選組関係者が三名(近藤、土方、斉藤)顔をだしていた。とくに明治以降の斉藤一(新選組三番隊組長)がなにかと、八重さん達と縁があったことを知り、感動した。
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