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2012年11月10日 (土)

小説木幡記:斎宮歴史博物館でのひとこま

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「斎王が神宮の三節祭で行う祈りの様子を復元したマジックビジョン」(斎宮歴史博物館)

 写真の、マジックビジョンというのは、いわゆるホログラフィー技術かとも思っていたが詳細はわからぬ。それらしい記事がネットにあったが出典がわかりにくいので引用はさける。結果として、模型の中に実写の小さな人が動き回る。多分、模型と実写映像を重ねて見えるようにしたのだろう。

 斎宮歴史博物館は近鉄電車の線路からは500m程で、回りに家は少ない。発掘調査が進んでいて、平成26年には斎宮の建物などが復元されて、歴史公園ができるらしい。

 と、記しても「斎宮:さいくう、いつきのみや」が一体なんなのだと、問われるとくちごもる。簡単にしるすと、昔、天皇の娘さん(殆どは、内親王という位を持った女性)が、天皇の代わりに伊勢に下って、年に数回伊勢の神宮(内宮)で天照大神(あまてらす、さん)にお参りしたという伝統がある。その人を齋王ともいい、斎宮とも呼ぶ。これは賀茂神社の齋王が齋院とよばれ、伊勢神宮の齋王が斎宮と区別されたことにもよるが、斎宮はまた齋王が住まう「宮」も指す。

 と、ひとことでは言いにくいが、昔の日本のありがたーい祭祀の一つで、天皇家の皇祖神・伊勢の大神さんにお参りするのだから、斎宮は特別な存在だった。原則としては、天皇が退位されるか崩御するまでは、都にもどれない。しかも日常の制約は年がら年中精進潔斎というか、ふつうの女性にはつとまらない役割だった。だからこそ、歴代には数名、退下理由に「密通」を記された人もいる(データ一覧表)。これはこれで実に、神と人との取り持ち役として、1人の女性の鮮やかな人生を味わえる所行である。佳きかな佳きかな(異常あるからこそ、日常・正常のありがたみが高まる)。

 なお、今でも斎宮歴史博物館で上映される映画や、京都市右京区の野々宮神社や、源氏物語にあって、「齋王群行」や潔斎の様子がよく分かるが、齋王群行については、内田康夫先生のミステリー『斎王の葬列』(新潮文庫)が名著である。

参考
  斎宮歴史博物館
  野宮神社


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コメント

 斎宮歴史博物館

 残念ながら未だ訪問していません。今度、機会が有れば是非、訪問したい場所です。

 しかし、何故、皇祖神であるアマテラスさんを宮殿から追放したんでしょうね。可哀そうに、今でも伊勢にお坐りですね。

 この謎は、皇祖神として二柱存在する事による可能性があるんではないでしょうか。タカミムスビノカミという垂直系・遊牧民的系譜の祖神と水平的・南方的系譜(太陽神)・海族(あまぞく)的なアマテラスさんの2神が記紀神話に混在して記録されているからです。

 雄略さんも、天武さんも、特にオオアマノミコは名前からして、海族の系譜ですね。特に尾張氏でしょうか。

 

投稿: jo | 2012年11月12日 (月) 09時03分

Joさあ
 三輪に残られた大物主さんは別格として、出雲や伊勢の神さん方は、背景を考えると気が遠くなりそうな複雑宏遠な事情があります。

 尾張にひっぱったというイメージはよく分かります。
 そういえば、熱田神宮の由緒も格式も相当なものですからね。
 尾張、三重は東国の一部であり、東国への出入り口だったわけですから、天武さんとしては最強の皇祖神を海路八街に擬した伊勢にお祀りしたような気がしてきましたよ。

 旧き神々のお考えをまたお聞かせください。
 ところで、近江の資料館博物館巡りは鏡も含めてなかなかおもしろそうです。よろしく。

投稿: Mu→Joさあ | 2012年11月12日 (月) 18時21分

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