カテゴリー「2012夏・横浜鎌倉」の20件の記事

2013年4月14日 (日)

小説木幡記:初代横浜駅は桜木町駅か

Amu1dsc00251
 桜木町(さくらぎちょう):鉄道創業の地

 横浜の、桜木町駅前に立ったとき、すっと「鉄道創業の地」碑」へ行けたわけではなく、うろうろと付近を30分程度迷い歩いた。だから見つけた時は、ほっとした。さて此の地は、明治5(1872)年に汽笛一声新橋をはやわが汽車は離れたり~と後世歌って横浜に着いた、その初代横浜駅が、実は現代のJR桜木町駅だった、という歴史の奥行きを味わえる創業地なのだ。

 いささかマニアックなことだが、創業地碑には「横浜ステイション~品川ステイション」という記述がある。この詳細は参考にあげた2番目の情報を確認すれば分かるが、世にいう、新橋~横浜の開通より数ヶ月前に品川と横浜間とが開通していた。そしてまた、当時の横浜ステイション(ステンションと発音していた可能性がある)とは、現代の桜木町駅だから、日本國横浜での鐵道創業地はどうしても、この桜木町駅あたりに碑を建てざるを得ぬ。

 それにしても、明治維新元年が通説での1868とすると、鉄道開通が明治五年(1872)だから維新回天後のわずか5年後に鐵道を開通したという、当時の人達の熱気、新奇性にかける情熱は想像以上のものだったのだろう。あらためて驚いた。

参考
  日本初の鉄道は「横浜-新橋間」に開通(神奈川県)
  横浜の鉄道(横浜市)


大きな地図で見る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月12日 (金)

小説木幡記:トニイパンディと『時の娘』

Amudsc00321
 ランプ埋水タイプの雰囲気の出る飲み物(笑)

 ミステリ小説の聖典『東西ミステリーベスト100』(週刊文春、2013.1)によると、「西」部門第39位に『時の娘/ジョセフィン・テイ』(1951)がある。新春一読したが、シェークスピアの史劇でお馴染みのリチャード3世のイメージが逆転するほどの、おもしろさだった。悪逆非道のリチャード3世の肖像画を主人公が眺めている内に、彼を誹謗した英国史に疑問を感じ~、実はシェークスピアも欺されていた、という話だった。

 さて、リチャード3世をねじ曲げてしまった歴史認識とは、話題の中国や韓国の国家的戦略による執拗悪辣な日本歴史改竄デマゴーグと同質のものであり、その典型を主人公は英国現代史(第二次世界大戦前後?)における「トニイパンディ」という、キーワードで説明していた。要するに、リチャード3世は当時の敵対勢力によって、嘘八百の史実と称する誹謗作戦の餌食となった、~その例証として、現代史の英国「トニイパンディ」というキーワードを示した。

 トニイパンディはチャーチルが関係した英国の地域名である。そこで起こった事件は後世もまことしやかに信じられてはいるが、実は真っ赤な嘘で、嘘をついた集団は確信犯で、敵対勢力を追い落とすために確信的に核心的事案として無慈悲なまでに(爆)、相手を執拗に責め、そして多くの人がその嘘に欺されてしまった、という話。そういえば、日本も世界中で無慈悲なまでに悪逆非道の民族としてホロコースト並に扱われている部分もある。トニイパンディじゃ。全部まとめて、のしつけて返してあげないと、……。

 なるほど、余は『時の娘』でトニイパンディを学んだ。
 ミステリで人生を学んだ、のう。

参考
  リチャード3世の遺骨発見、熱狂の理由

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年3月21日 (木)

小説木幡記:港町のこと

Amudsc00267
 横浜みなとみらい

 余は生国が福井市で、その後は嵯峨野や木幡にずっと住み、いわゆる海を眺める風景にはなじみがない。海浜で育った学生達や知り合いからは、ときどき矢も楯もたまらず海を見たくなるというセリフもたびたび耳にした。そういうものなのだろう。近所の大津市・琵琶湖も海に見える位置があるが、それでは満足できぬだろうな。
 と。
 この巻頭写真を眺めていると、横浜という港町は随分はでな装いをしているのだな。と思った。記憶では昨年に二日間滞在しただけのわずかな経験だが、なにかしら「良い街だ」と好印象を得た。博物館や資料館や図書館を巡るだけでも何日もかかる、もし港遊び(笑:どういうものか? たとえば船で周遊するとか~)なんぞしたり、居国風グルメさがしなんかすると、一ヶ月ほど滞在しないと深く味わえ無い能、と思った。
 しかし、今年前半は健康面や資金のことで、遠出はむりだな。と、横浜静養企画はあえなく没。
 となると~
 そうだ。
 近くに神戸市があった。新幹線を使えば、ドアtoドアで小一時間で行けるな。なにやら中華街の味が蘇ってきた。

 ……、臨床旅行探偵のひとこまでした。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2013年3月 3日 (日)

小説木幡記:弥生の休養と充電

Amudsc00288
 伊予鉄道1号機関車と客車(展示は横浜ランドマークタワーの69階:鉄道博物館提供)

 この三月は半月ほど休養し充電するつもりだ。~休養といえばもう十年以上も休養しているようなもんだよ、と空耳が聞こえてくるが、人の人生は他からうかがい知れない所もあって、長い休養にみえても水鳥の水中・水かきだったかもしれないしな。ともかく、疲れたのでちょっと休養し、その間に充電しようぞ。さしずめMuBlogは休憩が長くなるかもしれないが、晴れて暖かくなればまた筆も進む。

 ちょっと確認したら、MuBlogも平成16(2004)年3月7日から初めて9年間も続いた。記事数が2734件で、総アクセスは250万(2,464,397)に近づいてきた。はるばる書いてきたもんだよ。うむ、小説木幡記やNHK大河ドラマを暫く休んでもバチは当たらぬ。相変わらず古い遡及記事アクセスが多いので、初期開設目的は果たしてきたことになる。blogと言うカレント情報を扱うツールが意外にも純粋の永続的DBMSを兼ねていることが幸した。

1.ところで写真の伊予鉄道
 現物・動態モデルを観たわけではないが、模型にであって思わず写していた。しかし伊予鉄道1号といわれるよりも「ぼっちゃん列車」と言い直せば、多くの人が膝を打つだろう。こういうSLの模型を欲しいと思ったが、なかなかに値が張るのでやめた(笑)。しかし、漱石←→ぼっちゃん列車、という見立て文藝ジオラマを造る可能性もあるので、メモしておこう。

2.見立てミステリジオラマ路線
 「見立て文藝ジオラマ」をかんがえているうちに、模型屋でTOMIXのHOゲージが目に入った。やはり値が張るが、一枚で済んだので衝動買いしてしまった。これは「琴電3000形」で、有効半径がHOなのにR215というNゲージ並の小さな円周でも走る。
 数年前にくらべて最近は大きなジオラマを造る気力や魅力がなくて、すべからく極小のパイクに転向しだした。となると最小走行半径は気になる。
 ところで見立てミステリジオラマについては、すでに昨年後期授業で、学生の一人が(Nゲージで)横溝正史さんの『犬神家の一族』をモデル化しているので、めどはついた。
 余がHOの琴電で見立てミステリジオラマするならば、さしずめ、内田康夫さんの『鐘』がモデルになるが、実はよく覚えておらぬ~。再読しなければ(笑)。

*.やっぱり
 休養はすでにしているようだ。がんばってさらに深い休養を始めよう。

参考
  坊ちゃん列車に乗ろう(伊予鉄道株式会社)
  ふるさとは遠きにありて想うもの篇(ふうてん老人日記)
  梅津寺公園の伊予鉄道1号機(編集長敬白)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年3月 1日 (金)

小説木幡記:楽しみと言えば読書にDVD

Amudsc00294
 牛馬飲水:横浜馬車道

 年齢とともに社会や人生全般との付き合い方も変わるものだ。変わらぬようで変わったものが、余の場合は読書だな。大体毎日文庫一冊程度を舐めるように味わっている。この量や質は昔からそうだが、現在は純粋に楽しむことが多い。このごろは屁理屈や批判や評価をする知恵がなくなったわけではなくて、あれこれ感想は邪魔くさい、もっと楽しもうという盬梅(あんばい)になってきた。

 2月の中頃だったか、クリスティのオリエント急行殺人を読み(早川か創元社か忘れた:大体2種類持っておる(笑))、ついでにエドルン君がDVDを借りてくれた。ものすごく古くて豪華なキャストだった。映画も小説も堪能したなぁ。

 さて、明日の土曜日は何を読もうか。と、毎日が楽しみなのだ。
 ミステリ本用の軍資金も考えて、既読本も枕元に置いてある。北森鴻の講談社文庫が7冊、新潮文庫が3冊ある。すべて以前に読み終えたが、また読みたくなった。文庫10冊だと、丁度1週間~10日はもつ。よい減塩加減じゃ。他のミステリだと大抵は盬味が濃すぎて若死にする(長野県が長生一位なのは減塩だかららしいぞ)。

 木幡は今日は雨だった。雨に烟る桃山だ。ふむ、うむ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年2月27日 (水)

小説木幡記:果実食・遙かなりラーメン

Amudsc00305
 久留米の「大砲ラーメン」(新横浜のラーメン博物館、にて)

 大砲ラーメンはふうてんさんに薦められて食した。実に良い味わいだった。そしてまた京都の「ほそかわ」チャーシュー麺とか、「来来亭」の背脂抜きチャーシュー麺とか、あるいは「天下一品北白川本店」の細麺チャーシューとか~若年時には百万遍とか北白川近辺で仕事していたから、そのあたりのラーメン名店食べ歩きには事欠かない。
 うむふむ。
 しかし時代が変わった、人も変わった、肝心の余が変わってしまった。万物流転しパンタレイやね。

 これからはラーメンやステーキやトロ寿司は、年に1回お誕生日くらいだね。そういえば小学校時代(昭和30年代)にはお誕生日でないと、牛乳やバナナやバタートーストと紅茶なんか、口にしなかった。夏は毎朝、祖母が庭に造っていたなすびの味噌汁やキュウリ。トマトと、野菜ばかり食べておった。ぜんざいなんかも誕生日か旗日だけだった。すき焼き、おお、よほどのことが無い限り口にしなかったぞ。

 最近トマトの食べ比べを無意識自然にしていた。一つは、スーパーでの山盛り廉価トマト。一つは手頃な通販で手頃なトマト、数日前に届いたのは信州の通販農家から取り寄せた大きめのプチトマト。

 さて、余はトマトに味の違いがあるなんて、数十年間もわすれておった。結論は、天地の差がある。まるでトマトじゃないものと、普通のトマトと、味わったこともない華麗なトマト。同じトマトで、値段は大体の幅にあって、それだけの違いがあった。大きめのプチトマトを洗って口にした瞬間、声をだしてしまった。「なんだ、このトマト。す、すごい味だ」
 スーパーで山盛りいくらのトマトは、味が無かった。余が減塩していなければ、塩でも付けないと食べられないしろものだった。普通の通販トマトは、まあなんとなく昔を思い出させるトマトらしい味だった。その前二者にくらべて、三番目は「ああ、人生を無駄に過ごした。余はトマトがこれほど美味であることを半世紀以上も知らぬままに過ごした。」と、思ったな。

 数十年間、ステーキや、焼き鳥や中トロや鯛の味の違いだけに拘泥していた。フレンチもイタリアンも、前菜やスープの楽しみよりも、メインディッシュばかり気にしておった。もちろん、京野菜たっぷりの和食や、辛み大根おろし蕎麦の味わいも堪能してきたが、どうしても気持ちは肉食・魚食系に傾いておった。そして、昨日トマトの味わいに感動衝撃を受けたとき、「ああ、まだまだ人生は深いなぁ」と、思ったわけだ。

 今朝、朝食メニューをメモしておく。
 5:30 無添加、100%、かごめのトマトジュース200cc+レモン小1個を絞った。
      グレープフルーツジュース(GFJ)を200cc:GFJは常薬に影響するので隔日で時間帯を考えておる。
 6:00 トマト1個、林檎1個:両者とも湯でよく洗って皮のまま
 6:30 常薬(咳止めやいろいろ(笑))
 7:00 トースト(小)
      白・黒各練りごま、メープルシロップ小1、蜂蜜小1、
      発酵バター小1/2(注:バターは禁忌食だが、少々の悪食を選んで心理的に楽にする)
 8:00 血圧
      126-70(まずまず)、呼吸93、体重56キロ
 その他 便通よし、顔シミますます薄れる(爆)、趣味のお灸(左右うで)
 この間、煎じ茶を20分かけて造ったり、新聞をみっちり1時間かけて読んでおる。

 さて、紹介した図書『フィット・フォー・ライフ』は優良図書と思った。それと、翻訳されたおりに、追加として日本的アレンジ(麺類、味噌汁、魚食)があるので安心して読める。
 ここで得た最大の智恵を、自分なりに以下のようにまとめた。
 1.ゴリラや牛は、ステーキもトロも食べません、しかし元気で強壮です。
 2.人間は果実食と考えるのが一番らしい。
  となると、林檎やトマトを朝にとるだけで、それが主食なんだ。他は、副食やおやつだな。
 3.肉やミルクは、業界にはもうしわけないけど、今後はお誕生食にするよ!
 *.おろし蕎麦とか、あらためて見直す。

まとめ
  農業は偉大だ(畏友のふうてんさんは農業主義者)。
  もちろん人類史として漁業も狩猟も牧畜・酪農も大切だが、人間の恒常的生存を考えると農業とその成果の偉大さを深く学ぶべきだと思ったな。
  (医学と農学とは近いと思った)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年2月23日 (土)

小説木幡記:古き地球防衛軍

Amudsc00306
 マーカーライトファープ:地球防衛軍

 東宝映画のゴジラなど特撮映画は、余が小学生~中学生のころに食い入るように観た。初代のゴジラ時代はよく覚えていないが、1956年「空の大怪獣ラドン」と、この看板にある1957年「地球防衛軍」それと、1961年「モスラ」はよく覚えておる。後日、青年期にはいって、作家の三島由紀夫が一連の東宝特撮映画を熱心に観ていたという文章を読んで、にやりとした覚えがある。

 さて、看板の地球防衛軍だが、最近はゲーム化もされていて、情報集めには工夫がいった。要するに東宝映画の「地球防衛軍」なのだ。覚えている特殊用語は、ミステリアン(富士山の地下に基地をつくった宇宙人)とか、モグラタイプの異星戦車兵器「モゲラ」、そして地球防衛軍の真打ち「マーカーライトファープ」。映画を探して確認する必要はあるが、要するにガスバーナーの炎元は燃えないが、炎先の火力は高いとかいうアイデアでできた地球兵器だったような。またミステリアンが撤退したのは兵器戦争ではなかったという、当時では意外なオチがあったなぁ。

 この映画看板は、新横浜のラーメン博物館の地下にあった。昭和30年代、つまり余らの団塊世代が小中学校だった古き時代の再現博物館だな。なかなか、しゃれたアイデアだと、いまでも思っておる。このレトロ、古さがたまらぬわい。世の中の、ぴかぴか新品は、疲れるなぁ。お笑いでしょうが、古い奴らがよろしいようで。

参考
  新横浜ラーメン博物館

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年2月19日 (火)

小説木幡記:トレインビュー・ホテル(鉄道の見える宿)

Amudsc00318
  日常の新幹線(新横浜)

 最近、鉄道マニアのために、ホテルから沢山の車両を見下ろせる部屋をしつらえるのが、話題になっている。近くの京都では? と思ってネットを探したら、「ホテル近鉄京都駅」が候補に挙がっていた。全国鉄道の見えるホテルというサイトにあった。しかし新横浜駅では、見えたのは新幹線だけで、しかも高層すぎて迫力がなかった。新横プリンスは横浜全体が見える、というのがウリだな(笑)。

 さて、そんなことを考えながら写真をみていて、京都の梅小路にも新しい鉄道博物館が出来る話を思い出した。梅小路では現在も蒸気機関車が実際に動いているし、小さな展示場もある。これが2016年に新しく、生まれ変わるわけだ。完成が楽しみだ。

  「鉄道博物館の外観や展示車両」(PDF形式 1,578キロバイト)
  「新鉄道博物館のイメージ映像
 2016年(平成28年)春、京都・梅小路エリアに新たな鉄道博物館が開業します

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年2月14日 (木)

小説木幡記:ガス灯の横浜

Amudsc00325
 新横浜プリンスホテルからの夜景

 滲んだ光の横浜港を高層ホテルから眺めていると、ガス灯にゆらめく霧のロンドンや明治時代初期のレンガ造りの町並みに気持ちが飛んだ。ガス灯は点灯消灯が電気よりも手間がかかったろう。いつ頃だれが消すのだろうか。と、もちろん(ガス灯)点灯夫が職業としてあったのだから、この方が消灯夫を兼ねていたのだろう(推察)。昔のインドのようにカーストが厳しいと、おそらく、点灯夫と消灯夫は別の職業としてあったような気がする(トンデモ説)。

 なかば当然のことだが、横浜の馬車道商店街では現代もガス灯を維持管理している。だからこの夜景のなかにもガス灯由来の滲んだ光があるのかもしれない。電灯が白熱球や蛍光灯からLEDになっていき効率よくなったが、別の世界ではまだガス灯が生きているのは、実に不思議な気がした。もちろん、新横プリンスから眺めているときに、ガス灯まで思いがおよんでいたわけではない。あらためて、半歳経って写真を眺めていると、「そうだ、馬車道のガス灯」とうなずいた。人間の連想能力はなかなかに複雑だな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年2月13日 (水)

小説木幡記:銭洗弁財天宇賀福神社 (ぜにあらいべんてんうがふくじんじゃ)

Amudsc00337
 銭洗弁財天

 こちらの神社関係者や神さまたちにはもうしわけないことだが、ともかく奇っ怪な名称で場所で、そして洞窟の中の神社であった。鎌倉文学館へ行く所用がないかぎり、人生に二度は訪れることもないだろうが、それは一度参拝すれば十分に気持ちがおさまり深い感動をもたらす聖地だったともいえよう。こういう神社に、もし似た所があるとすると、少ない余の経験からは、大阪府交野市の磐船神社を思い出す。そこは古代日本神話の世界だった。ただしかし鎌倉山中のここは、神仏習合の影響かベンテンサンなのだ。しかもそれが「銭洗」と付いている。なかなか複雑な神社である。

 さて、某日、午前中の早い時間帯に余は鎌倉駅からタクシーでこの山中に入った。それほど時間も運賃もかからなかったが、未知の神社だったのでそれで良かった。帰路の鎌倉駅へは、参拝者の行列に混じってぞろぞろと20分~30分歩いた記憶がある。なかなかに繁盛(笑)していた神社だった。

参考
  銭洗弁財天宇賀福神社(神奈川県神社庁)
  いわふねじんじゃ:磐船神社(MuBlog)

| | コメント (2) | トラックバック (0)