小説木幡記:合掌土偶(国宝)レプリカ
合掌土偶(レプリカ)の正面
11月末に滋賀山中のミホミュージアムへ行き、縄文土偶の大集合を見学した。実物国宝が3体出ていたのだから、相当な力の入れようだった。
もともと余は遮光器には随分入れ込んでいたが、日本全国からこれだけ沢山出土しているとは感覚的に知らなかった。
そこで見かけた合掌土偶は、いわゆる遮光の目を持ってはいないが、「なるほどなぁ、縄文時代!」と思わせるに十分な迫力があった。
現物は20センチ程度だったが、帰路に手にしたレプリカは随分小型だった。1000円という手頃な価格だったので、カバンに入れてにやにやしながら、部屋にもどり、眺め回した。
一方、カタログも入手したので、雰囲気の違いを確認したところ、レプリカでは足の開き具合が少し広く見え、また鼻梁から鉢巻きのように伸びる骨丘の幅が、少し狭く見えた。
合掌土偶(レプリカ)の背中
カタログによる国宝「合掌土偶」のデータ。
展示番号 193
名称 合掌土偶
指定 国宝
出土遺跡 風張1(青森県八戸市)
時期 後期後葉(BC1300年頃)
高さ 19.8cm
所蔵 八戸市埋蔵文化財センター 是川縄文館
ミホミュージアムの展示は、以前の若沖にしても、今度の縄文土偶にしても、余に目眩をもたらし心に衝撃を与える。
そしてまた、今から3300年も昔の日本、縄文時代にこういう土偶が作られていたという事実に胸が押さえつけられた。カタログを散見していると、古いものでは1万年の昔に作られたものもあった。
余談
ところで、遺跡、芸術の目だけではなく、他の観点からもこれほど気持ちを騒がせる物はない。土偶の多くが新世紀エヴァンゲリオン「使徒」の原型に見えてくる。この土偶に限って言えば、首回りや肩パッドが、どうしても宇宙服に見えてしまう。大昔、日本列島に住んでいた縄文文化の担い手達には、世界や人がこのように見えたのだろうか。
身につけている物の繊細さや機能性にあらためて目を見張った。
参考
土偶・コスモス / MIHO MUSEUM編
MIHO MUSEUM
八戸市埋蔵文化財センター 是川縄文館
合掌土偶について(八戸市)
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コメント
合掌土偶
素晴らしい芸術作品だと思います。竪穴住居の奥壁近くに埋められていたそうですね。つまり、竪穴住居の祭壇のある場所です。
縄文土偶は多くはゴミ捨て場のような場所で見つかるそうですが、この土偶は住居内で見つかっているのが特徴ですね。
考えられるのは、この竪穴住居の主人が死亡しこの住居に埋葬し、この家を墓として使用し祭壇にこの土偶を祀っていた可能性があると思います。
昔はこのような格好で埋葬していたのではないでしょうか。
投稿: jo | 2012年12月12日 (水) 08時16分
JOさん
縄文時代の埋葬は想像つかないので、お任せします。
しかし家は一代、当主の墓にする、というのもよい考えですね。
ところで、
展示会では、Joさんが以前から話題にしていた、縄文のビーナス(たしか、諏訪でしたか?)とか、縄文の女神も出展していました。合掌土偶とあわせて、3つの国宝になります。
投稿: Mu→JOさん | 2012年12月12日 (水) 08時31分