小説木幡記:難波宮と大坂城
難波宮跡公園
写真は後期難波宮(聖武天皇時代)の大極殿基壇だ。背景に小さく大坂城が見える。大坂城があった頃にはこの公園は無かったはずだ(笑)。正史には難波宮があっても、遺跡として出現したのは、山根徳太郎さんの努力の成果だったらしい。山根博士は戦後1954年から発掘を始め、1961年には大極殿を確認した。
大阪のど真ん中に、遺跡公園を作るのは並大抵のことではない。古墳や建物跡や出土物は、誰も見ていなければ、あっけなくブルトーザーで圧殺され、「そんな物はなかった」世界が過去も現在も横行する中での、快挙だったにちがいない。
~
ところで、大坂城は巨大前方後円墳の上にあった。という説をネットで見かけた。この説はネットが無かった時代から耳にしていたので、長く人々の気持ちをつかんでいたのだろう。下記参考に、URLを引用したが、図がわかりやすく理解しやすかった。
参考
小説木幡記:難波宮からの二上山
難波宮跡(JoBlog)
難波宮(大阪府文化財研究所)
難波宮跡(難波宮跡公園)(大阪府)
大阪城は、巨大前方後円墳の上に建っている!?(前編)
大阪城は、巨大前方後円墳の上に建っている!?(後編)
| 固定リンク
「小説木幡記」カテゴリの記事
- 小説木幡記:楠木正成のこと(2013.06.07)
- 小説木幡記:腰痛と信長(2013.05.28)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
大阪城古墳
初めて聴きました、大阪城本丸が前方後円墳の後円頂に建設されていたとは。
確かに石山本願寺の石山という名前も古墳の葺き石を想起させますね。しかし、何故、記録に残らなかったのでしょうか。それが謎ですね。巨大古墳で大陸貿易の拠点ですから、外交上此処に巨大古墳が存在すると効果がありそうです。
此処は摂津だから、この津を抑えていた豪族でしょうか。興味が湧きますね。
投稿: jo | 2013年1月19日 (土) 09時48分
Joさん
こんにちわ。
いえね、ある小説では、大坂城の地下に宮殿があるらしいですよ(笑)
もしかしたら、その作者も幼い頃に近所の人から前方後円墳上に建てた大阪城の話を、聞いていたのかもしれません。
追伸
この小説はネタバレになるから明示しませんが、昨年でしたか? 映画化もされました。作者はなんとなく京大の鴨川あたりで青春をすごしたような雰囲気ですね。うむ、ふむ。
投稿: Mu→Joさん | 2013年1月20日 (日) 13時28分