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2013年1月 3日 (木)

小説木幡記:うたかた何処へ:方丈記

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復元・鴨長明の方丈庵

 昨年の平成24年は、鴨長明『方丈記』の800年祭に当たっていた。余も去年の秋、下鴨神社近くに立ち寄った折、長明に縁の深い糺森・河井神社で復元・方丈庵を見ることができた。

 方丈記と言えば、昔の高校古典授業では、序が多くの人に知られているが、全文は数えてもわずか原稿用紙20枚程度の短編エッセイである。しかし歴々、よほどに人の心をつかんだのだろうか、今に残る立派な古典である。

 ゆく川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず。よどみに浮ぶ うたかたは、かつ消えかつ結びて久しく止どまる事なし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。

 朝(あした)に死し、夕(ゆうべ)に生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、何方より来りて何方へか去る。また知らず、仮の宿りたがために心をなやまし、何によりてか目を悦ばしむる。そのあるじと住家と、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。或は露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。或は花は萎みて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。

 余はこの中で、「知らず、生れ死ぬる人、何方より来りて何方へか去る。」を長年好ましく思ってきた。大抵の現代注釈では「何方」を「いずかた」と読ましているが、余の心のなかではそれは「何処」(いずこ)と読んできた。長明さんに刃向かったわけではなく、何方だとなんとなく方違(かたたがえ)みたいで陰陽師の匂いがするから、現代風に何処と自動変換してきたわけだ。(ついでながら、余は陰陽道には興味があるが、長明と陰陽道とは正確に分けて考えないと混乱するから、あえて違った世界とみなしている)。

 つまり、人とは何処から生まれ出で、なにがしかの生の過程を経て、何処かへ去っていくのだ、という事実認識があり、そのことを当たり前として記述しているのがよろしく、それが「序」なのだから、方丈記もうたかた(泡沫)なんだろうな、という予感をいだかせ、そして現代人の余は、そのうたかたがこの日本に800年も残って、時折の高校生少年少女になんらかの世界認識を提案しているというところに、感動するわけだcat

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コメント

方丈記

 昨年、教育テレビでは何回か『方丈記』特集をしていました。彼が最後に撰んだ庵の地は伏見だという事を知りました。山の中でしたね、何時も傍に琵琶と琴を置いていたそうです。

 その当時、相当(ナウイ)人で、今で言う、エレキギターを弾くミュージシャンみたいな存在だったとか。思いもよらない指摘でした。

 彼は賀茂(鴨 カモ)族の由緒ある貴族、本来なら賀茂神社の宮司を継ぐ立場だったそうですね。しかし、早く宮司の父が死亡し彼の運命は途絶えた。

 それでも、彼は関東まで出駆け出世に道を模索したそうです。しかし、夢はかなわなかった。それでも、品格を持ち生きた。

 そんなところが、皆に愛される所以でしょうか。

投稿: jo | 2013年1月 9日 (水) 10時35分

Joさん、新年ですな。
 さて、長明さんの方丈記と、双岡の吉田さんの徒然草とは、時々混乱します。
週のうち何回も、双岡のそばを走るのに、方丈記と徒然草とをいちいち区別しないと、わからなくなるくちです。

 他愛ないもので、われらの古典教養は高校生以来なんの変化もなく、その時の記憶や情感だけで、古の文物をあじわっております。
 それにしても、組み立て式の方丈庵をみて、当時の人もいろいろだと思った次第です。現代なら船住居とか車住居を長明さんなら発注するでしょうね。
 われらもヤドカリ方式をとれば、少しは気楽に生きられるかもしれませんな。

投稿: Mu | 2013年1月 9日 (水) 17時15分

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