小説木幡記:祇王寺の庭(京都市・嵯峨野)
祇王寺の庭
この写真は初夏に写したものだ。余は地場の利をつかって、人で溢れる春や秋に嵯峨野を歩くことは殆ど無い。地場であればこそ、だれもいない京都の焦熱夏場や厳寒冬場の嵯峨野を楽しむわけだ。花も紅葉も目には入らぬが、その分、心の中に山桜や真っ赤なもみじや楓が風にそよぐ。
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で、余は嵯峨野風景の中でも祇王寺を気に入っている。静かな木漏れ日の庭を通して、茅葺きの祇王寺を眺めるのが好みなのだ。実は、この庭の右手には嵯峨野でも指折りの竹林があって、情感はいや増す。
(祇王寺の側の道をしばらく歩くと、滝口寺(MuBlog)に出る。そこもよい)
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余はこういう庭の結構や建物や風や日差しを眺めていると、大抵はうとうとしてくる。つまり立ったまま白昼夢にひたる。多分数秒間のことだろうが、それが不意に遮断されて現実の庭に再び目を戻したときの独特の覚醒感が気に入っておる。白昼夢の中身は大抵「無」か、あるいは空想の物語の断片である。夢の中で必死に物事を考えこむことはよくある。~だから、睡眠が必要なのだろう。考えるためにな。
参考
祇王寺
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