小説木幡記:鴨川の瀬渡り
鴨川
この石渡がどのあたりかは、前後の写真や回りの風景をじっくり眺めれば分かる事だが、ちょっと気力がないので単純に「鴨川の亀石」とでもしておこう。もちろん地元の人なら、これが出町柳から数えて何番目~というのはすぐにこたえられるはずだ。
鴨川はそれなりの川幅があるから、橋も大通りにかかるものしかなく、此岸彼岸で不便をかこつこともあろう。そんなとき、水量が穏やかで天候にも恵まれている日時なら、この亀石を飛び渡るのも一興だ。しかし歩幅は大人がズボン着用時にようやく渡れるくらいだから、スカートや着物だと難しい。少年少女を見ていると怪鳥のように飛び移っていた。
いつぞや三条大橋と四条大橋の中間あたり、先斗町と川端通りにフランス風の橋をかける計画があったが、識者・文化人の大反対にあってつぶれた。余は密かに「よい計画じゃね」と賛成だった。
鴨川回りを風俗店で取り囲む計画なら反対するが、閉じられた右岸と左岸に儚かなげな「日本の橋」(歩行専用)が一本通るなら、いかにも京都らしくてよろしいな。なんで当時はフランス風だったのか、ちょっとわからん。きっと日本の深みで斬新さを現す能力・表現力が、まだなかったのじゃろう。
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↑三条大橋と四条大橋の間に「日本の橋」があったなら
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