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2013年1月31日 (木)

小説木幡記:本居宣長記念館の金印

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松阪・本居宣長記念館の金印・押印図

 一昨年夏(2011年)に福岡の「しかのしま資料館」を訪ねたときに「金印」についての思いをあらたにした。つまり、そこが「漢委奴國王」金印の発掘された現地島だったからだ。金印公園も整備されていた。この小さな島で巨大国家「漢」から授与された金印が発見されたことの事情は今ひとつよく分からないが、公園から博多湾や玄界灘を見つめていると、気分としてなんとなくそんな風景が浮かんできて、にんまり笑った記憶があった。

 ところが、余はすでに2007年に『金印偽造事件:「漢委奴國王」のまぼろし/三浦佑之』を読んでいて、その間の事情は十分に消化していたつもりだったが、志賀島に立ったときは三浦氏の説をきれいさっぱり忘れてしまっていた。ただし、この金印の押印が三重県松阪市の本居宣長記念館にあるという話だけはちゃっかり覚えていて、昨年の初秋に松阪に寄って、その押印図をしっかり確認してきた。

 人間の考えや行動は、なにかしら不確かなリンク構造で成り立っていると思ったね。それらが結合したとき、結合したことにまた新たな意味を見いだしたとき、人間の記憶の一部が次の知識欲や情感の源になるのだろう、な。

参考
  本居宣長記念館(公式)
  金印偽造事件(MuBlog)
  九州2011夏:福岡篇:志賀島遙拝……(MuBlog)

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2013年1月29日 (火)

小説木幡記:アクロイドは何位?『東西ミステリーベスト100』

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 野宮神社↑

 嵯峨野を舞台にした旅情ミステリーを書いてみたい、読んでみたいと思ってきた。山村美紗、西村京太郎、内田康夫さんたちの作品をいくつかずつ読んだ記憶がある。余はこういう超大家の作品を愛惜してきた。最大の理由は読後がさわやかなものが多い。嫌みがない。衒学臭がない。おっとりしている~その良質な文体からにじみ出てくる旅愁は、いつでも鮮やかに蘇る。読んでいると生をにんまり微笑んで愉しめる。うむふむ。
 (先週は内田康夫さんの『神苦楽島』を読んだ)

 さてしかし世間で申すミステリーにはまた違ったジャンルがあるようだ。と文藝春秋社編の『東西ミステリーベスト100』を手にとって思った。いやいや、そのどちらかにケチをつけたくてこの記事を書いているのじゃない。要するに多様性をまだまだまだ愉しめるなぁ、という極楽感が湧いてきたから筆をとった。

 ここで、この図書を購入するに多少手間取ったことを申し添えておく。<週刊文春臨時増刊>とタイトルにあったので、てっきり週刊誌? とおもって、書店やコンビニの週刊誌置き場を探してみたが、あるわけない(笑)。これはいわゆるムック、というよりもそのうち文庫化するから、完全な図書だな。まあ、よろし。入手しがたい僻地にお住まいの方はアマゾンから直接数日内に読む事ができます。

 で、背景情報として、こういうのは毎年でるものと無意識に思っていたが、実はそうじゃなくて、先回のは1985年なのだ。なにしろ各界識者のアンケート400人弱での制作だから、そうそう毎年出すのは難しいのだと思った。それとあらすじや蘊蓄記事がおもしろくて、東西合計200編。「こりゃ四半世紀に一回くらいしか出せないなぁ」と、感心した。

 そこで、余は今『アクロイド殺し』を読んでおるが、これは「西部門」で何位なのか? と思ってみたら、うむふむ、アガサ・クリスティは抜群の実力よな、堂々5位だった。たしかに、いま60%読んだところだが、「おもしろい」(実は20代に読んではいるが、超有名な核心だけぼんやり覚えていて、他はまるで未知)。
 東西ミス100、こういうランキング本と余の感性とが時々合致して、なんとなく世間に合っていることに安心感を持った次第(爆笑)。

 さてそこで、いくつかを記しておく。興が湧いてミステリ読者が増えると、良質な作品もどんどんでてきそうだな。しかし1位~10位を露骨に記すのは、なんとなく文藝春秋社の商売の邪魔するようでもうしわけない。ここは搦め手からの情報流出という形で。

  東11位 黒いトランク/鮎川哲也(創元)
  東12位 戻り川心中/連城三紀彦(光文社)
  東13位 容疑者Xの献身/東野圭吾(文春)

  西11位 オリエント急行の殺人/クリスティ(早川・創元)
  西12位 ミレニアム(三部作)/ラーソン(早川)
  西13位 死の接吻/レヴィン(早川)

 まあ、リーク出来るのはこの程度だな。
 それと蛇足かな? 東西ともに一位作品は、余が愛惜し気に入った作品であり、作者であった。ということは、余もミステリ世界では相当に常識人のようだ。うれしいような、あははは。

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2013年1月28日 (月)

NHK八重の桜(04)妖霊星:井伊大老

承前:NHK八重の桜(03)蹴散らして前へ:禁足
NHK大河ドラマ公式あらすじ

 八重が兄・覚馬にとついできた兄嫁となかなか話がかみ合わず途方にくれていた。異端じみた八重が常識人と上手につきあうにはまだまだ歳月が必要だと思った。

 江戸城では彦根藩主井伊直弼(なおすけ)が大老になり、幕末の悲劇「安政の大獄」が始まった。勅許なくして井伊がアメリカと「日米修好通商条約」を結び、これに反発した朝廷、御三家(紀伊は不参加か?)や薩摩や越前の動きを幕府(井伊体制)が封じ込めたのが発端と言ってよかろう。
 京都から知らせれた井伊大老謀殺計画に直弼が強く反応し、これに関わったあるいは関係があるものを次々と捕縛し、刑死がもたらされた。長州の吉田松陰もその一人だった。

 この安政の大獄、井伊直弼の行動をどのように評価するかは、いまだに難しい。ドラマでは会津の松平容保(かたもり)は大老・井伊直弼と親しく語り合う関係に描かれていた。また井伊直弼は茶を極め、深い教養を持った人で、幼少時からいわゆる苦労人だったことは事実である。

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2013年1月26日 (土)

小説木幡記:世界遺産・元興寺の門

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元興寺(がんごうじ)

承前:小説木幡記:元興寺の古式・甍(いらか)

 奈良市の元興寺は昨秋に「承前」記事を載せた。それ以上の深い言及はできないが、写真をみていたら、門と「極楽坊」という石碑がよく見えたので追加掲載しておく。
 寺域は広くないが、収蔵庫や研究所があって活発な動きがあった。

 地図を確認すると、猿沢池と奈良市中央図書館の真南にひっそりと見えた。世界遺産寺院としてもっとも目立たない寺院に数えられるな、と思った。


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元興寺の境内地図

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2013年1月24日 (木)

小説木幡記:鴨川の瀬渡り

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鴨川

 この石渡がどのあたりかは、前後の写真や回りの風景をじっくり眺めれば分かる事だが、ちょっと気力がないので単純に「鴨川の亀石」とでもしておこう。もちろん地元の人なら、これが出町柳から数えて何番目~というのはすぐにこたえられるはずだ。

 鴨川はそれなりの川幅があるから、橋も大通りにかかるものしかなく、此岸彼岸で不便をかこつこともあろう。そんなとき、水量が穏やかで天候にも恵まれている日時なら、この亀石を飛び渡るのも一興だ。しかし歩幅は大人がズボン着用時にようやく渡れるくらいだから、スカートや着物だと難しい。少年少女を見ていると怪鳥のように飛び移っていた。

 いつぞや三条大橋と四条大橋の中間あたり、先斗町と川端通りにフランス風の橋をかける計画があったが、識者・文化人の大反対にあってつぶれた。余は密かに「よい計画じゃね」と賛成だった。

 鴨川回りを風俗店で取り囲む計画なら反対するが、閉じられた右岸と左岸に儚かなげな「日本の橋」(歩行専用)が一本通るなら、いかにも京都らしくてよろしいな。なんで当時はフランス風だったのか、ちょっとわからん。きっと日本の深みで斬新さを現す能力・表現力が、まだなかったのじゃろう。


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 ↑三条大橋と四条大橋の間に「日本の橋」があったなら

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2013年1月21日 (月)

NHK八重の桜(03)蹴散らして前へ:禁足

承前:NHK八重の桜(02)やむにやまれぬ心:会津と江戸
NHK大河ドラマ公式あらすじ

 八重の兄・覚馬は藩の軍政改革に奔走するが、すべて「御重役」たちによって拒否された。
 守旧派「槍・刀・弓」と改革派「鉄砲と西洋科学」の対立による失政を、このころの会津藩上層部はまだ真剣に考えていなかったのだろう。容保がどうだったかよりも、一般に日本のマツリゴトは合議制だから、重役連の反対があれば、責任者も随うことが多い。

 しかし守旧派の若者達から武士の本分を忘れた西洋かぶれとなじられた覚馬が、藩の宝蔵院流槍術道場で彼らと立ち会い、打ち負かしたのには喝采した。この頃の幕末の優れた若者達は、侍の表芸である武術にも相当に修練を積んだ人がいたようだ。

 そんなこんなで、覚馬は藩から禁足を命じられた。外出禁止である。八重は兄のそばにいる時間が増えたが、兄が失意の状態であることにかわりはない。今夜はまだまだ八重の真骨頂が現れてこない。もう少し待ちましょう。

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2013年1月19日 (土)

小説木幡記:難波宮と大坂城

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難波宮跡公園

 写真は後期難波宮(聖武天皇時代)の大極殿基壇だ。背景に小さく大坂城が見える。大坂城があった頃にはこの公園は無かったはずだ(笑)。正史には難波宮があっても、遺跡として出現したのは、山根徳太郎さんの努力の成果だったらしい。山根博士は戦後1954年から発掘を始め、1961年には大極殿を確認した。
 大阪のど真ん中に、遺跡公園を作るのは並大抵のことではない。古墳や建物跡や出土物は、誰も見ていなければ、あっけなくブルトーザーで圧殺され、「そんな物はなかった」世界が過去も現在も横行する中での、快挙だったにちがいない。

 ところで、大坂城は巨大前方後円墳の上にあった。という説をネットで見かけた。この説はネットが無かった時代から耳にしていたので、長く人々の気持ちをつかんでいたのだろう。下記参考に、URLを引用したが、図がわかりやすく理解しやすかった。

参考
  小説木幡記:難波宮からの二上山
  難波宮跡(JoBlog)
  難波宮(大阪府文化財研究所)
  難波宮跡(難波宮跡公園)(大阪府)
  大阪城は、巨大前方後円墳の上に建っている!?(前編)
  大阪城は、巨大前方後円墳の上に建っている!?(後編)

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2013年1月15日 (火)

小説木幡記:志賀直哉の書斎

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 志賀直哉の書斎(奈良市)

 博物館の特別展示会で著名人の書斎が復元されることがある。誰とは正確に言えないが、以前から好んで見てきた。固有の博物館で固定的に再現されたものとして圧巻だったのは、小倉の清張記念館の地下に再現された書斎や書庫だった。そこには多数の蔵書もセットされていた。

 そして。
 奈良市高畑町の志賀直哉旧居は、年譜では奈良に13年間住まいした志賀直哉が昭和4年から昭和13年の10年間住んだ所だった。この書斎で『暗夜行路』が執筆されたのだろう。また保田與重郎『現代畸人傳』に描かれた志賀直哉の冷徹な印象は、この昭和初期のものだったと推察できる。

 この高畑旧居には2001年ころから幾度か訪れた。余は日本建築に好みがあって、何度眺めても飽きない質だからだ。見物人として見た限りでは、設計に不合理ななにかしら崩れたところがないので、これが都会人の先鋭化した思考の現れなのだろうと、独りごちていた。志賀直哉がこれだけの自邸を奈良の高級地に造りながら、10年間住んで手放し東京に戻ったのは、奈良や京都の古都にある、わけのわからなさが気に入らなくなったせいかもしれない。東京視点からだと、古都もまた「田舎」に感じられたのだろう。それが志賀直哉の資質だったと、想像している。
 住居は人を顕す、のだろうか。

参考
  松本清張記念館
  志賀直哉旧居(奈良学園セミナーハウス)

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2013年1月14日 (月)

小説木幡記:北斎の47番目の富士山

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 御在所岳の奇岩

 昨日TVで北斎の富嶽三十六景の話があった。どなたさんかがカメラ担いで、北斎が富士を描いた場所を特定する話だった。最初はあらためて北斎のすばらしさに感動するだけだったが、そのうち富士山より西方向で、どのあたりまで富士山が見えるのかという興味に惹かれだした。桶屋富士というのが尾張で、現代の名古屋市富士見町あたりからの富士を北斎が描いたようだ(と、思われてきた)。巨大な桶の枠を通して小さな富士山が見えていた。北斎の才能の凄さがだれにでも分かる構図だった。

 しかし番組では、名古屋市の富士見町から見える富士山らしき山は本当の富士山ではないという話になっていった。余はそのころ眠くなってベッドに入ってしまったので、結論はわからない。今朝、ネットでしらべると、「愛知県から見える富士山」という好都合記事があったので、URLを下記引用しておく。

 さて。
 先年、鈴鹿峠をこえて御在所岳に行った。頂上近くに「富士見岩」というのがあったが、「どうせ見えぬだろう。坂がしんどい」と、階段下で諦めたことを思い出した。いかにも日頃の余の所行よな(何事も、めんどうと思ってしまう)。いま、ネットでみると、年に30回程度は見えると書いてあった。さて、それが本当の富士山なのかどうか?
 つらつらの初夢に、葛飾北斎には47枚目の幻の富士山(裏富士11番・御在所富士?)があった! とかなんとかミステリが出来そうじゃ。

参考
  愛知県から見える富士山
  富士見岩:御在所ロープウェイOfficial Site

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2013年1月13日 (日)

NHK八重の桜(02)やむにやまれぬ心:会津と江戸

承前:NHK八重の桜(01)ならぬことはならぬ:磐梯山がきれいでした
NHK大河ドラマ公式あらすじ

 八重の兄・覚馬が「会津には海が無い」と象山塾で話していた。てっきり現代の福島県全体が会津藩と思っていたから、不勉強を痛感した。

 今夜の動きは、薩摩藩の西郷隆盛が象山先生と面会した。象山は幕府が下田を開港するよりも、横浜の方が安全で効果があると西郷に言った。長州藩の吉田松陰が米国密航に失敗し入獄していた。密航をそそのかした罪で佐久間象山は国元である信州・松代に蟄居させられ、象山塾は閉鎖した。勝海舟は幕府が二人を罰したことを怒っていた。

 なんとなく、会津はまだまだおっとりしていた。八重の兄は無事帰国し、砲術師範になるようだ。つまり家を継ぐことになる。八重はその間隙をぬって、父と兄に頭をさげ、鉄砲の技術や知識を磨くことの許しを得た。

 松平容保の義姉(照姫)や義妹(敏姫)が登場した。この二人の女性は義理の姉妹だが、なにやら容保とは深い縁を将来もつような描き方だった。なかなかに~複雑そうだ(笑)。

 いまのところは、じわじわと会津の風景言葉風物を楽しみ、幕末の有名人たちを思い出しているところだ。あと数回後、もうすぐに八重が活躍するのだろう。また来週。

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2013年1月12日 (土)

小説木幡記:神社と太鼓橋の序章

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 多賀大社の太鼓橋

 神社に太鼓橋があるのは、一種のお約束ごとかと思っているが、どうなんだろう。長く神社に気持ちを沿わせてきたが、太鼓橋にまで気を向けたことはなかった。この数年お参りした太宰府の天満宮、鎌倉の鶴岡八幡宮、そして多賀大社に太鼓橋があって、鎌倉の橋は通行禁止だった。お多賀さんの橋もちょっと見るには危険な角度だった。

 お多賀さんはお伊勢さんの親にあたるという言い伝えがあって、これは御祭神がイザナギ、イザナミという国造り二柱だから、理屈の上でもそうなる。多賀大社への気持ちの向き様は若い頃に司馬遼太郎さんのなにかの著書を読んで「そうなんか、それはすごい。お参りしなくては」と、思った事があった。その内容が何だったのかはとんと思い出せないが、もともと近江の国は近江京よりもずっと昔から歴史の奥深い土地柄だから、そこにある「大社」が昨日今日に流行りだしたはずもない。

 ところで。
 近江鉄道多賀線があって、本線の高宮駅←スクリーン駅→多賀大社前駅と、通じている。スクリーンという名称は駅前に大日本スクリーン製造(株)があるから、その由来名駅と想像した。この多賀線は一時間に2本走っているから、ローカルとしては普通の利便性があると想像した。
 この多賀線は、近江鉄道を調査している学生のゼミ発表で知ったわけだが、あとで薦めようと思った図書『聖地鉄道/渋谷申博』(洋泉社新書)には、聖地鉄道として挙がっていなかった。残念。
 神社は一般に大鳥居があって、太鼓橋があって、神殿につながる。聖地鉄道がまだ俗界ならば、人が渡るのも難しい太鼓橋がこちらとあちらを結ぶ境界線なのだろう。だから、数ある日本の橋のなかでも、神社にある太鼓橋は、幾分俗物をはじき出し、とはいいながらも、それでも近寄りたい人には、近づける余地を残している。そういう結界徴なのだと思った。さて、真相は如何に。

参考
  多賀大社

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2013年1月 8日 (火)

小説木幡記:鈴鹿・関宿の風景

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鈴鹿・関宿の風景

 以前から「鈴鹿峠」とか「鈴鹿峠の山賊」とかはよく耳にしてきた。しかし鈴鹿峠がどのあたりをさすかは、よく知らぬままに来た。先年も佐伯泰英さんの『密命』シリーズを読んでいたら、これでもかというほど鈴鹿峠が描かれていた。
 で、今のところは鈴鹿市という名称に惑わされず(笑)、1号線滋賀県の「あいの土山」あたりから、関西線の関駅あたりまでを鈴鹿峠と決めた。勝手に決めたのだから、あとでよく勉強して考え直す可能性はあるが、実感としては新名神高速道路よりも、国道1号線でヘアピンカーブじみた、うねうねとした峠道を走る方が、鈴鹿峠の気分がする。

  41. 宮宿 名古屋市熱田区(熱田神宮あたり)
    「七里の渡し」 船
  42. 桑名宿・・・三重県桑名市
  43. 四日市宿・四日市市
  44. 石薬師宿・鈴鹿市
  45. 庄野宿・・・鈴鹿市
  46. 亀山宿・・・亀山市
  47. 関宿・・・・・亀山市
  48. 坂下宿・・・亀山市
  49. 土山宿・・・滋賀県甲賀市

  50. 水口宿・・・甲賀市
  51. 石部宿・・・湖南市
  52. 草津宿・・・草津市
  53. 大津宿・・・大津市
  *三条大橋・・京都市

 ところで関宿だが、情景角度を工夫して眺めると、まるで時代劇のような雰囲気が残っていた。本陣(大名行列などの宿泊施設)や脇本陣(本陣の予備施設)があるのかどうかは探さなかったが、立派なお寺がいくつかあって、江戸時代の名残を見せていた。
 先日の大河ドラマ「八重の桜」は会津出身女性の話だが、この三重県亀山市の関宿にも「會津屋」さんというお食事処があった。ご先祖が会津出身なのだろうか、知らず。ただ、そのサイトが関宿を丁寧にまとめているので、引用しておく。
 鈴鹿は奥が深い、再訪するつもりだ。


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↑関宿、地蔵院のあたり

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2013年1月 7日 (月)

NHK八重の桜(01)ならぬことはならぬ:磐梯山がきれいでした

承前:NHK平清盛(50)遊びをせんとや生まれけむ:双六が終わった
NHK大河ドラマ公式あらすじ

 SLばんえつ物語号という、観光列車が会津と新潟をつないでいる。乗ったことはないが、模型は手元にあるので時々眺める。磐越とは、磐梯山の「ばん」と、越後の「えつ」だろう。今年の大河ドラマはその磐梯山がきれいだ、という第一印象を得た。地図でみると、磐梯山、猪苗代湖、会津若松市が三角形を描いていた。

 会津藩や幕末の会津中将容保(かたもり)など、もりだくさんの歴史事項は折に触れて考えていく。宿怨だった会津・長州の関係も21世紀になってようやく溶け始めたと聞く。大河ドラマ「八重の桜」は幕末から明治にかけて生きた会津藩砲術師範の家の娘さん「八重」の物語だから、彼女がともに最期まで戦い抜いた会津藩のことも背景にきっちり描かれると想像した。

 ドラマで目を見開いたのは、佐久間象山の塾の中身だった。塾全体が巨大なからくりに見えて、楽しめた。
 会津のいろいろな名物、行事の一端も味わえた。ならぬものはならぬ、この「什の掟」がなるほどと得心したが、戸外で食べるなとは、外食禁止なのか、それとも立ち食いなのか、〜。また戸外で女子と話すなは、喫茶店ならよいのか、〜などといろいろ想像して笑えてきた。これらもいろいろ分かってくるだろうから、楽しみだ。

 今年もまた大河ドラマで楽しめそうだ。


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2013年1月 3日 (木)

小説木幡記:うたかた何処へ:方丈記

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復元・鴨長明の方丈庵

 昨年の平成24年は、鴨長明『方丈記』の800年祭に当たっていた。余も去年の秋、下鴨神社近くに立ち寄った折、長明に縁の深い糺森・河井神社で復元・方丈庵を見ることができた。

 方丈記と言えば、昔の高校古典授業では、序が多くの人に知られているが、全文は数えてもわずか原稿用紙20枚程度の短編エッセイである。しかし歴々、よほどに人の心をつかんだのだろうか、今に残る立派な古典である。

 ゆく川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず。よどみに浮ぶ うたかたは、かつ消えかつ結びて久しく止どまる事なし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。

 朝(あした)に死し、夕(ゆうべ)に生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、何方より来りて何方へか去る。また知らず、仮の宿りたがために心をなやまし、何によりてか目を悦ばしむる。そのあるじと住家と、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。或は露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。或は花は萎みて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。

 余はこの中で、「知らず、生れ死ぬる人、何方より来りて何方へか去る。」を長年好ましく思ってきた。大抵の現代注釈では「何方」を「いずかた」と読ましているが、余の心のなかではそれは「何処」(いずこ)と読んできた。長明さんに刃向かったわけではなく、何方だとなんとなく方違(かたたがえ)みたいで陰陽師の匂いがするから、現代風に何処と自動変換してきたわけだ。(ついでながら、余は陰陽道には興味があるが、長明と陰陽道とは正確に分けて考えないと混乱するから、あえて違った世界とみなしている)。

 つまり、人とは何処から生まれ出で、なにがしかの生の過程を経て、何処かへ去っていくのだ、という事実認識があり、そのことを当たり前として記述しているのがよろしく、それが「序」なのだから、方丈記もうたかた(泡沫)なんだろうな、という予感をいだかせ、そして現代人の余は、そのうたかたがこの日本に800年も残って、時折の高校生少年少女になんらかの世界認識を提案しているというところに、感動するわけだcat

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2013年1月 2日 (水)

小説木幡記:大納言公任の名古曾瀧

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 大沢池・名古曾瀧址↑

 正月早々に1000年ほどさかのぼった。いろいろ心の世界は動いておる。

taurus 名古曾瀧(なこそのたき)
 京都市右京区に大沢池があって、その北辺に名古曾瀧址という遺跡がある。嵯峨上皇が此の地に別荘を造られたときの作庭らしい。時代は9世紀初頭。この嵯峨上皇のお知り合いには、空海さんがおられる。

 でそれから約200年後の10世紀末(999年頃)大納言(藤原)公任(だいなごん・きんとう)が、「滝の音は絶えて久しくなりぬれど、名こそ流れて、なほ聞こえけれ」と歌った。

 現代風に言い換えると、
 大沢池には名古曾の滝があったと聞くが、もう埋もれてしまって滝水もない。しかしここに立つと、なにやら滝の音がしてくる。これは嵯峨上皇のお作りになった名庭の滝として、名前が知れ渡っていたからだろう。(私が埋もれてしまっても、私の歌は世の人々に伝わってほしいことよ)

 これをまた約200年後の13世紀(1235年~)に、藤原定家が小倉・百人一首にとった。55番目である。
 そして今朝は21(2013)世紀。なにごとも、長い長い時間が流れた果ての話である。
 悠久であるぞ。

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2013年1月 1日 (火)

小説木幡記:ひっそりと物語に沈む

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 ↑ミホミュージアム(平成24年秋)↑

cat大晦日から今日の元日まで、文庫本を3冊読んだ。ちょっとはメモしておこう。

 ・獣の奏者(闘蛇)/上橋菜穂子
 ・獣の奏者(王獣)/上橋菜穂子
 ・遠謀(密命シリーズ14)/佐伯泰英

 獣の奏者は、まだ探求編、完結編、外伝と講談社文庫で3冊もあるようで、楽しみだ。昨年末は上橋さんの「守人」「旅人」シリーズを読んだが、余が惹かれたのはつまるところ「謎謎」しているからである。背景も行動もなかなか解き明かされないが、いつか衝撃の真実に直面する。これらをファンタジーと呼ぶのが一般的なようだが、日本のファンタジ-は、余の経験範囲だけでも、十二国記、空色勾玉、そして守人~と、女性作家の才能が際立っている。どれも重厚長大なのに、一旦手にすると巻措くあたわず世界で、のめり込んでしまう。共通点は謎と迫真の恐怖と、永遠の人物像への憧憬にあるな。

 佐伯さんの密命シリーズはもう14冊も読んでしまった。この方の文庫は他社別シリーズも山積み平積みしてあるから、まだまだたのしめる。で、安心して読める。今のところ主人公クラスの非命がない。濡れ場もない。負けない。炉辺の幸と和がある。酒と一膳飯とシジミ汁の香りがする。と、これだけ日常に溢れているのに、撃剣のするどさ、物語の展開、場面の交差と、まるで飽きることがない。異才極まれり、と何度も感心する。

ariesと、そんな様子で平成25(2013)年も始まった。
 読書も散歩もジオラマ制作も物語耽溺も食事も、なにもかも、じっくり味わって楽しもう。そうそう、今朝は小さなシェリーグラスに月桂冠の大吟醸をちょっとばかり注ぎ、喉に流した。下戸であっても、この鮮烈な味わいはよくわかる。日本酒というのは、芸術だね。

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